紘朱伝

露刃

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異変の内容

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 最初の家にはすぐにたどり着き、太慎が扉を叩く。よほど怖かったのか、子どもたちは紘毅の後ろに隠れるようにしてその様子を見守っている。
「もしもし、診療所の太慎じゃが。もし、誰か!」
 呼びかけに応じるものはなかった。その代わりのように、中から怒号と悲鳴、何かが壊れるような音が響いてきた。問答無用とばかりに、太慎は乱暴に扉を開ける。入ってすぐの土間に、割れた水瓶が転がっていた。先ほどの何かが壊れる音は、水瓶が割れた音だったらしい。よく見れば、他にも茶碗やら湯飲みやらが転がっている。
 土間を上がったところに、一組の夫婦がいた。
「止めなさい!」
「お前らは来るな!」
 太慎と紘毅が同時に叫ぶ。夫のほうが、夫人の髪を掴み上げていた。太慎はそれを止めるために。紘毅は子どもたちに見せないために。
 ぴしゃりと扉を閉めて、紘毅は土足であがり、男の手を乱暴に掴む。
「なにやってんだ、おっちゃん!」
 が、それを見て叫んだのは助けられたはずの夫人のほうだった。
「なにをしているの、あなた!」
「え、なにって」
「誰か、誰か助けて! うちの人が殺されるわ!!」
「は!?」
 思いがけない言葉に、男の手を掴んでいた紘毅の力が緩む。その隙に紘毅の手を振り払った男は、距離を取って転がっていた一つの湯飲みを取り、紘毅に投げつけようとした。
「うおっ?」
 それをかろうじて避け、紘毅は困惑の目を夫婦に向けた。
「宗吉おっちゃん…」
 ここの主人の名を宗吉という。紘毅が拾われたときから村に住んでおり、普段は農作業をして暮らす、のんびりとして穏やかな男だ。その宗吉が、いまや飛びつかんばかりの勢いで紘毅を睨みつけていた。
「殺される! 殺されるわ! 人殺し!!」
 妻の名を梓。こちらも、普段はなごやかな婦人だ。子どもたちがいたずらをして走り回っている姿を、仕方ないねぇと見守っているような。
「どうしたんだよ、二人とも。落ち着けよ」
「うるさい黙れ! 誰もおれに逆らうな!」
「近寄らないで、人殺し!!」
「少し、落ち着かれてはいかがですかの? これではまともに話も出来ますまい」
 たしなめる太慎の声も、二人はまったく聞こうとしない。太慎はとりあえず梓に狙いを定め、座り込んだままの婦人に合わせて腰を折った。
 が、梓は差し伸べられた手を振り払う。
「おい!」
「捨て子は黙ってなさい、孤児のくせに偉そうに!」
 その言葉に、紘毅が固まる。
 梓は太慎を睨みつけた。親の仇でも見るような、血走った目だった。太慎の胸元を掴み、喚く。
「元はと言えば、あなたがこんな孤児を拾うからじゃない! それでも医師なの!? この孤児はうちの人を殺そうとしてるのよ、なに黙って見てるの!」
「もう止めてくれよ、母ちゃん!」
 固まった紘毅の元に飛び込んできたのは、締め出されていたはずの子どもたちだった。紘毅の足元に立って、庇うように母親を見る。
「どうしちゃったんだよ、兄ちゃんにひどいこと言うなよ!」
「黙っていなさい! 黙って!」
 半狂乱だ。
「そうだ、黙れ! みんな黙れ!」
 宗吉も、梓も。
「紘毅」
 二人の大人が喚き散らす中、やたら静かな声を出したのは太慎だった。固まったままだった紘毅の反応が遅れる。
「紘毅。宗吉殿を押さえておれ」
 いつの間に取り出したのか、その手には注射道具があった。
「話も出来んのではどうしようもない。麻酔薬を打つ」
「や、それはちょっと乱暴なんじゃ…」
「いた仕方あるまい」
 しれっと言う太慎の目は据わっている。怒っているのだ。それも凄まじく。こんな怒りは、紘毅でさえ久々に見る。なにをそんなにと思ったが、すぐにわかった。先ほどの梓の言葉だ。
「…解った」
 言って、改めて宗吉を見るが、結果的に彼を押さえ込む必要はなかった。振り返った瞬間、まるで糸が切れたように宗吉が倒れたからである。
「どうした? おい、大丈夫か!」
 暴言を吐かれたことなど関係ない。紘毅は駆け寄って宗吉を揺さぶるが、完全に気を失っていた。
「母ちゃん!」
 すぐ後ろで、子どもが叫ぶ。振り返ると、梓も同じように倒れていた。こちらには太慎が駆け寄る。
「母ちゃん、母ちゃん!」
「落ち着け。大丈夫だから」
 ついに泣き出した子どもの肩に手を置いて、紘毅が言う。
 何が大丈夫なのか。どこに大丈夫な要因があるのか。
 紘毅自身にも判るはずがない。だが、紘毅は繰り返す。繰り返してきた。大丈夫だと。そう言えば、朱莉が泣き止んだから。
こんな荒んだ空気の中に朱莉がいなくて良かったと、心のどこかで思っていた。

 その後、紘毅は実に奇妙なものを見ることになった。太慎に言われて宗吉宅を出たのだが、誰もいないのだ。起きているものが。村中の家の扉を叩き、返事が無ければ勝手に上がり、そこにあるのはすべてが同じだった。暴れて散らかった室内と、発狂したように怒鳴り散らす人々。紘毅たちが声を掛けると気を失う。気を失った村人の様子はすべて同じだった。嘔吐もなければ熱もない。ただ昏々と眠っているだけだ。湿疹が出るわけでもなく、苦しんでいる様子もない。
 そしてそれは、午後になると子どもたちにも伝染した。
 あ、と思ったときには子どもたちが取っ組み合いの喧嘩を始め、紘毅が止めに入ると次々に倒れていった。起きていたのが嘘のようにただ倒れていく様子に、紘毅は声も出せずに混乱していた。
 紘毅と太慎以外の、村人全員が倒れたのだ。
「…なんで起きないんだよ」
「じゃから、それを今調べておる」
 気を失ってから、一度も誰も起きなかった。身体に異常がないのでどうにか起こそうと思っても、誰も反応しない。叩いても揺さぶっても起きなかった。
 太慎は疲労していた。元々平和な村で、病人も怪我人も多くは出ない。しかも、普段の診療時には朱莉がいた。知識も経験も朱莉は太慎の足元にも及ばないが、それでも朱莉には治癒と結界の能力がある。その気になれば、朱莉はこの村を覆うほどの結界も作れるはずだった。
 吾妻の家系の証である、結界を。そこまで思って、太慎は自分の考えに何かが引っかかった。
「朱莉の…結界…」
「親父?」
「ああ、いや…」
 さすがに大人たちを全員運ぶのは無理があったが、子どもたちは診療所に連れてきた。さして広くもない診療所に十人以上の子どもが眠っていて、その中に二人しか立っていないのは奇妙な光景だった。
 やることがなくなって、紘毅はふと里親に視線をやった。
「そういえば親父、大丈夫だったか?」
「ん?」
「首、痛くないか? 梓おばちゃんに、けっこう強く握られてただろ」
 心配そうに顔を覗き込んできた里子に、太慎は目尻を下げた。手を伸ばして、いつの間にか自分の背を追い越した紘毅の頭をわしわしと撫でる。
「うお、いきなりなんだよ?」
「お前は、優しい子に育ったなぁ…」
「はぁ?」
 戸惑う紘毅に、太慎は手をどかさない。強引に頭を下げる形をとらされたため、紘毅は気付かなかった。
 自分を見つめる里親が、この上なく悲痛な顔をしていたことに。
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