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本編

7.結婚と初夜(2)

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 部屋にあるベッドは、もちろん一つだけだった。
 他に誰もいない部屋で、信頼できない夫の前で眠るなどできるわけがない。エステファニアは、一睡もせずに夜を明かすつもりだった。
 本を読むなり刺繍をするなりやることがあれば良いのだが、残念ながら部屋の中には暇潰しができそうなものはなかった。
 明日からは何か持ち込もうと考えて――そうだ、二人でこの寝室に入るのは、どのくらいまで続くのだろう。

「この寝室を使うのはいつまでなのかしら?」
「…………そうですね。今のところ、周囲を欺くために、個別の寝室を用意する予定はありません」
 
 その言葉にエステファニアは眉を寄せたが、シモンはそのまま続けた。

「ただ、あなた様に近い赤い髪と緑の目の女性を見繕っているところです。その用意ができましたら、彼女たちの寝室にも行きますので、一人でここを使えるようになります。もちろん、こちらの方で休むこともありますが……。共に寝ていないのに子供ができるのは、おかしいでしょうから」
「…………まあ、そうですわね」

 しばらくは昼夜逆転の生活を送ることになりそうだと、溜息をついた。

「側室が身籠ったら、わたくしはどうしたら?」
「部屋で大人しくしていただくことになるでしょうね。子供が産まれるまでは信頼できる侍従だけに世話を任せて、他の人の目には触れないようにするしかないかと」

 エステファニアが妊娠していないことを隠すためだろう。
 側室を囲うのは、身分の高い男にはよくあることだ。
 だからそれは良いのだが、側室の妊娠とエステファニアが妊娠していないことを、上手く誤魔化せられるのだろうか。
 一瞬気にはなったが、そこまで考えてやる必要はないか、と流すことにした。
 他の女との子供をエステファニアの子だと誤認させたいのは、向こうの事情だ。
 エステファニアにはそれを邪魔する理由も意思もないが、積極的に協力する気もない。それを考えるのは向こうの仕事だ。
 エステファニアにとって大事なことは、自分が平穏に暮らすことだけだった。

「そのときは、寝室は別で良いですわよね?」
「ええ、もちろん」

 ならば早く側室を見つけて孕ませてもらわなければと思いながら、肌触りの良いナイトドレスを撫でる。

 シモンが、空になったカップをソーサーに置いた。

「もう寝ようと思っておりますが、エステファニア様は?」
「わたくしは寝るつもりがありませんので、ご自由にどうぞ」
「一睡もしないつもりですか?」
「ええ。何があるか分かりませんから」

 シモンを疑っていることを隠さずに言うと、彼は少し眉を下げて苦笑した。

「まさか、あなた様や皇帝陛下との約束を反故にはしませんよ」
「あなたがそう申しましても、それが本心かどうか、わたくしには分かりませんから」

 そう言うと、シモンは不快感を表すどころか、困ったような顔をした。

――この表情も、自然となのか、作ったものなのか……。

 初対面のときからそうなのだが、シモンは表情を作るのが上手く、なかなか本心を悟らせてくれない。
 貼り付けたようにいつも笑みを浮かべていて、相手の言葉や反応に合わせて表情が変わるのだが、なんというか、あまりにもその時に相応しい表情しか・・浮かべないのだ。
 誰かが冗談を言えば笑うし、愚痴のようなものを聞けば困った顔をし、自慢話には興味深そうな顔をする。
 たとえば相手の冗談がつまらなかったり、興味のない話しを聞かされる場面だってあるだろうに、そういう素振りを見せないのだ。
 エステファニアには、シモンは常に相手が欲しがっている表情を作っていて、自分の感情をまったく表には出していないように見えていた。

 唯一、初日のロブレ王族との顔合わせの最後にはシモンの表情を崩せたような気がしたが、今思えばあれすらも作られたもののように思えてくる。
 それほど、今まで見たシモンの――特に、先程の晩餐会での振る舞いは完璧だった。

「では……あまり言っても困らせてしまうだけでしょうから、わたくしは眠らせていただきますが……。神に誓って、あなた様に無礼なことはしませんということは伝えておきます。一応端の方で寝ますので、耐えられなかったら、いつでもどうぞ。お体は壊さないよう、お気を付けください」
「ええ。無意味なお気遣いありがとうございます」

 わざとシモンを怒らせるような事を言ったが、彼はやはり困ったように苦笑するだけだった。
 シモンは静かに立ち上がり、天井の明かりを消した。そして、わざわざエステファニアより遠い方からベッドに上がって横になる。
 しばらくすると、寝息が聞こえてきた。

――あれでも表情を崩さないのね。

 妻にあんな生意気なことを言われて、怒った様子を見せないとは。
 帝国の血を笠に着て言う事を聞かない女など、王太子からしたら腹立たしくて仕様がないだろうに。
 それともまさか、本当にそれでも苛立たないような心根の持ち主なのだろうか。

――きっと、それはないでしょうね。

 そういう人が世の中にいないとは言えないが、少なくともシモンはそうではないだろうと思った。
 そういった人間は人としては素晴らしいのかもしれないが、為政者には向いていない。
 もしシモンがそういう性格だとしたら、国王からああも信頼されてはいないだろう。

 エステファニアがロブレに来てまだ一週間だが、それでも、シモンがかなりの仕事を任されているのは見て取れた。
 エステファニアはほとんど自室に籠って生活をしていたのだが、窓から外を見ると、シモンが軍服を着て朝から馬車に乗り込んだり、他国の大使などを迎えている姿をよく見かける。
 エステファニアがロブレに来て初めて会ったのも、国王ではなくてシモンだった。
 それだけ、シモンは王太子として国王に信頼されているのだ。

 おそらく、彼の言葉や表情は、そのまま鵜呑みにして良いものではない。
 帝国の貴族もそんな者たちばかりだったので、何となくそんな雰囲気を感じ取っていた。

「…………」

 ベッドの方を見ると、シモンは自分で言っていたとおり、端の方でエステファニアに背を向けて眠っている。
 まあ逆に、そういったまともな人間ならば帝国との契約を反故にすることもないだろうし、ここまで警戒しなくても良いだろうが……そう判断できるほどには、まだ彼のことを知らなかった。

 エステファニアは溜息をついて、シモンが使っていたティーカップの柄を眺めたり、眠気覚ましに部屋の中を歩いたりして一晩を過ごした。
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