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第二章
第八話 わかったよ
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それからしばらく、由紀が和寿を責め、和寿があやまる、が続いたが、ふいに由紀がその動きを止めてワタルの方を向くと、きつい目つきを向けてきた。ワタルはドキッとして、一歩後ろに下がってしまった。由紀は、口を開くと低い声で、
「あんたの演奏聞かせてよ。今日、この人と一緒にレストランに行くから」
「え。二人で、来るんですか。あ……ありがとうございます」
聞きに来るからにはゲストだ。お礼を言うのが筋だろうと思って口にしたが、由紀は呆れたように肩をすくめると、大きな溜息をついた。
「お礼なんか言っちゃって、あんた、馬鹿じゃない?」
由紀の冷たい言葉に、ワタルは何も言えず、固まってしまった。由紀は和寿に視線を戻すと、「今日、一緒に行くからね。いいよね」と、確認した。和寿は真剣な表情のまま頷き、「いいよ」と言った。
夕方になり、ファルファッラに行くと、店長が驚いたような表情でワタルを見た。
「あれ? 何かあった? 元気がないみたいだけど」
今日これから起こることを考えると憂鬱で、楽しそうには振る舞えない。が、それを説明するわけにはいかないので、「ちょっと疲れているので」とごまかした。店長は納得してくれたようで、
「あんまり無理しなくていいからね。適当でいいから」
「いえ。あの……頑張ります」
店長へ一礼すると、更衣室へ行き、着替えた。鏡で全身チェックをすると、ホールへ向かった。すれ違うスタッフへ挨拶をしながら、ピアノへたどり着く。ピアノの前に座ると、少し気分が落ち着いてきた。
開店から一時間程した頃、約束通り和寿と由紀が来店した。仕事だ、と心の中で何度も言ってみたが、やはり動揺し、指が転んでしまった。すぐに立て直したものの、ミスしたのがわかったのだろう。由紀がワタルの方を見てきた。そして、ふっと笑った。その顔は、ワタルを馬鹿にしているように見えた。冷水を浴びせかけられたような気持ちになった。
しばらくは調子が出なかったが、時間が経つにつれて普段の状態に戻って行った。弾きながら、和寿と由紀をそっと見ると、由紀が、食事の手を止めてこちらを見ているのに気が付いた。見ている、というより、ピアノの音に真剣に聞き入っている、という風だ。今、自分は、由紀にジャッジをされている、とワタルは理解した。
(気にしてもしょうがない)
ワタルは、そう自分に言い聞かせ、平常心を心掛けて最後まで弾き切った。
曲を終えてから彼女を見ると、すでにこちらは見ておらず、食事を再開していた。ワタルは溜息を吐いて、次の曲を弾き始めた。
休憩の時間になったので、彼らのそばを通って休憩室に行こうとした時、由紀がワタルの腕をつかんだ。びっくりして彼女を見ると、いきなり、「わかったよ」と言われた。ワタルは、由紀の言った意味が理解出来ず、「わかった?」と聞き返すと、由紀は頷き、
「そう。わかった。もういい。私、伴奏は降りるよ」
ワタルは何も言えずにその場に立ち尽くした。和寿が、「え」と言った後、「由紀。いいのか」と、興奮気味に訊いた。
「吉隅くんが上手いのはわかった。あんたはこの音がいいんでしょ。もう、いい。わかったから」
言うなり由紀は立ち上がり、「ごちそうさま」と和寿に言って店を出て行った。和寿は、傍らに立っているワタルを少し見上げると、「だ、そうだ」と言った。ワタルが何か言おうとした時、店長が、トレーにのせた賄いを持ってきてくれた。店長は笑顔でトレーの上の物を指差すと、
「準備出来たよ。奥で食べておいで」
ワタルは頷くと、渡された食事を手にして、休憩室に向かった。
「あんたの演奏聞かせてよ。今日、この人と一緒にレストランに行くから」
「え。二人で、来るんですか。あ……ありがとうございます」
聞きに来るからにはゲストだ。お礼を言うのが筋だろうと思って口にしたが、由紀は呆れたように肩をすくめると、大きな溜息をついた。
「お礼なんか言っちゃって、あんた、馬鹿じゃない?」
由紀の冷たい言葉に、ワタルは何も言えず、固まってしまった。由紀は和寿に視線を戻すと、「今日、一緒に行くからね。いいよね」と、確認した。和寿は真剣な表情のまま頷き、「いいよ」と言った。
夕方になり、ファルファッラに行くと、店長が驚いたような表情でワタルを見た。
「あれ? 何かあった? 元気がないみたいだけど」
今日これから起こることを考えると憂鬱で、楽しそうには振る舞えない。が、それを説明するわけにはいかないので、「ちょっと疲れているので」とごまかした。店長は納得してくれたようで、
「あんまり無理しなくていいからね。適当でいいから」
「いえ。あの……頑張ります」
店長へ一礼すると、更衣室へ行き、着替えた。鏡で全身チェックをすると、ホールへ向かった。すれ違うスタッフへ挨拶をしながら、ピアノへたどり着く。ピアノの前に座ると、少し気分が落ち着いてきた。
開店から一時間程した頃、約束通り和寿と由紀が来店した。仕事だ、と心の中で何度も言ってみたが、やはり動揺し、指が転んでしまった。すぐに立て直したものの、ミスしたのがわかったのだろう。由紀がワタルの方を見てきた。そして、ふっと笑った。その顔は、ワタルを馬鹿にしているように見えた。冷水を浴びせかけられたような気持ちになった。
しばらくは調子が出なかったが、時間が経つにつれて普段の状態に戻って行った。弾きながら、和寿と由紀をそっと見ると、由紀が、食事の手を止めてこちらを見ているのに気が付いた。見ている、というより、ピアノの音に真剣に聞き入っている、という風だ。今、自分は、由紀にジャッジをされている、とワタルは理解した。
(気にしてもしょうがない)
ワタルは、そう自分に言い聞かせ、平常心を心掛けて最後まで弾き切った。
曲を終えてから彼女を見ると、すでにこちらは見ておらず、食事を再開していた。ワタルは溜息を吐いて、次の曲を弾き始めた。
休憩の時間になったので、彼らのそばを通って休憩室に行こうとした時、由紀がワタルの腕をつかんだ。びっくりして彼女を見ると、いきなり、「わかったよ」と言われた。ワタルは、由紀の言った意味が理解出来ず、「わかった?」と聞き返すと、由紀は頷き、
「そう。わかった。もういい。私、伴奏は降りるよ」
ワタルは何も言えずにその場に立ち尽くした。和寿が、「え」と言った後、「由紀。いいのか」と、興奮気味に訊いた。
「吉隅くんが上手いのはわかった。あんたはこの音がいいんでしょ。もう、いい。わかったから」
言うなり由紀は立ち上がり、「ごちそうさま」と和寿に言って店を出て行った。和寿は、傍らに立っているワタルを少し見上げると、「だ、そうだ」と言った。ワタルが何か言おうとした時、店長が、トレーにのせた賄いを持ってきてくれた。店長は笑顔でトレーの上の物を指差すと、
「準備出来たよ。奥で食べておいで」
ワタルは頷くと、渡された食事を手にして、休憩室に向かった。
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