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第15話 津島家の事情
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「先生。あの、ちょっと今日の講義でわからない所があって」
星野輝夜は、熱心な学生だった。一年では必修だった科目だが、二年からは選択科目になっている。それなのに、敢えてこの科目を取ってきた。
彼女は、いつもにこやかで、誰とでも楽しそうに話しているイメージだ。肩の上で切り揃えられた髪は濃い黒。サラサラしていた。卵型の顔、色白で、目はくりっとしていて、大きい。唇は、口紅を差しているわけでもなさそうなのに、濃い赤色をしていた。
講義は真剣に聞いてくれるし、こうして質問もよくしてくる。一年の頃からそうなので、好印象を持っていた。
その頃、津島真澄は、家に帰る度に妻と言い合いをしなければならなかった。妻は、初めての育児で、疲れていたのだろう。が、その子の成長具合を他の子と比べては、「うちの稜ちゃんは、大丈夫かしら」と、心配そうに訊かれる。
もちろん、最初は優しい口調で、彼女を気遣うように、「子供の成長は、個人差があるって言いますからね」と言っていたが、それも度重なると、自分自身に心の余裕がない時など、つい強い口調になる事もあった。彼女が泣き出すと、稜も泣き出す。二人に泣かれて、つい家を出て、近くをぶらついたりしていた。
そんな時に、この学生を見ると、心が癒されるようだった。ただ、そう感じていただけだったのに、何てことをしてしまったのだろう。
その行為が終わってから、はたと気が付き、顔が青くなっていった。ほんの少し前まで感じていた、彼女と過ごした熱い時間が、急速に冷え切って行った。
津島は中古文学が専門で、その頃の物語を読んでいると、貴族が何人もの女性と関係している。しかし、それはその時代の事情だ。今、それと同じことをして、許されるわけがない。
それから三か月くらい経った夏休み前。彼女から伝えられた事実に、やはり、という気持ちだった。もちろん、認知すると言った。が、生まれてからどうしていくのか、何度話しても上手くまとまらなかった。妻に正直に伝えた時は、当然ヒステリーのようになって、泣かれた。が、最終的に、津島家で育てることになった。真を引き取って以来、輝夜には会っていない。
妻は、真が小さい頃は必死で育ててくれていたが、ある時期から彼を避けるようになった。真は、幼稚園に入る頃には、輝夜にそっくりになっていたのだ。真を見ると、妻にとって憎らしい浮気相手がそこにいるような気になる。見ないようにすることで、自分も真も守ろうとしていたのかもしれない。
が、そうして避けられることで、真は不安定になっていった。兄妹と話そうとすると、妻ににらまれる。それで、真は口をきかなくなる。
津島家は、津島にとって、なんとなく居心地の悪い空間になってしまった。津島は、仕事にかまけて、家にいるのを避けるようになっていた。
「津島家の事情は、こんな感じです。輝夜さんと関係してしまったのは、本当に成り行きだったのかもしれません。あの時はね、感情を制御出来なかったんですよ。反省しています。そして、親として何も出来ていないことも、もちろん反省しています。真は、家にいるのはつらいと思います。いえ。今までだって、ずっと大変な思いをしてきたはずです。それが、昨日急に出て行ったということは、これまで以上に耐えられないような何かが、彼の身に起こったはずです。それなのに、帰って来なさいとは言えません。ひどい親だと思うでしょう。ですが、大矢くん。真のことをお願い出来ないでしょうか。真は大矢くんと一緒にいることを望んでいます。その願いを叶えてもらえませんか? ここでの生活に必要なお金は、送らせてもらいます。いらないと言わずに、受け取ってください。せめてもの償いです」
「先生は、ひどい。誰も幸せになってない」
大矢がそう言うと、津島はふっと自虐的に笑って、
「本当にそうですね。それでは、よろしくお願いします」
大矢に頭を下げると立ち上がり、玄関に向かって歩き出した。
「先生。聖矢に会っていかなくていいんですか?」
「会ったりしたら、真の具合がまた悪くなるでしょう。このまま帰らせてください」
歩き出した津島を追い、先に立って鍵を開けた。ドアを開けると、
「オレは、先生たちを許せる自信がありません」
冷たい口調で言い放った。
津島は、何も言わずに頭を下げると、玄関を出て行った。エレベーターに乗り込むまで、大矢は津島を見送っていた。
星野輝夜は、熱心な学生だった。一年では必修だった科目だが、二年からは選択科目になっている。それなのに、敢えてこの科目を取ってきた。
彼女は、いつもにこやかで、誰とでも楽しそうに話しているイメージだ。肩の上で切り揃えられた髪は濃い黒。サラサラしていた。卵型の顔、色白で、目はくりっとしていて、大きい。唇は、口紅を差しているわけでもなさそうなのに、濃い赤色をしていた。
講義は真剣に聞いてくれるし、こうして質問もよくしてくる。一年の頃からそうなので、好印象を持っていた。
その頃、津島真澄は、家に帰る度に妻と言い合いをしなければならなかった。妻は、初めての育児で、疲れていたのだろう。が、その子の成長具合を他の子と比べては、「うちの稜ちゃんは、大丈夫かしら」と、心配そうに訊かれる。
もちろん、最初は優しい口調で、彼女を気遣うように、「子供の成長は、個人差があるって言いますからね」と言っていたが、それも度重なると、自分自身に心の余裕がない時など、つい強い口調になる事もあった。彼女が泣き出すと、稜も泣き出す。二人に泣かれて、つい家を出て、近くをぶらついたりしていた。
そんな時に、この学生を見ると、心が癒されるようだった。ただ、そう感じていただけだったのに、何てことをしてしまったのだろう。
その行為が終わってから、はたと気が付き、顔が青くなっていった。ほんの少し前まで感じていた、彼女と過ごした熱い時間が、急速に冷え切って行った。
津島は中古文学が専門で、その頃の物語を読んでいると、貴族が何人もの女性と関係している。しかし、それはその時代の事情だ。今、それと同じことをして、許されるわけがない。
それから三か月くらい経った夏休み前。彼女から伝えられた事実に、やはり、という気持ちだった。もちろん、認知すると言った。が、生まれてからどうしていくのか、何度話しても上手くまとまらなかった。妻に正直に伝えた時は、当然ヒステリーのようになって、泣かれた。が、最終的に、津島家で育てることになった。真を引き取って以来、輝夜には会っていない。
妻は、真が小さい頃は必死で育ててくれていたが、ある時期から彼を避けるようになった。真は、幼稚園に入る頃には、輝夜にそっくりになっていたのだ。真を見ると、妻にとって憎らしい浮気相手がそこにいるような気になる。見ないようにすることで、自分も真も守ろうとしていたのかもしれない。
が、そうして避けられることで、真は不安定になっていった。兄妹と話そうとすると、妻ににらまれる。それで、真は口をきかなくなる。
津島家は、津島にとって、なんとなく居心地の悪い空間になってしまった。津島は、仕事にかまけて、家にいるのを避けるようになっていた。
「津島家の事情は、こんな感じです。輝夜さんと関係してしまったのは、本当に成り行きだったのかもしれません。あの時はね、感情を制御出来なかったんですよ。反省しています。そして、親として何も出来ていないことも、もちろん反省しています。真は、家にいるのはつらいと思います。いえ。今までだって、ずっと大変な思いをしてきたはずです。それが、昨日急に出て行ったということは、これまで以上に耐えられないような何かが、彼の身に起こったはずです。それなのに、帰って来なさいとは言えません。ひどい親だと思うでしょう。ですが、大矢くん。真のことをお願い出来ないでしょうか。真は大矢くんと一緒にいることを望んでいます。その願いを叶えてもらえませんか? ここでの生活に必要なお金は、送らせてもらいます。いらないと言わずに、受け取ってください。せめてもの償いです」
「先生は、ひどい。誰も幸せになってない」
大矢がそう言うと、津島はふっと自虐的に笑って、
「本当にそうですね。それでは、よろしくお願いします」
大矢に頭を下げると立ち上がり、玄関に向かって歩き出した。
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「会ったりしたら、真の具合がまた悪くなるでしょう。このまま帰らせてください」
歩き出した津島を追い、先に立って鍵を開けた。ドアを開けると、
「オレは、先生たちを許せる自信がありません」
冷たい口調で言い放った。
津島は、何も言わずに頭を下げると、玄関を出て行った。エレベーターに乗り込むまで、大矢は津島を見送っていた。
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