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第一章 出会い
第6話 傷
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ボディーソープが流れ落ちた自分の体を見る。あちこちに痣や小さな傷があって、忘れてしまいたいことを思い出させた。
両腕には、僕を動けなくする為に力を込めて押さえつけて来た時の痕が、しっかりと付いている。元々そういう奴だとは思っていたが、優しさの欠片もない行為の連続だった。ただ、痛くて苦しかった。
新たな涙が浮かんできたが、手の甲で拭った。バスルームを出て新しい服を着ると、僕はリビングルームへ向かった。
大矢さんは、僕に気が付くと笑顔になり、ソファを勧めてくれた。僕は、言われるままに、そこに座った。座り心地がとてもいいソファだった。
僕が座ると大矢さんは、「何か飲むか?」と訊いてくれた。
「ここにあるのは……コーヒー、紅茶、牛乳、ココア、緑茶……」
「……緑茶をお願いします」
少しためらった後、そう言った。大きな声を出したつもりだったが、やっぱり小さな声しか出ない。それが僕だから仕方ないんだ、と思っている。
僕が緑茶を希望すると、大矢さんは少し驚いたような顔で、「やっぱり」と言った。大矢さんの言葉に僕は首を傾げて、「やっぱり?」と言った。それは、一体どういう意味なのだろうか。
大矢さんは、僕の問いに答えるでもなく首を振ると、「じゃあ、緑茶、いれてくる」と言って、キッチンへ行ってしまった。
一人になると、僕はぼんやりとして、何か暗い考えに包まれてしまった。
ああ。消えてしまいたい。
そんなことを思っていると、物音がして、大矢さんがそばに来たのがわかった。
大矢さんは僕に、「お茶、どうぞ」と言って、ソファの前に置かれたローテーブルに湯飲みを置いた。僕は大矢さんに小さく頭を下げてから、湯飲みを手にして、すぐに飲み始めた。
大矢さんは、僕のそばの床に直接座ると、僕がお茶を飲んでいる様子を見ていた。と、思ったら、大矢さんがある場所を凝視しているのに気が付いた。最初は右腕。次に左腕。大矢さんの表情は、どんどん硬くなっていった。僕は思わず、「あ……」と声を漏らした。
見つけられてしまうような格好を平気でしてしまった自分の馬鹿さに絶望した。そして、大矢さんのその表情を見ながら、僕の両手は小刻みに震えだし、湯飲みを落としてしまった。
湯飲みが大矢さんの方に飛んで行ったが、大矢さんはすぐに飛びのき、火傷を免れたようだった。大矢さんは、湯飲みを拾い上げると、「大丈夫だから」と僕に言って、キッチンへ向かった。
雑巾を手にして大矢さんは戻ってきて、黙って床を拭いてくれる。僕は、自分でしてしまったことなのに、何も出来ず、ただ自分の腕を交互に見るばかりだった。自分が情けなくて、泣きそうになっていた。
雑巾を片付けてきた大矢さんが、僕のそばに立った。僕は大矢さんを見上げて、「あの、これは……」と説明しようとしたが、言葉が出て来ない。思わず唇を噛んだ僕に、大矢さんは笑顔を見せ、
「いや。いい」
優しい響きの声だった。我慢していた涙が、こぼれ落ちて行った。後から後から溢れてくる。人前で泣くなんていけないことだとわかっている。それでも、今はどうしようもなかった。
いつも、ただ涙を流す。声は出したらいけない。泣いていることを知られてはいけない。余計にあの人を怒らせてしまうから。あの人……義理の母は、僕を大嫌いだから。
義理の母のことまで思い出しながら泣いていると、ふいに大矢さんが僕のことを強く抱き締めて来た。
「やだ」
離して、と言いたいのに、言葉は相変わらず上手く出て来ない。大矢さんは、僕が逃れようとすると、余計にその腕に力を込めて来た。抵抗する僕に、大矢さんが静かに言った。
「泣きたい時は泣けばいい。落ち着くまで、こうしているから」
今まで聞いたこともないような言葉。誰もそんなことは、言ってくれなかった。
「大矢さん……」
僕は動きを止めて、大矢さんの腕の中で泣き続けた。大矢さんは、何度も何度も、「大丈夫だ」と言ってくれる。
大矢さんに抱き締められながら、僕は、こんなに温かい場所は初めてだ、と思っていた。
両腕には、僕を動けなくする為に力を込めて押さえつけて来た時の痕が、しっかりと付いている。元々そういう奴だとは思っていたが、優しさの欠片もない行為の連続だった。ただ、痛くて苦しかった。
新たな涙が浮かんできたが、手の甲で拭った。バスルームを出て新しい服を着ると、僕はリビングルームへ向かった。
大矢さんは、僕に気が付くと笑顔になり、ソファを勧めてくれた。僕は、言われるままに、そこに座った。座り心地がとてもいいソファだった。
僕が座ると大矢さんは、「何か飲むか?」と訊いてくれた。
「ここにあるのは……コーヒー、紅茶、牛乳、ココア、緑茶……」
「……緑茶をお願いします」
少しためらった後、そう言った。大きな声を出したつもりだったが、やっぱり小さな声しか出ない。それが僕だから仕方ないんだ、と思っている。
僕が緑茶を希望すると、大矢さんは少し驚いたような顔で、「やっぱり」と言った。大矢さんの言葉に僕は首を傾げて、「やっぱり?」と言った。それは、一体どういう意味なのだろうか。
大矢さんは、僕の問いに答えるでもなく首を振ると、「じゃあ、緑茶、いれてくる」と言って、キッチンへ行ってしまった。
一人になると、僕はぼんやりとして、何か暗い考えに包まれてしまった。
ああ。消えてしまいたい。
そんなことを思っていると、物音がして、大矢さんがそばに来たのがわかった。
大矢さんは僕に、「お茶、どうぞ」と言って、ソファの前に置かれたローテーブルに湯飲みを置いた。僕は大矢さんに小さく頭を下げてから、湯飲みを手にして、すぐに飲み始めた。
大矢さんは、僕のそばの床に直接座ると、僕がお茶を飲んでいる様子を見ていた。と、思ったら、大矢さんがある場所を凝視しているのに気が付いた。最初は右腕。次に左腕。大矢さんの表情は、どんどん硬くなっていった。僕は思わず、「あ……」と声を漏らした。
見つけられてしまうような格好を平気でしてしまった自分の馬鹿さに絶望した。そして、大矢さんのその表情を見ながら、僕の両手は小刻みに震えだし、湯飲みを落としてしまった。
湯飲みが大矢さんの方に飛んで行ったが、大矢さんはすぐに飛びのき、火傷を免れたようだった。大矢さんは、湯飲みを拾い上げると、「大丈夫だから」と僕に言って、キッチンへ向かった。
雑巾を手にして大矢さんは戻ってきて、黙って床を拭いてくれる。僕は、自分でしてしまったことなのに、何も出来ず、ただ自分の腕を交互に見るばかりだった。自分が情けなくて、泣きそうになっていた。
雑巾を片付けてきた大矢さんが、僕のそばに立った。僕は大矢さんを見上げて、「あの、これは……」と説明しようとしたが、言葉が出て来ない。思わず唇を噛んだ僕に、大矢さんは笑顔を見せ、
「いや。いい」
優しい響きの声だった。我慢していた涙が、こぼれ落ちて行った。後から後から溢れてくる。人前で泣くなんていけないことだとわかっている。それでも、今はどうしようもなかった。
いつも、ただ涙を流す。声は出したらいけない。泣いていることを知られてはいけない。余計にあの人を怒らせてしまうから。あの人……義理の母は、僕を大嫌いだから。
義理の母のことまで思い出しながら泣いていると、ふいに大矢さんが僕のことを強く抱き締めて来た。
「やだ」
離して、と言いたいのに、言葉は相変わらず上手く出て来ない。大矢さんは、僕が逃れようとすると、余計にその腕に力を込めて来た。抵抗する僕に、大矢さんが静かに言った。
「泣きたい時は泣けばいい。落ち着くまで、こうしているから」
今まで聞いたこともないような言葉。誰もそんなことは、言ってくれなかった。
「大矢さん……」
僕は動きを止めて、大矢さんの腕の中で泣き続けた。大矢さんは、何度も何度も、「大丈夫だ」と言ってくれる。
大矢さんに抱き締められながら、僕は、こんなに温かい場所は初めてだ、と思っていた。
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