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ふたりの約束
35.果たされた約束
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洞窟を出て、サフィアは周囲を見渡したが変わった様子はなかった。なので馬を解放してあげようと木の根で作った檻に近づいたが、アーサーは立ち止まったままだった。
「どうしたの?」
サフィアが振り返ると、アーサーは眉を寄せて、ゆっくりと歩き出した。
「いや……」
「何か気になる?」
「草木が騒いでいるんだ。みんな、一斉に喋られても、何を言っているのか分からないよ。まずは落ち着いておくれ」
アーサーが森に呼びかける。サフィアも草木に視線を向けるが、その言葉はわからない。ただ、風に吹かれて擦れ、ざわざわと音をたてる木々に不穏な気配を感じた。
サフィアが急いで視線をアーサーに戻したところで、その影に気づいた。生い茂る草の向こうにいる、黒いフード……その中の人間と、目が合った。男だった。その男はすぐに草を退け、こちらに剣を向けて走ってきた。
「アーサー!」
サフィアは、咄嗟にアーサーと黒服の間に立った。
「う゛っ……!」
サフィアの肩に剣が突き刺さる。男の動きは素早く、サフィアがその剣を受け止めるのも弾くのも間に合わなかったのだ。アーサーを庇うのがやっとだった。でも、それで十分だ。
「サフィア!」
アーサーが叫び、自身の剣を抜いた。サフィアはこの男を逃すまいと、自分に剣を刺している腕を両手で握る。顔を睨み付けるが、以前自分たちのあとをつけていた男とは違うようだった。
自分の熱が血液と一緒に流れ出ていく感覚に力が抜けそうになるが、サフィアは自分を奮い立たせ、男を逃すまいとしがみついた。
アーサーはすぐに、男に逃げられないよう足首を切りつけ、柄で後頭部を殴った。
「ぐっ……!」
男は声を上げ、倒れ込んだ。サフィアも男の腕を掴んでいた手を離して座り込む。剣は、サフィアの肩に突き刺さったままだった。剣が刺さったところから、体がどんどん冷えていく。それは、ただ怪我をした時とはまた違う感覚だった。まるで、生命を吸い取られていっているような……。このままではきっと取り返しがつかなくなると、サフィアは剣を抜いた。抜けたところから血が溢れ出る。
「サフィア、サフィア! 今治すからな」
アーサーが男に意識がないことを確認すると、サフィアに駆け寄る。回復魔法をかけてもらったが、その傷は塞がらなかった。
「どうして……!」
アーサーが悲痛な叫びを上げ、何度も何度も回復魔法をかける。しかし、結果は変わらなかった。
回復魔法は、相手の魔力を活性化させて傷を治す魔法だ。それが効かない、ということは……。サフィアは、自分の予想が当たっていたことを確信した。
「きっと……それは、魔剣よ」
サフィアは重い腕を動かして、そばに転がる剣を指した。
「魔剣……!?」
アーサーも、教会にいた頃に聞いたはずだ。
魔剣とは、刺した相手の魔力を奪う武器のことだ。魔力は生命の維持に必要なエネルギーで、どんなに魔法を使っても、生きるのに必要最低限の魔力までは使えないように身体ができている。だから人は、魔力がなくなって死ぬことはない。しかし、その理を崩すのが魔剣だった。これは、その生きるのに必要最低限の魔力まで奪うことができる。だから発見次第、人が悪用できないように竜神教会に厳重に保管されることが義務付けられているし、使用を禁止されているのだ。サフィアに最低限の魔力が残っていれば、さっきのアーサーの魔法で完治ができなかったとしても、出血の量が減るとか、何かしらの変化があるはずなのだ。それがないということは、もうサフィアには、これ以上生命を維持する魔力も残っていないということだ。回復魔法で人の魔力を活性化させることはできても、魔力の量を増やす方法は存在しない。
「そんな……じゃあ……君はもう……」
アーサーに抱きしめられる。サフィアが閉じそうな瞼をなんとか開けて視線を上げると、ぽつぽつと、頬に水滴が降ってきた。アーサーの涙だった。綺麗だ、とサフィアは思った。今はもっと他のことに想いを馳せるべきだとは思ったが、それが、サフィアの素直な感情だった。
アーサーは金色の眉を寄せて、涙を溜めている。潤んで輝く翡翠の瞳も、そこから溢れた雫も、何もかもが美しい。最後に見たのがこの光景で良かったと、サフィアは吐息を漏らした。最期に見たのが、自分のために、初めて泣く大好きな人の姿。これ以上の幸せがあるだろうか。
「あなたを守れて……良かった……。どうか、幸せになって……」
「サフィア……!」
アーサーが、サフィアをこの世に繋ぎ止めようとするように強く抱き締めた。サフィアはその温もりに包まれながら目を閉じる。もう、自分の人生に悔いはない。
「くそっ……。みんな、落ち着いて。そこの青い花よ、この森で一番古い木を教えておくれ」
真っ暗な視界の中で、アーサーの声が聞こえた。サフィアにはもう目を開ける力はなかったが、まだ意識は少し残っていた。
アーサーがサフィアの身体を抱き上げて走り始める。サフィアは胸が締め付けられるようだった。アーサーが諦めず、自分を生かそうとしてくれる。嬉しいけれど、同時にひどく悲しかった。アーサーが頑張ってくれても、もう自分は助からない。アーサーに嫌な思いをさせてしまう。サフィアは揺られながら、涙を一粒溢した。
「お願いです。あなたがここで一番長生きだと聞きました。彼女は、魔剣に刺されて魔力を失ってしまったのです。どうにか、彼女を救う方法はないのでしょうか……!」
アーサーの、真摯で辛さを滲ませた声にサフィアの胸は張り裂けそうだった。
――いいのよ、アーサー。わたしはもう、あなたの胸で死ぬことができるのが……初めてのあなたの表情を引き出せただけで、充分なのよ。
しかしサフィアの意識が保てたのも、それまでだった。左手に、何かあたたかいものを感じた気がした。
「どうしたの?」
サフィアが振り返ると、アーサーは眉を寄せて、ゆっくりと歩き出した。
「いや……」
「何か気になる?」
「草木が騒いでいるんだ。みんな、一斉に喋られても、何を言っているのか分からないよ。まずは落ち着いておくれ」
アーサーが森に呼びかける。サフィアも草木に視線を向けるが、その言葉はわからない。ただ、風に吹かれて擦れ、ざわざわと音をたてる木々に不穏な気配を感じた。
サフィアが急いで視線をアーサーに戻したところで、その影に気づいた。生い茂る草の向こうにいる、黒いフード……その中の人間と、目が合った。男だった。その男はすぐに草を退け、こちらに剣を向けて走ってきた。
「アーサー!」
サフィアは、咄嗟にアーサーと黒服の間に立った。
「う゛っ……!」
サフィアの肩に剣が突き刺さる。男の動きは素早く、サフィアがその剣を受け止めるのも弾くのも間に合わなかったのだ。アーサーを庇うのがやっとだった。でも、それで十分だ。
「サフィア!」
アーサーが叫び、自身の剣を抜いた。サフィアはこの男を逃すまいと、自分に剣を刺している腕を両手で握る。顔を睨み付けるが、以前自分たちのあとをつけていた男とは違うようだった。
自分の熱が血液と一緒に流れ出ていく感覚に力が抜けそうになるが、サフィアは自分を奮い立たせ、男を逃すまいとしがみついた。
アーサーはすぐに、男に逃げられないよう足首を切りつけ、柄で後頭部を殴った。
「ぐっ……!」
男は声を上げ、倒れ込んだ。サフィアも男の腕を掴んでいた手を離して座り込む。剣は、サフィアの肩に突き刺さったままだった。剣が刺さったところから、体がどんどん冷えていく。それは、ただ怪我をした時とはまた違う感覚だった。まるで、生命を吸い取られていっているような……。このままではきっと取り返しがつかなくなると、サフィアは剣を抜いた。抜けたところから血が溢れ出る。
「サフィア、サフィア! 今治すからな」
アーサーが男に意識がないことを確認すると、サフィアに駆け寄る。回復魔法をかけてもらったが、その傷は塞がらなかった。
「どうして……!」
アーサーが悲痛な叫びを上げ、何度も何度も回復魔法をかける。しかし、結果は変わらなかった。
回復魔法は、相手の魔力を活性化させて傷を治す魔法だ。それが効かない、ということは……。サフィアは、自分の予想が当たっていたことを確信した。
「きっと……それは、魔剣よ」
サフィアは重い腕を動かして、そばに転がる剣を指した。
「魔剣……!?」
アーサーも、教会にいた頃に聞いたはずだ。
魔剣とは、刺した相手の魔力を奪う武器のことだ。魔力は生命の維持に必要なエネルギーで、どんなに魔法を使っても、生きるのに必要最低限の魔力までは使えないように身体ができている。だから人は、魔力がなくなって死ぬことはない。しかし、その理を崩すのが魔剣だった。これは、その生きるのに必要最低限の魔力まで奪うことができる。だから発見次第、人が悪用できないように竜神教会に厳重に保管されることが義務付けられているし、使用を禁止されているのだ。サフィアに最低限の魔力が残っていれば、さっきのアーサーの魔法で完治ができなかったとしても、出血の量が減るとか、何かしらの変化があるはずなのだ。それがないということは、もうサフィアには、これ以上生命を維持する魔力も残っていないということだ。回復魔法で人の魔力を活性化させることはできても、魔力の量を増やす方法は存在しない。
「そんな……じゃあ……君はもう……」
アーサーに抱きしめられる。サフィアが閉じそうな瞼をなんとか開けて視線を上げると、ぽつぽつと、頬に水滴が降ってきた。アーサーの涙だった。綺麗だ、とサフィアは思った。今はもっと他のことに想いを馳せるべきだとは思ったが、それが、サフィアの素直な感情だった。
アーサーは金色の眉を寄せて、涙を溜めている。潤んで輝く翡翠の瞳も、そこから溢れた雫も、何もかもが美しい。最後に見たのがこの光景で良かったと、サフィアは吐息を漏らした。最期に見たのが、自分のために、初めて泣く大好きな人の姿。これ以上の幸せがあるだろうか。
「あなたを守れて……良かった……。どうか、幸せになって……」
「サフィア……!」
アーサーが、サフィアをこの世に繋ぎ止めようとするように強く抱き締めた。サフィアはその温もりに包まれながら目を閉じる。もう、自分の人生に悔いはない。
「くそっ……。みんな、落ち着いて。そこの青い花よ、この森で一番古い木を教えておくれ」
真っ暗な視界の中で、アーサーの声が聞こえた。サフィアにはもう目を開ける力はなかったが、まだ意識は少し残っていた。
アーサーがサフィアの身体を抱き上げて走り始める。サフィアは胸が締め付けられるようだった。アーサーが諦めず、自分を生かそうとしてくれる。嬉しいけれど、同時にひどく悲しかった。アーサーが頑張ってくれても、もう自分は助からない。アーサーに嫌な思いをさせてしまう。サフィアは揺られながら、涙を一粒溢した。
「お願いです。あなたがここで一番長生きだと聞きました。彼女は、魔剣に刺されて魔力を失ってしまったのです。どうにか、彼女を救う方法はないのでしょうか……!」
アーサーの、真摯で辛さを滲ませた声にサフィアの胸は張り裂けそうだった。
――いいのよ、アーサー。わたしはもう、あなたの胸で死ぬことができるのが……初めてのあなたの表情を引き出せただけで、充分なのよ。
しかしサフィアの意識が保てたのも、それまでだった。左手に、何かあたたかいものを感じた気がした。
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