癒しの村

Yuri1980

文字の大きさ
上 下
6 / 34

5.境界性人格性障害

しおりを挟む
 私とアキヲの夕食が終わるのを見計らったように、ナミはやって来て、客室に案内をしてくれる。

 ナミは一日の疲れがでているのか、あくびをあふあふとよくした。それでも、和室に二組の布団を敷いてくれる。

「お風呂は、炊事場の隣にあるよ。湯を沸かす薪がもったいないから、このあとすぐに入ってね」

 そう言って、素っ気なく部屋を出て行ってしまった。

 私とアキヲは、部屋に二人っきりになる。

一つの部屋に寝るのだと思うと、急に緊張してくる。

「風呂入ってくれば?俺は、後でいいかな」

 アキヲも少しは緊張しているのか、口調は重かった。

 背負ってきたリュックには、一応着替え一式や歯磨き、タオルなどは入れてきていた。

 私は無言で頷き、部屋を出る。

 炊事場は、もときた通路を戻っていけば良かった。

 家は広そうに見えるが、段々と位置がわかってくる。

 炊事場が離れにあり、母屋は和室四部屋と囲炉裏の部屋、その奥に作業部屋と玄関がある。

 月光だけが、通路を照らしていた。

 歩くたびにギィギィと鳴る板は冷たい。

 ナミが言ったように、炊事場の隣に一つ戸があり、浴室と推測できた。

 戸を開けると、細い通路が庭へとつながっていた。

 板の壁が庭から隠すように仕切りになり、土が盛り上がった場所に土管が置かれ、薪が焼かれていた。

 夜空がよく見える。風呂場もまた、星々の光と月光だけで、照らし出されていた。

 私は流し場で服を脱ぎ、土管をまたいで湯に入った。

 薪で焚かれた湯は熱く、体が芯から温まってくる。鈍い光、輝く光、青白い光、見上げた星々も様々であった。
 
 ここまで来るのに、夢中だった。

 親の言うままに有名大学に入学した。

 大学に入ってからは、この先に自分が何をしたいのかがわからなくなった。何をするにも憂鬱で、気力がなかった。

 自分の意志が感じられなかった。

 そんな私を、周りの人は、みんな笑っているように感じられた。大学のみんなも、近所のみんなも、意志のない私を笑う、敵であった。
 
 家族は、妹二人に両親で五人家族だが、みんな私を馬鹿にしているように感じられた。

 なぜだろう、人が信じられない。口では良いこと言うが、裏は何を思っているのかわからない。信用も信頼もできなかった。

 だから、夜は酒を飲んだ。飲んでも飲んでも、眠くならなくて、飲めるだけ飲んだ。

 酔っ払い、記憶をなくしたり、知らない男が部屋にいたことなど、しょっちゅうだった。

 それでも、飲まなければ、私を陥れようと狙っている影から、逃れることができなかった。
 
 ある日、周りではなく、自分がおかしいのだとわかった。

きっかけは、そのときに付き合っていた彼氏だった。

 ある日をきっかけに、彼氏と連絡がとりにくくなり、私は彼氏が浮気をしているのだと思った。

 私は、彼氏から先に別れを切り出される前に、新しい男を作った。

 クリスマスの日、高いブランドの指輪と花束を持って、彼氏は私の家に来た。

 指輪を買う為に、今までバイトをしていたのだと言う。

 私は、信じられなかった自分を愚かに感じた。

 そして、たぶん、わかったいても、私は同じことをしただろうと思った。

 信じられないのだ、人を。私は、人が敵だと、植え付けられている。

 なぜだろう、私には意志がない。幼きときから、親に従ってきた私には、自分というものがないと気づいたのも、この時だった。

 彼氏は私を許そうとしたが、私は、私が許せなかった。私には、愛がなかった。そのときあったのは、ちっぽけなプライドだけであった。

 私は、大学には行かずに、自分が、なぜ人を敵だと思うのか、人を信じられないのか、徹底的に精神科の本を読み、調べた。

 その結果、自分が境界性人格性障害ではないか、とわかってきた。

 酒やセックスに依存してしまうのは、自分を信じられないから。

 自分が信じられないから、自分の意志もなかった。

 自分の意志がないから、酒やセックスなど、何か依存しやすいものに、依存しようとする。

 そして、なぜ自分が信じられないかというと、幼少期に親に否定的に育てられ、信頼関係を築けなかったからだと専門書には書いてあった。

 治療するとするなら、一番はタイムマシーンに乗り、親の信頼関係を獲得しないといけないという。

 それは不可能なので、じっくりカウンセリングをしていくのが望ましいという。

 私は、治療という治療がないことを知り、絶望的になった。

 この先、どのように生きていけばいいのかわからなかった。

 無気力だった。浴びるほど酒を飲み、翌朝、知らない男とベッドにいるたび、死にたくて、たまらなくなった。

 自殺サイトをながめるようになったのは、大学四年生の春頃から、進路がいよいよわからなくなったときだった。
しおりを挟む

処理中です...