32 / 37
第三章
第十話 水浸し
しおりを挟む
翌日ワタルは、ファルファッラでピアノを弾きながらも、いつその時が来るのかと、気が気ではなかった。彼らが来た時、仕事がまともに出来るのだろうか、と不安を感じていた。
二人が来たのは八時頃で、ゲストがやや少ない時だった。席に着くと二人でメニューを見て、何か注文した。和寿は由紀に何か話している。神妙な顔をしていた。
料理が運ばれてきてすぐ、由紀が立ち上がり、コップの水を和寿の顔に掛けた。そして、何か彼に向かって言った後、そのまま振り返ることなく出て行った。
驚きのあまり、ワタルはピアノを弾くのをやめて、和寿へ向かって走り出した。
「和寿」
声を掛けて彼を見ると、笑っていた。それも、本当に楽しそうに。ワタルは目を見開き、
「え。笑うとこ?」
ワタルの言葉に、和寿は笑うのをやめたが、やはり笑顔のままで、
「良かった。掛けられたのが水で。コーヒーだったら、熱かっただろうなー」
ワタルは何も言えずに彼を見ていた。
「それか、このスープスパゲッティー、頭からかけられるとか」
「和寿」
ワタルが呼びかけると、彼は急に真顔になって、呟くように言った。
「後で、事の顛末、話してやるよ。楽しみにしてな。さ。おまえは仕事しないと」
そう言った後、和寿がワタルの後ろの方に目をやっているのに気が付いた。振り向くと、そこには店長が立っていた。店長は、いつもの優しい笑顔でワタルたちを見ていた。
和寿は立ち上がると、店長に頭を下げた。
「すみません。お騒がせするつもりはなかったんですけど。お詫びに何か一曲弾きます」
和寿の言葉に店長はニヤッと笑い、
「じゃあ、『タイス』」
「ですよね。弾きますけど、すみません。何か着替えをお借りしたいんですけど。このままだと、この子が濡れてしまうので」
この子とはもちろん、彼の大事なバイオリンのことだ。シャツがこれだけ濡れていれば、確かに楽器も濡れるだろう。ワタルは思案した後、
「店長。更衣室にスタッフ用の白いシャツ、ありますよね。着てもらっていいですか?」
「いいよ。だって、『タイス』を弾いてくれるんだから。楽器が濡れたら大変だしね」
「ありがとうございます。じゃあ、和寿。こっちに来て」
和寿の手をしっかりと握って、更衣室に向かった。更衣室に入ると、ワタルは棚から新品のシャツを取り出し、和寿に渡した。
「はい。これ着て。僕は後ろを向いています」
「何だよ。別に見てたってかまわないのに」
和寿は、ワタルの反応を面白がっているのか、小さく笑っている。ワタルは、顔を赤らめながら、
「だって……」
「そんなに可愛いと、ここで襲うぞ」
「え。嫌です。絶対ダメです。ここは僕の職場です」
必死で言い返すと、
「何だ。つまんないな。わかりましたよ。さっさと着替えて演奏します」
脱ぎ着している音を聞くだけで、心臓がバクバクしてしまう。少しして、「はい。終わりました」と声を掛けられて、ワタルは和寿の方に向いた。その白いシャツがあまりにも似合っていて、ワタルは、ますます顔を赤くしながら、彼を見つめてしまった。和寿は一歩前に出て、ワタルを抱きしめてきた。身動き出来ずにいると、和寿は笑顔になり、
「ワタルくん。可愛過ぎ」
口づけが降ってきた。つい、うっとりとしてしまう。が、すぐに正気に戻った。
「和寿。早く戻らなきゃ。こんなことしている場合じゃありません」
和寿は、わざとらしく大きな溜息を吐き、「わかったよ」と言うと、ワタルの髪を一撫でしてから、「行くぞ」と言い、歩き出した。ワタルは、「うん」と返事をして、彼の後を追った。
二人が来たのは八時頃で、ゲストがやや少ない時だった。席に着くと二人でメニューを見て、何か注文した。和寿は由紀に何か話している。神妙な顔をしていた。
料理が運ばれてきてすぐ、由紀が立ち上がり、コップの水を和寿の顔に掛けた。そして、何か彼に向かって言った後、そのまま振り返ることなく出て行った。
驚きのあまり、ワタルはピアノを弾くのをやめて、和寿へ向かって走り出した。
「和寿」
声を掛けて彼を見ると、笑っていた。それも、本当に楽しそうに。ワタルは目を見開き、
「え。笑うとこ?」
ワタルの言葉に、和寿は笑うのをやめたが、やはり笑顔のままで、
「良かった。掛けられたのが水で。コーヒーだったら、熱かっただろうなー」
ワタルは何も言えずに彼を見ていた。
「それか、このスープスパゲッティー、頭からかけられるとか」
「和寿」
ワタルが呼びかけると、彼は急に真顔になって、呟くように言った。
「後で、事の顛末、話してやるよ。楽しみにしてな。さ。おまえは仕事しないと」
そう言った後、和寿がワタルの後ろの方に目をやっているのに気が付いた。振り向くと、そこには店長が立っていた。店長は、いつもの優しい笑顔でワタルたちを見ていた。
和寿は立ち上がると、店長に頭を下げた。
「すみません。お騒がせするつもりはなかったんですけど。お詫びに何か一曲弾きます」
和寿の言葉に店長はニヤッと笑い、
「じゃあ、『タイス』」
「ですよね。弾きますけど、すみません。何か着替えをお借りしたいんですけど。このままだと、この子が濡れてしまうので」
この子とはもちろん、彼の大事なバイオリンのことだ。シャツがこれだけ濡れていれば、確かに楽器も濡れるだろう。ワタルは思案した後、
「店長。更衣室にスタッフ用の白いシャツ、ありますよね。着てもらっていいですか?」
「いいよ。だって、『タイス』を弾いてくれるんだから。楽器が濡れたら大変だしね」
「ありがとうございます。じゃあ、和寿。こっちに来て」
和寿の手をしっかりと握って、更衣室に向かった。更衣室に入ると、ワタルは棚から新品のシャツを取り出し、和寿に渡した。
「はい。これ着て。僕は後ろを向いています」
「何だよ。別に見てたってかまわないのに」
和寿は、ワタルの反応を面白がっているのか、小さく笑っている。ワタルは、顔を赤らめながら、
「だって……」
「そんなに可愛いと、ここで襲うぞ」
「え。嫌です。絶対ダメです。ここは僕の職場です」
必死で言い返すと、
「何だ。つまんないな。わかりましたよ。さっさと着替えて演奏します」
脱ぎ着している音を聞くだけで、心臓がバクバクしてしまう。少しして、「はい。終わりました」と声を掛けられて、ワタルは和寿の方に向いた。その白いシャツがあまりにも似合っていて、ワタルは、ますます顔を赤くしながら、彼を見つめてしまった。和寿は一歩前に出て、ワタルを抱きしめてきた。身動き出来ずにいると、和寿は笑顔になり、
「ワタルくん。可愛過ぎ」
口づけが降ってきた。つい、うっとりとしてしまう。が、すぐに正気に戻った。
「和寿。早く戻らなきゃ。こんなことしている場合じゃありません」
和寿は、わざとらしく大きな溜息を吐き、「わかったよ」と言うと、ワタルの髪を一撫でしてから、「行くぞ」と言い、歩き出した。ワタルは、「うん」と返事をして、彼の後を追った。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
ハルとアキ
花町 シュガー
BL
『嗚呼、秘密よ。どうかもう少しだけ一緒に居させて……』
双子の兄、ハルの婚約者がどんな奴かを探るため、ハルのふりをして学園に入学するアキ。
しかし、その婚約者はとんでもない奴だった!?
「あんたにならハルをまかせてもいいかなって、そう思えたんだ。
だから、さよならが来るその時までは……偽りでいい。
〝俺〟を愛してーー
どうか気づいて。お願い、気づかないで」
----------------------------------------
【目次】
・本編(アキ編)〈俺様 × 訳あり〉
・各キャラクターの今後について
・中編(イロハ編)〈包容力 × 元気〉
・リクエスト編
・番外編
・中編(ハル編)〈ヤンデレ × ツンデレ〉
・番外編
----------------------------------------
*表紙絵:たまみたま様(@l0x0lm69) *
※ 笑いあり友情あり甘々ありの、切なめです。
※心理描写を大切に書いてます。
※イラスト・コメントお気軽にどうぞ♪

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
某国の皇子、冒険者となる
くー
BL
俺が転生したのは、とある帝国という国の皇子だった。
転生してから10年、19歳になった俺は、兄の反対を無視して従者とともに城を抜け出すことにした。
俺の本当の望み、冒険者になる夢を叶えるために……
異世界転生主人公がみんなから愛され、冒険を繰り広げ、成長していく物語です。
主人公は魔法使いとして、仲間と力をあわせて魔物や敵と戦います。
※ BL要素は控えめです。
2020年1月30日(木)完結しました。
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
【完結】『ルカ』
瀬川香夜子
BL
―――目が覚めた時、自分の中は空っぽだった。
倒れていたところを一人の老人に拾われ、目覚めた時には記憶を無くしていた。
クロと名付けられ、親切な老人―ソニーの家に置いて貰うことに。しかし、記憶は一向に戻る気配を見せない。
そんなある日、クロを知る青年が現れ……?
貴族の青年×記憶喪失の青年です。
※自サイトでも掲載しています。
2021年6月28日 本編完結
後輩に嫌われたと思った先輩と その先輩から突然ブロックされた後輩との、その後の話し…
まゆゆ
BL
澄 真広 (スミ マヒロ) は、高校三年の卒業式の日から。
5年に渡って拗らせた恋を抱えていた。
相手は、後輩の久元 朱 (クモト シュウ) 5年前の卒業式の日、想いを告げるか迷いながら待って居たが、シュウは現れず。振られたと思い込む。
一方で、シュウは、澄が急に自分をブロックしてきた事にショックを受ける。
唯一自分を、励ましてくれた先輩からのブロックを時折思い出しては、辛くなっていた。
それは、澄も同じであの日、来てくれたら今とは違っていたはずで仮に振られたとしても、ここまで拗らせることもなかったと考えていた。
そんな5年後の今、シュウは住み込み先で失敗して追い出された途方に暮れていた。
そこへ社会人となっていた澄と再会する。
果たして5年越しの恋は、動き出すのか?
表紙のイラストは、Daysさんで作らせていただきました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる