31 / 52
本編
30.出陣(1)
しおりを挟む
「エステファニア様」
名前を呼ばれ、エステファニアは飛び起きた。
ベッドのそばに、軍服を着たシモンが立っている。
目が合うと、シモンは眉を下げた。
「すみません。ノックをしても返事がなかったものですから、何かあったのかと思い入って来てしまいました。普通に寝ていらっしゃっただけなのですね。邪魔をしてすみません」
「え、あ…………」
シモンの声を聞いていると何かを思い出しそうだったが、それが何なのか分からなかった。
喉まで出かかっているのに、もどかしい。
「……疲れていらっしゃるのですか?」
その言葉に激しい夢の内容がフラッシュバックして、ぎくりと身を固くした。同時に、下腹部がきゅんと疼く。
「い、いいえ……」
「……戦争のことは、まだ言わない方が良かったですかね」
苦笑するシモンに、ほっと息をついた。
そうだ。彼がエステファニアの見る夢のことなんて知るはずがない。
心労が溜まっているとでも思ったのだろう。
「いいえ、大丈夫ですわ。ただ、いつもより深く眠ってしまっただけでしょう」
シモンがそばにいると落ち着かなくて、早く行ってくれという思いから右手を差し出した。
「……ありがとうございます」
シモンは跪いてエステファニアの手の甲に口付けをすると、また立ち上がった。
「それでは、これにて失礼します。ご無理はなさらないでくださいね」
「ええ」
エステファニアはシモンが部屋から出て行くのを見送って、ふう、と深い息を吐いた。
夢のことを思い出して身体が熱い状態のときにそばに居られると変な気分になりそうだったので、さっさといつもの挨拶をさせたのだが……早くどこかに行って欲しいという雰囲気をシモンも感じ取ってしまっただろう。
近いうちに戦地に行く男にする態度ではなかったと反省する。
「……」
だって、あんな夢を見てすぐに男性に会うのはなんだか落ち着かないし、シモンの声が鼓膜を震わせるたびに、擽られているようにむずむずしてしまったから。
エステファニアは、ゆっくりと自分の唇をなぞった。
夢の内容を毎回はっきりと覚えていられるわけではないが、初めての口付けを経験――といっても夢の中だけの話だが――したことは覚えていた。
指の腹が下唇の皮膚を撫でると、今まではなんともなかったのに、少し、気持ち良い気がした。
*
戦争に関する話があってからひと月後、ついにシモンやその他魔術師たちを含むロブレ軍は、出陣することになった。
城門のそばで、シモンを見送る。
国王、王妃、リアナと、他の魔術師を見送りに来た夫人や子供たちがいた。
「それでは、行ってまいります」
「うむ。よろしく頼んだぞ」
「よくやってくるのよ、シモン」
「お兄様なら、絶対大丈夫だから」
落ち着いたロブレ王家の四人に対して、エステファニアは緊張で汗を流していた。
シモンも何度か戦争に行っているといっていたので、彼らも見送りには慣れているのだろう。
けれど、エステファニアにとっては初めてだ。
もし、シモンが――自分が良く知る人がこのまま帰って来なくなったらと思うと、とても声などかけられない。
何か言った方が良いと分かっていても、喉が動かないのだ。
「エステファニア様」
少し後ろに立ち尽くすエステファニアに気付いて、シモンがやってきた。
そして青白い顔の妻を見て、ふふっと笑う。
「まるで、わたくしではなくあなた様が戦地に赴くようですね。……大丈夫ですよ、帰って来ると誓ったではありませんか」
「え、ええ……」
返事を絞り出したが、気の利いたことは言えなかった。
シモンはそんなエステファニアをじっと見下ろすと、ゆっくりと口を開く。
「もし、お許しがいただけるのでしたら……あなた様を、抱き締めさせていただいてもよろしいでしょうか」
「っ……!」
そんなこと、許せるはずがない。
いつもの挨拶で、シモンには充分だろう。
けれど、この人は今から、いつ死んでもおかしくないところに行くのだ。
そう思うと、突っぱねることはできなかった。
一度くらいなら、思い出として与えてやっても良いのではないかと思ったのだ。
「……ええ、少しだけですわよ」
「!」
シモンが自分から言い出したことなのに、エステファニアが頷くと目を見開いた。
名前を呼ばれ、エステファニアは飛び起きた。
ベッドのそばに、軍服を着たシモンが立っている。
目が合うと、シモンは眉を下げた。
「すみません。ノックをしても返事がなかったものですから、何かあったのかと思い入って来てしまいました。普通に寝ていらっしゃっただけなのですね。邪魔をしてすみません」
「え、あ…………」
シモンの声を聞いていると何かを思い出しそうだったが、それが何なのか分からなかった。
喉まで出かかっているのに、もどかしい。
「……疲れていらっしゃるのですか?」
その言葉に激しい夢の内容がフラッシュバックして、ぎくりと身を固くした。同時に、下腹部がきゅんと疼く。
「い、いいえ……」
「……戦争のことは、まだ言わない方が良かったですかね」
苦笑するシモンに、ほっと息をついた。
そうだ。彼がエステファニアの見る夢のことなんて知るはずがない。
心労が溜まっているとでも思ったのだろう。
「いいえ、大丈夫ですわ。ただ、いつもより深く眠ってしまっただけでしょう」
シモンがそばにいると落ち着かなくて、早く行ってくれという思いから右手を差し出した。
「……ありがとうございます」
シモンは跪いてエステファニアの手の甲に口付けをすると、また立ち上がった。
「それでは、これにて失礼します。ご無理はなさらないでくださいね」
「ええ」
エステファニアはシモンが部屋から出て行くのを見送って、ふう、と深い息を吐いた。
夢のことを思い出して身体が熱い状態のときにそばに居られると変な気分になりそうだったので、さっさといつもの挨拶をさせたのだが……早くどこかに行って欲しいという雰囲気をシモンも感じ取ってしまっただろう。
近いうちに戦地に行く男にする態度ではなかったと反省する。
「……」
だって、あんな夢を見てすぐに男性に会うのはなんだか落ち着かないし、シモンの声が鼓膜を震わせるたびに、擽られているようにむずむずしてしまったから。
エステファニアは、ゆっくりと自分の唇をなぞった。
夢の内容を毎回はっきりと覚えていられるわけではないが、初めての口付けを経験――といっても夢の中だけの話だが――したことは覚えていた。
指の腹が下唇の皮膚を撫でると、今まではなんともなかったのに、少し、気持ち良い気がした。
*
戦争に関する話があってからひと月後、ついにシモンやその他魔術師たちを含むロブレ軍は、出陣することになった。
城門のそばで、シモンを見送る。
国王、王妃、リアナと、他の魔術師を見送りに来た夫人や子供たちがいた。
「それでは、行ってまいります」
「うむ。よろしく頼んだぞ」
「よくやってくるのよ、シモン」
「お兄様なら、絶対大丈夫だから」
落ち着いたロブレ王家の四人に対して、エステファニアは緊張で汗を流していた。
シモンも何度か戦争に行っているといっていたので、彼らも見送りには慣れているのだろう。
けれど、エステファニアにとっては初めてだ。
もし、シモンが――自分が良く知る人がこのまま帰って来なくなったらと思うと、とても声などかけられない。
何か言った方が良いと分かっていても、喉が動かないのだ。
「エステファニア様」
少し後ろに立ち尽くすエステファニアに気付いて、シモンがやってきた。
そして青白い顔の妻を見て、ふふっと笑う。
「まるで、わたくしではなくあなた様が戦地に赴くようですね。……大丈夫ですよ、帰って来ると誓ったではありませんか」
「え、ええ……」
返事を絞り出したが、気の利いたことは言えなかった。
シモンはそんなエステファニアをじっと見下ろすと、ゆっくりと口を開く。
「もし、お許しがいただけるのでしたら……あなた様を、抱き締めさせていただいてもよろしいでしょうか」
「っ……!」
そんなこと、許せるはずがない。
いつもの挨拶で、シモンには充分だろう。
けれど、この人は今から、いつ死んでもおかしくないところに行くのだ。
そう思うと、突っぱねることはできなかった。
一度くらいなら、思い出として与えてやっても良いのではないかと思ったのだ。
「……ええ、少しだけですわよ」
「!」
シモンが自分から言い出したことなのに、エステファニアが頷くと目を見開いた。
190
お気に入りに追加
1,385
あなたにおすすめの小説
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる
奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。
だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。
「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」
どう尋ねる兄の真意は……
【書籍化確定、完結】私だけが知らない
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる