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本編

2.長兄と末妹

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「聞いたぞエステファニア。もうロブレへ発つ日が決まったそうだな」
「……ごきげんよう、お兄様」

 神託がくだってから数ヶ月。
 エステファニアがもうすぐお別れになる庭の花々を楽しんでいると、長男がやってきた。
 彼は皇太子として申し分ない武術と魔術の才があり、頭も切れるのだが、嗜好としては酒と女にしか興味がないので、庭に現れることなど滅多にない。
 おそらく、エステファニアと話しをするためだけにここへ来たのだろう。

「婚姻の神託がようやくくだったと思ったら、まさか相手がシモンだとはな。あいつは優男だからな。顔は女が好みそうだが、体はどうだか……」

 兄のあけすけな言葉に眉を寄せた。
 シモンというのは、ロブレ王太子の名だ。
 エステファニアは彼を見たこともないが、兄は皇太子として諸外国と交流があるので、会ったことがあるのだろう。

「ご心配なく。白き結婚ですので」

 きっぱり言うと、兄は驚いたようで、暫く口を開けたまま固まっていた。
 そしてやっと、声を発する。

「おまえ……男を知らないまま死ぬつもりか?」
「そうなりますわね」
「なんてことだ……。それはやめておいた方がいい。一回くらい割り切ってシモンに……」
「お兄様。いくらお兄様でも、それ以上は怒りますわよ」

 エステファニアがそう言うと、なんだかんだ妹に弱い彼は口を結んだ。
 兄の言葉は女性に投げかけるようなものではなく、エステファニアも内心腹を立ててはいる。
 しかし、彼なりに真剣に心配しているのは分かっているのだ。

 皇族の結婚相手は、帝国に大きな影響をもたらす。然るべき時に、婚姻の神託が下るものなのだ。
 ヒラソルの皇族は神託がくだるまでは結婚をせず、神託がくだった時、それに従う。
 そのため、心から愛した人と結ばれることはほとんどない。

 しかし男性は結婚後に側室を囲うことができるので、妻は神託に従った政略結婚の相手だが、その裏で他の女と体や心を通わすことはできる。
 だが、子を産む女性にはそれが認められていない。
 妻が不貞を働き、別の種の子供を後継ぎにされては困るからだ。
 それはヒラソルの皇族に限らず、貴族や、他国の王族も同じだった。

 つまり女性であるエステファニアは、シモンとしか身も心も通わせることを許されない。
 しかもただの政略結婚ではなく、神託によって定められた相手だ。離縁は許されない。
 そしてエステファニア自身が体を重ねることを拒否しているので――男を知らぬまま、その生涯を終えることを意味しているのだ。

 色を好む兄は、それを心から憐れんでいるのだろう。
 もちろんエステファニア自身も、惜しく思う気持ちはあった。
 いつかは、神託によって定められた自分に相応しい男に抱かれるのだと思っていた。
 けれど神があてがったのは、新興国の、歴史の浅い王家の王太子だった。
 王太子とはいえ、エステファニアにとっては蛮族のようなものだ。そんな男に大事なこの身を貫かれるなど、到底耐えられない。
 神託に異を唱えることになってしまうため口にはできないが、どうしてそんな男に自分を当てがうのかと、神に詰め寄りたいくらいだった。

「良いのです。わたくしは帝国の女ですから、初めから幸せな婚姻関係を得られるなどと思っておりませんでしたから」
「…………」

 そう言うと、兄は決まりが悪そうに頭を掻いた。
 エステファニアに限らず、帝国の立場のある女性はみんなそうなのだ。
 神託により結婚相手が決まり、夫だけを愛することしか許されないのに、その夫は別の女を囲ってそちらに夢中になる。
 兄だってそうだ。
 エステファニアにとってはなんだかんだ自分を可愛がってくれた兄なのでつい甘く見てしまうが、皇太子妃――義姉の気持ちを思うと、胸が苦しくなる。
 兄が妻ではなく別の何人かの女の部屋に通っているのは、有名な話だった。

「……そうだな。すまない、軽率だった。…………ただな、エステファニア。おまえは頑固なところがあるから……その、人は気が変わることもよくある。それに素直になってみることも、たまには必要だと思う。それを忘れないでくれ。兄からの餞別の言葉だ」
「…………ありがとうございます、お兄様」

 内心では小煩いと思いながらも、素直に頷いた。


 それからひと月後、エステファニアは家族と別れ、ロブレ王国への馬車に乗った。
 手を振る両親や兄たちの姿を見ながら、長兄にかけられた餞別の言葉を思い出す。

――頑固だの、素直になれだの……。わたくしはわたくしの気持ちに素直になって、考えを曲げないだけですわ。ただ、優柔不断でないだけですのよ。それを、いつもお兄様たちは頑固だの、わがままだの言って……。

 あの時はそうでもなかったのに、ふと思い出した兄の言葉に異様に苛ついてしまった。
 エステファニアはふんと鼻を鳴らして馬車のカーテンを閉めて、顔を前に向けた。
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