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終わりと始まり
40.夫婦の結末
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失格……。
当然だ。決闘に、部外者ならまだしも、代理を人に頼んでいる当事者が闖入したのだ。立派な反則だ。
あのまま放っておいたとしても、ベルナールが勝てたかもしれない。その可能性がないとは、言い切れない。
それでもわたしがその可能性に賭けた結果、ベルナールを失うかもしれないと思うと我慢できなかった。
ベルナールに信じるって言ったのに、それに反する行動になってしまった。申し訳ないとは思うけれど、後悔はない。
ラファエルの腕には刃が深く身を沈め、その縁から血がぼたぼたと流れていた。
その光景だけで肝が冷える。ラファエルが叫びもしないのが不思議なくらいで、いっそ作り物のようにも見えた。
かなり深く見えるけれど、大丈夫だろうか。
もしベルナールがこの一撃を受けていたら、どうなっていたことか……。
少なくとも、ラファエルはこれで殺る気だった。他の人や、もしラファエル本人が否定したとしても、あの日に彼の暴挙を見たわたしには、そうとしか考えられなかった。
ベルナールを殺すんじゃないか、なんて想像から、殺すつもりだ、という確信になったのだ。
その上で傍観するなんて、わたしにはできない。
ベルナールの意思を無駄にしてしまった。自分が戦った結果ではなく、わたしがルールを破ったことによる負けは、悔いを残すだろう。
でもそれも命あってこそだし、わたしが非難されてもかまわない。むしろ当然だ。
ただ、ベルナールを死なせないこと……それが、わたしの絶対譲れないことだった。
お義父様とお医者様が駆け寄って来たけれど、ラファエルはわたしを見つめたまま動かなかった。
わたしたちだけ時間が止まっているかのように見つめ合う。
そして、ラファエルの瞳孔が小さくなっていったと思うと、今までわたしに向けられたことのない、冷たい視線になった。
「……無駄な怪我だったな」
ぽつりと漏らされた声は固く、肩がびくりと跳ねた。
けれどラファエルは、先ほどの視線が嘘だったかのように笑う。
「……二人の愛に胸を打たれたよ。わたしは身を引こう。どうぞお幸せに」
その言葉は、どこかで聞いたことがあった気がして……もう詳しくは思い出せないけれど、昔ラファエルと見た演劇にあった台詞に似ているな、と思った。
「そ、それは……?」
お義父様が戸惑った様子でラファエルを窺う。
「離婚を認めます。……さようなら、ブリジット」
そう言ってわたしから離れていくラファエルは、今までとまったく違った。
どこが、といえば難しいけれど……今までの、わたしを好きだと訴える何かがなかったのだ。
お医者様と館へと歩く姿を後姿を見ながら、もうわたしは彼の特別ではないんだな、と悟る。
あれだけ頑なに離婚を認めなかったのに、どうして気が変わったのだろう。
――大人になっても澄んだ瞳をして、純粋な好意をわたしに向けてくれる。そんな君がとても愛おしくて、大切にしたくて……。
ふと、以前言っていたことを思い出した。
もうラファエルを好きじゃないって、やっと分かってくれた……ということなのだろうか?
お義父様もお義母様もラファエルとお医者様についていったから、訓練場には、わたしとベルナールだけが取り残されていた。
「ブリジット……」
ベルナールの声には安堵と怒りが滲んでいて、わたしは恐る恐る振り返った。
「なんであんなことしたんだ、馬鹿!!」
そう叫んで、袖でわたしの頬についている血を拭う。
その気迫に俯きたくなるけれど、彼の言っていることは尤もで、正面から受け止めるつもりで顔を上げた。
「ご、ごめんなさい……」
「兄上が反応できたからいいものを……そうじゃなかったら……!」
「うん……」
ベルナールは口を開きかけたけどぐっと唇を噛んで、わたしを抱き締めた。その腕は力強くて苦しいほどだったけど、わたしは大人しく背中に腕を回す。
ベルナールの鼓動が伝わってきて、やっと終わったんだ、生きているんだ、と安心した。
「俺だって、お前になにかあったら……!」
震える声と肩が湿る感触に、彼が泣いているのだと分かった。
わたしがベルナールを想うように、彼もわたしも想ってくれている。
つい先ほどまでわたしが感じていた不安と恐怖を彼に与えてしまったことが申し訳なくて、彼が落ち着くまで、背中を撫でていた。
*
ラファエルの腕の傷は深かったけれど、切り所がまだ良かったのと処置も早かったので、安静にしていれば治るだろうということだった。
わたしのせいで彼に傷を負わせてしまったのは事実なので、安心する。
その場では気が回らなくて謝れなかったから、また彼の容体が落ち着いたら行かないと。
翌日には、わたしとお義父様、ベルナールの三人で、シュヴァリエ邸に行った。
離婚の前に、わたしの両親にも話を通さなければならない。
本来だったら離婚の原因であるラファエルも連れて行くべきなんだろうけど、怪我をしたばかりなので、家で安静にしている。
まず、お義父様から不貞が原因での離婚だと聞いた両親はあからさまな態度はとらなかったけれど、憤慨している様子だった。
これはまずい、と白い関係だったことも言えば、少し落ち着く。
さらにベルナールと再婚するつもりなので許して欲しいと伝えれば、思うところはあれど、気持ちを切り替えたようだった。
「二人の関係は修復できないようですし、離婚は良い選択でしょう。ブリジットとベルナールが婚姻を結ぶことにも反対しません。ですが、新たに夫婦となるふたりはどうしましょう」
「……大切な一人娘をいただいたというのに、この結果となってしまいました。前夫と同じ家で暮らすというのも、心配でしょう。シュヴァリエ伯爵にお任せいたします」
お義父様の言葉にお父様が満足そうに頷き、あっさりと再婚は決まったのだった。
当然だ。決闘に、部外者ならまだしも、代理を人に頼んでいる当事者が闖入したのだ。立派な反則だ。
あのまま放っておいたとしても、ベルナールが勝てたかもしれない。その可能性がないとは、言い切れない。
それでもわたしがその可能性に賭けた結果、ベルナールを失うかもしれないと思うと我慢できなかった。
ベルナールに信じるって言ったのに、それに反する行動になってしまった。申し訳ないとは思うけれど、後悔はない。
ラファエルの腕には刃が深く身を沈め、その縁から血がぼたぼたと流れていた。
その光景だけで肝が冷える。ラファエルが叫びもしないのが不思議なくらいで、いっそ作り物のようにも見えた。
かなり深く見えるけれど、大丈夫だろうか。
もしベルナールがこの一撃を受けていたら、どうなっていたことか……。
少なくとも、ラファエルはこれで殺る気だった。他の人や、もしラファエル本人が否定したとしても、あの日に彼の暴挙を見たわたしには、そうとしか考えられなかった。
ベルナールを殺すんじゃないか、なんて想像から、殺すつもりだ、という確信になったのだ。
その上で傍観するなんて、わたしにはできない。
ベルナールの意思を無駄にしてしまった。自分が戦った結果ではなく、わたしがルールを破ったことによる負けは、悔いを残すだろう。
でもそれも命あってこそだし、わたしが非難されてもかまわない。むしろ当然だ。
ただ、ベルナールを死なせないこと……それが、わたしの絶対譲れないことだった。
お義父様とお医者様が駆け寄って来たけれど、ラファエルはわたしを見つめたまま動かなかった。
わたしたちだけ時間が止まっているかのように見つめ合う。
そして、ラファエルの瞳孔が小さくなっていったと思うと、今までわたしに向けられたことのない、冷たい視線になった。
「……無駄な怪我だったな」
ぽつりと漏らされた声は固く、肩がびくりと跳ねた。
けれどラファエルは、先ほどの視線が嘘だったかのように笑う。
「……二人の愛に胸を打たれたよ。わたしは身を引こう。どうぞお幸せに」
その言葉は、どこかで聞いたことがあった気がして……もう詳しくは思い出せないけれど、昔ラファエルと見た演劇にあった台詞に似ているな、と思った。
「そ、それは……?」
お義父様が戸惑った様子でラファエルを窺う。
「離婚を認めます。……さようなら、ブリジット」
そう言ってわたしから離れていくラファエルは、今までとまったく違った。
どこが、といえば難しいけれど……今までの、わたしを好きだと訴える何かがなかったのだ。
お医者様と館へと歩く姿を後姿を見ながら、もうわたしは彼の特別ではないんだな、と悟る。
あれだけ頑なに離婚を認めなかったのに、どうして気が変わったのだろう。
――大人になっても澄んだ瞳をして、純粋な好意をわたしに向けてくれる。そんな君がとても愛おしくて、大切にしたくて……。
ふと、以前言っていたことを思い出した。
もうラファエルを好きじゃないって、やっと分かってくれた……ということなのだろうか?
お義父様もお義母様もラファエルとお医者様についていったから、訓練場には、わたしとベルナールだけが取り残されていた。
「ブリジット……」
ベルナールの声には安堵と怒りが滲んでいて、わたしは恐る恐る振り返った。
「なんであんなことしたんだ、馬鹿!!」
そう叫んで、袖でわたしの頬についている血を拭う。
その気迫に俯きたくなるけれど、彼の言っていることは尤もで、正面から受け止めるつもりで顔を上げた。
「ご、ごめんなさい……」
「兄上が反応できたからいいものを……そうじゃなかったら……!」
「うん……」
ベルナールは口を開きかけたけどぐっと唇を噛んで、わたしを抱き締めた。その腕は力強くて苦しいほどだったけど、わたしは大人しく背中に腕を回す。
ベルナールの鼓動が伝わってきて、やっと終わったんだ、生きているんだ、と安心した。
「俺だって、お前になにかあったら……!」
震える声と肩が湿る感触に、彼が泣いているのだと分かった。
わたしがベルナールを想うように、彼もわたしも想ってくれている。
つい先ほどまでわたしが感じていた不安と恐怖を彼に与えてしまったことが申し訳なくて、彼が落ち着くまで、背中を撫でていた。
*
ラファエルの腕の傷は深かったけれど、切り所がまだ良かったのと処置も早かったので、安静にしていれば治るだろうということだった。
わたしのせいで彼に傷を負わせてしまったのは事実なので、安心する。
その場では気が回らなくて謝れなかったから、また彼の容体が落ち着いたら行かないと。
翌日には、わたしとお義父様、ベルナールの三人で、シュヴァリエ邸に行った。
離婚の前に、わたしの両親にも話を通さなければならない。
本来だったら離婚の原因であるラファエルも連れて行くべきなんだろうけど、怪我をしたばかりなので、家で安静にしている。
まず、お義父様から不貞が原因での離婚だと聞いた両親はあからさまな態度はとらなかったけれど、憤慨している様子だった。
これはまずい、と白い関係だったことも言えば、少し落ち着く。
さらにベルナールと再婚するつもりなので許して欲しいと伝えれば、思うところはあれど、気持ちを切り替えたようだった。
「二人の関係は修復できないようですし、離婚は良い選択でしょう。ブリジットとベルナールが婚姻を結ぶことにも反対しません。ですが、新たに夫婦となるふたりはどうしましょう」
「……大切な一人娘をいただいたというのに、この結果となってしまいました。前夫と同じ家で暮らすというのも、心配でしょう。シュヴァリエ伯爵にお任せいたします」
お義父様の言葉にお父様が満足そうに頷き、あっさりと再婚は決まったのだった。
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