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第四章 赤い着物を着る者よ

第27話 服の衷ならざるは身の災いなり 上

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第27話 服の衷ならざるは身の災いなり 上

 ローズマリーの隠れ家は、イースティルムの外れにある廃屋だった。昼なお深い森から脱出し、町に自力で戻って来た。服装は『クローゼット』に突っ込んでいた制服の予備に着替えていたため、門番からは何も聞かれなかった。下宿に戻ったら大騒ぎだった。下宿のおばさんは腰を抜かす。トムは泣いて抱きついてくる。

「あの黒い騎士に捕まったんじゃないかって心配していたんだよ!」

 どうやら事情はリリーから聞いていたらしい。そこへケイト先輩とリリーが駆けつけてまた一騒動。ケイト先輩には引っぱたかれる。リリーには泣かれる。それを見てトムがまた泣く。
 どうやら諭吉が行方不明になって三日間が経過していたそうだ。

 その日のうちに学院に呼び出され、詰問という名前の尋問を受けた。諭吉はこう答えた。

「校外学習の最中に元・教師であるドナルドにおそわれ、何とか切り抜けたところで黒い騎士に捕まり、監禁されていた。どうにか抜け出し、森の中をさまよい歩くうちにイースティルムに戻って来た」

 ローズマリーの名前は出さなかった。まさか校長先生に拉致監禁されていましたとは言えない。仮に訴えたところで握りつぶされるに決まっている。尋問をしたのは学院の学年主任という五〇代の男性だったが、裏側の事情を知っているようには見えなかった。結局、犯罪に巻き込まれただけ、という哀れな学生を装い、解放された。トムやケイト先輩からも問い詰められたが、同じ返答をした。

 追及は何とか乗り切ったが、困ったのは課題提出である。

 校外学習の課題は監禁されていても提出期限は変わらなかった。一応抗議はしてみたが、担当教諭の返事は「それはそれ。これはこれ」だった。トムは単位を落とすのを覚悟していたようだが、諭吉にそのつもりは更々なかった。

 運のいいことに、ハック村での測量結果をリリーが学院まで待ち帰ってくれていた。途中までではあったが測量結果を元に必要な数字を算出した。でっち上げたとも言う。

 トムと徹夜で作成し、期限ぎりぎりで提出した『農地開発計画』の課題は高評価を得た。
「計画自体は平凡だが、スケジュールや予算が綿密に練られている」というのが担当教諭の弁である。諭吉とトムは無事、『農地開発計画』の単位を取得した。


 ローズマリーも学院に戻っていた。何度か学院内で見かけたが、何もアプローチはなかった。下手につついてヤブヘビになるのを恐れたのだろう。
 
 その後は何事もなく、単位取得のために講義を受ける日々が戻った。

 だが、諭吉は胸の中にもやが掛かって何をしようと心のどこかで焦りを感じていた。『扉』に掛けられた封印を解くための期限は迫っているのに、手掛かりはゼロのままだ。

 ヴィンセントからの情報を元に、図書館にとある貴族の『手記』を探しに行った。例の貴族の蔵書は一般公開されておらず、寄進者の名前から『セイヤーズ・コレクション』という名前で普段は図書館の地下書庫に収められていた。断られるのを覚悟で閲覧を申請したらあっさりと許可が下りた。

 だが何百、何千という蔵書群の中から肝心の手記は発見出来ていない。司書に問い合わせても、それらしい書籍自体が存在しないという。仕方なく、暇を見つけては何度も図書館に通い、蔵書を一冊ずつ確認しているのだが、発見出来てはいない。当然『扉』の場所も不明のままだ。

 それに『リターナー』の問題もあった。確認された『リターナー』は二体。どちらも『上位種《トップランカー》』だが、どこに雲隠れしたのか、あれ以来現れる気配はない。

 連中も『扉』の在処を探しているはずだ。それらしい動きはなく、なりを潜めている。『ロストナンバー』とかいう奴も復活しているだろう。接したのはほんのわずかだったが、自制の効く性格には見えなかった。人間に化けているであろうという点を割り引いてもウワサ一つ諭吉の耳に入ってこない。

 もう一体の方もそうだ。負傷しているはずなのに、それらしい人間が医者にかかったという話もなく、ヴィンセントの『影の目シャドウ・アイ』ですら補足できていない。

 考えられるとしたら『クローゼット』のような亜空間を作る能力があって、そこに潜伏していることだが。いつまでかくれんぼを続けるつもりなのか。時間がないのは連中も同じはずだ。

「どうしたの、ユキチ。何時にもましてぼーっとして」

 おかげで授業にも身が入らず、授業も寝てばかりだ。今日はとうとう六限全て居眠りという記録を達成してしまった。異世界で良かったとつくづく思う。

「もうすぐ試験なんだからちゃんと勉強しないと。単位落としちゃうよ」
「そうだな」
「今度はテスト問題作らないの?」
「ん、いや、まあな」

 ドナルドはもういないし、ほかにも表立って反対する教師もいない。決闘騒ぎまで起こした諭吉をどこか腫れ物扱いにしているようだ。だが、『扉』の捜索に時間を費やしている以上、時間的な余裕がなかった。何よりヴィンセントからも『経費』を支給されている。無理をしてまでアルバイトをする必要はない。

「まあ、また来月にでも」
「それは困ります!」

 悲鳴のような声が上がった。振り向くと、リリーが険しい顔で教室に入ってきた。
「わたし、ユキチさんの予想問題が頼りなんです。『現代南方語』の試験ってすっごい難しいって評判ですし、『神学論文』なんてどう書いていいかもわからなくって……」

 諭吉の手を握り、頬を赤らめながらまくし立てる。

「わたしだけじゃありません。この前の参考書なんて、一年生の間ではもうみんな書き写しているくらいで、ああごめんなさい。ユキチさんに話す事じゃありませんよね。でもそのくらい、わかりやすいってことなんです。聖典扱いですよ」

 たたみかけるような早口に諭吉は反射的にのけぞった。この子、こういう子だったのか、と驚き半分呆れ半分で、乾いた笑いが漏れる。そういえば最初に出会った時から試験前に会いに来るような向こう見ずなところがあった。

「俺もちょっと忙しくって、あ、そうだ。ケイト先輩に教えてもらうのはどうかな?」

「できませんよ」リリーはかぶりを振った。

「だって、お姉ちゃん。もうすぐ、『高等官吏試験』を受けに王都に行っちゃうんですから」

 近日中に出来ている分の参考書を渡すという約束で、どうにかリリーから解放された。

 参ったな、と諭吉は放課後の廊下を歩きながらあくびをかみ殺す。おかげでまた徹夜になりそうだ。睡眠不足は寿命を縮めるというのに。トムに手伝わせたいところだが、試験勉強でそれどころではない。寝込んでいた分、勉強が遅れていると講義が終わるなりすぐに下宿に戻った。今頃、復習の最中だろう。

 やるべき事は山積みかつ同時進行、おまけに期限は短い。こういうところだけ、あちらの世界と何も変わりはしないのだから腹が立つ。
 とりあえずは『扉』の場所を探しに、今日も図書館へ向かう。

「やあ、そこの君」

 振り返って諭吉は目をみはった。廊下の奥にブライアン先輩が笑顔で立っていた。
「確か、ユキチ君……だったよね」

 何事かと疑問に思う諭吉の前に来ると、心細げに尋ねてきた。

「ええ」諭吉はうなずいた。
 そういえば、何度か学院内で見かけてはいたが、まだ正式に自己紹介はしていなかった。

「四年生の諭吉といいます。ケイト先輩にはいつもお世話になっています。ああ、変な意味ではなくってですね」

 忘れかけていたが、ブライアン先輩は婚約者なのだ。誤解を招きかねない発言は慎むべきだろう。李下に冠を正さず、という言葉もある。

「ああいや、そういう意味で話しかけたんじゃないんだ」
 ブライアン先輩はあわてた様子で手を振った。

「ケイトからも君の話はよく聞いていたからね。一度話をしてみたかったんだ」
「はあ」
 どうやら「俺の女に近付くな」という警告ではなさそうだ。

 立ち話も何なので、ということで中庭にあるベンチに並んで腰掛ける。

「君は、編入生なんだってね。しかもいきなり四年生からの飛び級だとか」
「ええ、まあ」

 飛び級自体は諭吉本人の学力もあるが、編入は間違いなくヴィンセントが裏で手を回したためだ。さもなければ、何の身分も財産もない諭吉が編入など不可能である。それに学力とて現代日本人というアドバンテージがある。そこを苦労人のブライアン先輩に突っ込まれるとなんとも気まずい。

「見たところまだ若いようだけど。十七歳だっけ? 一体どこでそんな勉強を?」
「あー、まあ」
 照れ臭くなって頭の後ろをかく。

「俺は元々移民でして。ご覧の通り東方の生まれなんですけど、家が潰れて、親類もいなくって、流れ着いて王都に来たんですけど、縁があって王宮の小間使いとして働かせてもらえることになったんです。けど、例の事件で王宮もしっちゃかめっちゃかになって、そのどさくさで俺も仕事クビになっちゃったんですよ」

「それは、大変だったね」
「途方に暮れていたら、王宮の偉いさんに声を掛けていただいて、『お前には見所がある。勉強するつもりなら世話をしてやる』ってんで、この学院への編入手続きを」

「なるほど」ブライアンは何度もうなずいた。
「君も苦労したんだね」

 感心されても困る。ヴィンセントと打ち合わせをして考えた作り話だ。それからいくつか学院についての話をした後、気を悪くしないで欲しいんだけど、と前置きしてブライアン先輩が切り出した。

「君は『スキルユーザー』らしいね」
「ええ、まあ」

 もう学校中が知っているので素直に肯定する。

「その力は生まれつき?」
「目覚めたのは最近ですね。一年くらい前で。気がついたら身についていたって感じで」
 正確に言えば、この世界に転移してからだ。

「やっぱり、使いこなすには練習とか、色々特訓が必要なのかな」
「そうですね。イメージというか、『こういうことが出来ないか』と色々試行錯誤してみて、出来ること出来ない事を確かめていく、って感じで」

「ユキチ君のほかに『スキルユーザー』って何人くらいいるのかな」
「ちょっと待って下さい」
 諭吉はあわてて話をさえぎった。どうも話の風向きがおかしい。

「何故、そんな話を?」

 ブライアン先輩があわてた様子でとりつくろう。
「実は前から『スキル』に興味があってね。『スキルユーザー』に出会ったのは初めてだったもので、つい。気を悪くしたらゴメン」
「はあ」

「……けど、うらやましいな」
 遠くを見ながらぽつりととぶやく。

「いや、実際、そこまで大した力でもないんですよ。俺のは、なんというかハズレみたいな能力ですし」
「『スキル』もそうだけど、僕が何より羨ましいのは、時間だよ」

 そこでブライアン先輩は諭吉に向き直る。

「ケイトから聞いているだろ。俺にはもう時間がない」
「次がラストチャンスだとか」
「想像が付かないんだよ。今まで試験のために色々犠牲にしてやってきた。だから、もしダメだったらって考えるとその先が真っ白でね」

「次はありますよ」
 罪悪感を抱えながら諭吉は言った。

「先輩が今まで大変菜ご苦労をなさってきたのは聞いています。失敗もされて、不安になっておられるのも理解出来ます。でも、これだけは確実です。未来は必ずやって来ます。見えてないだけで、絶対に来るんです」

 明るいものか、暗いものかはわからない。一寸先は闇、という言葉もある。諭吉自身、異世界にいるだなんて二年前は妄想でしかなかった。

「ケイト先輩という婚約者だっているんです。どうか二人の幸せを、ケイト先輩と幸せになる道を考えてみてください」

 ブライアン先輩は一瞬、呆けたような顔をすると背を丸めて笑い出した。中庭に響き渡るような大声だった。そんなにおかしな話をしただろうか、と諭吉が自己嫌悪に浸っていると、やがて目に溜めた涙を手で拭き取りながら向き直った。

「ああ、いや、笑ってすまない。そうだね、ここで終わりじゃあないんだよな。参考になったよ」

 諭吉は心の中で胸をなで下ろす。予想外のリアクションに戸惑ってしまったが、どうやら納得していただけたようだ。

「それじゃあ、俺はもう行くよ。用事があってね。呼び止めて悪かった」

 ブライアン先輩は立ち上がると、一礼して校舎の方へと向かった。一体なんだったのか、と訝しんでいると不意に先輩が振り返った。

「これからもケイトとリリーと仲良くしてやってくれ」
「はあ」
 曖昧にうなずくと、ブライアン先輩は満足げに校舎への扉をくぐった。もしかしてそれを言うために呼び止めたのだろうか。

「なんとも変な人だな」

 あのケイト先輩が選ぶだけあって、変わり者というか、妙な人だった。結婚したらさぞにぎやかな家庭になりそうだ。

 それでは、自分も立ち上がった時、背後で何かが動く気配がした。振り返ると赤い髪を逆立てた男が青い顔をして、木に縋り付くようにして立っていた。五年生のアダムだ。

 何故こんな場所に、と諭吉が呼びかけるより早くアダムは身を翻し、学院の外へと走り去っていった。
 追いかける暇もなかった。諭吉は首を傾げながら再び図書館へと足を進めた。
 
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