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ドロシー ver.3.0

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「くたばれええええっ!」

 呪詛のような絶叫を上げた途端、メレディスは盛大にすっ転んだ。藪の中から突き出された杖に足を引っかけたのだとエクスが気づいた時には、顔から草の上に突っ込み、目を回していた。

「まったく、余計なマネしくさって。どこの野暮天だあ、こんのとんちきが!」
 ぶつくさ文句を垂れながら藪の中から現れたのは、エクスも良く知る腰の曲がった老婆だ。

「婆さん、どうしてここに?」
 返事の代わりにクリスティーナ婆さんは杖でエクスのすねを強かに叩いた。

「騒ぎが収まったってのに、おめが全然戻って来ねえからだろうが。なあにもったくさしとるだよ、ぼけが」
 吐き捨てるように言うのだから、全く始末に負えない。

「おばあさん!」
 入れ替わるようにドロシーが前に出ると、クリスティーナ婆さんに抱きついた。

「ありがとうございます、私、その……」
「なあんも言わなくてええ。良かったなあ、良かったなあ」

 ドロシーの頭を優しそうに撫でる。先程までとは打って変わって、安らかな表情だ。彼女にとって、ドロシーは実の孫のような存在なのだろう。エクスの知らないところで、色々と相談にも乗っていたようだ。エクスの発言に怒り狂ったのもそのせいだろう。

「私、決めました」
 涙を拭いながらドロシーは立ち上がった。

「やはり、この国を出て行きます。聖女の地位にも未練はありません」

 エクスはうなずいた。そこまで決めたのなら最早何も言うことはない。広大な領地も爵位も陛下の裁量で決めればいい。

「ですが『新結界』はどうなさるおつもりですか? 領地はともかく、あれを放置するほど、陛下も甘くは……」
「これを」と手渡されたのは、小さな護符アミュレットだ。歴代の聖女が身につけていたものだ。

「管理権限をこちらに移しました。これを持てば『新結界』の管理もできます。付けるも消すも自在です」
「これは、また」

 後々騒動の元になるような道具だが、そこは陛下に管理していただくほかあるまい。

「おい、いたか?」
「いや、まだだ。一体どちらに行かれたのか……」
「まだあちらの方は探していないぞ」

 庭園の入口あたりに兵士たちの姿が見える。エクスたちを探しているようだ。
 ドロシーは静かに手を差し出した。

「まずは馬車を取りに行きましょう」
 このまま立ち去るつもりのようだ。挨拶もろくに出来ないのは申し訳ないが、捕まればまた面倒なことになる。エクスはその手を握った。

「あなたとならどこまでも」
「ちょっと待つだよ」
 クリスティーナ婆さんが反対の手を取る。

「おらもドロシー様にどこまでも付いていくだでな。イヤだっつっても行くだかんな」
「いいのか? 国を捨てる羽目になるかも知れないぞ」

「かまうこたあねえ。どうせ老い先短けえ身だ。それよっか、もっとうめえ酒が飲みてえだよ」
 ふてぶてしく笑う。エクスは天を仰いだ。まったく、長生きするよ、この婆さん。
 そこでドロシーがくすくすと笑った。

「こんなことを言ってますけれど、本当はエクスのことが心配なんですよ」
「まさか」
「本当ですよ。なんでも、三番目の旦那様にエクスがよく似ているとか」
「確か、鋳物職人だとかいう?」
「人の良いところが特に。誰かに騙されやしないかと、いつも」
 ふと振り返るとクリスティーナ婆さんがまたもスネを叩いてきた。

「じろじろ見るでねえ。この助平が」
 ぷい、と顔を背ける。やはりこの性格の悪い婆様がエクスの身を案じているなど、信じられない。

「ついでにウィンディ王国を抜けて、ミレニアム皇国へと抜けましょう。あちらに行けば追っ手も掛からないでしょう」
「それは構わないが、色々と面倒だな」

 ミレニアム皇国は街道の至る所に関所を設けている。普通なら通行料を払えば問題ないのだが、並外れた美女と中年騎士と老婆の三人組など、確実に怪しまれる。元・聖女と知られたら痛くもない腹を探られそうだ。

「心配いりませんよ」
 ドロシーが目配せすると、クリスティーナ婆さんが懐から丸めた紙を取りだし、エクスに投げてよこした。

「これは……」
 関所の通行証だ。ミレニアム皇国の紋章も入っている。これがあれば、ほとんどの関所は検分なしに通れる。

「先日のお礼にといただいたものです」
「もしかして、あの日から今日の事態を想定していたのか?」
「さあ、どうでしょうか?」

 思わせぶりに微笑む。エクスはため息をついた。少し目を離すとこれなのだから。手の掛かる聖女様だ。そうこうしているうちに、兵士らが近付いてくる。見つかるのも時間の問題だ。浮き上がろうとしたドロシーを手で制する。

「せめてこれだけは告げておかないとな」
 ちょうど先程の魔術で紙も乾いている。

 インク代わりに花の汁を、落ちていた羽根をペン代わりに書き込むと、その紙で護符アミュレットを包む。その上から『国王陛下へ』と書いておくと、四阿ガゼボの長椅子に置いておいた。これでいい。

「では、参りましょうか」
 ドロシーの呪文で三人の体が浮かび上がる。

「しっかり捕まっていてください」
 悲鳴を上げる間もなく、矢のような速さで王宮の外へと飛び立った。

 入れ違いに、兵士たちが四阿ガゼボに駆けつけるとそこには縛られて気絶しているメレディスと、国王陛下宛の包みだった。

 護符アミュレットの包み紙は養子縁組届け出の書類であった。ドロシーとエクスの名前も入っている。だが養子縁組願いの項とピークマンの姓が塗りつぶされており、その上から新たに『婚姻届』と書いてあった。



***************************************************

 草原の中、古びた馬車が街道を進む。今、ミレニアム皇国の南西部にあるサヴァニという町へと向かっている。そこでは流行病により、多くの人が倒れた。頼みの綱である領主や国も病を恐れて、封鎖するのが手いっぱいだ。町の出入り口に検問を張って、出入りを厳重に制限している。ムリに入り込もうとしたり抜け出そうとすれば、兵士たちに斬殺される。

 助けも来ず、逃げることも出来ず、町の者たちは明日をも知れぬ我が身を嘆き、苦しんでいるという。つまり、我らが聖女様の出番というわけだ、とエクスは丘を下った先にある街並みを見ながら顔を引き締める。

「準備はいいか」
 そろそろ検問に引っかかる。さしもの通行証もここでは意味を成さない。強行突破しかないのだ。
「いつでもどうぞ」

 ドロシーがエクスの肩にしがみつくようにして身を寄せる。
 そういえば、前にもこんなことがあったなあと思い出す。あれから色々なことがあった。

 ウィンディ王国を飛び出し、世直しの旅を続けて早半年。国境沿いでは国同士の戦いを仲裁し、ある村では邪教の教祖を論破し、ある町では、魔物の大発生を食い止めた。ほかにもある川では荒ぶる神を鎮め、ある山では空より振ってきた隕石を打ち砕いた。

 『奇跡の聖女』や『至高の聖女』と呼ばれ、ドロシーの名声は日に日に高まっている。中にはドロシーを我が物にしようと邪な思いを抱く者もいるが、全て彼女のによって退けられている。

 そう名乗ると、みな一様に意外そうな顔をされるのが不服ではあるが、もう諦めている。不釣り合いな外見は今更だ。

 ウィンディ王国は今のところ安定しているようだ。『新結界』も順調で、王都は魔物大発生の被害から回復しつつある。国王は正式に退位し、王太子が次の王に即位した。

 メレディスは王族の地位を剥奪され、辺境への兵役に就いている。今頃は、マッキンレイ辺境伯家でしごかれているだろう。とはいえ、政権が安定しているとは言いがたい。空白になった旧侯爵家の領地をめぐって貴族同士の暗闘が続いている。もし民に迷惑を掛けるようなら、により『新結界』は消え失せるだろう。

 天罰を与える方は、そういうことも可能だそうだ。

「そうそう、忘れないうちに」
 と、ドロシーはエクスの頭に手を伸ばす。今度は『病防止』『物理障壁』『魔法防御』『精神汚染反射』『魅了無効』『女よけ』など補助魔法を次々と掛けられる。

「あの、最後のは?」
「どういうわけだか、若い女性に嫌われてしまうようですね」
 しれっとした顔で言ってのける。

「あの……」
「私には効きませんのでご安心を」

 笑顔で言われると反論しづらい。見た目に反して、この聖女様は嫉妬深いのだ。こんな四十に手が届こうかという、冴えない男に手を出す物好きなど、そうそういるはずがないのに。

「本当に、あなたはご自分の価値をご存じありませんね」
 ドロシーが恨みがましそうにつぶやく。

「この前だって、大商人の未亡人とか伯爵夫人に言い寄られていたではありませんか」
「あれはただの冗談だよ」
 王国を出て、騎士爵すらなくなった男など、相手にするものか。

「わかりませんよ。世の中には奇特な方もいらっしゃいますから」
 むくれるのだから処置なしだ。どうしていつまでも子供っぽいのか。

 エクスには自分の価値など分からないが、どうすればいいかは分かっている。
 ドロシーを優しく抱き寄せる。

「そのようだな」
「本当にあなたという人は……」
 ドロシーが熱っぽい目を潤ませながら目を閉じる。

 エクスはせき払いをした。若干の照れくささを感じながら唇を近づけようとしたら後ろから殴られた。
 
「いちゃつくのはあとにせい、このアホたれが!」
 今度ばかりはクリスティーナ婆さんの言う通りだ。頭を抱えている間にドロシーが婆さんにも『病よけ』の補助魔法をかける。

「流行病だかなんだか知らねえが、ドロシー様なら一発だでよ。はよ、終わらせて、宴会でもするだで。ここらはワインがうめえんだとよ」

 飲んべえめ。腹の中でののしりながらエクスは手綱を握り直す。クリスティーナ婆さんも馬車の縁にしがみつく。

「ではお願いします」
 ドロシーの合図で馬車は坂道を駆け下りる。土煙を上げながら向かってくる馬車に、検問の兵士達が顔色を変えて立ちはだかる。

「止まれ! ここから先はまかりならん!」
「止まらぬと! 容赦はせぬぞ」

 取り出した弓矢を馬車に向けて構える。
 馬車が坂道を駆け下りる寸前、淡い光に包まれる。ふわり、と馬ごと馬車が浮き上がる。老馬はまるで天馬のように何もない空を駆け上がっていく。
 兵士たちは呆然と頭上を行き過ぎる馬車を見送る。

 三人を乗せた馬車は検問を越えて、日の光を浴びながら町の広場に音もなく着地する。
 空飛ぶ馬車は想像以上に人目を惹いたらしい。顔色の悪い人たちがふらつきながら集まってくる。

「どうも、初めまして」
 馬車から降りるなりドロシーが優雅にお辞儀をする。
「聖女のドロシーと申します。お困りのことはございませんか?」

   了
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