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☆すすすいません監督!
しおりを挟む愛里の控室前のセナさんが、僕を見るなり眉間にしわを寄せた。
「すす、すいません。……あの……監督は……」
「中にいるわ、一人で。愛里ちゃんは撮影中だから」
低い声だった。さっきまでとは違う。コトの重大さを物語っている。僕はごくりと固唾を呑んだ。
「大変な事をしてしまったわね。よりによって監督の娘さんを。これからってアイドルの卵を。愛里ちゃんが知らないからって、やって良い事とそうでない事くらいは分かるでしょう……」
イケイケモードではない常識ある社会人のセナさんがいた。
「……は……、はい……、……」
言葉が無かった。
職業でするセナさんと、僕のやった行為は全然違う。セナさんはA∨という職業がら視聴者を興奮させようと意識しての桃色(A∨)行為で、僕のはただの偶然を利用したイタズラだ。相手を楽しませようとする提供者の姿勢と、自分のことしか考えてない犯罪者の思考じゃ、意味が全然違う。
「つまりずっと前から愛里ちゃんの追っかけをしてたわけね……。ストーカーなのね。さあ~、正直に言いなさい」
広島であった僕と愛里の事を根掘り葉掘り訊いてきた。どうしようか迷った挙句、トイレでの事はやっぱり言えなかった。
卑怯物だ僕は。
セナさんが長いため息を吐いて、顔を左右に振った。
「小学生相手にマジになり過ぎてるんじゃないの? あんたマジヤバイよ」
僕の性癖を呆れるというより心配してくれているようだった。弟がロリコンだから、小学生に思いを寄せる心理がそれとなく分かるのだろう。
僕はどう返していいか、大人に怒られた子供みたいに立ったままで、「はあ」と頷くだけで、どうすることもできなかった。
「今日の事は許してもらえたとしても、今後似たような事が――」
許してもらえたとして――。許されるものなのか?
「今後は大丈夫です、絶対!」
「どうだか……」
「もう二度とあんなマネはしません!」
「ふーん」
「それより……許して貰えるって……。許してくれるでしょうか、あの監督が……」
自分の娘が、言いようによったら――傷物にされた――と言われても仕方がないレベルなのだが。
「そうねえ~。ウチしだいかなあ~」
難しそうな顔をするセナさんが、僕を見て眼を細め口端を上げた。
「セナさんしだい……」
「うん……そう。たぶんね」
駆け引きか、条件と引き換えに叶えようと言いたいわけか。
「か、構いません。その話し教えて下さい。ぜひ」
「……そうね」とセナさんは言った。続けて、
「しかし、あの綾部とかいう女。建成(けんせい)に惚れてるね」
「……え……?」
「食事中あれだけ隣の建成をチラチラ見てたら誰だってわかるわ」
何を言っている。話題が変わっているぞ!
「いや、あの……」
許して貰える話しはどうなったんだよ!
「綾部のやつ、建成に近づく為にあんたの彼女のフリをしたわけよ。下心が嫌らし過ぎるわ。あ~ヤダヤダ」
「あー、まあ、そうですね……」
じらしているのか? 一応は同意しておく。
セナさんが言う『建成』――つまり岩田兄の事だ。呼び捨てにするところや、愛里が『セナお姉ちゃん』と気軽に呼んだりして、セナさんは監督とだけでなく岩田家族と親密に接しているようだ。
そういった事から、許して貰える何かがあるのだろうか。
それに意外だったのは岩田だ。
いつもポーカーフェイスなのに、セナさんがいると舞い上がって言葉が詰まり落ち着かない。
さっきも携帯表示『柏樹セナ(恋人)』に異常に反応をしていた。
岩田はセナさんが好きなんだ。憧れなんだ。だから女性からの告白を断っていたのだろう。
「まあ、そうですねぇ? まあそうですね、と言ったわね。同意したわね」
「ああ、まあ……」
なんだ、なんだ?
「誰も下心が多少あるのよ。分かるでしょう。それは綾部も、アンタも、そして監督も……ね」
「はあ~」
「監督はあんたを俳優として気に入っている。あんたは愛里ちゃんを女として惚れている」
なんか読めてきたぞ。
「えっと……つまり……監督の下心。つまり言い分を飲めと」
「はいOK!」
言いたいことは分かる。分かるが……。
「良いんだろうか、なんか良心が痛むというか、卑怯なマネのような……。やっぱりちゃんと罰を受けるのが――」
「あらそう。あんたのご両親が自慢の息子の行為を知ったらさぞ悲しむでしょうね」
ぎくっ! 確かに。
「それに卑怯なマネって、あんたがやった事のほうがずいぶん卑怯だと思うよん♪」
「わわわわ……。そうです……」
「そして、愛里ちゃんが真実を知ったら」
――僕は性犯罪者。
すまない愛里。君を汚してしまった。
「答えは決まっているじゃない。考えることはないわ」
「……、……」
「何を悩んでいるの? あんたが俳優を目指せば監督が喜ぶ。すると、あんたは気軽に愛里ちゃんに会える。もっと親密になれるかもよ。ラブラブになれば、もうレバーがどうこう関係ないわ。……どう? どうなのよ?」
言えてる。
しかし……。
「監督を待たせるのはマズいわ。そろそろ入るわよ」
「えっ! あ、ちょ!」
僕の揺れる心など問答無用、セナさんがドアをノックした。
はい、と透き通る声。監督のものだ。ドアを開けセナさんが入る後に続いて僕も進む。
6畳ほどの畳の部屋には愛里の母親である監督が、座布団に座ってせんべいを片手に湯のみを傾けていた。
「連れて来ましたよ監督」
「うむ」
監督の鋭い視線が痛い。顔を上げられなかった。
まあ座れ、と低い声でちゃぶ台を示され、そのままセナさんと並んで、監督と向かい合うように座った。
謝らねば! まずは謝らねば!
そう頭ではゴーサインが出ているが、声にならない。
あの、ああ、あの、と口が空を切るだけ。情けない。
「ここのせんべいは良い味している」
監督が菓子皿に入った大判せんべいをかじる。バリバリ音だけが響く。
手焼きで肉厚、醤油タレにノリを巻いたシンプルなせんべいだ。どうでもいいけど、美味そうだった。
食べ終えると、せんべいを1枚「どうだ、坂本も」と勧められた。
「いいい、いえ、けけ結構で、ごごご、ございます」
せんべいをかじるほどの余裕はない。
「まあ、そう言わずに食ってみろ。味の感想を訊きたい」
断る為に広げた手に、強引に持たされれば突っ返すわけにもゆかない。
「はい。では……」
改めて丁重に両手で受け取り、ゆっくりと口へ運ぶ。ぼりぼりぼり……。
「どうだ?」
「はい……。美味しいです。米の旨味がそのまま出ていて、香ばしいタレと歯ごたえが絶妙ですね」
「うむ。良いコメントだ。直ぐにそれだけ返せれば言うこと無いな」
あっ、ありがとうございます。うむ、茶を飲めよ。はい。美味いか? これも上品なお茶の風味が心地良いですね。静岡産の極上品だ。はぁどうりで、などと至って普通のやり取りをしている僕。
な、なんだろうこの状態?
いや、そうじゃない。今頃分かった監督の狙い。
僕が謝るのを待っているのだ。自分から謝るのを。
ああああ、あ、あ、あの――――。
先ほどと同様にもごもごしていると、
「で、愛里はどうだった。率直な感想を訊きたい」
「えっ!」
ええええええええええええええええええええっ!
「昼食前に食ったのだろう。いや、食われたと言うべきか……」
食った……食われた。
耳を疑うお言葉。
本当にこの人は愛里の母親か? しかし顔は真剣そのもの、とても冗談を言っているとは思えない。
「せんべいと同等の、いやそれ以上のコメントが希望だ、坂本氷魔よ」
娘の行為を官能小説ばりで感想を述べろと、娘のアダルトシーンを生々しく描写をしろと、そうおっしゃるのか?
僕を批難するより、娘が可哀想と思う感情より、それが優先するのか? そうなのか?
「さあどうした。コメントしろ坂本よ」
A∨の鬼か、この人。
「……、……」
無理だ。出来ない。
最愛の愛里をもう一度汚すようで、出来るわけがなかった。
「す、すいません。すいませんでした。本当に本当に……すいませんでした」
畳に額を擦りつけた。何度も何度も『すいませんでした』と謝りながら、畳に頭をつけることしか出来なかった。
監督は黙っていた。セナさんも無言だ。
「頭を上げなさい坂本よ。意地悪をしているのではない。率直な意見を、君の表現を訊きたかっただけだ」
「監督はあんたを買ってるんだよ。評価してるんだよ。役者としての才能をね」
セナさんがそう補って、まるで僕が土下座したのが無意味だと言わんばかりに思えた。
「はっきり言おう。俳優として働いてくれ、むろん私専属のだが」
「いや、あの……それよりですね。もっと重大なことが……」
「ああ~無知淫行のことか?」
無知淫行……。
さっき食べた食事を思い出すような、軽い、気にも止めない。問題でも何でもない、取るに足らないみたいな言い方。
キノコの件、娘を傷物にした僕を、怒って然るべきなのに、なんとも思わないのか?
「キミがどれほど娘を愛しているか、よく分かった」
監督はそう言いながら手を伸ばして来たので自然と握手になる。
怒ってないどころか、祝福しているような。分からない。この人が分からない。
「どうだ、嬉しかったか? 気持よかったか?」
「ええ、まあ、はい」と正直に小さく返事をすると、「では了解して貰ったと受け取っていいのだな」などと勝手に納得し、セナさんと、「良かったですね監督」「うむ、これで新作が出来たも同然だ」「あっ、そのせんべい頂いていいですか?」「うむ、悪いが坂本にお茶をもう一杯、入れてくれないか」「あ、はいはい」などと和気あいあいになっていた。
これで終わりか?
僕が娘をイタズラした悪人として、追求しないのか? 犯罪処分は?
僕が監督専属の俳優として働くことで、淫行がチャラ。娘と天秤にして僕の獲得のほうが勝るとは。
合点がいかないまま、監督の新作の説明を受けるのだった。
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