16 / 19
第十六話 迷い
しおりを挟む
火曜日当日。朝食の為に一階に下りて行くと、祖母の方から、「おはよう」と言ってくれた。沙羅も「おはよう」と言うと、椅子に座った。祖母も、ゆっくりと椅子に座ると、
「とうとう、その日になったわね」
「おばあちゃん。本当にいいの?」
祖母は軽く手を合わせてから、箸を手にした。そして、
「いいのよ。誰かに聞いてほしかったから、あの時沙羅ちゃんに話したんだと思うから。誰にも話してはいけないことって、話したくなるものよ」
祖母は、小さく笑って、味噌汁を飲んだ。「いいお味」と自分を褒めるのも忘れない。沙羅は、祖母を、可愛い人だ、と思った。沙羅がじっと見ているのを感じたのか、祖母はお椀をテーブルに戻すと、
「あら。沙羅ちゃんも食べてちょうだい。冷めない内にどうぞ」
「はい。いただきます」
「どうぞ」
祖母と同じように、手を合わせてから食べ始めた。
「そういえば、世羅は?」
「今日は、早く学校に行くって、急いで出て行ったわよ。朝ごはんも食べずに」
「そうなんだ」
そして、父はいつもの通りいない。この家に存在していないかのようだが、帰ってきてまた早くに出て行ったのは間違いなさそうだ。父の私物の配置が、昨日の夜と若干違う。
「あのバラ園に行くのは、随分久し振りだわ。沙羅ちゃんが四歳の頃に行ったから、もう十八年経つのね」
「あれって、四歳の頃だったんだ。そんなに昔なら、覚えてなくてもおかしくないね」
「そう。おかしくないわよ」
「今度は、ちゃんと覚えておくね。それで、誰にも話さない。約束するから」
「そうね。そうしてちょうだい」
祖母は微笑むと、ご飯を口に運んだ。その手の動きは、いつ見てもきれいだ。あのお屋敷に住んでいたのだから、自然とそういう振る舞いが出来るようになるのだろうか。
食事を終えて部屋に戻ると、出かける準備をした。下に行くと、祖母も支度を終えて、ソファに座ってくつろいだ様子だ。もう、覚悟が決まっているのだろう。
「おばあちゃん」
「沙羅ちゃん。そろそろ行く?」
「そうだね。行こうか」
二人で並んで歩き出した。沙羅は、祖母をちらりと見てから、
「この前の夜さ、外見てたの?」
「電話の日ね。そう。外を見てたのよ。暗くてよく見えなかったけど」
祖母の笑顔に、また少し翳りが見られた。が、そこには触れず、「ふーん。そうなんだ」と、軽く流すように言った。
「外を見ていたって言ったけど、本当は違うのかもしれないわ。どこでもない、遠い日を見てたのかもしれない」
「遠い、日?」
「そう。懐かしい日、でもいいけれど」
「後で、伊藤くんと一緒に聞かせてもらうね」
「そうしましょうか」
それきり祖母は黙った。沙羅も、何も言わずに道を歩いていた。
空は、青く澄み渡っていて、気持ちの良い天気だ。本当は曇りになるという予報だったが。そう言えば、と沙羅は思い出した。
「オレさ、晴れ男なんだよね。大事な日は、いつも晴れるんだ。だから、今日も。予報は雨だったのに、晴れただろう」
高校の卒業式の日、伊藤がそう言っていた。今日も、伊藤がいるから晴れたのかもしれない。偶然かもしれないけど、と思い直して、沙羅は一人、小さく笑った。それを祖母が見て、
「あら。沙羅ちゃんたら、思い出し笑い? 可愛いわね」
「思い出し笑い、じゃないけど。え? 可愛い?」
「おばあちゃんにとって、沙羅ちゃんはいつまでも可愛いのよ」
「えっと……ありがとう」
「いいえ」
祖母の優しい微笑。沙羅は、その顔に癒された。今までもずっと、辛い日に耐えられたのは、祖母の存在が大きかった。
母が出て行ってから、もう随分経った。父は、いつもその姿を見かけない。妹は、いくらしっかりしているとは言っても、やはり妹だ。いつも頼りにしてきたのは、祖母だった。そう考えてから、沙羅は、今日自分が祖母にさせようとしていることは、果たして正しいのだろうか、と迷う。大事な祖母を傷つけるのではないのか。
「おばあちゃん」
沙羅は、思わず祖母の方を向き、その腕を取った。驚いたように目を見開いた祖母が、沙羅を見る。沙羅は、唇を噛んだ後、
「あのさ……」
言葉が出て来ず、胸が詰まったようになっている。祖母は、空いている方の手で沙羅の頭を軽く撫でると、
「沙羅ちゃん。今日、本当に良いお天気ね。お出かけ日和だわ」
ふふっと笑う。沙羅は、泣きそうな気分のまま、軽く頷いた。
「行きましょう。ほら。伊藤くん、もう来てるわよ」
答えられず、もう一度頷いてから歩き出した。二人に気が付いた伊藤が、大きく両手を振っていた。
「とうとう、その日になったわね」
「おばあちゃん。本当にいいの?」
祖母は軽く手を合わせてから、箸を手にした。そして、
「いいのよ。誰かに聞いてほしかったから、あの時沙羅ちゃんに話したんだと思うから。誰にも話してはいけないことって、話したくなるものよ」
祖母は、小さく笑って、味噌汁を飲んだ。「いいお味」と自分を褒めるのも忘れない。沙羅は、祖母を、可愛い人だ、と思った。沙羅がじっと見ているのを感じたのか、祖母はお椀をテーブルに戻すと、
「あら。沙羅ちゃんも食べてちょうだい。冷めない内にどうぞ」
「はい。いただきます」
「どうぞ」
祖母と同じように、手を合わせてから食べ始めた。
「そういえば、世羅は?」
「今日は、早く学校に行くって、急いで出て行ったわよ。朝ごはんも食べずに」
「そうなんだ」
そして、父はいつもの通りいない。この家に存在していないかのようだが、帰ってきてまた早くに出て行ったのは間違いなさそうだ。父の私物の配置が、昨日の夜と若干違う。
「あのバラ園に行くのは、随分久し振りだわ。沙羅ちゃんが四歳の頃に行ったから、もう十八年経つのね」
「あれって、四歳の頃だったんだ。そんなに昔なら、覚えてなくてもおかしくないね」
「そう。おかしくないわよ」
「今度は、ちゃんと覚えておくね。それで、誰にも話さない。約束するから」
「そうね。そうしてちょうだい」
祖母は微笑むと、ご飯を口に運んだ。その手の動きは、いつ見てもきれいだ。あのお屋敷に住んでいたのだから、自然とそういう振る舞いが出来るようになるのだろうか。
食事を終えて部屋に戻ると、出かける準備をした。下に行くと、祖母も支度を終えて、ソファに座ってくつろいだ様子だ。もう、覚悟が決まっているのだろう。
「おばあちゃん」
「沙羅ちゃん。そろそろ行く?」
「そうだね。行こうか」
二人で並んで歩き出した。沙羅は、祖母をちらりと見てから、
「この前の夜さ、外見てたの?」
「電話の日ね。そう。外を見てたのよ。暗くてよく見えなかったけど」
祖母の笑顔に、また少し翳りが見られた。が、そこには触れず、「ふーん。そうなんだ」と、軽く流すように言った。
「外を見ていたって言ったけど、本当は違うのかもしれないわ。どこでもない、遠い日を見てたのかもしれない」
「遠い、日?」
「そう。懐かしい日、でもいいけれど」
「後で、伊藤くんと一緒に聞かせてもらうね」
「そうしましょうか」
それきり祖母は黙った。沙羅も、何も言わずに道を歩いていた。
空は、青く澄み渡っていて、気持ちの良い天気だ。本当は曇りになるという予報だったが。そう言えば、と沙羅は思い出した。
「オレさ、晴れ男なんだよね。大事な日は、いつも晴れるんだ。だから、今日も。予報は雨だったのに、晴れただろう」
高校の卒業式の日、伊藤がそう言っていた。今日も、伊藤がいるから晴れたのかもしれない。偶然かもしれないけど、と思い直して、沙羅は一人、小さく笑った。それを祖母が見て、
「あら。沙羅ちゃんたら、思い出し笑い? 可愛いわね」
「思い出し笑い、じゃないけど。え? 可愛い?」
「おばあちゃんにとって、沙羅ちゃんはいつまでも可愛いのよ」
「えっと……ありがとう」
「いいえ」
祖母の優しい微笑。沙羅は、その顔に癒された。今までもずっと、辛い日に耐えられたのは、祖母の存在が大きかった。
母が出て行ってから、もう随分経った。父は、いつもその姿を見かけない。妹は、いくらしっかりしているとは言っても、やはり妹だ。いつも頼りにしてきたのは、祖母だった。そう考えてから、沙羅は、今日自分が祖母にさせようとしていることは、果たして正しいのだろうか、と迷う。大事な祖母を傷つけるのではないのか。
「おばあちゃん」
沙羅は、思わず祖母の方を向き、その腕を取った。驚いたように目を見開いた祖母が、沙羅を見る。沙羅は、唇を噛んだ後、
「あのさ……」
言葉が出て来ず、胸が詰まったようになっている。祖母は、空いている方の手で沙羅の頭を軽く撫でると、
「沙羅ちゃん。今日、本当に良いお天気ね。お出かけ日和だわ」
ふふっと笑う。沙羅は、泣きそうな気分のまま、軽く頷いた。
「行きましょう。ほら。伊藤くん、もう来てるわよ」
答えられず、もう一度頷いてから歩き出した。二人に気が付いた伊藤が、大きく両手を振っていた。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
洋館の記憶
ヤン
現代文学
母とともに、母の実家で暮らすことになった深谷野薫は、入学した高校で風変わりな教師と出会う。その教師は、何故か薫が住んでいる嶋田家のことを知っていた。
十年前に嶋田家で起きた事件に囚われている人たちの、心の再生の物語です。
蛍地獄奇譚
玉楼二千佳
ライト文芸
地獄の門番が何者かに襲われ、妖怪達が人間界に解き放たれた。閻魔大王は、我が次男蛍を人間界に下界させ、蛍は三吉をお供に調査を開始する。蛍は絢詩野学園の生徒として、潜伏する。そこで、人間の少女なずなと出逢う。
蛍となずな。決して出逢うことのなかった二人が出逢った時、運命の歯車は動き始める…。
*表紙のイラストは鯛飯好様から頂きました。
著作権は鯛飯好様にあります。無断転載厳禁
日給二万円の週末魔法少女 ~夏木聖那と三人の少女~
海獺屋ぼの
ライト文芸
ある日、女子校に通う夏木聖那は『魔法少女募集』という奇妙な求人広告を見つけた。
そして彼女はその求人の日当二万円という金額に目がくらんで週末限定の『魔法少女』をすることを決意する。
そんな普通の女子高生が魔法少女のアルバイトを通して大人へと成長していく物語。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
麗しのラシェール
真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」
わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。
ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる?
これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。
…………………………………………………………………………………………
短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる