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☆柏樹セナ登場

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 翌日。
「急な事情が入ってしまったから」
 と同じ教育学部の綾部さんに託けた僕は授業をサボった。   
 昨夜、あれから電話やネットで、トキメキTVを制作している会社及び、実際に番組収録を行う場所を突き止めたのだった。
 つまりそこで働く。
 芸能業界は憧れる人は多いものの、実際働くとかなりキツくて、長続きする人は少ないと聞いている。人の出入りが激しいならば、アルバイト募集があるというもの。トキメキTVの仕事に携わることができなくとも、愛里と同じビル内で働いていれさえすれば、もしかしたら、収録の衣装を纏った愛里と、廊下でばったり出会う事も十分有り得る。
 
『あっ! 山柿兄ちゃん。ど、どうしたの!』
『やあ、愛里くん久し振りだね。君こそそんな服着て、まさか撮影?』
『はい、そうなんです』
『そうなのか。僕はバイトでね。そうだ! よかったら、お昼でも一緒にどうかな、ご馳走するよ』

 お昼休憩に愛里ママも加えて近くの洒落たレストランに入り、三人で懐かしい話しでも交わすのだ。
 そうすれば、僕と愛里の間には再び深い絆が生まれることだろうし、初対面の愛里ママにも僕の紳士的な振る舞いから、大きな信頼が生まれるだろう。
 いつしか、僕たちは日曜日の昼になるとランチを楽しむ仲となり、後はもう簡単だ。愛里は僕のスマホに直接連絡をしてくるだろうし、もちろん僕も気兼ねなく岩田家へ電話をする。愛里ママも公認してくれ、やがて強情な岩田もついに良き理解者となるだろう。流れるようなスムーズな展開で数年が経ち、愛里が大学を卒業した頃、僕は三十歳。晴れて愛のベルが鳴り響くというわけだ。
 そして僕は語るだろう――――『あの場所で偶然再会したのが、始まりだったね』と。
 シナリオは完璧だ。
 
 僕は職業安定所に到着するなり、意気込んでパソコンの前に座り、バラ色の未来への第一歩になるだろう検索を開始した。
 数分後。
 募集はあるものの正社員のみだった。ものの見事に崩壊した一夜漬け妄想人生計画。

 だがしかし、そんな事くらいで挫ける僕ではない。
 正社員か……。
 でもまさか愛里に近づきたいだけで、せっかく入った大学を退学してまで就職することはできない。それに大学中退の僕を雇ってくれるとは思えない。
 人がうじゃうじゃいる大阪駅で、いつ現れるかわからない愛里を見つけるのはほとんど無理だ。いっそ、愛里が大阪に来たときは、づっと岩田にくっ付いていて、そのまま食事の場所までお邪魔虫という手もあるが、岩田に一刀両断されそうだ。

 ああ、もうどうしたらいいのだ。
 ふらふら歩きながら巡らせていると、いつの間にか五階建ての白いビル《大阪TJスタジオ》の前までやってきていた。
 ここが、トキメキTVを収録する現場であり、それ以外にもVシネマや昼ドラなどの撮影も手がけている大きな会社だ。
 入口奥には警備員が二名ほどいて、人が出入りするたびに首からぶら下げてある入構証をチェックしている。確かに有名芸能人などもこのビルに立ち入るだろうから、こっそり忍び込んでサインでも貰おうなどと考えるバカファンを取り締まる為にも警備員は必要だろう。
 そんな事を考えていると、

「あら、面接?」

 長身の美女に声を掛けられた。
 25歳前後だろうか、目鼻立ちがはっきりとしていて、やんわり染めた茶髪が肩で緩やかにカールしている。履いている黒のタイトスカートのシルエットが妙に色っぽくて、僕はドキリとした。

「えっ、あっ、えっと……」

「うふふふ」

「あの、仕事とか募集していないかな、と」

「やっぱり、面接じゃない。そっちのビル入って階段上がった二階だから」

 そう彼女が指で示す。

「え? ……はあ」

「ちょっと、そのサングラスを外してくれないかしら?」

 なんだろうこの余裕の物言い。だけど見下した感はない。素直に疑問に思ったから口に出したような……。
 僕はサングラスを取ってみせた。

「……がんばって」

 驚くどころか軽く笑みをこぼした美女は、ぴっちりとしたタイトスカートの後ろをくねくね動かせながら大阪TJスタジオ中へ入ってゆく。
 彼女が見えなくなった後も呆然としていた。

 ――がんばって、だって?

 僕の顔に一瞬の違和感も見せなかった。
 コンパ猛者の女子軍団でさえ、一瞬はたじろぐのにだ。
 まるで身内か愛里くらいだろう、女性がなんの違和感を出さない、つまり不快に感じてない異常事態は。新鮮すぎる。
 しかもあれほどの美女が笑みを浮かべながらとか……。
 もしかしたら彼女は役者で、僕の顔を見ての本心は、『ゲッ、なにこのフランケン顔っ!』なのかもしれない。
 僕は彼女が指した場所を改めて見た。それは大阪TJスタジオの本社ではなく、隣の大阪TJレッスン教室。同じ系列なのだろうけど、ここならバイト募集しているのだろうか?
 どうする? 躊躇(ちゅうちょ)したものの、取り敢えず行ってみることにした。
 入口をくぐると『面接会場二階』と記された掲示版があった。
 これの事かと、壁にポスターが貼られた階段を上がってゆくと正面の扉の向こう、男ばかり百名近く一列に並んでいた。
 え? これ全部バイトの面接? 違うだろう。何か別の……。

「君急いで、もう始まってるから」

 突然手招きする男性に忙しく促されるまま近寄る。
 入った二十畳ほどの部屋の角には、監督らしき風貌の女性が長椅子に背中をあずけながらファイルに目を通し、その前では五人の男子が横並びで立っていた。

「はい、これ。待ってる間に記入してて」

 そう手渡されたのは一枚の紙とボールペンで、氏名、年齢、希望動機、特技などの記入欄がある。

 何かのオーデションじゃないか。
 先ほどの男性は忙しそうに動き、女監督は五人の男子に問いかけをしている。
 やれやれ、僕には場違いだな。
 黙ってこの部屋を出ようとしたその時、鋭い声が飛んできた。

「次ぎ、そこの君だ!」

 呼び止められたような気がして振り返ると、男性全員と女監督が僕を見ていた。
 
「僕――?」

 順番なら最後尾になる。間違いだろうと、自分に指を向ける。

「そうだ! そこのデカイお前だ。グラサン取って、先にやってみろ!」

 厳しい剣幕の女監督に、近くのスタッフが囁く。

「なんか、飛び入りみたいです。今書いてもらってる途中だったもので……」

「かまわん。面白そうだから先にコイツを見る。…………名前は?」
 
 名前? 
 たいそう偉い立場の人なんだろうけど、乱暴な口の聞き方をする人に本名は名乗りたくない。どうでもいいや適当に。

「阪本氷魔(さかもとひょうま)です」

「ふうん…………どうした? 取って見せろ」

 嫌なヤツだな。
 同じサングラスを取るように言われるにしても、先ほどの美女とえらい違いだ。
 まあいいだろう、せいぜい驚くがいい。僕の顔を見て冷静でいられるか、見ものだな。
 ゆっくりとサングラスを外すと、おおおおおおおーっ! と会場からどよめきが上がった。

「何者だ?」「いやわからん」「どこの役者?」「新入りだってよ」「すげーインパクト」

 男ですらこの反応だ。なのにこの女監督は表情ひとつ変えず近寄ってきて、じろじろ舐めるように僕の顔を見た。
 腕や胸板を触り、筋肉を調べているのだろうか、ときどき揉んだりしている。
 
 なんのオーデションだよこれ?

「一応合格」

 おおおおっ! と再び低いどよめき。

「うらやましい」「順番守れよ」「あるんだな、才能って」「むりもない、あの迫力だ」

 なに、合格した? これだけでか。
 
「キミキミ、おめでとう! なかなか無いよ~。監督が即決するのは~♪」

 男性スタップが僕の手を勝手に取って握手した。そのまま椅子に誘導され座ってしまった。
 女監督は、椅子に戻り残りの受験者を大ざっぱに進めて面接を片付けた。

「これで終了となります! 合格者三名は私に付いて来てください。
 不合格者はまたの機会に参加してください!」

 スタッフが言い終わる前にぞろぞろと退出してゆく不合格者。

 ――じ、冗談じゃない。僕は演技とかの経験は皆無なんだ。
 僕は不合格者に混じり、そろりそろり部屋を出ていこうとしたら、「君はこっち」と先ほどの女監督が僕の手首を握り、グイグイ引っ張った。

「い、いや違うんですよ。僕はアルバイト希望でして、それに役者じゃありませんから。ただの学生ですから」

「ほう。君は知らずにここに参加したのか?」

「そ、そうですよっ!」

「セナちゃんのファンでもないのに……」「マジか。この企画の趣旨の意味ないじゃん」

 角の方から、ぶちぶちと愚痴を呟く男の声が上がる。
 見れば合格した2人は、ヤクザを絵に書いたような風貌をしている。まあ、僕も人の外見をどうこう言えるツラ構えをしているわけではないのだが。

「ほう、なおさらおもしろい画(え)がとれそうだ! 取り敢えず付いてきたまえ。嫌ならいつでも帰ってもらって結構」

 女監督は自信満々だ。

「あの絵って。いったいどんな仕事なんですか?」

「来ればわかる。TJスタジオだから給料も良い」

 TJスタジオ……。
 愛里の出るトキメキTVを収録する会社だ。
 不安はあるものの、愛里との接点を期待して承諾した。
 だが女監督はビルを出て隣の本社には目もくれず、さらに何処かへ歩いてゆく。
 
 おいおい。愛里の職場から離れてゆくぞ?

 到着したのは高級ホテルの一室だった。
 白と黒を基調とした近代的でシックな部屋。純日本風の障子と畳の部屋。二つの部屋が用意されていて、どちらにもカメラや照明、延長マイクや反射板、壁際にあるスクリーンなどが設置されており、ズバリ撮影の現場と言っていい。
 それに四方に設置されたカメラのレンズが捉えている物が……。

「はい。端から順番だから準備して!」

 存在感ばっちりの、ドン! と鎮座しているダブルベッドと、畳に敷かれた日本布団だった。
 それを囲むスタッフが七名。

 ――え? じ、準備? なんの? 
 端からって僕は真ん中だから、2番目……。

「一応撮影だから、そのつもりでやって」
 
 女監督が指示すると、いつの間にか上半身裸になっていたヤクザ顔の男性が嬉しそうに、だが僅かに緊張した面もちで軽くうなずく。
 なにが始まるのか……ある程度は予測できる。
 すると部屋のもう一方の入り口から、風呂上りのような白いタオル地ガウンを羽織った女性が姿を現した。
 印象深い目鼻立ち。肩で緩やかにカールしている茶色の髪。先ほど会った色っぽい年上の美女だ。
 魅惑的な身体のラインから、かなりの巨乳でもある。

「柏樹セナだ」「すっげー可愛い」

 合格した男性から声が上がる中、柏樹セナと呼ばれる女性は僕を見つけるなり微笑んだ。
 そして僕に見えるように着ていた白いガウンを脱ぎスタップに手渡した。

「「おおおおぉぉぉぉっ!!」」

「はい。お待たせしましたーっ! これより『柏樹セナちゃん、ファン感謝DEデート』開催します」

 え――――――っ!! 

 僕は絶叫し、数歩後ずさった。
 予想通りにガウンの下は素っ裸。だがそれ以上に驚いたのは、柏樹セナの身体中を奇妙な結び方で縛っている縄だった。
 平然と補佐らしき男性が合格者とセナに細かな指示をした後、女監督のスタートの合図でそれは開始された。
 あまりの迫力に僕は唖然となりながらも、始めて見る、フラッシュの焚(た)かれた生光景をまじまじと見つめていた。
 結局のところ、それはいわゆるSM本の写真撮影とアダルトDVDの撮影だった。

「次は、阪本氷魔やってみて!」

 監督からの声でスタッフが僕に指示を始めだしたが、正直のところ僕のチェリー君を含めカチカチに身体が緊張してしまってて、なにもできそうにない。もちろん何かするつもりだったわけではないのだが。

「手が震えてますよ。もっと落ち着いて。深呼吸してみませんか?」

 いや、落ち着いたらどうするというのだ!
 僕がアレをやると言うのか?
 
「はい。吸って~。吐いて~。もう一度深く吸って~。吐いて~」

 脳内はパニックだ。ただ言われるがまま深呼吸している僕に、何故かスタスタやってきたセナさんは耳元で嬉しそうに囁いた。

「ウチの胸は吸うだけで良いからね~♪」

「えええ――っ!!」

 叫んで尻餅をついてしまった僕をスタップ含めた全員が大笑いだ。
 
 イカン! このままじゃー僕は本当にエロ役者になってしまう。
 K大に入って、わざわざエロ役者? 
 エロ道を本気で成りたいのならそれもアリだろうが、なし崩しに成っちゃったーはダメだ。親が泣くぞ!

「す、すいません! 僕って、興味本位で、その、つまり、単なるアルバイト希望なんです。それにあの、こういうの始めてでして……」

 おどおどした言葉に監督が笑う。

「知ってるさ。だから良い絵になるんだ!」

 は? なになに? ビギナーズラックとか狙っているのか?

「いや、でも……」

「まあいいじゃない。君のその顔はSタイプの男優向きよ」

 セナさんがにこやかに僕の手をギュッと握り、強引にベッドへと引き寄せる。

「えっ? イ、イヤ。ち、ちょっと待って下さい。僕にも心の準備がっ!」
 
 再びドッと笑われた。
 拒絶いても、たわわな二つの白い物に誘導されてしまう。
 ――ああ、僕の始めては見物されながらプロを相手に散らすのか、などと初体験の女子が言いそうな事を想像していた。

「うふふふっ。ウチの、どストライクかもしれない、あなたの顔と身体つきが」

 セナさんが言った。
 ド素人の緊張を和らげようとのプロらしい言葉に思えたが、妙に嬉しかった。
 この怖顔を面と向かって褒めた女性などいない。

「えーっ!」「そんなセナちゃん」と羨ましそうな外野の声。
 続けて女監督が言った。

「嫌なら本番プレイしなくて結構。良かったらポーズだけの撮影でもいいからやってみなさい、阪本氷魔。バイト料弾むよ」

「そ、そうですか。……じゃあ、……あの。ポーズだけで……」

 もう恥ずかしいやらで、なんでそんな事を口走ったのか自分でもわからない。

「え~っ! ウチは本番がいいのにっ! ウチを激しく虐めて欲しいのにっ!」

 柏樹セナは僕の手を握ったまま、悔しそうにくねくねと身体を揺らした。
 愛里を妖精とするなら、セナさんは澱んだ魔物だ。
 年齢も大きく違うが、愛里はいくら年を重ねたとしても、セナさんのような性格には絣もせず、身も心も清いまま可憐な女性になることだろう。

 ◆

 そして――――。
 全てが終わった。

 監督が僕の何も着ていない肩に触れて言った。

「キミ、才能ある」

「……、……はあ」

「10年に1人の逸材かもしれん」

「……、……そうですか」

「その鬼気迫る独特の顔が、女優をより引き立たせている。身体付きも野性味溢れてて良い」

 スタッフ一同とセナさんが揃って頷いている。お世辞ではなさそうだ。
 別に特別な演技を心がけたわけではない、ただ普通にだらだらと指示通りのポーズをしたまでだ。
 コンプレックスだけでしかなかったこの怖顔が、やっと認められたのがSMだって? 
 それって余りにも可哀想過ぎるんじゃないだろうか。

「今度私が作るAVにも出てみないか?」

「おおお! これは凄いことだよ坂本くん! 監督が直々に頼むなんてまず無いから!」

 周りのスタッフの慌てぶりからして、よほど光栄なことなのだろう。
 しかし――。

「絶対に嫌です」

「ええーっ! それは勿体ないよ~っ。せっかくの監督の誘いを! 普通なら出たくても出れないんだよ~」

「まあ、いいだろう。……さあ、撮影の続きだ!」

「「「はいっ!」」」


 ひと通り撮影が終わり、再び出番が回ってきた僕は、激しく焚かれるフラッシュの中、ムチを振りかざしたり、麻縄で縛る等のポーズをしていると、『いいね~』とか『堪忍して~』などの声が掛かってきて、なんだか心が大きくなった。
 不思議だ。ノリノリで演技してしまう。
 僕って隠れた才能があったのか?
 おいおい、止めてくれ~~~!



 
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