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☆送って欲しいな

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 食堂で待てと言われたが、僕たちは先輩の部屋の前にいた。
 ドアに耳をつけて中の様子を伺ってみる。

「遅い……。何をしている?」

 岩田が心配そうに携帯の時計を見る。
 もうかれこれ15分になるが、中からは何も聞こえない。

「そりゃ……、……は、話しだろう。セナさんは大学気分を味わいたいんだから」

 そう言いはしたが、実際になんの話しをしているのか……。
 板1枚の壁だ、何かあれば直ぐに分かる。大丈夫だ。

「そうだが……なんでわざわざ……あの先輩なんだ……」
 
 岩田が愚痴る。
 同感だ。あの先輩の容姿(無精髭を生やし必勝ハチマキにアニシャツを着た、キモいヲタクの典型)は一般的な大学生とは違う。それに一度部屋に入ったなら尚さら。
 それをわざわざもう一度入室する。
 好奇心か。セナさんらしいといえばらしいが無鉄砲過ぎる。

「あっ……ああん……」

 突然だった。
 とても小さいが、はっきりと艶かしい声が聞こえた。

「あっあっ……。やだぁ……あっあうっ……」

 連続でドアの向こうから、明らかに部屋の中から届いてくる。
 ごくん、と息を飲み込んだ岩田は、半泣きで立ち尽くし、硬い拳が震えている。

「だ、ダメぇ……ああっ……うっ……」

 『入ってはダメ』と言われたから、セナさんの指示を律儀に守っているんだ。
 ここで我慢? 絶対違うだろう! 

「ちょっと、何やってるんです! ちょっと!!」

 僕はドアを思いっきり叩いた。
 しかし、出てこないし返事もない。でも叩く。
 拳を打つ音が廊下に響いたが関係ない。構わず叩き続けた。
 やがて、ドアがゆっくりと少しだけ開いて、その隙間から先輩の煙たそうな顔が覗いた。

「……なんだ……うるさいぞ」
 
 艶めかし喘ぎ声が大きくなった。
 もう一人の先輩は何をしている。セナさんは?
 先輩の緩んだ身体が邪魔で中の様子が見えない。
 
「なにをしているんです!」

「はあ? なんだその口のきき方は! 関係ないだろう、お前らには」
 
 先輩が威圧してきた。
 関係あるんだよ! おおありだ!

「すいません! 気に触ったのなら謝ります!」

「なんだ。その――」 

「セナさん! セナさん! 返事してください! いい加減に出ましょう!!」

 頭にきている先輩を無視して、僕は大きな声で叫んだ。

「こら、おいっ! やめろ」 
 
「やめるのは先輩です!」

 僕と先輩がやりあっていると、

「なーに、やってんのー?」

「セナさん……」

 セナさんがひょいと姿を見せた。心配していた衣服の乱れもない。
 だけど喘ぎ声はまだ聞こえるんだけど。
 なんだ、アダルトDVDを視聴してたってわけか。紛らわしいんだよ。

「楽しかったわよ。んじゃ、ウチの新作出たら買ってね!」 

 新作って言ってるし。カミングアウトしたんだ自分がA∨女優だって。
 分からない。セナさんってホントわからない。
『えーっ。もう帰るんですかー』と惜しむ先輩たちに、セナさんはあっけらかんと挨拶してから廊下に出てきた。

 ◆

 ◆

 最後の部屋になる食堂。
 セナさんが寮の夕食を食べてみたいと言うので、僕と岩田の夕食を3人で分けて食べた。
 途中でさっきの6回生2人がやってきて別のテーブルで食事を始める。
 じろじろ見られて居心地が悪かったが、セナさんだけは気にもとめてないようだった。

「ごちそうさまー。楽しかったわ」

「どういたしまして」

「また来てもいい……っていうより、勝手に来るけどね」

「ははは」

 会話は僕とセナさんばかり、岩田は相槌をうつだけ、それはつまり相変わらずのポーカーフェイスってわけではなく、緊張してしまって話したくても出来ない状態だ。やれやれ。

 外はもう暗くなっていた。
 岩田と一緒に寮の玄関まで見送ったところ、「駅まで送ってくれない……?」とセナさんが言ってきた。
 女性一人で夜道を歩くのは心細いから――、ではないだろう。なんなんだ。
 まあいい、ここは岩田にぜひ頼もう。
 綾部さんには悪いが、岩田のセナさんへの分かりやすい想いが伝わってくる。
 イケメンなのに、他の女からモテモテなのに、初恋をする少年のように純粋で、見ていて気の毒になってくる。
 岩田の背中を押してやりたい。
 そう思ったが遅れて「坂本くんお願い」と指定してきた。
 岩田が恨めしそうな、悲しそうな顔になった。

「岩田……」

「ご指名だ山柿。頼むぞ!」

「……ああ」

「今度来たときは、岩田くんに送ってもらうからねー」

「任せてください」

 ◆

 駅までバスで行くつもりでいたら、「寄るところがあるから歩きで」と言われた。
 僕を付き合わすつもりで送らせたのか、と納得。
 
「なんか、さっきは心配かけちゃったみたいね」

「いえ……、それより、A∨……に出ているって、あの先輩たちに教えちゃったんですね」

「あ……悪かった? 坂本くんのことは内緒にしたんだけど、それでも不味かったかな」

「いえ、ただ。セナさんにとっては自分がその……、A∨に出ている事が、なんともないんだな、って……」

「ふうーん……、A∨ね……」

 セナさんはイタズラめいた顔をした。

「……あ、いえ、決してA∨の仕事を低く見ているわけじゃなく、自分のカラミのシーンを想像されるのが嫌じゃないかなーって。世間的にそう見たられるのが苦痛じゃないかなと」

「まあ、そうだねー。嫌じゃないと言えば嘘っぽいけど……慣れかな。もう慣れちゃって何ともないわ。始めは自分がいやらしい女に見られるのかと不安だったけど、意外とそうでもなくて、逆に堂々としていたほうが、応援してくれるって気付いたしね」

「そうなんですか……凄い……凄いと思いますよ」

「凄い? だっはっはっはっは! 凄かないよ。ウチにはA∨(これ)しかないからだって!」

 仕事に誇りを持っている証拠だ。

「自分を曝け出せてるってだけで、じゅうぶん凄いです」

「そお? ありがとね」

 全然違う。
 僕は彼女(フィギュア)たちが見られるのが嫌で、クローゼットに押し込めた。
 怖がられる顔が嫌でサングラスをかけたりもした。
 僕とセナさんは全然違う。
 
 今日、監督が言っていたのを思い出した。

『セナは登校拒否だった。内気で後ろ向きで、死ぬつもりだったそうだ。
 だから私が変えた。どうせ死ぬんだったら、ヤッてからでいいんじゃない? 飛ぶ感覚を味わってからでどうだ? 
 人間は人間を造る為に生まれてきた。その根源を知らずして死んでどうする?』


 突然携帯が震えた。
 さっきの先輩(6回生)からのメール着信だった。先輩は僕の携帯番号を知っている。

「あら、出たら」

 セナさんはそう言ったが、嫌な予感しかしない。送ってきたのが今日始めて。もちろん僕から送ったことはない。

「ちょっと貸してみ」

「あっ、だめですよセナさん」

 って言ってるにも関わらず、セナさんはメールを展開してしまった。
 本文が液晶画面に映しだされる。

 ―――― ――――

 あのセナって女の携帯番号を調べて送ってこい。
 近いうちに俺たちに紹介しろ。
 
 ―――― ――――

 セナさんがほくそ笑んだ。
 
「へー。ウチってモテるねー。……さてどう返信する?」

「しませんって!」

「あっそ。じゃウチが適当に」(ポチポチッ)

 ―――― ――――
 
 携帯番号知ってどうするんですか?
 紹介してどうするんですか?

 ―――― ――――

「……あははは。どうこれ? さて、これで、どう来るか」

 セナさんが勝手に打ち込んで僕に見せびらかした後、返信してしまった。やれやれ。
 ぴろろ~ん! 

「はやっ!」

 即返信が帰ってきた。

 ―――― ――――

 バカかお前? 
 ヤラしてもらうに決まってんだろう。
 あれだけノリがイイんだ。頼めばOKに決まってる。

 ―――― ――――

「そう来るか……」

 液晶画面を見るセナさんは言葉少なく笑った。
 『おかしいわね』、と一緒に笑って欲しいみたいだったけど、僕はバカだから返事も頷きも何もできなかった。
 かわりに拳に力が入る。腹の奥で何かが燃えるような感じがした。
  
 ―――― ――――

 セナさんには彼氏がいるみたいですよー。
 だから無理ですよ。

 ―――― ――――

 そう打ち込んだ隣のセナさんが、「どうかな、これで先輩を撃退しちゃった?」と微笑んで液晶画面を僕に向ける。
 無理してつくろっている気がして、なんだか健気に思えた。可哀想にも思えた。
 だから今度は僕も、

「彼氏って誰ですかー?」

「隣にいるじゃない……ふふふ」

 セナさんに合わせて僕も笑った。わざとおどけて、場を楽しくさせたかった。
 これでもう終わりたい。終わるべきだ。

 側に立つ青白い街灯が、カチカチっと明滅した。
 もうメールは来ないでくれ、セナさんが送信ボタンを押すのを見ながら、そう強く念じた。
 しかし。
 ぴろろ~ん! 

 ―――― ――――

 関係ないだろう。
 相手はA∨女優。バカ女だ。
 男なら、ずぼずぼ、誰だってOKなんだよ。

 ―――― ――――

「……、……」

 セナさんは背中を丸めた。
 俯いたままじっとしている。

「セ、セナさん……」
 
 あの気丈なセナさんが、6回生の暴言に、性欲に……。
 慣れているだって? 我慢するのに慣れていただけ、心が痛むのを誤魔化すのに慣れていただけじゃないのか。
 かーっと血が逆流した。
 誰がバカ女だと……。
 誰が、誰だってOKだと……。
 
「ちょっと!」

 セナさんの手から携帯を取り上げてメールを打つ。

「なにやってんの!」

「いいからっ!」

 携帯に手を伸ばしてきたので、強く振り払った。
 セナさんがハッと驚いた顔をした。
 荒っぽい僕など見たことがなかったからだ。

「どうしたの? そ……そんなん、気にしなくたっていいのに……」

 セナさんに返事はしなかった。

 気持が先に走る。言いたいことが嵐のように出てくる。
 指が遅い。打つ指が追いつかない。
 力一杯、壊れるかと思うほど携帯を打った。
 隣のセナさんが画面を覗いている。確認もせず送信した。

 ―――― ――――

 セナさんと連絡つきました。
 暑苦しいロリコンは大嫌いだそうです。

 以上。

 ―――― ――――

 液晶画面に《送信完了》の文字が浮かんで、それからため息が漏れた。 
  
「……ふっ。ふふふ……。良いの、そんな嘘送って」

「良いんですよ」

「寮に帰ったら怖いわよ。……バカね」

 そうかもしれない。そうかもしれないが、我慢できなかった。
 放おっておけなかった。
 もしかしたら両親以外で、僕の事が好きだって本気で思ってくれているかもしれない女性、セナさん。
 だからってわけじゃないけれど、そんな人すら守らなくて何が男だ。 
 バカでも良い。バカでも。

「坂本氷魔は熱くてバカだったんだーっ」

「はいはい。僕はバカですよ」

 二人で笑った。なんだか嬉しかった。
 
 携帯が振動した。メールではない着信。
 先輩からの直電だった。
 ハッとしたセナさんと顔を見合わす。

「出るのやめたら?」

「いや、……構わない」

 そう……構わないぞ。
 携帯を耳にあてた。

「もしも――」

『ざけんなテメー!! マジ連絡取ってねーだろ。勝手に送ってくんじゃねーんだよ!』

 耳元で猛烈に怒鳴る声が響いた。
 ビビりそうになったが、堪え、冷静に務める。
 セナさんの心配そうな顔が目に入ったので、より落ち着くことができた。

「連絡はとりました」

『うそをつけ!』

「うそではありません。僕の隣にいますから。なんなら代わりましょうか?」

『え……』

 途端に先輩のトーンが落ちた。

「謝ってもらえませんか、先輩?」

『あ、いや……マジか?』

「あれだけ酷い事を言ったわけですから。なんでしたら、セナさんを連れて今から寮に戻りますから、土下座してもらえませんか?」

『お前……なに言ってる。俺は6回生だぞ』

「だからどうしたんです。悪いと自覚してないんですか? 善悪が理解できないんですか? 頭がおかしいんですか? バカなんですか?」
 
『お、お前……』

「A∨女優が誰とでもヤル女だと思っていたのか! 
 どんな仕事だろうと、みな誇りを持って働いているんだ! 
 誰だってOKなのは貴方だろう先輩――っ!!」

『……』

「――A∨女優なめんなよ!」

 先輩の返事を待たずに電話を切った。
 胸が苦しい。呼吸が乱れたまま、落ち着かない。
 気がついたら通行人が僕を遠巻きに見ていた。

「大きな声……」

 セナさんが呟いた。

「たかだか電話で……ちょっと止めてよね。……恥ずかしいじゃない……」

「ご、ごめん」
 
 僕は……、僕らしくないことを……。

 立ち上がってひとり歩道を進んだ。
 顔が身体が、とにかく全部が熱かった。
 SMの撮影現場で頭が混乱してぼーっとしてしまったアレと同じだ。
 恥ずかしくて、隠れたくて、逃げたくて仕方がない。 

「ちょっと待ちなさいよーっ!」

 遅れて駆け寄ってきたセナさんに腕をくまれた。
 もー、ナニ熱くなってんのよーっ、と笑いながら言うセナさんを見れなかった。

「ありがと……」

「……、……」

「ありがとね。ウチ嬉しかった……」

 セナさんにどんな顔して見られているかと思ったら、余計に血が上りそうだ。
 横断歩道が赤信号だったので止まる。
 沈黙が嫌だった。早く青に変われ、駅はもう直ぐだ。
 早くセナさんを駅まで連れていって、即効で寮に帰って寝る。
 それが一番だ。うんうん。
 
「ちょっと、ちょっと。こっち向きなさいって!」

 セナさんが苛立っているので仕方なく――。

 それは突然だった。
 柔らかい唇が僕の口に触れたのは。
 
 何が起きたのか、首の後ろに回されたのはセナさんの両手。
 密着している僕たち。
 商店街の明かりが、夜の夜景が、車のクラクションの音が、舞台のスポットライトに照らされているような、夢の中のような、そんな感じだった。

 長い時間キスをしたんだと思う。
 駅を通り過ぎて、裏手の知らない道を歩いている。
 珍しく無口なセナさんが僕の腕をギュッとつかんだまま――僕たちは。




 後で気付いた。
 セナさんと一緒にいる時は、僕は愛里のことを考えてないんだと……。

 

 
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