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第35回 不協和音
しおりを挟む「……こ、これは……?」
「……な、なんだぁ……?」
学校ダンジョン二階の廊下脇を、俺たちが忍び足で歩いていたときだった。
どこからともなくピアノの優しい旋律が流れてきたので立ち止まったのだ。この音色は……多分クラシックだな。普段こういうのを聴かない自分でも聞いたことがあるから結構有名な曲なんだろう。
学校がダンジョン菌に侵された状況でピアノを弾く生徒がいるとは思えないし、そう考えると頭のおかしいスレイヤーが音楽室で演奏しているか、あるいは放送室で曲を流しているのか、どっちかだな。
いずれにせよ、なんとも奇妙なことをするやつだ……。
「……さ、佐嶋よ、なんかヤバそうな予感がしまくるんだが……」
「……た、確かに……」
風間の言う通り、これはどう考えても只事ではないと本能が訴えてくる。この先には決して近付いてはいけない、そんな警告を孕んだ不協和音が混じっているようにも聞こえるのだ。
「でも風間さん、折角ここまで来たんですから、ちょっと様子を見るだけでも……」
ようやく野球帽のやつの近くまで来られたんだし、ここまで来てむざむざ退くわけにもいかない。
「……だ、だがなあ、もしそこに虐殺者の羽田がいるようなら、すぐ退散しないとわしらなんてあっという間に殺されてしまうぞ……」
「わ、わかってますよ、そんなの……」
あんなスレイヤーの面汚しを目前にして逃げるのは悔しいが、現時点じゃ力の差がありすぎるし今度遭遇したらさすがにまずい。今までのことがあるから見逃してくれるわけがないし、芽を摘む意味でも殺される可能性が極めて高いからだ。
「……わ、わしは隠れていてもいいだろうか……」
「風間さん、もうスレイヤーを引退したほうが……」
「……な、何を言うかっ。というか、佐嶋は怖くないのか……? スレイヤーとはいえピンキリだし、わしは恐ろしくてたまらんぞ……」
「そりゃ、俺だって怖いですけど、野球帽のほうがずっと恐ろしい思いをしてるかもしれないんですよ……?」
「……そ、そりゃそうかもしれんが――」
「――あっ……」
俺の後ろを歩いていた風間の姿が忽然と消えてしまった。どうやらどこかに触れたことでワープしたらしい。確か、この教室の窓の辺りだったか……。
お、正解だったらしく、窓のサッシに触れた途端、周囲の景色が廊下から別のものに切り替わった……って、こ、ここは……。
◆◆◆
「…………」
グランドピアノを奏でる羽田京志郎の手は、鍵盤には一切触れてはいなかった。
それにもかかわらず、白鍵、黒鍵、ペダルが揺れ動き、ショパンのバラード第一番が流れていたのだ。
「……相変わらずふざけた男ね、羽田京志郎」
微細な時を刻んだのち、音楽室に姿を現したのは、腰まである長い髪と微笑みの持ち主であった。
「邪魔をするな、今は演奏中だぁ」
「わたくしの相手をしたくないだけでしょ」
「……そうとも言うがなぁ」
「あの不器用な羽田京志郎が、よくぞここまで成長したものですね」
「……泣き虫だった鬼木龍奈がよく言う――いや、今はレベルを123まで上げて破壊者と呼ばれているのか」
「現在のレベルはもっと上ですよ……?」
「……今じゃちょっと気に入らないことがあっても人を殺す、ただの殺人鬼となんら変わらない悪女が、何故ここまで私を殺すことに執念を燃やすのかわからんな……」
「その理由は、羽田京志郎、あなたが一番ご存知なのでは……?」
「……まだあのことを引き摺っているのか。過去の出来事というものは、いつの時代も美化されるものだ。それには例外というものがない。そろそろ、お互いに違う道を行くべきではないのかぁ……?」
「そのためには、まず羽田京志郎、あなたの存在をわたくしの中から完全に削除するため、この手で殺す必要があるのですよ……」
「……………」
しきりに動いていた鍵盤が動かなくなり、弾けるような雄々しい笑顔がピアノの屋根に映り込んだ。
「ピアノの修理を頼んだ覚えはないぞ……」
「少々、音が悪いようですので……」
ピアノはやがて軋んだ音を立て始め、バラバラになって崩れ落ちた。
「ほう、裏返ったか。相変わらず病的な回復量だなぁ」
「それこそが存在意義ですので。羽田京志郎、あなたの腐りきった体中の細胞全てを破壊し尽くすまで回復したいという、わたくしの願望が詰まっておりますのよ……」
羽田と鬼木の二人が壊れたピアノを挟んで対峙したとき、傍らで見ていた黒坂優菜の体がいつまでも不規則に震えていた。
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