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脱 獄

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 夜になった。明かりはなく塗りつぶしたような闇が集落の中を満たしている。人通りも絶えた。木の洞の中の明かりも既に消えて、寝静まった気配がする。時折、明かりを持った警備役らしき男が通り過ぎるが、遠目からこちらを覗き込むばかりで脱獄を警戒した様子はない。

 文人は監視がないのを確認すると、深呼吸一つして両手首を返し、巻かれた蔓を引っこ抜く。両手の甲を上に向け、横に並べていれば手首を返すだけで隙間が生まれ、簡単に縄抜けができる。昔、マジシャンから教わった方法だ。

 手首をさすり、痛みが引いたのを確かめてから文人は革靴を脱いだ。革靴の底に手を入れ、中敷きを取り外して小さな針金を取り出す。こちらは昔、イタリアで元・泥棒から教わったカギ開けのテクニックだ。格子の隙間から腕を伸ばし、針金を鍵穴に差し込み、動かしていると慌ただしい声とたくさんの足音が聞こえてきた。まさか、気づかれたか。

 急いで扉から離れ、落ち葉の中に潜り込み、息を潜める。
 こちらに押しかけてくるかと冷や冷やしたが、耳を澄ませてみると声や足音は集落の外から届いているようだった。やがて松明の明かりとともに近づいて来る。

「早く、族長を呼んでこい」
「おい、しっかりしろ」

 牢の前を横切ったのは、必死の形相で怒号を上げるファーリの男たちだ。男たちは木の棒と布で作った担架で血まみれの男を運んでいた。松明の明かりに照らされて遠目にも様子をうかがい知ることが出来た。ケガをした男の見た目は人間で言えば、三十代の後半から四十代の前半といったところだろう。細面の男で頬骨が浮かんでいた。

 意識はあるらしく、ファーリの男たちの呼びかけにも何事か返事をしているようだった。目は苦痛のためか固そうに閉じられており、笹の葉のような耳は力なく垂れ下がっている。額には赤黒い染まった布を巻いており、胸の辺りも心乱されるような染みが広がっていた。

 文人は落ち葉のベッドから這い出すと身を伏せたまま格子扉の前まで近づき、目で担架を追いかける。
 族長のところへ運び込むのかと思ったが、担架は少し開けた場所で下ろされ、若者に手を引かれながらやってきた中年女性の手により額の布が巻き直されている。なかなかの手際だった。族長ではなく、医者あるいはその代わりを務める女性のようだ。

「一体どうしてこんなことに? 何があった」
 弓矢を持った壮年のファーリが、担架を運んできたファーリに事情を聞いている。

「ワマッツが結界の外で見つけたんだ」血の付いた手を布で拭きながら出口の方を見やる。「俺たちが駆けつけた時には既に血まみれで倒れていた」

「チェロクスのしわざか?」
「おそらくそうだろう。向こうの村から逃げてきた途中で力尽きて倒れたんだと思う」

 悔しさをにじませながら男は表情を暗くする。
「ほかにはいなかったのか? 足跡は?」

「一応は調べてみたが、見つからなかった。夜だし、血の臭いを嗅ぎ付けて三ツ目オオカミや八つ手コウモリも出るかもしれないからあまり詳しくはムリだった。もしかしたら、ほかにも逃げてきた奴がいたかもしれないのに」

「気にするな。お前の判断は間違っていない」
 事情を聞いていたファーリが慰めるように肩を抱く。

「下手に時間を掛ければチェロクスどもにここを見つけられていたかもしれないんだ。それでカーロは?」
「さっき、クレシスが迎えに行ったからすぐに来るはずだが」

 どうやら文人の時と同様、面通しをさせるつもりのようだ。

 カーロがやってきた。昼間とは違い、ゆったりとした服装だった。足首まで届くような長く白い布地を前面で重ね合わせ、帯を巻いている。ズボンははいていないようだった。浴衣か時代劇に出てくる着流しのような格好だった。もしかしたらファーリの寝間着なのだろうか。

 カーロは血まみれの男を見て一気に青ざめる。二三歩後ずさったものの歯を食いしばると、前屈みでおそるおそる顔を覗き込むと、はっと息をのんだ。

「マクネさん……?」
「知り合いか?」壮年のファーリが聞いた。
「村の人です」

「やはり、そうか。ムトレネ、話は出来るか?」
「難しいね」マクネを治療していた女性は首を振った。

「命にかかわるものではないが、出血の量からしてかなり血を流しているようだ。見てみなよ。これ、べっとりじゃゃないか」

 脱がせた衣服からぽたぽたと血がしたたり落ちる。服の側にはやはり集落のものとよく似た靴が転がって泥まみれで転がっている。

「とにかく応急手当が終わったら、族長の家に連れて行こう。詳しい事情が聞きたい。カーロ、悪いがお前も付いてきてくれ」
「は、はい」

 程なくして担架が再び担がれる。
 促されるままカーロもその後をついて行く。既に集落のファーリは目を覚まし、不安や怒り、恐怖などさまざまな感情をあらわにして担架で運ばれる男を見つめていた。集落の視線は担架に集まっていた。

 誰もいなくなったのを確かめてから文人は素早く格子扉にへばりつき、針金を鍵穴に差し込んだ。少しずつずらしながら針金の先端を奥深く差し込んでいくと、手応えとともにカギは開いた。錠前を外し、格子扉を静かに開けると滑るように牢の外へ出る。

 ここまではいい。問題はここからだ。計画では寝静まったところで、族長の家に忍び込むつもりだったが、ここまで騒ぎになっては誰にも気づかれないようにするのは不可能だろう。ならば使いたくはないが、あの手しかないか。

「貴様、いつの間に!」

 鞭のような声が飛んだ。振り返る間もなく、サリアナが文人に組み付いてきた。先程一本背負いで投げられたのを警戒してか、身を低くしてまっすぐ文人の膝の辺りを狙ってきていた。アマレスリングのタックルのように洗練された動きではないが、速度と力強さは一流の選手にも負けない動きだった。

 そうはいくか。

 文人はこらえるのではなく、前に身を乗り出すようにして体を浮かせる。腕を伸ばしサリアナの背中に手をつくと体重を一気に乗せる。叩き付けるようにしてサリアナの突進を上から下への力で潰した。腹ばいになったところを素早く彼女の背中に回り込む。首に腕を回し、裸絞めを極めた。

 くぐもった悲鳴が上がる。女性に絞め技など文人の性に合わないがこうでもしないと、また首輪の魔力でこっちが首を絞められてしまう。

 抵抗する力が弱まったのを見計らって文人は裸絞めを解く。同時にサリアナの腰に下げていた短剣を抜き取った。刃先を彼女の喉元に押しつけ、その耳元で凄みながら言った。

「族長の家まで案内してもらおうか」
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