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裏切っていた夫
22.再構築
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あの晩から数週間経った。
ふたりで話し合った夜以降、ラファエルとわたしたちは、また一から関係を作り直すように生活していた。
「おいで、ブリジット」
「うん……」
夜、寝室に入るとソファで待っていたラファエルが立ち上がって、扉の近くまで迎えに来てくれる。
そして差し出された手を取ると、「抱き締めてもいい?」と聞かれた。
頷くと、そっと引っ張られて、逞しい腕に包まれる。
ラファエルがカロリーヌ様を抱いていた場面を思い出して体が固くなると、そっと背中を撫でられる。
わたしも忘れようと意識して、ラファエルとの楽しかった思い出のことを考え続けた。
そうしていると、次第に力が抜けてくる。
ラファエルは体を離してわたしの頬にかかっていた髪をそっとよけて、耳にかけた。
そうして夜の空気に栗立ちそうな頬を、優しく指で撫でられる。
「……ここに、口付けさせてもらえる?」
「……うん」
そっと頬にキスをされる。
リップ音を立てず、優しく唇を押し当てるようなキスを何度かされた。
以前と違って遠慮がちなそれが、彼がわたしを気遣っていることを感じさせてくれる。
それが嬉しいと同時に、心の距離を感じさせて切なくなった。
わたしがラファエルにそうさせているのだから、仕方ないのだけれど。
相変わらず口同士のキスはまだできなくて、手を繋いだり、ハグしたり、頬にキスをしたりと、こうして少しずつ触れ合いを増やしていた。
ラファエルのお仕事の仕方も変わって――彼は服のデザインの仕事をしている――泊りがけでやらないようにできるだけ家に持ち帰って来たり、夜の代わりに休日の昼間に行ったりするようになった。
そこまで根を詰める必要がない休みの日は、街に出てデートもしている。
舞踏会でもわたしのいないところで他の女の人と踊らないで欲しいと言うと、できるだけそうするよと頷いてくれた。
それ以来、誘われればまずわたしに確認を取ってくれるようになった。
わたしがそばにいないときも、流石に大きな家の令嬢はお待たせできないけれど、そうでない人だったら、帰って来るまで待ってくれる。
ラファエルもそうやって反省を示してくれているのは素直に嬉しいし、愛されていると感じる。
けれどやっぱり、時折あの場面を思い出して泣きそうになる。
そういうこともなくなって前のように過ごせるようになれるとは、今のところ想像できなかった。
時間が傷を癒すとは聞く。
半年や一年後には、ちゃんと元通りになれるのだろうか。
それとも、もっと時間がかかってしまうのだろうか。
そしていずれ、わたしとラファエルも……ああいうことをするようになるのだろうか。
ベッドの上で絡み合う二人の光景がまたフラッシュバックして、ラファエルのシャツを掴んだ。
「……大丈夫?」
首を振って、ラファエルの胸に耳を当てた。
トクトクと人の鼓動を聞いていると、落ち着いてくる気がする。
「……再来週のお休みは、演劇を見に行こうか。今人気のものがあって……八年戦争の英雄、アドリアン様を元にしたお話なんだって」
気を紛らわせようとしたのか、背中を撫でながらそう言われた。
最近のわたしは恋愛物を見る気にもなれなくて、読書や観劇はもっぱら英雄譚になっている。
悲恋はいつも以上に感情移入して泣いてしまうし、幸せな恋愛も以前のわたしたちと今の落差を考えてしまって、やっぱり泣いてしまうのだ。
わたしは頷いて、深呼吸を心がける。
余計なことを考えなければいいのに、気づけば思考があの日の夜に引っ張られてしまうのだ。
そしてやっと落ち着いてきたので、ふたりでゆっくりとベッドに寝転がる。
ラファエルは優しく髪を撫でてくれて、わたしはあの夜のことを思い出さないように、明日の舞踏会のこととか、観劇には何を着て行こうとか、とにかく考え事をする。
そうしているうちに、気付けば眠りについていた。
翌日は舞踏会だったので、夕方になると、ふたりで馬車に乗って家を出た。
ちなみに今回はラファエルの友人が招待してくれたもので、あまり格式ばったものではない。
エルランジェの家から出席するのもわたしたちだけだ。
ラファエルにエスコートされて会場に入る。
正式な開会までにはまだ時間があったので、二人ですでにいる人たちに挨拶をして回った。
そうしていると、ちょうど話していたタチアナ様――お茶会で知り合った方だ――とその旦那様が、入り口の方を見て声を上げた。
「あ、カロリーヌだわ。よかった、怪我が治ったのね」
その言葉にラファエルはすぐさま振り返ったが、わたしはできなかった。
呼吸が止まって、汗がぶわっと溢れる。
怪我をして療養されているという話をタチアナ様から聞いて以来、彼女が話題に上がることはなかった。
だから昨日までは、まだ公の場に姿を現していなかったはずだ。
もう治って、社交界に復帰するのか。
それがまさか今日、わたしたちがいる舞踏会だなんて。
「久しぶりだね、皆さん」
オベール伯――カロリーヌ様の旦那様の声に、ひゅっと息を吸い込んだ。
それをきっかけに、呼吸することを思い出す。
流石に話しかけられて無視するのは失礼だ。
わたしはかくかくと、錆び付いた人形のように振り返った。
にこやかなオベール伯の隣に、微笑むカロリーヌ様がいた。
頬は綺麗になっていて、以前のような白くなめらかな肌が照明を反射させている。
紺色のハイネックのドレスで首元を隠しているので、もしかしたら絞められた痕はまだ残っているのかもしれない。
目が合って、びくんと体が跳ねる。
ラファエルの腕が、落ち着かせるようにわたしの肩を抱いた。
彼女はつ、と視線を滑らせて、そんなラファエルの手を見た……気がした。
気付けば彼女はラファエルを見上げていて、その笑みを深くする。
「ご心配をおかけしましたわね、皆さま。わたくしこのとおり、すっかり治りました」
ふたりで話し合った夜以降、ラファエルとわたしたちは、また一から関係を作り直すように生活していた。
「おいで、ブリジット」
「うん……」
夜、寝室に入るとソファで待っていたラファエルが立ち上がって、扉の近くまで迎えに来てくれる。
そして差し出された手を取ると、「抱き締めてもいい?」と聞かれた。
頷くと、そっと引っ張られて、逞しい腕に包まれる。
ラファエルがカロリーヌ様を抱いていた場面を思い出して体が固くなると、そっと背中を撫でられる。
わたしも忘れようと意識して、ラファエルとの楽しかった思い出のことを考え続けた。
そうしていると、次第に力が抜けてくる。
ラファエルは体を離してわたしの頬にかかっていた髪をそっとよけて、耳にかけた。
そうして夜の空気に栗立ちそうな頬を、優しく指で撫でられる。
「……ここに、口付けさせてもらえる?」
「……うん」
そっと頬にキスをされる。
リップ音を立てず、優しく唇を押し当てるようなキスを何度かされた。
以前と違って遠慮がちなそれが、彼がわたしを気遣っていることを感じさせてくれる。
それが嬉しいと同時に、心の距離を感じさせて切なくなった。
わたしがラファエルにそうさせているのだから、仕方ないのだけれど。
相変わらず口同士のキスはまだできなくて、手を繋いだり、ハグしたり、頬にキスをしたりと、こうして少しずつ触れ合いを増やしていた。
ラファエルのお仕事の仕方も変わって――彼は服のデザインの仕事をしている――泊りがけでやらないようにできるだけ家に持ち帰って来たり、夜の代わりに休日の昼間に行ったりするようになった。
そこまで根を詰める必要がない休みの日は、街に出てデートもしている。
舞踏会でもわたしのいないところで他の女の人と踊らないで欲しいと言うと、できるだけそうするよと頷いてくれた。
それ以来、誘われればまずわたしに確認を取ってくれるようになった。
わたしがそばにいないときも、流石に大きな家の令嬢はお待たせできないけれど、そうでない人だったら、帰って来るまで待ってくれる。
ラファエルもそうやって反省を示してくれているのは素直に嬉しいし、愛されていると感じる。
けれどやっぱり、時折あの場面を思い出して泣きそうになる。
そういうこともなくなって前のように過ごせるようになれるとは、今のところ想像できなかった。
時間が傷を癒すとは聞く。
半年や一年後には、ちゃんと元通りになれるのだろうか。
それとも、もっと時間がかかってしまうのだろうか。
そしていずれ、わたしとラファエルも……ああいうことをするようになるのだろうか。
ベッドの上で絡み合う二人の光景がまたフラッシュバックして、ラファエルのシャツを掴んだ。
「……大丈夫?」
首を振って、ラファエルの胸に耳を当てた。
トクトクと人の鼓動を聞いていると、落ち着いてくる気がする。
「……再来週のお休みは、演劇を見に行こうか。今人気のものがあって……八年戦争の英雄、アドリアン様を元にしたお話なんだって」
気を紛らわせようとしたのか、背中を撫でながらそう言われた。
最近のわたしは恋愛物を見る気にもなれなくて、読書や観劇はもっぱら英雄譚になっている。
悲恋はいつも以上に感情移入して泣いてしまうし、幸せな恋愛も以前のわたしたちと今の落差を考えてしまって、やっぱり泣いてしまうのだ。
わたしは頷いて、深呼吸を心がける。
余計なことを考えなければいいのに、気づけば思考があの日の夜に引っ張られてしまうのだ。
そしてやっと落ち着いてきたので、ふたりでゆっくりとベッドに寝転がる。
ラファエルは優しく髪を撫でてくれて、わたしはあの夜のことを思い出さないように、明日の舞踏会のこととか、観劇には何を着て行こうとか、とにかく考え事をする。
そうしているうちに、気付けば眠りについていた。
翌日は舞踏会だったので、夕方になると、ふたりで馬車に乗って家を出た。
ちなみに今回はラファエルの友人が招待してくれたもので、あまり格式ばったものではない。
エルランジェの家から出席するのもわたしたちだけだ。
ラファエルにエスコートされて会場に入る。
正式な開会までにはまだ時間があったので、二人ですでにいる人たちに挨拶をして回った。
そうしていると、ちょうど話していたタチアナ様――お茶会で知り合った方だ――とその旦那様が、入り口の方を見て声を上げた。
「あ、カロリーヌだわ。よかった、怪我が治ったのね」
その言葉にラファエルはすぐさま振り返ったが、わたしはできなかった。
呼吸が止まって、汗がぶわっと溢れる。
怪我をして療養されているという話をタチアナ様から聞いて以来、彼女が話題に上がることはなかった。
だから昨日までは、まだ公の場に姿を現していなかったはずだ。
もう治って、社交界に復帰するのか。
それがまさか今日、わたしたちがいる舞踏会だなんて。
「久しぶりだね、皆さん」
オベール伯――カロリーヌ様の旦那様の声に、ひゅっと息を吸い込んだ。
それをきっかけに、呼吸することを思い出す。
流石に話しかけられて無視するのは失礼だ。
わたしはかくかくと、錆び付いた人形のように振り返った。
にこやかなオベール伯の隣に、微笑むカロリーヌ様がいた。
頬は綺麗になっていて、以前のような白くなめらかな肌が照明を反射させている。
紺色のハイネックのドレスで首元を隠しているので、もしかしたら絞められた痕はまだ残っているのかもしれない。
目が合って、びくんと体が跳ねる。
ラファエルの腕が、落ち着かせるようにわたしの肩を抱いた。
彼女はつ、と視線を滑らせて、そんなラファエルの手を見た……気がした。
気付けば彼女はラファエルを見上げていて、その笑みを深くする。
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