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ある、と答えた。
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確かに忠人本人の言う通り、母親も雫もとても大切にされている。彼はほんの少しの体調の変化も見落とさない。毎日なにか変わったことは無いか、困っていることは無いかを確認し、どんな小さな悩みでも解決してくれようとする。忠人がほとんど軟禁状態にしているおかげで、詞術を使った後で記憶を失くす相手を見なくてもよくなった。
母親はただ、忠人に言われるがまま能力を使い続ければそれだけで不自由なく生きていけるのだ。雫の夜泣きもベビーシッターが相手をしてくれるし、毎日の食事の心配もしなくていい。ただ、能力を使っていればそれだけでいい。
そうやって少しずつ、雫の母親は壊れていった。
決定的になったのは、雫の七つの誕生日だ。
誕生日の一週間前に、雫は意思確認を受ける。それは特別な儀式をするわけではなく、単に先代である母親から「術者になる気持ちはあるか?」と聞かれるだけだ。
雫はある、と答えた。そう答えるように両親から言われていたからだ。子ども特有の、超能力に対する憧れもあった。そう答えることで、母親を決定的に壊すことになるとは思いもよらなかった。
能力者を二人手に入れたことに、忠人は歓喜した。それまで以上に金をかけ、妻と娘を猫可愛がりするようになった。そのことが、母親は不安だった。雫が成長し本格的に術者として頭角を現すようになれば、母親は不要だ。術自体は死ぬまで使えるとはいえ、対価は雫に関する誰かの記憶。忘れられる孤独をよく知っているから、もう術は使えない。そうでなくとも沙羅が付いている分、能力自体も雫の方が強くなる。同じ人物の違う願い事を叶えようとした時、雫の願いの方が優先されるようになるのだ。詞術に回数制限は無いので同じ人物に何回でも術を掛けられるが、それでもきっと、雫に上書きされるようになる。
胸の奥底に沈めていた不安感が、再び母親をがんじがらめにしようとしていた。
そうして、一週間後。雫の誕生日。ことは起こった。
当日、術者の世代交代の儀は厳かに執り行われるはずだった。術者の存在を知る本郷家の一同が集まり、新しい術者の誕生を祝うはずだった。
詞師の正装をし、先代から当代へ沙羅の受け渡しが行われる、まさにその時。分家が動いた。この儀式は中止すべきだと。
ただ先代の娘だというだけで詞師を受け継ぐのはおかしい。才能を見極めて本郷家全体から選出すべきではないかと、当時の分家の代表が声を上げた。倣うように、ほかの親戚たちも賛同した。
嗾(けしか)けたのは李玖の伯父だ。彼はどうにか儀式を取りやめさせたかった。忠人の、外での傍若無人ぶりは親戚一同が知っていたので、煽りやすかったのだ。外から婿に来たくせに詞師を自分のモノのように扱い金儲けをする忠人に、不満を持っている者は多かった。
ちょうど、分家にも雫と同じ歳の子どもがいた。その子が沙羅に認められれば、詞師は雫ではなくその子になる。
降ってわいたその声に、当然ながら忠人はふざけるなと声を張り上げた。うちの雫が次代に決まっていると豪語する忠人。彼にしてみれば寝耳に水だった。
そうして話し合いとも言えない応酬が交わされ、結局は沙羅に選ばせようということになった。
沙羅は一般人には見えないが、本郷家と黒峰家の人間なら少なくとも気配を感じることは出来る。沙羅に、選ぶようにと伝えたのは雫の母親だ。
しかし沙羅は、選ばなかった。雫のことも分家の子どものことも選ばず、雫の母親の傍を離れなかったのだ。
もう、詞師を廃業すべきであると、李玖の伯父が言い出した。彼の狙いは最初からここにあった。雫の母親が最後の術師になれば、彼女が忠人から酷い扱いをされることはないし、記憶を奪われるという代償も誰も払わなくていい。沙羅とは契約を終了し、必要なら違約金としていくらかの記憶を食わせればいい。沙羅が納得しないなら現代に続く、本郷家と繋がりのある陰陽師に祓ってもらう。詞師も沙羅も自由になれるのだ。それでいいではないか、と。
その申し出に、沙羅は初めて口を開いた。「構わん」と。
それで終わるはずだった。忠人は入り婿だ。離婚することになったとしても出ていくのは忠人の方で、雫の母親は娘と共に本郷家で穏やかに暮らせばよかった。
ほんの少し、雫の母親の顔に希望の光が見えた。これで終わるなら、と。しかし彼女は、自分が思うよりも周囲が思うよりもなお弱かった。情を捨てきれなかった。
忠人が、その場で土下座したのだ。どうか私の願いを叶えてくれ、雫に術を受け渡してくれ、私から術者を奪わないでくれ、と。
愛している、これからも大切にする、楽しい時間だったじゃないか、愛し合ったのは嘘じゃない、私を助けてくれ。
なにを今更、と周囲は言う。忠人は泣いた。愛していると。何度も母親の名前を呼んで。
駄目だと誰かが言った。やめろと誰かが叫んだ。
しかし母親は、断れなかった。
李玖の伯父や分家からの怒号が飛ぶ中、言ってしまったのだ。
――あなたの願いが、叶いますように。
母親はただ、忠人に言われるがまま能力を使い続ければそれだけで不自由なく生きていけるのだ。雫の夜泣きもベビーシッターが相手をしてくれるし、毎日の食事の心配もしなくていい。ただ、能力を使っていればそれだけでいい。
そうやって少しずつ、雫の母親は壊れていった。
決定的になったのは、雫の七つの誕生日だ。
誕生日の一週間前に、雫は意思確認を受ける。それは特別な儀式をするわけではなく、単に先代である母親から「術者になる気持ちはあるか?」と聞かれるだけだ。
雫はある、と答えた。そう答えるように両親から言われていたからだ。子ども特有の、超能力に対する憧れもあった。そう答えることで、母親を決定的に壊すことになるとは思いもよらなかった。
能力者を二人手に入れたことに、忠人は歓喜した。それまで以上に金をかけ、妻と娘を猫可愛がりするようになった。そのことが、母親は不安だった。雫が成長し本格的に術者として頭角を現すようになれば、母親は不要だ。術自体は死ぬまで使えるとはいえ、対価は雫に関する誰かの記憶。忘れられる孤独をよく知っているから、もう術は使えない。そうでなくとも沙羅が付いている分、能力自体も雫の方が強くなる。同じ人物の違う願い事を叶えようとした時、雫の願いの方が優先されるようになるのだ。詞術に回数制限は無いので同じ人物に何回でも術を掛けられるが、それでもきっと、雫に上書きされるようになる。
胸の奥底に沈めていた不安感が、再び母親をがんじがらめにしようとしていた。
そうして、一週間後。雫の誕生日。ことは起こった。
当日、術者の世代交代の儀は厳かに執り行われるはずだった。術者の存在を知る本郷家の一同が集まり、新しい術者の誕生を祝うはずだった。
詞師の正装をし、先代から当代へ沙羅の受け渡しが行われる、まさにその時。分家が動いた。この儀式は中止すべきだと。
ただ先代の娘だというだけで詞師を受け継ぐのはおかしい。才能を見極めて本郷家全体から選出すべきではないかと、当時の分家の代表が声を上げた。倣うように、ほかの親戚たちも賛同した。
嗾(けしか)けたのは李玖の伯父だ。彼はどうにか儀式を取りやめさせたかった。忠人の、外での傍若無人ぶりは親戚一同が知っていたので、煽りやすかったのだ。外から婿に来たくせに詞師を自分のモノのように扱い金儲けをする忠人に、不満を持っている者は多かった。
ちょうど、分家にも雫と同じ歳の子どもがいた。その子が沙羅に認められれば、詞師は雫ではなくその子になる。
降ってわいたその声に、当然ながら忠人はふざけるなと声を張り上げた。うちの雫が次代に決まっていると豪語する忠人。彼にしてみれば寝耳に水だった。
そうして話し合いとも言えない応酬が交わされ、結局は沙羅に選ばせようということになった。
沙羅は一般人には見えないが、本郷家と黒峰家の人間なら少なくとも気配を感じることは出来る。沙羅に、選ぶようにと伝えたのは雫の母親だ。
しかし沙羅は、選ばなかった。雫のことも分家の子どものことも選ばず、雫の母親の傍を離れなかったのだ。
もう、詞師を廃業すべきであると、李玖の伯父が言い出した。彼の狙いは最初からここにあった。雫の母親が最後の術師になれば、彼女が忠人から酷い扱いをされることはないし、記憶を奪われるという代償も誰も払わなくていい。沙羅とは契約を終了し、必要なら違約金としていくらかの記憶を食わせればいい。沙羅が納得しないなら現代に続く、本郷家と繋がりのある陰陽師に祓ってもらう。詞師も沙羅も自由になれるのだ。それでいいではないか、と。
その申し出に、沙羅は初めて口を開いた。「構わん」と。
それで終わるはずだった。忠人は入り婿だ。離婚することになったとしても出ていくのは忠人の方で、雫の母親は娘と共に本郷家で穏やかに暮らせばよかった。
ほんの少し、雫の母親の顔に希望の光が見えた。これで終わるなら、と。しかし彼女は、自分が思うよりも周囲が思うよりもなお弱かった。情を捨てきれなかった。
忠人が、その場で土下座したのだ。どうか私の願いを叶えてくれ、雫に術を受け渡してくれ、私から術者を奪わないでくれ、と。
愛している、これからも大切にする、楽しい時間だったじゃないか、愛し合ったのは嘘じゃない、私を助けてくれ。
なにを今更、と周囲は言う。忠人は泣いた。愛していると。何度も母親の名前を呼んで。
駄目だと誰かが言った。やめろと誰かが叫んだ。
しかし母親は、断れなかった。
李玖の伯父や分家からの怒号が飛ぶ中、言ってしまったのだ。
――あなたの願いが、叶いますように。
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