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第五章 異世界人は手套を脱す

第35話 裸で物を落とした例なし 中

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第35話 裸で物を落とした例なし 中

 先に『クラウン』が動いた。陽炎のように揺らめいた瞬間、『タナトス』は背後に裏拳を放っていた。

 確実に横っ面をとらえたはずの拳は道化師を素通りし、空を切る。続けざまに頭上から飛来する気配を感じ、今度は拳を天に向かって突き上げる。

 カウンターで土手っ腹を強かにえぐったはずなのに、拳は『クラウン』をすり抜けていった。
 残像ではなく、幻影の類と悟った『タナトス』は一旦距離を取る。

 次に来るであろう本物からの攻撃に備え、ボクサーのように構える。道化師の姿は五人に増えていた。『クラウン』たち・・の両手に現れたのは、太い棍棒だった。白地に赤と青の線が入っており、野球のバットのように先が太くなっている。

 ジャグリングの道具にあんなのあったな、とぼんやり思った時、棍棒が宙を舞った。ジャグリングの要領で二度、三度と回っては再び手の中に収まる。あの大道芸の中に必殺の威力を持った本物が隠れているのだろう。

 手で放り投げる度に棍棒の数は三本、四本と数を増していく。

「大道芸なら日曜日の歩行者天国に行った方がいいぞ」
「お代は見てのお帰りだよ」

 その瞬間、頭上が白く染まった。放り投げられた無数の棍棒が、暗黒の亜空間を隙間なく塗りつぶしていた。白い流星雨となって、『タナトス』に降り注ぎ、素通りしていった。

 幻影の中に本物を混ぜて、攪乱を狙う作戦か。無駄なことだ。いくら視覚をごまかしたところで『タナトス』の研ぎ澄まされた聴覚や触覚は、接近する異物を見逃さない。仮にこれが全て本物だったとしても『冥王の鎧』の装甲を貫けるものか。

 そう思った刹那、左脇腹に焼けるような熱さを感じた。爆発によるものだと悟った時、『タナトス』は大きく吹き飛ばされていた。倒れ込み、激痛にのたうち回る。

 何が起こったか、と理解する間もなく、頭上に白い棍棒が降ってきた。幻影だ。音もなく、気配も感じない。何の物体もない。にもかかわらず、動物的な生存本能が、回避行動に移らせていた。転がりながらその場を逃れる。一瞬遅れて、白い棍棒が地に触れる。

 爆風が『タナトス』を包んだ。

 轟音と熱風にさらされ、地面をサッカーボールのように転がりながらながら『タナトス』は自身に何が起こったか考えていた。

 確かにあの棍棒は幻影だった。それは間違いない。事実、『タナトス』の……『冥王の鎧』を素通りしている。なのに、現実には爆発し、左脇腹をえぐっている。脳を焼くような痛みを伝える脇腹に触れて、愕然とする。鎧には傷一つ付いていない。爆発は内側・・から起こっている。

 鎧の中へ直接攻撃できるのか? と考えて即座に否定する。それなら脇腹ではなく、頭を直接吹き飛ばせばいい。それとも少しずつダメージを与えていたぶるつもりだろうか? 

 わき上がる不安と迷いを抱えながら『タナトス』は四つん這いになってその場を離脱する。背後から爆音がけたたましく耳朶を叩いた。

 脇腹に触れると、傷は治り始めていた。『冥王の鎧』の特殊能力の一つ、『超再生』だ。鎧を着ている間、諭吉という人間は人の限界を超える。

 立て続けに起こる爆発から逃げ惑いながら見上げれば、『クラウン』の姿は既に十を超えていた。十体の道化師が無数の白い棍棒を投げ下ろす。数百数千の棍棒は幾重にも重なり、点ではなく面で『タナトス』に降り注ぐ。白い豪雨は『タナトス』の体を素通りし、そして爆発した。

 今度は背中だった。爆風で仰向けに倒れながら傷を確認する。やはり内側から爆発している。

「ほらほらどうしたの? 逃げないと当たっちゃうよ」

 平然と上空から爆撃してくる。
 二度も同じ攻撃を受け、『タナトス』はある仮説を抱いた。仮説を実証すべく、背中を向けて走り出す。

「おやおや、逃げるのかい。やーい、弱虫」

 幼児のような嘲笑を浴びながら暗黒の空間をひた走る。『タナトス』の高速移動で走っても同じ景色が続いている。果てはないように思えた。あるいは空間がどこかでねじれて一周しているのかもしれない。

 振り返れば、頭上から十体の『クラウン』が飛んでいる。やはり無数の白い棍棒を放り投げて来る。間近に迫るそれらを『タナトス』は、体を傾け、大きく飛び退き、すべて回避する。

 すると、一体の『クラウン』が棍棒の代わりに銀色の輪を取り出した。あれもジャグリングの道具だったか、と考えた時、短い掛け声とともに放たれる。銀色の輪は高速回転しながら暗闇を切り裂き、背後に迫る。

 『タナトス』は『クローゼット』に腕を突っ込むと無作為に白いシャツを取り出し、後ろに向かって放り投げた。銀色の輪はシャツに傷一つ付けずに通り抜ける。あれも幻影か。『タナトス』は足を止め、銀色の輪を迎え撃つべく、拳を固める。

 銀色の輪と触れる瞬間、とっさに手を引き、体を仰け反らせた。同時に反対の腕を伸ばし、体の上を通り過ぎようとする銀色の輪に手を伸ばす。耳障りな金属音とともに銀色の輪は『タナトス』の手の中に収まった。

「やっぱりか」

 力を込めると、銀色の輪は手の中で砕け散った。

「お前は、幻影を実体化・・・できるんだな」
「ご名答」
 道化師は拍手した。

 幻影が『タナトス』の体の中を素通りしたタイミングで実体化させ、爆発させたのだ。鎧の内側からダメージを受けたのもそのせいだ。

 そこでフェイントを使って実体化するタイミングをずらし、銀色の輪をつかんだ。
 幻影と実体を入り混ぜることで攪乱を狙う。言葉にすれば単純だが、この作戦の恐ろしいところは防御が困難なところにある。

 実体がないので、腕で弾き飛ばしたり盾や遮蔽物で防ぐという行動が取れない。単純な攻撃なら『冥王の鎧』の対『リターナー』特殊効果でダメージを軽減させることもできるが、幻影ではそうもいかない。全て実体であれば、まとめて吹き飛ばすのも可能だが、それもできない。かえって大技使って生まれた隙を付かれるだけだろう。

 出来るのは回避のみだ。だが、それをさせないために『クラウン』は幻影の数を増やし、点ではなく面の攻撃を続けている。この空間がどこまで広がっているかは不明だが、いずれ圧倒的な幻影に逃げ場を防がれ、疲弊したところに致命的な攻撃を受けておしまいだ。

 銀色の輪をつかんだ時を考えると、幻影から実体化に至るにはわずかのタイムラグが生じるようだ。今もこうして生きているのはそのためだろう。さもなければ、最初の一撃で心臓を吹き飛ばされて敗北していたに違いない。

 防御に回れば圧倒的に不利な以上、攻撃あるのみだ。だが、あの幻影は防御にも役立つ。どれが爆発するかわからない以上、うかつには踏み込めない。地雷原に突っ込むようなものだ。

「それで、攻略法はわかったのかな」
 不可能と言いたいのだろう。声音には得意げな笑いと喜びが含まれている。

「そうだな」
 『タナトス』は頭上の道化師に向かって言った。

「お前みたいな奴が、チクワと鉄アレイ混ぜて息子にぶん投げるんだってのはよくわかった」
「何を言っているんだ?」

 本気で困惑した様子が伝わってきた。どうやら本当にわからないらしい。諭吉とて生まれる前のゲームなのだが、小学生の頃、祖父の知り合いだというおじさんと一緒にプレイしたのが懐かしい。

「攻略法ならとりあえず二つ三つ、思いついた」
「へえ」

 真っ先に思いついたのは、『クローゼット』の中に逃げ込むことだ。亜空間までは幻影も届かないだろう。隙を見て『クローゼット』から飛び出し、不意を突く。これなら安全に倒せる。

 ただ入口が移動出来ない以上、『クラウン』との持久戦になる。幻影を残し、本体は百体の『リターナー』復活に動かれた厄介だと思い、却下した。

「けどまあ、一番いいのはこれだろうな」

 『タナトス』は指を鳴らした。『クローゼット』から取り出されたのは、白い大剣である。暗黒の空間の中でも輝きを失うことなく、蛍火のような光を放っている。

「なるほど、力ずくってわけか。わかりやすい」
 『クラウン』が口笛を鳴らした。

「確かに全部ぶった切ってしまえば、幻影も実体も関係ないだろうね。けど、それをさせるほど僕も甘くはないよ」

 宣言と同時に、道化師の姿は更に増えていった。幻影が更に幻影を生み、指数関数的に増殖していく。気がつけば数千……数万の『クラウン』が暗黒の空間を埋め尽くしていた。

「どうだい、これでもまだ全て切り倒せるかい?」

 四方八方から声がする。完全に勝ち誇った顔で白い棍棒を何十何百と生み出す。『タナトス』の周りから暗黒の空間が塗りつぶされ、やがて完全に真っ白な半球に覆われる。蟻の這い出る隙間もないようだ。

 今からこれが全て『タナトス』に向かってくれば回避は不可能だ。体に接触した幻影は次々と爆弾へと変わり、いずれ内側から『タナトス』を吹き飛ばし、焦げた肉片に変えるだろう。
 考えている間にも白い半球は徐々に縮小し、にじり寄ってくる。厚みを増やして、一点突破をさせないつもりのようだ。

「無理だな」

 『タナトス』はあっさりとした口調で言い放つと、白い大剣を高々と掲げる。

「そもそもこれは、切ったり突いたりするものじゃないからな」

 『タナトス』が力を込めると、再び『冥王の鎧』に封じられた意志が静かに告げる。

 『Mortuus est voca』

 その瞬間、白い大剣に黒い靄がまとわりついた。黒い靄は鬼火のように剣の周りにまとわりつきながら少しずつその量を、濃度を、そして瘴気を爆発的に増やしていく。黒い靄は渦を巻き、速度を上げ、暴風となって白い幻影を飲み込み、消滅させていく。

「なんだって!」

 四方八方から『クラウン』の驚愕が聞こえた。

 防御は不可能だが、幻影を消す手段はある。『タナトス』が持っているのは『創造の剣』である。『破滅の剣』と対をなすが、切れ味はないに等しい。その代わり、『リターナー』に対して特殊効果を持つ。そのうちの一つが「幻影・幻覚無効」である。ほかにも『リターナー』の身体能力に制限を掛ける。いわゆるデバフ効果だ。

 黒い竜巻が静まると、幻影は全て消えて、暗黒の空間が戻った。その中にただ一人浮いている『クラウン』の姿からは余裕が消え失せ、一回り小さく見えた。

「まさか、こんな芸当まで……」
「ニントモカントモ上手く行かないものだな、人生ってやつはよ」

 その言葉に『クラウン』はびくりと振り返る。その時、既に『タナトス』は真後ろにいた。

「さあ、お着替えの時間だ」
 白く輝く『創造の剣』を振りかぶると、冷ややかに言った。

「テメエの死に装束、俺が着せてやるよ」

 『memento mori死を思え

 冥王の死刑宣告がなされた。
 
「はっ!」

 気合いととともに『創造の剣』を振り下ろす。その剣は『クラウン』には届かず、はるか手前で空を切る。だが『クラウン』の顔には安堵も嘲りもなかった。その代わりに、道化師の両側を塞ぐようにして半透明な壁が地面から次々とそびえ立っていた。気味の悪い音を立てながらはるか後方へと伸びていく。

 狼狽しながらも逃れようとしたのだろう。飛び上がろうとした。その瞬間、頭上から『タナトス』が舞い降りてきた。

 『黄泉比良坂よもつひらさか

 『タナトス』の跳び蹴りが、道化師の胸に突き刺さった。

 けたたましい絶叫が道化師の口から吐き出される。『タナトス』の蹴りを胸に食い込ませたまま、後ろへと吹き飛んでいた。両側の壁に沿うようにまっすぐに突き進む。普通ならばとっくに着地しているはずだが、背中に翼でも付いているかのように『クラウン』を後ろへ後ろへと押し出している。

 やがて二人の進行方向は少しずつ傾いていく。渦を巻きながら、暗黒空間にあるはずのない地の底へと両端の壁沿いに滑り落ちていく。

「いったい、どこまで……」
 落ちていくのか、と言いかけた時、『タナトス』が冷ややかに告げる。

「そら、終点だ」

 言われて『クラウン』は弾かれたように振り返り、くぐもった絶望的な声を上げた。両端の壁の終点となる床にはどす黒く、光を全く通さない深淵の闇が広がっている。それだけではない。

 闇の中からおぞましい亡者の群れが、這い寄るかのように上半身だけをさらし、呻き声を上げていた。毛もなく髪もなく、目玉のあるばすの場所にはがらんどうの闇が横たわる。角を生やし、いびつに生えた歯を剥き出しにして、腕を振るう姿は、地獄へと手招きしているかのようだった。

 喉の奥からひきつぶれたような、短い悲鳴が道化師から漏れ聞こえた。

「止めろ、おい、どけ。僕をあそこへ近づけるな!」

 吹き飛ばされながらも逃れようと体をよじる。だが、胸に突き刺さった蹴りはさして深く食い込んでいるわけでもないのに、道化師の身動きや抵抗を妨げていた。まるで吸血鬼の心臓に打ち込まれた、トネリコの杭のように。

「悪いな、ボウヤ。この列車は片道切符だ。人生と同じだよ」
 『タナトス』が告げた時、深淵の闇はすでに目の前に迫っていた。

「『死はいつか訪れるdie another day』」

 衝撃とともに深淵の闇が『クラウン』を飲み込んだ。『タナトス』がひらりと足を離した時、すでに亡者たちは道化師の全身にとりついていた。体中の至る所をつかみ、爪を立て、かみつき、食らいついていた。

「いやだ、こんなの、待って。助けて。僕は、ねえさ……」

 耳を覆いたくなるような叫び声がこだました。身悶えしながら助けを請い求めるが、その体はゆっくりと深淵の闇の中に沈んでいく。あの中がどうなっているのかは、『タナトス』も知らない。ただ、魂の安息や永遠の平穏とはほど遠い世界であることは、容易に想像が付いた。

 首まで闇に飲み込まれて敗北を悟ったのだろう。道化師がやけっぱちな声で哄笑する。

「これで、勝ったと思うなよ! もう終わりだ! このゲームは僕たちの……」

 不意に声が途絶えた。闇の中からは白い腕だけが伸びていたが、それすらもにぎりつぶすかのように亡者の腕がつかみ、引っ張り、完全に沈み込む。

 『クラウン』を全て飲み込むと、深淵の闇は音もなく消滅した。暗黒の空間に静寂が戻った。

 『タナトス』は大きく息を吐いた。『上位種トップランカー』二人は片付けた。あとは百体の『リターナー』をどうにかするだけだ。

 そう考えた時、暗黒の空間がぐらりと揺れた。まさか地震か? いや、あり得ない。ここは封印のための亜空間だ。

 耳障りな音が聞こえた。音のした方を振り返ると、頭上高く広がっている空間にヒビが入るのが見えた。

 ヒビは少しずつ亀裂を広げ、やがて黒い破片が暗黒の空間にまき散らされた。

 黒い破片の下から現れたのは、真白な空間であり、そこから顔を覗かせる『リターナー』の大群だった。
 封印はすでに解かれていたのを悟った。
 
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