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第三章 別れ
第10話 遠藤さん
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大矢さんとの食事を終えて事務所に戻ると、大矢さんの周りに人だかりが出来てしまった。大矢さんは、本当にみんなに好かれているんだな、と感心したが、ちょっと複雑な気持ちになった。独占欲、だろうか?
僕は大矢さんの腕を引くと、
「大矢さん。僕、津久見さんに電話してみます。声が出るようになりましたよ、って」
そう言って、その場を離れた。廊下の隅へ移動して、津久見さんに電話した。呼び出し音は鳴っていたが、結局出ることはなかった。留守番電話機能は使っていないようだ。仕方なく、そのまま通話を切った。
そばに人が来た気配を感じてその方を向くと、大矢さんが立っていた。さっきまで大矢さんがいた辺りを見ると、そこに留まっている人はいなかった。自分の持ち場に戻ったのだろう。
「大矢さん。津久見さん、出ませんでした」
僕が報告すると、大矢さんは「そうか」と言い、
「アスピリン、今忙しいんじゃないのか? アルバム出して、もうすぐツアーに出るだろ、確か」
そういえばそうだった。津久見さんに会った直後の発売だったから、胸を弾ませながら大矢さんとともにCDを買いに行ったじゃないか。そのことを思い出して、ハッとした。
「津久見さん……忙しいのに……それなのに、僕の為に曲を書いてくれたんですね?」
「そういうことだろうな」
大矢さんが僕の頭を軽く撫でた。そして、「良かったな」と囁き声で言った。僕は頷き、
「作詞、もう少し頑張らないといけないんですけど、社長室に行ってもいいですか?」
「行こう」
もう、すっかり体調は良さそうだ。僕は、先に歩き出した大矢さんの背中を見ながら、ゆっくりとついて行った。
作詞は終わり、津久見さんからのダメ出しもなく、アルバムの制作は順調に進んで行った。レコーディング中に顔を見せてくれた津久見さんは、「さすが聖矢くんだね」と褒めてくれたが、僕はいつもの笑顔を見せるばかりだ。小さい時から、褒められるという経験がなかったせいか、自己肯定感は相変わらずかなり低い。
マネージャーが不在なので、活動を再開してからは大矢さんがずっとそばにいてくれる。が、今日でそれは終わりらしい。
「聖矢。この前言った通り、今日から新しいマネージャーが付くから」
大矢さんの後ろに立つ人。大矢さんより少し背が低いが、ほっそりとしていて優しそうな感じの人に見えた。その人は一歩前に出ると、僕に向かって深々と頭を下げて、
「遠藤高士です。頑張りますので、よろしくお願いします」
年下の僕に、丁寧に挨拶してくれる。僕も、遠藤さんと同じくらいしっかりと頭を下げると、
「星野聖矢です。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
僕が右手を遠藤さんの方に差し出すと、一瞬戸惑ったような顔になったが、すぐに僕の手を握った。僕は大矢さんを見上げ、
「頑張りますね」
すっかり慣れた、感じのいい笑顔で言った。大矢さんは、何だか複雑な顔をして、「ああ」とだけ言った。
声が出るようになって、しばらくしてから、僕は一人暮らしに戻った。事件が起きたあの場所には戻りたくなくて、大矢さんに新しい部屋を探してもらった。あまり広くはないが、何となくほっと出来る空間だ。
三月も半ばを過ぎた頃、大矢さんと会うことになった。忙しかったから、会うのは久し振りだ。朝から何となく落ち着かなかった。
夜になって、大矢さんが来た。僕は、玄関のドアを閉めると、いきなり大矢さんに抱きついた。
「会いたかったです」
「オレも会いたかったよ」
言葉を交わし合った後、唇を重ねた。しばらくそうしてから、リビングへ移動した。ソファに座ってもらうと、大矢さんは急に真顔になった。何か良くない知らせでもあるのだろうか。そんな風に思ってしまうような表情をしていた。
「大矢さん。何かありましたか?」
つい声を掛けた。大矢さんは頷き、
「でも、悪いことじゃないから、安心しなさい」
僕は大矢さんを見つめながら、次の言葉を待った。大矢さんは、愁いを秘めた顔のまま、
「一昨日、谷のお母さんから電話をもらった。ようやく、だよ」
「ようやく?」
それはどういう意味だろう? と、考えていたら急に、お茶も出していないことに気が付いて、
「あ。お茶を……」
僕が言いかけると、大矢さんは首を振り、
「いいから。聞いてくれ」
「わかりました」
溜息を吐き出した大矢さんが、さっきの続きを話し始めた。
僕は大矢さんの腕を引くと、
「大矢さん。僕、津久見さんに電話してみます。声が出るようになりましたよ、って」
そう言って、その場を離れた。廊下の隅へ移動して、津久見さんに電話した。呼び出し音は鳴っていたが、結局出ることはなかった。留守番電話機能は使っていないようだ。仕方なく、そのまま通話を切った。
そばに人が来た気配を感じてその方を向くと、大矢さんが立っていた。さっきまで大矢さんがいた辺りを見ると、そこに留まっている人はいなかった。自分の持ち場に戻ったのだろう。
「大矢さん。津久見さん、出ませんでした」
僕が報告すると、大矢さんは「そうか」と言い、
「アスピリン、今忙しいんじゃないのか? アルバム出して、もうすぐツアーに出るだろ、確か」
そういえばそうだった。津久見さんに会った直後の発売だったから、胸を弾ませながら大矢さんとともにCDを買いに行ったじゃないか。そのことを思い出して、ハッとした。
「津久見さん……忙しいのに……それなのに、僕の為に曲を書いてくれたんですね?」
「そういうことだろうな」
大矢さんが僕の頭を軽く撫でた。そして、「良かったな」と囁き声で言った。僕は頷き、
「作詞、もう少し頑張らないといけないんですけど、社長室に行ってもいいですか?」
「行こう」
もう、すっかり体調は良さそうだ。僕は、先に歩き出した大矢さんの背中を見ながら、ゆっくりとついて行った。
作詞は終わり、津久見さんからのダメ出しもなく、アルバムの制作は順調に進んで行った。レコーディング中に顔を見せてくれた津久見さんは、「さすが聖矢くんだね」と褒めてくれたが、僕はいつもの笑顔を見せるばかりだ。小さい時から、褒められるという経験がなかったせいか、自己肯定感は相変わらずかなり低い。
マネージャーが不在なので、活動を再開してからは大矢さんがずっとそばにいてくれる。が、今日でそれは終わりらしい。
「聖矢。この前言った通り、今日から新しいマネージャーが付くから」
大矢さんの後ろに立つ人。大矢さんより少し背が低いが、ほっそりとしていて優しそうな感じの人に見えた。その人は一歩前に出ると、僕に向かって深々と頭を下げて、
「遠藤高士です。頑張りますので、よろしくお願いします」
年下の僕に、丁寧に挨拶してくれる。僕も、遠藤さんと同じくらいしっかりと頭を下げると、
「星野聖矢です。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
僕が右手を遠藤さんの方に差し出すと、一瞬戸惑ったような顔になったが、すぐに僕の手を握った。僕は大矢さんを見上げ、
「頑張りますね」
すっかり慣れた、感じのいい笑顔で言った。大矢さんは、何だか複雑な顔をして、「ああ」とだけ言った。
声が出るようになって、しばらくしてから、僕は一人暮らしに戻った。事件が起きたあの場所には戻りたくなくて、大矢さんに新しい部屋を探してもらった。あまり広くはないが、何となくほっと出来る空間だ。
三月も半ばを過ぎた頃、大矢さんと会うことになった。忙しかったから、会うのは久し振りだ。朝から何となく落ち着かなかった。
夜になって、大矢さんが来た。僕は、玄関のドアを閉めると、いきなり大矢さんに抱きついた。
「会いたかったです」
「オレも会いたかったよ」
言葉を交わし合った後、唇を重ねた。しばらくそうしてから、リビングへ移動した。ソファに座ってもらうと、大矢さんは急に真顔になった。何か良くない知らせでもあるのだろうか。そんな風に思ってしまうような表情をしていた。
「大矢さん。何かありましたか?」
つい声を掛けた。大矢さんは頷き、
「でも、悪いことじゃないから、安心しなさい」
僕は大矢さんを見つめながら、次の言葉を待った。大矢さんは、愁いを秘めた顔のまま、
「一昨日、谷のお母さんから電話をもらった。ようやく、だよ」
「ようやく?」
それはどういう意味だろう? と、考えていたら急に、お茶も出していないことに気が付いて、
「あ。お茶を……」
僕が言いかけると、大矢さんは首を振り、
「いいから。聞いてくれ」
「わかりました」
溜息を吐き出した大矢さんが、さっきの続きを話し始めた。
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