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☆原因 

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「愛里は戻らないよ」

 この言葉にどれほど衝撃を受けただろうか。
 つまりマークⅢは自分とは別の人格が存在していることを承知しているだけでなく、自分が居座り続けると断言したも同然なのだ。
 人格交代をさせない自信があるのか、なにか方法があるのか、それとも単に僕を動揺させたかっただけなのか――。
 とにかくいえることは、マークⅢが厄介な人格だということ。
 
 午後の撮影が始まってもマークⅢの言葉が繰り返し頭の中で響いていて、僕は何度も撮り直しをさせられた。

 サスペンスドラマ5話目の収録が終わり、僕はその日の夜に、愛里と監督が滞在しているホテルに向かった。
 監督はリビングで一人次回作のシナリオを練っていた。

「愛里にタレント活動を止めさせてくれませんか」

 早く愛里からマークⅢを消さないとダメだ。
 それに、いつ何かのきっかけでマークⅡに交代して暴走するかもしれない。

「長期休暇をさせるだとっ? 勝手な事を言うな。ドラマが破綻するだろう! 
 秋のサスペンスドラマが終われば、来春からの朝ドラの撮影が始まる。
 非公開だが、ヒロインの妹役はあいりんにほぼ決まりだ。トキメキTVからも異例の2年連続での契約を希望してきている」

 なんなんだこの親は。
 娘をここまで酷使してまで得たいものってなんなんだ?
 地位か名誉か、それとも金か?
 確かにあいりんグッズが全国で飛ぶように売れ、印税だけでも莫大な金額だろう。ドラマも好視聴率で、監督の評価はうなぎ登りだ。  
 しかし――。

「今の愛里ちゃんで、今のままのあいりんで成功すると思っていますか?」

 あいりんがブレイクしているのは、清楚で可愛いルックスだからというのもあるだろうけど、少しとぼけた天然系不思議ちゃんキャラが広い世代で受けているからだ。特にヲタク系には絶大な人気があり、あいりんネタで様々な二次創作物が異常な数出回っている。
 マークⅢがこの天然系不思議ちゃんキャラまでコピーできるとは思えない。

「同感だ。実に冷静な判断だと思うな。だが、あの人格ならいつかは引っ込む。問題ない」
 
 そうかもしれない。そうかもしれないが、

「でも、取り返しがつかないことになってからでは遅いです。いや、もうすでに――」

「薬を処方してもらった。これとレッスンを休ませればなんとかなるだろう」

 どうすれば良い。

「……ダメでしょうか……お願いします……」

 カーペットに額をつけて土下座をした。
 
 マークⅢは交代人格なんだ。愛里の姿をした全くの別人。
 それにいつマークⅡに変わるか、もしかしたらⅢでもないⅡでもない別の人格が愛里を支配するかもしれない。
 これがどれほど恐ろしいことか分かっているのだろうか。
 つまり本当の愛里は寝ているも同じ、交代人格のやりたい放題じゃないか。
 他人を傷つけ、あるいは人殺しだってありえるし、それが自分に向くことだって考えられる。
 自虐的な人格だったらリストカットや飛び降り自殺。愛里に意識がないから止めようがないのだ。
 
「早く、少しでも早く休養をとらせて、専門の医師の治療を受けるべきだと――」

「出しゃばり過ぎだな」

「え?」

「出しゃばり過ぎだと言ったのだ。娘の身体を楽しんだ男――お前だ。坂本氷魔」

「……いや、その……」

「私は娘に淫行した坂本を許すとは一言も発してないぞ。坂本次第だ、とは言ったがな」

 いまごろどうしたっていうんだ?

「……脅しですか……」

「坂本氷魔が、私と――私の娘に害を及ぼす生き物なのかどうなのか――、
 つまり、そういうことだ」

 自分の邪魔をする者は不要ということか。
 
「それに最近愛ちゃんは坂本を嫌っているようだが?」

「え……、ですがそれは別人格だから……」

 監督もじゃないか?

「別人格だろうが何だろうが、嫌っているには違いない。私は今の人格と仲良くやっていけると思っているよ。露骨に嫌な顔をされるが、甘えてくるときもあるしな」

「……」

「言いたくはなかったが、はっきり言おう――。
 所詮愛ちゃんは小学生だ。坂本との事件は天然の性格も手伝って最初は楽しい嬉しい面白いだったが、今頃ようやく被害を受けたのだと自覚し始めたのではないだろうか。
 坂本にイタズラされた、とはっきり認識した。いや、意識してなかったとしても愛ちゃんの心の深いところを、根っ子を蝕んでいると思わないか?」

 ボクと諸々やってしまったのはトイレ事件だけじゃない。
 それらが原因で、愛里がショックを受けている――。
 愛里の心を僕が傷つけてしまった? 

「だから避けている……、嫌っている……」

 それが理由だと、言いたいのか?
 監督が微笑んで日本茶を啜った。

「愛ちゃんを悩ませているのは坂本……、貴様じゃないのか?」

 そんな……。そんなことって……いや、違う! 

「それにだ。これはまあ、私の推測なのだが、レイプされた被害者はあれが夢だった、何もなかった、と自分の中へ封印して、それが別人格の出現に繋がるケースがあると聞く」

 レイプ。

 僕とトイレでああなった事をレイプだと?

「娘が多重人格になってしまったのが、坂本の淫らな行為のせいとは断言できないが――、愛ちゃんに症状が出始めた頃とトイレ事件の時期が同じことから……」

 胸が張り裂けそうに苦しい。

「僕が……、僕が、愛里ちゃんをあんな風にしてしまった」

 愛里を多重人格者にさせた……。
 そういうことなのか……?
 そうなってしまうのか?

 監督は満足そうに頷いた。

「綾部さんといったな。愛ちゃんを精神科に連れていった娘は」

「はい……」

「医師にはあいりんのイメージダウンになるので流石に伏せてくれた。配慮だった。
 だがもし坂本との一件、いや数回にわたる淫行を医師が知っていたら……、愛ちゃんの症状をどう理由付けしていたかな」

 ふふふふと声を出して笑った監督は、僕の肩を叩いた。
 もう、言葉が出なかった。視界が歪む。身体が揺れる。

「どうだ。私はそこまで思っていても坂本を訴えたりはしない。責めたりはしない。むしろ一流の俳優になるべく道を作っているのだ。優しいだろう。素晴らしく優しいだろう。だから、もう分かるな……」

 僕は小さく頷いた。

「そう心配するな。私は君を買っているのだよ。一ヶ月後、サスペンスドラマの最終話を撮り終えたら、愛ちゃんは年内休ませることにする。
 私だって愛ちゃんは大切だ。トキメキTVは異例の取り溜めと再放送で繋ぐとするよ」

 真っ白になってしまって、その後、どこをどう歩いていたのか覚えてなかった。
 気がついたら寮に戻っていた。



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