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本編
30.出陣(1)
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「エステファニア様」
名前を呼ばれ、エステファニアは飛び起きた。
ベッドのそばに、軍服を着たシモンが立っている。
目が合うと、シモンは眉を下げた。
「すみません。ノックをしても返事がなかったものですから、何かあったのかと思い入って来てしまいました。普通に寝ていらっしゃっただけなのですね。邪魔をしてすみません」
「え、あ…………」
シモンの声を聞いていると何かを思い出しそうだったが、それが何なのか分からなかった。
喉まで出かかっているのに、もどかしい。
「……疲れていらっしゃるのですか?」
その言葉に激しい夢の内容がフラッシュバックして、ぎくりと身を固くした。同時に、下腹部がきゅんと疼く。
「い、いいえ……」
「……戦争のことは、まだ言わない方が良かったですかね」
苦笑するシモンに、ほっと息をついた。
そうだ。彼がエステファニアの見る夢のことなんて知るはずがない。
心労が溜まっているとでも思ったのだろう。
「いいえ、大丈夫ですわ。ただ、いつもより深く眠ってしまっただけでしょう」
シモンがそばにいると落ち着かなくて、早く行ってくれという思いから右手を差し出した。
「……ありがとうございます」
シモンは跪いてエステファニアの手の甲に口付けをすると、また立ち上がった。
「それでは、これにて失礼します。ご無理はなさらないでくださいね」
「ええ」
エステファニアはシモンが部屋から出て行くのを見送って、ふう、と深い息を吐いた。
夢のことを思い出して身体が熱い状態のときにそばに居られると変な気分になりそうだったので、さっさといつもの挨拶をさせたのだが……早くどこかに行って欲しいという雰囲気をシモンも感じ取ってしまっただろう。
近いうちに戦地に行く男にする態度ではなかったと反省する。
「……」
だって、あんな夢を見てすぐに男性に会うのはなんだか落ち着かないし、シモンの声が鼓膜を震わせるたびに、擽られているようにむずむずしてしまったから。
エステファニアは、ゆっくりと自分の唇をなぞった。
夢の内容を毎回はっきりと覚えていられるわけではないが、初めての口付けを経験――といっても夢の中だけの話だが――したことは覚えていた。
指の腹が下唇の皮膚を撫でると、今まではなんともなかったのに、少し、気持ち良い気がした。
*
戦争に関する話があってからひと月後、ついにシモンやその他魔術師たちを含むロブレ軍は、出陣することになった。
城門のそばで、シモンを見送る。
国王、王妃、リアナと、他の魔術師を見送りに来た夫人や子供たちがいた。
「それでは、行ってまいります」
「うむ。よろしく頼んだぞ」
「よくやってくるのよ、シモン」
「お兄様なら、絶対大丈夫だから」
落ち着いたロブレ王家の四人に対して、エステファニアは緊張で汗を流していた。
シモンも何度か戦争に行っているといっていたので、彼らも見送りには慣れているのだろう。
けれど、エステファニアにとっては初めてだ。
もし、シモンが――自分が良く知る人がこのまま帰って来なくなったらと思うと、とても声などかけられない。
何か言った方が良いと分かっていても、喉が動かないのだ。
「エステファニア様」
少し後ろに立ち尽くすエステファニアに気付いて、シモンがやってきた。
そして青白い顔の妻を見て、ふふっと笑う。
「まるで、わたくしではなくあなた様が戦地に赴くようですね。……大丈夫ですよ、帰って来ると誓ったではありませんか」
「え、ええ……」
返事を絞り出したが、気の利いたことは言えなかった。
シモンはそんなエステファニアをじっと見下ろすと、ゆっくりと口を開く。
「もし、お許しがいただけるのでしたら……あなた様を、抱き締めさせていただいてもよろしいでしょうか」
「っ……!」
そんなこと、許せるはずがない。
いつもの挨拶で、シモンには充分だろう。
けれど、この人は今から、いつ死んでもおかしくないところに行くのだ。
そう思うと、突っぱねることはできなかった。
一度くらいなら、思い出として与えてやっても良いのではないかと思ったのだ。
「……ええ、少しだけですわよ」
「!」
シモンが自分から言い出したことなのに、エステファニアが頷くと目を見開いた。
名前を呼ばれ、エステファニアは飛び起きた。
ベッドのそばに、軍服を着たシモンが立っている。
目が合うと、シモンは眉を下げた。
「すみません。ノックをしても返事がなかったものですから、何かあったのかと思い入って来てしまいました。普通に寝ていらっしゃっただけなのですね。邪魔をしてすみません」
「え、あ…………」
シモンの声を聞いていると何かを思い出しそうだったが、それが何なのか分からなかった。
喉まで出かかっているのに、もどかしい。
「……疲れていらっしゃるのですか?」
その言葉に激しい夢の内容がフラッシュバックして、ぎくりと身を固くした。同時に、下腹部がきゅんと疼く。
「い、いいえ……」
「……戦争のことは、まだ言わない方が良かったですかね」
苦笑するシモンに、ほっと息をついた。
そうだ。彼がエステファニアの見る夢のことなんて知るはずがない。
心労が溜まっているとでも思ったのだろう。
「いいえ、大丈夫ですわ。ただ、いつもより深く眠ってしまっただけでしょう」
シモンがそばにいると落ち着かなくて、早く行ってくれという思いから右手を差し出した。
「……ありがとうございます」
シモンは跪いてエステファニアの手の甲に口付けをすると、また立ち上がった。
「それでは、これにて失礼します。ご無理はなさらないでくださいね」
「ええ」
エステファニアはシモンが部屋から出て行くのを見送って、ふう、と深い息を吐いた。
夢のことを思い出して身体が熱い状態のときにそばに居られると変な気分になりそうだったので、さっさといつもの挨拶をさせたのだが……早くどこかに行って欲しいという雰囲気をシモンも感じ取ってしまっただろう。
近いうちに戦地に行く男にする態度ではなかったと反省する。
「……」
だって、あんな夢を見てすぐに男性に会うのはなんだか落ち着かないし、シモンの声が鼓膜を震わせるたびに、擽られているようにむずむずしてしまったから。
エステファニアは、ゆっくりと自分の唇をなぞった。
夢の内容を毎回はっきりと覚えていられるわけではないが、初めての口付けを経験――といっても夢の中だけの話だが――したことは覚えていた。
指の腹が下唇の皮膚を撫でると、今まではなんともなかったのに、少し、気持ち良い気がした。
*
戦争に関する話があってからひと月後、ついにシモンやその他魔術師たちを含むロブレ軍は、出陣することになった。
城門のそばで、シモンを見送る。
国王、王妃、リアナと、他の魔術師を見送りに来た夫人や子供たちがいた。
「それでは、行ってまいります」
「うむ。よろしく頼んだぞ」
「よくやってくるのよ、シモン」
「お兄様なら、絶対大丈夫だから」
落ち着いたロブレ王家の四人に対して、エステファニアは緊張で汗を流していた。
シモンも何度か戦争に行っているといっていたので、彼らも見送りには慣れているのだろう。
けれど、エステファニアにとっては初めてだ。
もし、シモンが――自分が良く知る人がこのまま帰って来なくなったらと思うと、とても声などかけられない。
何か言った方が良いと分かっていても、喉が動かないのだ。
「エステファニア様」
少し後ろに立ち尽くすエステファニアに気付いて、シモンがやってきた。
そして青白い顔の妻を見て、ふふっと笑う。
「まるで、わたくしではなくあなた様が戦地に赴くようですね。……大丈夫ですよ、帰って来ると誓ったではありませんか」
「え、ええ……」
返事を絞り出したが、気の利いたことは言えなかった。
シモンはそんなエステファニアをじっと見下ろすと、ゆっくりと口を開く。
「もし、お許しがいただけるのでしたら……あなた様を、抱き締めさせていただいてもよろしいでしょうか」
「っ……!」
そんなこと、許せるはずがない。
いつもの挨拶で、シモンには充分だろう。
けれど、この人は今から、いつ死んでもおかしくないところに行くのだ。
そう思うと、突っぱねることはできなかった。
一度くらいなら、思い出として与えてやっても良いのではないかと思ったのだ。
「……ええ、少しだけですわよ」
「!」
シモンが自分から言い出したことなのに、エステファニアが頷くと目を見開いた。
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