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かつての幸せな日々

9.夫婦の夜

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 今年の舞踏会シーズンが始まる頃になったので、王都にあるエルランジェ邸に滞在することになった。

 そしてわたしの誕生日も近いということで、今日は同じく王都に来ているお父様とお母様に会いに行った。
 ラファエルも挨拶がしたいと一緒に来てくれて、四人で和やかに昼食を食べ、その後は歓談していた。

「ブリジット、こちらにいらっしゃい」

 そして話の途中に、お母様に呼ばれた。
 何だろうと思いながら席を立ち、別の部屋に連れて行かれる。
 通された部屋には紅茶と少しの茶菓子も用意してあって、結構長話をするつもりなのかな、と思った。

 席につくと、紅茶を一口飲んだ母が言った。

「向こうでは上手くやっているの? 困ったことはない?」

 なるほど、こういう話はラファエルの前ではできないな、と納得した。

「はい、大丈夫です。みなさま、良くしてくださいます」
「……ラファエルとは?」
「え? えっと……普通に、仲良くしてますが……」

 毎日同じ寝室で寝ているし、好きだよとかかわいいね、と言いながら沢山抱き締めてキスしてくれる。
 流石に初日よりは慣れたけれどそれでもやっぱりドキドキして、それを思い出して顔が赤くなった。

「…………そう。よくやってるのなら、いいのよ」

 そう言って母はふう、と息をついた。
 それは安堵したようにも、困っているようにも見えた。
 一体何なのだろうと考えて……もしかしたら、子どものことだろうかと思い至る。

 そうだ。もうすぐ結婚して一年になる。
 それでまったく子どもの話が出ないから、心配しているのだろう。
 正直、一年で心配されるのが普通なのか異常なのか分からないけれど……子どものことは、貴族――特にわたしたちにとっては大きな問題だった。

 この家はわたしの他に子どもがいないので、わたしか、わたしの子どもが父のシュヴァリエ伯爵位を継ぐことになる。
 両親としては、わたしが何人か産めばそのうちひとりを養子にとり、シュヴァリエ伯爵位を継がせたいと思っている。
 もし子どもがひとりだけならば、その子どもがエルランジェとシュヴァリエ伯爵位の両方を継ぐことになるが、継ぐ人が誰もいなくなるよりはましだった。

 もしわたしとラファエルの間に子どもができなくても、エルランジェ側はベルナールもいるので然程困らない。
 でも、この家は本当に困ってしまうのだ。
 わたししか子どもがいないということは、両親も子どもがなかなかできないことに悩んでいたのだろう。

 先祖の遺言もあってわたしは産まれた時点でラファエルとの婚約が決まっていて……きっとお母様たちだって、もうひとりは産むつもりだったのだろう。
 それが上手くいかず今の状況なのだから、心配しすぎるのも分かる。

 まだ一年くらいだし、もう少し見守って欲しいとは思うけれど……実際、わたしとラファエルに夫婦生活はない。
 作ろうとしてまだできていないのと、作ろうとすらしていないのでは違うだろう。







「あのね、ラファエル……その……わたしのことを想ってくれているのは、嬉しいんだけど……いつになったら、するのかな?」

 夜。寝室のベッドに入ると、ラファエルに直接聞いてみた。
 前々から気になっていたことではあるし、両親の心労を思うと、やっぱり早く子どもを産んで安心させてあげたいという気持ちもでてきたからだ。

 ラファエルは眉を下げて、優しい声で囁くように言った。

「どうしたの? 突然。……もしかして、誰かに何か言われた?」
「あ、う、ううん……違うの……。ただ、その……ほら、いつかは、するわけでしょう? その、心の準備をしておきたいっていうか……」

 親が心配していたことを伝えるのはプレッシャーになるかなと思って、しどろもどろに言い訳をする。

「…………そうだねえ……」

 ラファエルはそう相槌を打って、少し考え込んでいるようだった。

「……体の成長だって人それぞれだし……一概に何歳、とかは言えないかなあ……」
「そ、そっか……あとあの、ほら、わたしの家のこともあるし、えっと、できれば早めに、両親を安心させてあげられたらいいかな、とか……」
「ブリジット」

 そうわたしを呼んだ声になんだか圧を感じて、びくりと肩が跳ねた。
 真面目な話だから、たまたまそうなってしまっただけかもしれないけれど。
 おずおずとラファエルを見上げると、いつもみたいに優しく微笑んでいた。
 安心して力が抜ける。

「君が御両親を気遣う気持ちも分かるけれど……わたしはあくまで、目の前の君を大事にしたいんだ。だから、焦らなくて良い」
「うん…………」

 大切にされているという嬉しい気持ちと、不安の気持ちが胸で渦巻いた。
 カトリーヌ様たちとのお茶会で聞くお話とか、物語で描かれる男女を思い返すと、男の人は、愛する女性と繋がりたいと思うものだと認識するようになった。
 そもそも、男性はそういう欲が強いということも知った。

 ラファエルの相手をできるのは、妻であるわたししかいない。
 けれどこの一年間まったくそういうことはしなかったし、この後も、まだしばらくはしないつもりなのだろう。
 ラファエルはそれを我慢してくれる程愛してくれている、とも思えるし……やっぱり、そこまでわたしのことを求めていないのではないかとも思えてしまう。

「あの……ラファエルは……それでも、大丈夫なの?」

 怖かったけれど、聞いてみた。
 これ以上、不安でもやもやしたくなかったのだ。

 ラファエルは目を見開くと、ふふ、と笑った。

「もちろんだよ。愛してるブリジットのためだからね」
「うん……」

 頷くと、ラファエルがわたしの額にキスをして、ぎゅっと抱きしめてきた。
 腕の力が強くて、ちょっと苦しいくらいだった。

「そんなことを聞くなんて……いつの間にわたしのお姫様は、そんな物知りになったんだい?」
「え、あ……わ、わたしだって、もう成人してるわけで……」
「……そうだね」

 ラファエルの腕の力がより強くなった。
 息がしづらくなったけど、どうしてか縋られているように感じて、我慢する。

「でも…………もしかして、ブリジットはそういうことがしたいの?」
「え、あ……えっと……」

 色々と知ったけれど、結婚した時と同じで、わたし自身がしたいという強い想いもなかった。
 やっぱり怖い気持ちはあるし、ラファエルの厚意を無下にしたくはない。

「そういう、わけじゃ……」

 そう言うと、ラファエルはほっと息をついた。
 なんだか、結婚した夜もこんな会話をしたような気がする。

「ごめんね。また不安にさせちゃったんだね」

 ラファエルも同じようなことを思っていたようだ。

「あ、ち、違うの。ラファエルのせいじゃなくて……」
「ううん。わたしのせいだよ。ブリジットにわたしを信じさせることができなかった、わたしの責任だ」

 ラファエルは額同士をくっつけて、低い声で囁いた。

「ブリジット。色んな人の言葉や考え方があるかもしれないけれど、誰が何と言おうと、わたしは真摯に、これ以上ないくらいに君を愛しているよ。だから、他の有象無象のことは気にしなくて良いんだ」

 強い言葉に驚いたけれど、だからこそ、ラファエルの気持ちが伝わってきた気がした。

「うん…………」





 だからわたしは、これがラファエルの愛し方なんだと信じようとした。

 やっぱりひとりでもやもやと考えて不安になることもあったけれど、ラファエルを困らせたくなかったから、彼の言葉を思い出して、信じようとしていた。
 世の中の普通とか、他の夫婦の関係とかではなく、やっぱり、目の前の好きな人を信じるべきだと思っていたから。

 どこか違和感を感じながらも、夫を信じようとして――その結果が、これだった。



「俺も好きだよ、カロリーヌ」

 頭の中で、ラファエルの言葉が繰り返される。

 わたしを抱かない代わりに、他の女性を抱いていた?
 それとも、もともとわたしを愛していなくて、抱けないから嘘をついていた?

 疑問が浮かんで、それは解決されないままわたしの中を満たしていく。
 でも確かなことは、ラファエルもカロリーヌ様も、わたしを裏切っていたということだ。

 目の前のベッドの上でカロリーヌ様に覆い被さっていた夫は、わたしを見つめて、顔を蒼白にさせていた。
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