君のいない場所

ヤン

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第1章

第12話 優しさ

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 発表会から一週間が過ぎた。才は、ピアノはもちろん、ベースの練習も毎日していた。

 ベースを弾くと、三原の顔が浮かんできて、手が止まる。深呼吸をして、また弦をはじく。それの繰り返しだ。

 と、ドアをノックする音が聞こえた。楽器を置いて、ドアを開けると、ばあやが立っていた。ばあやは微笑みを浮かべ、

「坊っちゃま。三原さんからお電話です」
「ありがとう。今行く」

 リビングの家電話。才が受話器を上げるまで、三原が聞かされている音楽は、サティの『Jeジュ teトゥ veux』。何て皮肉なんだろう、と才は溜息を吐いた。

 受話器を耳に当てると、

「才です。こんにちは」
「ああ。何か、久し振りだな」
「まあ、そうだね」

 多くを語る気分ではなく、つい無愛想になる。

「あのさ、明後日なんだけど。スタジオが使えることになったんだ。昼の二時から。都合はどうだ?」

 ダメと言ったら、どうするつもりなんだろう、と思ったが、

「いいよ。行くよ。で、どこのスタジオだって?」

 三原は丁寧に教えてくれたが、

「ミハラくん、ごめん。自信ないから、待ち合わせして、一緒に行ってくれないかな?」

 何故そんなわがままを言ったのか、と自分を叱りたくなった。が、言ってしまった言葉は取り戻せない。

 三原は、「いいぜ」とすぐに言い、

「じゃあさ、駅前に、一時五十分」
「わかった。じゃあ、よろしくお願いします」
「おお」

 それで通話を切った。何とも言えない、もやもやとした感情が、才の心の中に渦巻いていた。

 当日。才はベースを肩に掛け、外に出た。ピアノは持ち運ぶことが出来ないので、この重さは新鮮だった。

 約束の時間より少し早く来たつもりだったが、三原はすでにそこに立っていた。才は急いで三原のそばまで駆けていくと、

「ごめん。待たせたみたいだね」
「いや。さっき来たばっかりさ。おまえを待たせちゃいけないと思って、何か気合い入っちゃってさ」
「ミハラくんって、優しいよね。だけど……」

 その優しさが、今は痛い。才の心を、却って傷つけるのだ。が、そんなことは言えない。

 才が言い淀むと、三原は才を覗き込むようにして、

「サイ。具合悪いのか? 何か、顔色良くないし」
「いや。何ともないよ」
「そうか? 暑いから、脱水になってないか?」

 才が首を振ると、三原は才の額に手を当てた。触れられて、心臓が速く打ち始める。そんな自分に、呆れるばかりだ。

「本当に大丈夫だから、手、のけてよ」

 才の言葉を聞いているのかいないのか、三原はじっと才を見るだけで、額から手を離そうとしない。

「ミハラくん?」

 才が呼びかけると、三原は自嘲するように笑って、

「オレ、何か変だよな。わかってる」
「え?」

 三原は才から手を離すと、前方のビルを指差し、

「ほら、あそこだ。この前の楽器屋の人が紹介してくれてさ。あの人、近所に住んでて、小さい頃可愛がってもらったんだ。で、今もこうして世話になってる。もう少しだから、頑張れ」

 すっかり病人扱いだ。が、才は、ただ頷いて三原の腕につかまった。三原は、驚いたように才を見てきた。才は俯きながら、

「ごめん。やっぱりちょっと、ふらつくかな」

 そんな言い訳をしてみる。三原は、「そうか」と言って、才から目をそらした。

 建物の前に来ると、「ここの地下」と言って、階段を下り始めた。才も、それに従った。下りきった正面に、自動販売機があった。三原が才を見ながら、

「買ってやる。水分取らないと、本当に倒れるぞ」

 才の返事も待たず、ズボンのポケットから財布を取り出すと、小銭を入れた。投入された音がして、ランプがつく。才は、一通り見てから、カルピスウォーターを選んだ。取り出し口から取り出すと、隣に立つ三原がにやっとして、

「やっぱりそれか。だと思ったんだ」
「だって、好きだから」

 自分で「好きだから」と口にして、落ち着かなくなる。そして、そんな自分が嫌になる。溜息を吐きかけて、飲み込んだ。

「じゃあさ、とりあえず中に入ろうぜ」

 言って、三原がドアを開けた。ギターとドラムの音が聞こえてきた。


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