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かつての幸せな日々

4.社交界デビュー

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 わたしの社交界デビューのパートナーは、もちろんラファエルだった。

 十六歳になって、王都で行われた舞踏会に出席した。
 今年十六歳を迎える貴族の子女が主役のものだ。
 もちろん他の人々も出席しているけれど、わたしたち新成人のお披露目がメインになる。
 お見合いの場にもなるけれど、わたしのような既に婚約者がいる人には、そういった駆け引きは関係なかった。

 初めての社交の場に緊張したけれど、この日のために用意したドレスやアクセサリーで着飾ると気分が上がったし、ついにラファエルと公の場に出られる時を迎えた興奮もあった。

 しかも今日のネックレスは、ラファエルが成人のお祝いに贈ってくれたものだ。
 さらに会場に向かっている途中、彼のきっちりと釦の閉められたシャツの下には、わたしのものよりシンプルながら似たデザインーーつまりおそろいのものを着けていると明かされて、身体が羽の生えたように軽い。

 ダンスも普段の練習より上手に踊れたし、まったく疲れを感じなかった。
 挨拶周りをしているときも、どこかふわふわと夢見心地で、知らない人ばかりだったけど笑顔で対応できたと思う。


 そんな中、カロリーヌ様と知り合ったのだ。

「やあ、ラファエル」
「これはこれは、オベール伯」

 話しかけてきたのは、おそらく三十代――ラファエルより一回り年上そうな紳士だった。
 そのとなりには真っ赤な髪の美しい女性がいて、思わず目を奪われる。

「彼女はブリジット。シュヴァリエ伯爵家の一人娘で、わたしの婚約者です」
「初めまして、お嬢さん。ラファエルが首っ丈と噂の婚約者殿とお会いできて、嬉しいよ」
「あ、ありがとうございます。わたくしも、伯爵とお会いできて嬉しいです」

 挨拶をしながらも、嬉しい話を聞けてぽっと頬が赤くなる。

「ブリジット、彼はオベール伯爵。そしてその隣が、オベール夫人だ」
「初めまして、カロリーヌと申します。あなたとお会いできる日を楽しみにしておりましたわ」
「あ、ありがとうございます、夫人」

 この場には様々な美しい女性がいたけれど、彼女は一際綺麗で、色気があった。
 真っ赤なリップが似合っていて、わたしが想像する大人の女性そのものだ。

「妻はバラチエ子爵の娘でね。昔からラファエルと交流があったようで、今日君に会えるのをとても楽しみにしていたんだ」
「ま、まあ。ありがとうございます」

 バラチエ子爵領は、ラファエルの父親が治めるエルランジェ伯爵領の隣だ。
 こんな綺麗な人がラファエルと知り合いで、きっとわたしよりも昔から交流があったと思うと、胸が痛んだ。
 けれどラファエルはわたしの婚約者だし、彼女だって旦那様がいるしと、気持ちを切り替えようとする。

「昔から、婚約者は天使のように愛らしいって自慢されていたの。あまりにもうるさいから、正直、惚れた欲目じゃないかって思っていたのだけれど……ほんとうに、とっても愛らしいレディね」
「あ、ありがとうございます」

 顔が燃えるように熱くなる。
 ラファエルを見ると、照れたように笑いかけてくれた。
 また身体がふわふわして、このまま宙に浮いてしまいそうだ。

 それからカロリーヌ様は舞踏会で見かけるとお話してくれたり、お茶会の招待状をくれて、わたしの交友関係を広げる機会をくださるようになった。
 けれどこの日は、これだけだった。



「疲れただろう。飲み物を取って来るよ」
「あ、ありがとう」

 オベール伯爵夫妻と別れて、ラファエルはわたしを会場の端に案内してくれると、飲み物を取りに行った。

 ひとりで待っていると女の子たちのクスクスとした笑い声が聞こえて、自然と目が向いた。
 わたしより少し年上そうな女の人がふたり、こちらを見ながら笑っている。
 話しの内容は聞こえないから何とも言えないけれど、嫌な感じだった。

 あたりを見回して、ラファエルを探す。
 けれど彼は見える範囲にいなくて、俯いた。
 はやく帰って来てほしい。

 そばに人の気配がしたから顔を上げる。
 そこにいたのは、さっきわたしを見て笑っていたうちのひとりだった。

「ねえあなた、どちらのお嬢さん?」
「え? あの、わたし……シュヴァリエ伯爵の娘で……」
「まあ! じゃあ、あなたがブリジット?」
「え、ええ……」

 なんだか嫌な感じだったけれど、無視するのも失礼なので応対する。
 すると彼女は、ぷっと噴き出すように笑った。

「それはそれは、失礼しました。どこかの子供が迷い込んだのかと思って」
「え……」
「まさかあのシュヴァリエ伯爵令嬢が、こんな幼い子だとは思わず……」

 こんなにはっきりと悪意を向けられたのは初めてで、わたしはどうしたら良いのか分からなかった。
 怖くて、逃げたくて、でも足が動かない。

「失礼。わたしの婚約者に何か?」

 震えているとラファエルの声が聞こえた。
 顔を上げると、グラスを持ってすぐ傍に立っている。

「あっ……ラ、ラファエル様!」

 いじわるなことを言った女の人は一瞬焦ったような顔をしたけれど、ラファエルが笑顔なのを見て、ほっとしたように声を上げた。

 始めはラファエルが来て安心したけれど、今は、彼女とは逆に不安になる。
 彼女がわたしに何を言ったのかは聞いてなさそうだし、彼女の様子だと知り合いのようだから、このまま歓談が始まってしまうかもしれない。

 嫌だ。早く彼女から離れたい。
 縋るようにラファエルを見上げていると、彼は笑顔のまま、わたしが聞いたことのない低い声を出した。

「アデール嬢。わたしの婚約者に、何か?」
「い、いえ。お話に聞いていたブリジット嬢を見かけたから、つい嬉しくなってお話を……」

 嘘よ、と声を上げる勇気もなくて、わたしは拳をぎゅっと握り締めた。

「そうですか。嘘は感心しませんね。お話の内容は聞こえてきませんでしたが、あなたたちの様子は楽しくお話しているようではなかったですから」
「そ、それは、たまたまそう見えてしまっただけですわ。わたくし、これで……」

 踵を返そうとした彼女の肩を、ラファエルの手が掴んだ。

「次はないですよ。身の程を弁えることですね」
「……っ」

 彼女の方を向いていてその表情は見えなかったけれど、声色や雰囲気から、ラファエルが怒っているのが十分に伝わって来た。
 それを直接向けられたわけではないわたしが震えるくらいだったので、彼女も動けないようだった。

「さ、ブリジット。あちらで休憩をしよう」
「は、はい……」

 ラファエルが振り返って手を差し出した。
 その表情はいつもの優しいものだったので、わたしはほっと息をついて、その手を取った。

 バルコニーに出て、グラスを渡される。

「ごめんねブリジット。君をひとりにするべきではなかった」
「う、ううん。いいの。……あの人は、だれ?」
「……君は知らなくて良いよ。前に一曲ダンスの相手をしてから、何か勘違いしているようでね」

 ズキ、と胸が痛んだ。
 彼女個人に嫉妬して、というわけではない。
 ただやっぱり、わたしがいない間に、彼は様々な女性と関わっていたことを実感しただけだ。

「たまにいるんだ、そういうひとが。何かあったらすぐわたしに教えて欲しいし……ブリジットには難しいかもしれないけれど、気にしなくて良い。わたしの愛する人は、君だけだから」
「うん……」

 けれどラファエルはそう言って手の甲にキスをしてくれたから、肩の力が抜けた。
 楽しいことももちろんあったけれど、この一件がわたしにとって衝撃的すぎて、今でも舞踏会が苦手だった。
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