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第七階 不遇ソーサラー、罠にかけられる
しおりを挟む地下四階層に降り立つと、遠くにミノタウロスが二匹見えた。一方のハンマーが打ち下ろされたとき、こっちまで風を感じるほどの凄い圧力に足が震えそうになる。
足元にいる冒険者は軽々とかわしていたが、もう一匹の打ち下ろすハンマーに危うく当たりそうになっていた。一匹だけならともかく、それが増えると避けたタイミングでハンマーに潰されることもありそうだ。
「はっ……」
心臓が飛び跳ねるかと思う。やつが右の通路からこっちに近付いてくるのがわかった。俺の体の二倍はある図太い両足が交互に動くたび、音と振動の凄さに階段を駆け上がりたくなる。
「クアゼル、落ち着いて」
「あ、ああ……」
ソフィアがいなかったらちょっとやばかったかもしれない。ダンジョンに潜るまでの俺ならともかく今の俺なら大丈夫だ。毒霧もあるし目でも瞑ってない限り当たりはしない。
また因縁をつけられても困るので、リスクはあるものの階段からは距離を取る。
「ソフィア、毒霧を使って俺が囮になる間に大魔法を頼む」
「うん」
「ベナムウェーブ!」
強力な毒霧が漂う中、ミノタウロスは俺たちの存在に気付いたようで一瞬立ち止まるとハンマーを振り上げながら振動の間隔を徐々に狭めてきた。大したスピードじゃないがそれでも圧力を感じる。
『ブモオオオオッ!』
雄叫びとともに岩のようなハンマーが打ち下ろされる。体半分ほど離れた場所であるにもかかわらず発生した風に押されて尻もちをついてしまった。
「コールドストーム!」
ソフィアの大魔法が完成し、ミノタウロスが氷漬けになる。改めて見渡すと何歩か先にもう一匹凍っているのがわかった。あの一匹に集中しすぎていたんだ。危なかった。
「ぼーっとしないで、クアゼル」
「あ」
ソフィアが吹雪の中で氷漬けになったミノタウロスを杖で何度も叩いて解凍、氷結を繰り返し倒していた。やつらはマミーよりタフだが、火属性でもあるから水属性だといちころなんだ。俺もちゃんとしないといけない。
「ベナムウェーブ――マジックエナジーロッド!」
魔力を物理に変換するスキルはMATK70を超え、スキルレベル3にもなり、ただでさえ強力になった上にソフィアの【効果2倍】でとんでもないことになりそうだ。俺の近くで氷漬けになったミノタウロスの足を叩くと飛び出した骨や血飛沫までも凍り付き、バランスを失った巨大な氷の標本が倒れてバラバラに砕け散った。
マジックフォンの魔法陣が輝き、ファンファーレとともにレベルアップを知らせてくる。
――おめでとうございます! クアゼル様のレベルが28になりました。次のレベルまでの必要経験値は35346です。
もうすぐ30か。冒険者として認められる最低限のレベルが30だと聞いてるし、そこまで後少しだと思うと嬉しい。当然だがレベルはどんどん上がり辛くなるわけで、上級でも90レベルがやっとらしい。164レベルのアルフォードがいかにずば抜けてるかがわかる。
「おめでとう! クアゼル」
「ありがとう、ソフィア」
やっぱりペアだと楽しいな。ソロもいいんだが、レベルアップ時にマジックフォンの無機質な祝福だけだと妙に寂しいんだこれが。ソロに慣れてるならいいが、俺はずっとソフィアと一緒だったからな。
「ねえクアゼル、それ拾って」
「ああ」
興奮のあまり忘れてた。香ばしいミノタウロスの肉片を拾い上げ、アイテム欄を開いたマジックフォンに当てると波紋を広げながら吸い込まれていった。こういうのは食材として結構高く売れるからな。
「――あ」
吹雪が舞い、またミノタウロスが来たのかと思ったが寒気がして体が動かない。これは……凍結している。俺の体が。何故……?
「よくやってくれたね、ソフィア」
耳が腐るんじゃないかと思った。間違いない。このオカマ声の主は『九尾の狐』のマスター、ルーサだ。ちょっと待て。よくやってくれたねってどういうことだ?
まもなく凍った思考が少しずつ溶けて現実に追いつき始めるのがわかった。パーティーメンバーなら凍結するはずもないし、ソフィアから追放されたってことだよな、これ……。
「間抜けって言葉がこれほど似合う人がいるでしょうか」
「あはは、本当っ!」
「所詮、愚図は愚図ということだ」
ジュナ、エルミス、ローザの三馬鹿までいる。罠にかけられたのは明白だが、何よりソフィアが関与しているという事実に頭が真っ白になりそうだった。
凍結が自然解凍され、俺はようやくソフィアのほうを見ることができたわけだが、それでもまだ信じられなかった。相方として一緒に頑張ってきた彼女が裏切るとは思えなかった。
「ソフィア、嘘だろ。頼むから嘘だって言って――」
「――嘘じゃないです」
ソフィアは笑っていた。それも無理矢理言わされたような不自然な笑みじゃない。心底愉快そうな、とても爽やかな笑顔だった。
「クアゼル。あなたの固有スキルが【空欄】だとわかってからずっと、相方でいることが惨めだったんです」
「ソフィア……そんな。嘘だ。嘘だぁ……」
嘘だと言ってくれ。その一言で俺は生き返ることができる。ただその一言だけでいい。頼む、今にも心が壊れそうだ。
「クアゼル君、泣いちゃってる? まだ現実を受け止められないのかい? 無能って怖いねえ」
笑い声の中にあの振動が混じっている。今ならもう何も怖くない。こいつらごと俺を殺してくれ。
「マスター、ミノタウロスが……」
「ここだとアレだから無敵エリアの階段いきましょー!」
「ほら、来いよ愚図」
後ろから首根っこを掴まれて階段まで引きずられていく。嫌だ、やめろ。早く、早く誰か俺たちを殺してくれ。
「――っと、こういうわけ。クアゼル君、わかったかな? 無能にもわかりやすく説明できたと思うけど?」
「この馬鹿男、目が死んでますよ、マスター」
「本当だ! こんなやつに入れ込む女なんて存在するわけないのにバッカじゃないの」
「愚図極まりないな。まったく」
力が出なかった。
声を出す力さえない。
信じ難い現実だが、この作戦は全てソフィアが考えたそうだ。俺を処刑するため、今まで我慢してレベルを上げていたという。【空欄】の固有スキルを持った男と相方になるという屈辱を晴らすために頑張ってきたそうだ。俺が相方だと思っていたソフィアはとっくにいなかったということだ。俺の虚構に過ぎなかった。
「この男と今日で永遠にお別れだと思うと本当に嬉しいです」
階段全体に施された十字架の刻印が恨めしく思える日が来るとは思わなかった。これが強力な魔除けになってモンスターの侵入を妨げている。
「こんな無能のレベル上げに利用されてきたソフィアの苦労を思うと、こっちが泣けてくる……。心底同情するよ」
「マスター……光栄です……ぐすっ……」
「無能のくせに有能な人を泣かせるなんて本当に許せないですね」
「邪魔が入らないうちにとっとと遊ぶだけ遊んで殺しちゃおうよ!」
「うむ、私もそれがいいと思う」
どうやら俺は殺されるらしい。これから地上へ逃げようと思っても無理だろう。どうせすぐ捕まる。だが、こいつらに甚振られて殺されるくらいならモンスターに一瞬で殺されるほうがずっとマシだ。ミノタウロスの力を借りよう。最後の力を振り絞れ。
「ベナムウェーブ!」
毒霧を発生させ、階段を転がっていく。この勢いならすぐだ。壁に叩きつけられ、その際に矢を放たれたのか足に強い痛みが走ったが、這うようにして四階層の通路へ出る。頼む、捕まる前にミノタウロスよ、俺を殺してくれ。
――来た。ハンマーを振り上げながら向かってくる。これで終わるんだ……と思ったら頭に痛みが走り、その姿が遠ざかった。髪を掴まれて地獄まで引き摺られる。
「危なかった。マスター、この愚図、死ぬ気だった」
「こほっ、こほっ……。糞が、無能の分際でええっ!」
「ぎえぇっ!」
ルーサに頭を強く踏まれて意識が飛びそうになった。吐き気も催してきて胃から食べ物が逆流しそうだ。俺は楽に死ぬことさえも許されないのか。俺が何をしたというんだ……。
「もう逃げる気なくすくらいボコボコにしちゃおうよー」
「いいですね、エルミス。さて、どうやってこのゴミクズを痛めつけます? マスター」
「そうだなあ。いずれにせよ、とっとと甚振るだけ甚振って始末しないと、ほかのパーティーに見られてしまう」
「あ、それなら、私に考えがあります」
「お、ソフィア。君がやるならそのほうが色んな意味で効きそうだね」
「はい。私もそのほうが気が晴れますし」
何をする気だ、ソフィア。何故俺をここまで苦しめるんだ。俺が何をしたというんだ。俺はこの世に存在することすら許されないというのか……。
「コールドストーム!」
「が……」
吹雪の中で滅多打ちにされ、氷結解凍ヒールを繰り返す。そのたびに強い寒気と吐き気と痛みが全身を襲った。もう少しで死ぬというところでタイミングよくヒールされて意識が明瞭になる。このままじゃ気が狂いそうだ。
「頼む、頼むうぅ、とっとと殺してくれえぇぇ……」
「ヒール!」
「ねー、見て! こいつ漏らしちゃってる! ゲロも!」
「汚い。愚図めが」
「――お前たち、何をしている」
凛とした声が響いてきたと思うと、周りが静まり返った。何が起こっているんだ、何が……。
「おい、放っておけよアルフォード」
「それはできない。明らかなリンチだ」
どうやらアルフォードを含めた廃人パーティーが通りかかったらしい。
「まーたアルフォードのおせっかい病が始まっちゃった」
「遊んでるだけかもしれんだろう?」
「そ、そうなんです。こいつ、酷く酔っぱらっちゃって。僕たち、仲良しなので……」
違うと言おうとしたが声が出ない。喉が焼け付くようだ。
「ほら、そう言ってるぞ、アルフォード」
「早くー! ボス始まっちゃうよー!?」
「そうは見えないが……そうなのか?」
俺に呼びかけているのはわかるが、やはりどうしても声が出ない。だが、今だ。今しかない。逃げるなら今だ。この状況でやつらは俺を追いかけることはできないはず。
下か、上か。この状況だと廃人パーティーは下に向かっている。ミノタウロスたちは掃除される可能性が高い。ならば上しかない。意識をなんとか繋ぎ止めながら階段を這い上がっていく。そこにモンスターがいてくれることを信じて。頼む、放置していてくれ。あのとき、階段の前に蝙蝠が溜まっていたみたいに。モンスターハウスを俺にくれ……。
――いなかった。俺を殺してくれるはずのモンスターたちは片付けられてしまっていた。
でも逃げるんだ、とにかく逃げるんだ。振り返るがまだやつらはいなかった。立ち上がり、走ろうとするが力が出ない。ゆっくり歩いてる場合じゃないのに。
誰か、誰か俺を……って、いるじゃないか。頼もしいやつが、1人いるじゃないか。なんでそのことに気が付かなかったんだ。俺は笑っていた。嬉しくて嬉しくて。
やつらの怒号が背中に届いても、それは変わらなかった。
「ベナムウェーブ――マジックエナジーロッド!」
杖に魔力から変換した物理攻撃力を充填させると、俺は自分の頭を思い切り殴りつけた。
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