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本編
38.子供
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膨らんだお腹が目立ち始めると、やっとエステファニアの悪阻は落ち着いた。
妊婦の中でも、悪阻の期間が長い方だったらしい。
誰にも言っていないが、おそらくシモンによるストレスの所為だと思っていた。
今のエステファニアは一日中自室で過ごしていて、侍女たちに世話をされている。
国王や王妃、リアナにも会って、三人とも妊娠を喜んでいた。
国王からはシモンを受け入れたことについての礼も言われたが、エステファニアは微笑むことしかできなかった。
シモンは相変わらず忙しくしながらも、毎日エステファニアのもとに来た。
悪阻で苦しんでいる時は侍女の代わりに背中をさすり、吐瀉物の処理すらもした。
そういう姿だけを見れば、世の中にはそういないレベルの妻想いの男なので、エステファニアは混乱する毎日だった。
一体、彼の何が真実で、何が作り物なのか分からない。
「……あなた、何を企んでいますの?」
胃液がついてしまったシーツを代えるシモンに聞くと、彼はきょとんとした顔をした。
「……何がですか?」
「今更そんな媚びを売ったところで、わたくしがあなたを見直すことはありませんわよ」
シモンはエステファニアに対して、取り返しのつかないことをしたのだ。
元々、帝国の貴い身分の女性は神託によって国や家のために結婚するという特性上、ろくな結婚生活を送ることができないものだ。
エステファニアも彼女たちと同様、これも神の御心だからとシモンに抵抗することを諦めただけで、彼自身を受け入れたわけではない。
これから何をされようと、シモンが外道だという評価が変わることはないだろう。
だから今更そんな点数稼ぎをされたところでなにも変わらないし、むしろ気味が悪いのでやめて欲しいのだが。
「別に、媚びを売るためにやっているわけではありませんよ。わたくしが、したくてしているのです」
「……なぜ?」
「愛する妻が、自分の子を身籠ってくれているのです。尽くすものでしょう」
「………………そうですか」
「はい」
言っていることはまるで聖人なのだが、その口のついた身体で寝ている妻を同意も得ずに抱いていたのだから、台無しだった。
しかも身籠ってくれたというか、お前が勝手に孕ませたのだろうに。
色々と突っ込みたいところはあったが、エステファニアは溜息をついて諦めた。
演技だとしたら行動に一貫性がなさすぎるので、あれは逆に本心な気がしてくる。
だが本心だとしても、どういう思考回路をしているのかまったく想像が及ばない。
もう、エステファニアは彼をどう受け止めれば良いのか分からなかった。
ただ自分を夜な夜な犯していたという一点を除けば申し分のない夫なのだが、その一点が重すぎた。
今日もシモンはやってきて、エステファニアと共に庭の散歩をした。
悪阻が落ち着いたのが嬉しくてつい食べ過ぎてしまい、太ってしまったのだ。
赤ん坊やお産のためにも体重が増えすぎないようにと医者に言われたので、最近は雨が降っていなければこうして二人で歩くようになっていた。
城の庭園にはひまわりが咲いていて、シモンと二人で休日を過ごしたあの日からもう一年ほど経ったのだと思うと、感慨深かった。
あの頃は、この男がこんなにおかしい人だとは思っていなかった。
「あっ」
お腹の中の子供に蹴られて、エステファニアは思わず足を止めた。
最近胎動も感じやすくなっていて、このお腹の中に赤ん坊がいるんだな、という実感が強くなっていく日々だ。
「どうかされました?」
エステファニアをエスコートしていたシモンも足を止め、気遣わしげに聞いてきた。
「いえ……。子供が、動いたので」
「わたくしも、触らせていただいても良いですか?」
「…………どうぞ」
もっと色々触っていた癖に、どうして今更許可をとってくるのだろう。
しかも、エステファニアはシモンを拒めない。許可を取る意味などないだろうに。
とんだ茶番だと眉を寄せながらも、頷いた。
シモンの大きな手がお腹を撫でる。
ちょうど子供が動いたのか、お腹の表面ごとシモンの手が揺れた。
「ふふっ、元気ですね。一体どんな子なんでしょう。男の子でも女の子でも、エステファニア様に似てくださると良いのですが……」
「そうですわね」
一体この仲良し夫婦ごっこは何だと思いながら、エステファニアは頷いた。
シモンになんて似てしまったら、とんでもない人間に育ってしまうだろうから。
*
そんなこんなで、悪阻が長かったものの、大きな問題はなく妊娠期間を過ごし――エステファニアは、出産した。
陣痛にもがき苦しみながら、どさくさに紛れて「あなたの所為で!」と立ち会っていたシモンに叫び、手を握るシモンに仕返しとばかりに思いっきり爪を立てたりしたが、彼はそのどれにも文句を言うことなく、受け止めた。
さらにエステファニアを励まし、汗を拭いたり、水分の補給を手伝ったりと、侍女の仕事を奪って働いていた。
そうして産まれたのは、エステファニアと同じ緑色の瞳に、まだ量の少ないシモンと同じ銀色の髪の男の子だった。
「エステファニア様、よく頑張ってくださいました」
出産の疲労でぼうっとしているとシモンの声が聞こえてきて、適当に頷いた。
すると、医師が血液などを流し終えた赤ん坊を連れてきた。
「おめでとうございます。元気な男の子ですよ」
あんなに疲れていたのに、子供の姿を見ると、不思議と動けるようになった。
泣きながら手足をばたつかせる赤ん坊を腕に抱くと、安心したのか、泣き止んでエステファニアの胸に頬を預ける。
その姿を見るだけで、愛おしさが込み上げてきた。
シモンのことは許していないが、この子が産まれてきてくれてよかったと、心からそう思った。
「わたくしにも抱かせていただけますか?」
シモンが言ったので、エステファニアは赤子の頭を支えながら移した。
シモンは子供を抱いて、いつもとはまた違う、優し気な笑みを浮かべている。
その様子を見ていると、彼があんなことをしでかさなければきっと幸せな夫婦になれていたのにと、惜しく思うのだった。
エステファニアとシモンの子供は、国王によってルイスと名付けられた。
ルイスの面倒は基本的には乳母が見ていて、エステファニアは自室で産後の回復に努めていた。
昼間に何回か乳母がルイスを連れてきて、エステファニア自身も母乳をあげたりしている。
まったくあげていないと、それはそれで乳房が張って痛いのだ。
シモンは相変わらずエステファニアの部屋に顔を出しに来るし、ルイスの方にも行っているようだった。
休日には、二人でエステファニアの自室でルイスを見ることもあった。
手の平に乗せた指を握ってくれたり、そのうちあやすと笑ったり、「あ~」と声を上げるようになったりと、ルイスが成長を見せる度に二人で喜んだ。
そうしていると、本当に、普通の夫婦のようだった。
子供の成長は早く、毎日が驚きと喜びに満ちている。
シモンに孕まされたと悩んでいたのが、遠い昔のことのようだった。
もちろん、シモンの所業を水に流すつもりなど毛頭ない。
だが過去のことを思っているよりも、目の前や未来のことを考えている方が、エステファニアも気が楽だった。
妊婦の中でも、悪阻の期間が長い方だったらしい。
誰にも言っていないが、おそらくシモンによるストレスの所為だと思っていた。
今のエステファニアは一日中自室で過ごしていて、侍女たちに世話をされている。
国王や王妃、リアナにも会って、三人とも妊娠を喜んでいた。
国王からはシモンを受け入れたことについての礼も言われたが、エステファニアは微笑むことしかできなかった。
シモンは相変わらず忙しくしながらも、毎日エステファニアのもとに来た。
悪阻で苦しんでいる時は侍女の代わりに背中をさすり、吐瀉物の処理すらもした。
そういう姿だけを見れば、世の中にはそういないレベルの妻想いの男なので、エステファニアは混乱する毎日だった。
一体、彼の何が真実で、何が作り物なのか分からない。
「……あなた、何を企んでいますの?」
胃液がついてしまったシーツを代えるシモンに聞くと、彼はきょとんとした顔をした。
「……何がですか?」
「今更そんな媚びを売ったところで、わたくしがあなたを見直すことはありませんわよ」
シモンはエステファニアに対して、取り返しのつかないことをしたのだ。
元々、帝国の貴い身分の女性は神託によって国や家のために結婚するという特性上、ろくな結婚生活を送ることができないものだ。
エステファニアも彼女たちと同様、これも神の御心だからとシモンに抵抗することを諦めただけで、彼自身を受け入れたわけではない。
これから何をされようと、シモンが外道だという評価が変わることはないだろう。
だから今更そんな点数稼ぎをされたところでなにも変わらないし、むしろ気味が悪いのでやめて欲しいのだが。
「別に、媚びを売るためにやっているわけではありませんよ。わたくしが、したくてしているのです」
「……なぜ?」
「愛する妻が、自分の子を身籠ってくれているのです。尽くすものでしょう」
「………………そうですか」
「はい」
言っていることはまるで聖人なのだが、その口のついた身体で寝ている妻を同意も得ずに抱いていたのだから、台無しだった。
しかも身籠ってくれたというか、お前が勝手に孕ませたのだろうに。
色々と突っ込みたいところはあったが、エステファニアは溜息をついて諦めた。
演技だとしたら行動に一貫性がなさすぎるので、あれは逆に本心な気がしてくる。
だが本心だとしても、どういう思考回路をしているのかまったく想像が及ばない。
もう、エステファニアは彼をどう受け止めれば良いのか分からなかった。
ただ自分を夜な夜な犯していたという一点を除けば申し分のない夫なのだが、その一点が重すぎた。
今日もシモンはやってきて、エステファニアと共に庭の散歩をした。
悪阻が落ち着いたのが嬉しくてつい食べ過ぎてしまい、太ってしまったのだ。
赤ん坊やお産のためにも体重が増えすぎないようにと医者に言われたので、最近は雨が降っていなければこうして二人で歩くようになっていた。
城の庭園にはひまわりが咲いていて、シモンと二人で休日を過ごしたあの日からもう一年ほど経ったのだと思うと、感慨深かった。
あの頃は、この男がこんなにおかしい人だとは思っていなかった。
「あっ」
お腹の中の子供に蹴られて、エステファニアは思わず足を止めた。
最近胎動も感じやすくなっていて、このお腹の中に赤ん坊がいるんだな、という実感が強くなっていく日々だ。
「どうかされました?」
エステファニアをエスコートしていたシモンも足を止め、気遣わしげに聞いてきた。
「いえ……。子供が、動いたので」
「わたくしも、触らせていただいても良いですか?」
「…………どうぞ」
もっと色々触っていた癖に、どうして今更許可をとってくるのだろう。
しかも、エステファニアはシモンを拒めない。許可を取る意味などないだろうに。
とんだ茶番だと眉を寄せながらも、頷いた。
シモンの大きな手がお腹を撫でる。
ちょうど子供が動いたのか、お腹の表面ごとシモンの手が揺れた。
「ふふっ、元気ですね。一体どんな子なんでしょう。男の子でも女の子でも、エステファニア様に似てくださると良いのですが……」
「そうですわね」
一体この仲良し夫婦ごっこは何だと思いながら、エステファニアは頷いた。
シモンになんて似てしまったら、とんでもない人間に育ってしまうだろうから。
*
そんなこんなで、悪阻が長かったものの、大きな問題はなく妊娠期間を過ごし――エステファニアは、出産した。
陣痛にもがき苦しみながら、どさくさに紛れて「あなたの所為で!」と立ち会っていたシモンに叫び、手を握るシモンに仕返しとばかりに思いっきり爪を立てたりしたが、彼はそのどれにも文句を言うことなく、受け止めた。
さらにエステファニアを励まし、汗を拭いたり、水分の補給を手伝ったりと、侍女の仕事を奪って働いていた。
そうして産まれたのは、エステファニアと同じ緑色の瞳に、まだ量の少ないシモンと同じ銀色の髪の男の子だった。
「エステファニア様、よく頑張ってくださいました」
出産の疲労でぼうっとしているとシモンの声が聞こえてきて、適当に頷いた。
すると、医師が血液などを流し終えた赤ん坊を連れてきた。
「おめでとうございます。元気な男の子ですよ」
あんなに疲れていたのに、子供の姿を見ると、不思議と動けるようになった。
泣きながら手足をばたつかせる赤ん坊を腕に抱くと、安心したのか、泣き止んでエステファニアの胸に頬を預ける。
その姿を見るだけで、愛おしさが込み上げてきた。
シモンのことは許していないが、この子が産まれてきてくれてよかったと、心からそう思った。
「わたくしにも抱かせていただけますか?」
シモンが言ったので、エステファニアは赤子の頭を支えながら移した。
シモンは子供を抱いて、いつもとはまた違う、優し気な笑みを浮かべている。
その様子を見ていると、彼があんなことをしでかさなければきっと幸せな夫婦になれていたのにと、惜しく思うのだった。
エステファニアとシモンの子供は、国王によってルイスと名付けられた。
ルイスの面倒は基本的には乳母が見ていて、エステファニアは自室で産後の回復に努めていた。
昼間に何回か乳母がルイスを連れてきて、エステファニア自身も母乳をあげたりしている。
まったくあげていないと、それはそれで乳房が張って痛いのだ。
シモンは相変わらずエステファニアの部屋に顔を出しに来るし、ルイスの方にも行っているようだった。
休日には、二人でエステファニアの自室でルイスを見ることもあった。
手の平に乗せた指を握ってくれたり、そのうちあやすと笑ったり、「あ~」と声を上げるようになったりと、ルイスが成長を見せる度に二人で喜んだ。
そうしていると、本当に、普通の夫婦のようだった。
子供の成長は早く、毎日が驚きと喜びに満ちている。
シモンに孕まされたと悩んでいたのが、遠い昔のことのようだった。
もちろん、シモンの所業を水に流すつもりなど毛頭ない。
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