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第二章 牙を剥く皇帝
サクリファイス
しおりを挟む「ぐはっ……ル、ルーネ……ルーネエェ……」
「さあ、女よ。俺たちの愛をこの哀れな男に存分に見せつけてやろうぞ」
「はいっ」
血まみれになり死にゆくセインの目の前で、俺はルーネと愛し合う。やつが瀕死状態に陥ったことで【鈍化】された思考能力が元に戻ってきているのか、喜びと快感がとめどなく溢れてくるかのようだ……。
「よく見るがいい、セイン。お前の愛する女は、最早俺にしか興味がない……」
「ウォール、大好き……んっ……」
「……あ、ぁ、ぁ……ルーネ、俺のルーネェェ……」
ククッ……やつの表情、ずっと眺めていたいと思えるほど素晴らしい芸術品に仕上がっている。マーベラスだ。
「セイン、幼馴染のよしみだ。お前の涙を拭ってやろう」
「いぎっ……?」
跪いたやつの目から流れる汚い液体を俺の靴で丁寧に拭ってやる。
「……ぐぐっ……は、ははっ……」
「ん? 何故笑う、セインよ。この期に及んでまだ強がるというのかね……?」
「……ル、ルーネの処女はな……俺が貰ってるんだよ……ざまぁ……」
「なるほど、それがお前の今一番大事なものか」
「……え?」
ぽかんとした顔の間抜けな鼠に向かって、俺は嫌らしい笑みをたっぷりと注いでやる。
「セインよ……俺が今、お前から何を奪ったか……わかるか?」
「……う、奪っただと? これ以上俺から何を……」
「勘違いするな。【盗聖】に限界などない。一番大事なものが奪われたなら、二番目に大事なものが一番目に繰り上がるだけだ。すなわち、今のお前から一番大事なもの――『ルーネの貞操を奪った事実』――を奪い取ってやった。これで俺こそがルーネの貞操を奪った男ということになるわけだ。ハッハッハ!」
「ごほっ……そ、そんな……畜生……畜生ぉ……ウォール……呪ってやる……呪ってやるぞぉぉ……」
「ククッ、呪え呪え、哀れな虫けらよ。もしや俺の前に化けて出るつもりか? ならばいつでも歓迎しよう。お前の恨めしそうな間抜け面を拝めるのであればこれほど愉快なことはない。……なぁ、ルーネ?」
「うんっ……」
「……ル……ネ……」
薄汚い鼠が絶望に溺れた顔で息絶える。最高だ……。料理の見た目こそ悪いものの、舌や脳天が痺れるほどに美味であった。だが、まだ満腹感が足りない。今までは奪ってもすぐに意識が途絶えてしまっていたから尚更満足できないのだ。しかし、いよいよ耐性が付き始めているのがわかる。愉快だ。ククッ……。
「さあ、次はお前の番だ、ルーネ」
「……え?」
きょとんとした顔のルーネ。それはそうだろう。心を奪ったことで俺のことが大好きになったのだからな。だが、これをやつに返却したらどうなるかな……?
「え……あれ、セイン……?」
ルーネは信じられないといった表情で見ていた。愛するセインの亡骸を……。
「お前がその手で殺したんだよ、ルーネ」
「……う、嘘よ、何言って……はっ……!」
彼女は真っ赤なナイフを落とした。それこそがセインを自ら殺したということの証だと気付いた様子だ。
「もう一度言う。お前が自分の手で殺したんだ、セインをな……」
「い……いや……そんなのヤダァ……」
小さな子供のように涙目で首を横に振るルーネ。辛くなるとすぐこうやって現実逃避して駄々をこねる癖、昔から変わっていないな……。
「そもそもお前がセインを止めていればこうはならなかった。俺があの《エンペラー》に入ったときに大人しく二人で逃げていればよかったものを……」
「……ぐすっ……セインを返して、返してよぉ……」
「……」
この女、そんなにセインのことが好きなのか。どうせあの愚劣な男に洗脳されているとばかり思っていたが、やつが死んでも一向に解ける気配がない。そうか……一緒にいるうちにまさに心変わりしてしまったというわけか……。
「ルーネよ、お前はあの男に洗脳されていたのに、好きになってしまったのだな……」
「……ひっく……そんなの、もうどうでもいい。ウォール……お願い、助けて……命だけは……」
ん、なんだこやつは。不自然に命乞いを始めたぞ。一体どんな悪巧みをしようというのか見せてもらおうか。
「信用ならん。俺は奪われる前に奪うだけ――」
「――セインの仇っ!」
ナイフを拾い上げて飛び込んできた女の背後に俺は回り込み、羽交い絞めにする。ククッ……まさに予想通り、愚かな生贄らしい単純な行動だ。俺は会話していたが信用なんて一切したつもりはないのに。
「いやぁ……! 放して! もう自分で死ぬから! お願いよおっ!」
「……獲物をどう料理するか、それは俺の役目だ……」
「……ウ、ウォール? いや、違う。誰……? あんた一体――」
「――おっと。お喋りはそこまでだ。お前の一番大事なものを奪ってやる……」
「い、いや……」
次の瞬間、ぬめりとした感触が俺の手にあった。これは……なんだと思ったら……。
「クククッ……そうか。一番大事なものでも自覚がない場合もあるのか……」
「……え……?」
「これを見ろ……」
俺は手の平の上にある生温かいものを見せてやる。
「まさかセインの子を宿していたとはな……」
「……あ……あたしの……あたしの大事な赤ちゃ……ん……?」
「ククッ、そうだ。もう死んでいるがな」
「……あ、ぁ……」
体を離した途端崩れ落ちるルーネの頭を、俺はあやすように優しく撫でる。
「さあ、次は何を貰えるのかな?」
「……」
反応がない。最早抵抗する気力さえ失ったらしい。試しに盗んでみると、息をしなくなった。次に大事なものが己の命だったか。これからあの世でたっぷりと後悔するがいい。俺よりセインという愚かな虫けらを選んだということを、な……。
「……ぬう?」
徐々に意識がなくなっていく。宴のときもこれまでか。だがもう少しというところまできたのだ。早く良心を余すことなく奪い取り、この体を完全に自分のものにせねば……。
※※※
「……はぁ、はぁ……」
俺は朝陽と血にまみれた部屋の中、荒い呼吸とは裏腹に落ち着いていた。
何故なら、昨夜のことを全て覚えていたからだ。激しい衝動に支配されながらも、なんとも心地いい気持ちだった。共通の敵が相手ってことで、それだけ闇と同化してしまっていたってことなんだろうか。そこまでやらなくてもいいんじゃないかっていう感情なんてほんの少ししかなかったからな……。
「……セイン、ルーネ……」
変わり果てた姿で横たわるセインとルーネのほうをぼんやりと見やる。
俺を殺しにきたこいつらに思い知らせてやった直後は気持ちよかったものの、今は二日酔いのようなクラクラする感覚がして後味が悪い。さらに心を浸食されたような気持ち悪さも残ってるわけだが、デメリットばかりでもなさそうだ。そのことでアビリティ【盗聖】が自我を持っているということや、その本来の目的もわかったような気がしたからだ。
やつは俺の良心を奪い、盗みに適した体にしようとしている。おそらくこのままいけば良心が完全に奪われ、俺の自我も……光が当たる表の部分もやがては【盗聖】に呑み込まれていってしまうんだろう。アビリティの名が示すように聖を盗まれるというわけだ。
だが、このまま大人しく明け渡すわけにはいかない。これから俺はシュルヒとともに【慧眼】を持つという《エンペラー》の元リーダー、ジェナートのところへ行こうと思う。そこでこのアビリティの副作用について詳しく調査してもらい、必ずや克服してみせるつもりだ。
「……」
俺は両手の拳を痛いほど握りしめ、宙を抉るように睨みつける。
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だから彼女たちとの居場所を守るためにも、どんな高い壁でも乗り越えていくつもりだ……。
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