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第二章 異世界人にも衣装

第9話 濡れ衣を着る/着せられる

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第9話 濡れ衣を着る/着せられる

 翌日から諭吉は学院に復学した。ドナルド・デッカーも教師に復帰するはずだったが、自主的に学校を去った。リリーの退学も取り消しになった。

 後日証言をしたというステラに事情を聞いたところ、やはりドナルドにおどされていたらしい。カンニングを見逃す代わりにリリーを退学にするのに協力しろ、と。諭吉からすればどっちもどっちなのだが、リリーが謝罪を受け入れた以上、何も言うことはなかった。

 賭けの結果は、ほぼ諭吉たちの総取りだった。おかげで当分は、アルバイトをしなくてもいいくらいには稼がせてもらった。手持ちの金を全部をぶち込んだ甲斐があるというものだ。胴元をしていた五年生の顔が引きつっていたが、自業自得だろう。

 他人の人生を無断で、博打のネタにする方が悪い。

 とはいえ、全てが上手く行ったわけではなかった。
 決闘の結果は学院中に広まっていた。授業中も休み時間も放課後も諭吉は注目の的だった。何をしていても視線を感じる。

 反面、諭吉に近付く者が、いなくなってしまった。遠巻きにするばかりで、授業中でも隣の者は席を離す。休み時間に廊下を歩いているだけでもそうだ。

 姿を見るなり教室に飛び込んだり、回れ右をしたりと露骨に避けられている。
 いないところでは、やれ『変態』だの『追い剥ぎ』だのと陰口を叩かれる。

 やってもいない痴漢行為まで諭吉の仕業ではないかと囁かれている始末だ。
 だから『スキル』は見せたくなかったのだが、後悔はしていない。

「まあ、元々友達いなかったからいいんだけどさ」

 時刻は昼休み。中庭にある木の下に座りながら下宿のおかみ手製のサンドイッチをぱくつく。具材は鶏肉と卵である。

「何言っているのさ、ユキチってば入学するなり色々な人に声掛けていたじゃないか」
「ああ、あれね」
 トムの指摘にうなずきながら二つ目に手を伸ばす。

「俺の故郷の風習でな。一年生になったら友達を一〇〇人作らないといけないんだ。俺は四年に編入したから四〇〇人だ」
「そんなに!?」
 トムが目を丸くする。

「ユキチ君、トム君をからかわないの」
「いや、本当ですって。ちなみに一〇〇人で国で一番高い山に登って、パンを食べると幸せになれるという言い伝えがあってですね」

「学院はたくさんの人がいるから達成できそうですけど、少ないところだと実現するのは大変そうですね」
「リリーも信じないで。冗談に決まっているでしょ。ユキチ君もウソを吹き込まないの」
 ケイトがたしなめられて、頭を下げる。

 諭吉の周りにいるのはトムとリリーとケイトだ。中庭には、ほかにも生徒の姿がちらほら見えるが、諭吉の姿を見るとそそくさと隠れてしまう。
 
「そういえば、ウチ以外にも学校ってたくさんあるんですよね」
「そうよ」ケイトが口元をハンカチで拭いながら言った。

「リンズオルムに、ロンダートヒル、サザンフォレスト。どこも優秀な学校ばかりよ」
 それが全部、『高等官吏試験』を目指しているのか。競争率など考えたくもない。
 たまらないな、と諭吉はうんざりさせられる。

「官僚以外にも学校ってあるんでしたっけ」
「一番学生が多いのは、ブレイズフィールドの騎士学校ね」

 元々騎士になるためには長い修行が必要だったという。子供の頃から小姓として正騎士に仕え、小間使いをしながら礼儀作法や知識を教わる。大きくなれば今度は、従卒として剣はもとより乗馬や槍術、弓矢の扱いと戦い方を学ばねばならない。

「でもそれだと、必要な知識や能力が欠けていたり足りてない人が多かったらしいの。ほら、騎士によって教え方とか熱心さとか全然違うから」
「ああ」
 統一された教育指導要領がないから全部、自己流になるのだ。

「だったらいっそのこと、騎士になりたい人たちを集めてまとめて訓練しようって動きが、五〇年くらい前にあって、それで騎士学校が出来たそうなの」
「そっちの方が効率的ですよね」
「その代わり、めちゃくちゃ厳しいって噂よ。一年の間に半分以上が退学か脱走するらしいし」

 軍隊の学校と考えれば厳しいのも納得か。ブレイズフィールドでなくて良かった、とひそかに胸をなで下ろす。貧弱な現代日本人の自分に過酷な訓練が耐えきれるとは思えない。間違いなく脱落組だろう。

「ほかにも、宮廷魔術師になるための魔術学校とか、船乗りになるための学校とか。この国って教育に力を入れているのよね」
「素晴らしいですね」

「あとは留学ね。隣のジェィグレーブ王国にもウチと同じような育成学校があって、そっちと交換留学制度を儲けているの」
 ジェイグレーブ王国は先んじて、官僚育成制度を設けている。向こうで得た単位がこっちでも適用される取り決めもあるそうだ。

「挑戦してみる? 留学生に選ばれるのは毎年ニ、三人くらいだけどユキチ君なら……」
「ダメ!」

 突然の大声に会話が途切れる。叫んだのは、リリーだ。しばし呆然としていたが、はっと我に返った様子で両手を振り出す。

「え、あ、ごめんなさい。でも、ほら。ユキチさんもまだ半年くらいだし、色々ここで学ぶ事もあると思うし、最近はイースティルムのレベルも上がっているからあんまり留学の意味もなくなっているって話もあるし、それから」

「はいはい、わかったから」
 興奮した面持ちでまくしたてる妹を肩を抱いてなだめる。

「心配しなくても横取りなんてしないわ。悪かったわね、長々と話しちゃって」
「お姉ちゃん! 違うから、別に。私はそんなんじゃ」
 言い訳するリリーと諭吉の目線がかち合う。リリーの顔が真っ赤になる。

「ごめんなさい、そのユキチさん。わたし、お水買ってきますね」
 水筒を置き去りにしてリリーは後者の方へ走り去っていった。

「元気な子だな。ありゃクラスメートも放っておかないだろ」
「ユキチ、それ本気で言っているの?」
 トムが物言いだけな目をする。

「もしかしなくても、俺に気があるって話か」
「当たり前じゃないか」
 むむっと形の良い眉を吊り上げる。

「自分のために退学をかけて先生と決闘したんだよ。リリーさんじゃなくったって……」
「お願いですからそこで熱っぽい視線を向けるのは止めて下さい。わりとマジで」
 耐えきれずに諭吉は顔を背ける。

「そう言われてもな。今、誰かと付き合うとか考えたこともない」
 おしとやかだし性格も素直だし可愛らしい子だとは思うが、付き合うつもりは毛頭無い。諭吉の最終目標は元の世界に戻ることだ。不義理なマネはできる限り避けたい。

「ユキチは変なところで真面目だなあ。普段居眠りばかりしているくせに」
「ほっとけ」

「それを聞いて安心したわ」
 にっこりとケイトが微笑んだ。薄く閉じた目に威圧感を込めて。

「言っておきますけど、リリーに手を出したらもぎ取る・・・・から。わりとマジで」
「重々心得ております」
 縮み上がっていく感覚を覚えながら諭吉は平身低頭する。

「それよりケイト先輩にはお付き合いされている方はいらっしゃらないんですか?」
「ユキチ、知らないの? 先輩にはね」
「ケイト!」

 トムの言葉を遮るかのように声がした。振り向くと、校舎の方から黒髪で背の高い男性が駆け寄ってくるのが見えた。服装は諭吉たちと同じ、学院の制服だった。胸に付けた校章は六年生のものだ。肩には大きな袋を背負い、つばの広い黒帽子に白い外套は埃にまみれ、長旅の苦心と疲れを身に纏っていた。

「ブライアン!」
 ケイトが歓喜の表情で立ち上がると、じれったそうな足取りで走り寄っていく。両手を広げ、倒れ込むように青年の胸に飛び込んだ。

「会いたかった」
「俺もだよ、ケイト」

 ブライアンと呼ばれた青年は飛び込んできたケイトをやや遠慮がちに抱きしめる。
 見つめ合う瞳と瞳。特別な関係にあるのは傍目にも明らかだ。

「ブライアン先輩だよ。うちの六年生」
 トムは自慢げに胸を張る。
「ケイト先輩の婚約者だよ」

「へえ」学生でもう婚約者がいるのか、と諭吉は感心してしまう。
 日本でもそういう例はあるだろうが、実際に出くわすのは初めてだった。

「入学前からの幼馴染みで、しかもケイト先輩と同じ特待生。卒業したら結婚するんだって。残念だったね」
 ふふん、とトムが嫌味っぽく笑う。

「別に」

 別段、負け惜しみでもなかった。ケイトも妹に負けず劣らず美人だし、あの口の悪い部分も嫌いではない。が、やはり抱いているのは友愛であって恋愛感情ではない。

 なので、熱っぽい視線を向け合っていても諭吉の胸は痛まない。美男美女でお似合いだな、と思う。学院内なので、もうちょい控えめにしていただけると、有り難い。公序良俗とかそんな感じで。

「でも、あんな先輩いたかな」
 六年生の数は少ない。あれだけの色男が学院内にいれば目立つはずだ。

「ブライアン先輩は留学していたんだよ。ほら、さっき言っていたジェイグレーブ王国の」
「でも留学ってことは単位とかどうなるんだ?」
「確か、向こうの学校と取り決めがあって、あっちで取った単位がこっちでも適用されるとか、そんな話だったはずだよ」
「進んでいるんだな」
 諭吉が感心している間にも、ケイトとブライアンは二人の世界を構築している。

「ねえ、今日はうちに食べに来てくれるんでしよ」
「すまない。この後、校長への報告と、学院への報告書をまとめないといけないんだ。今日は行けそうにない」

「ブライアン。せっかく会えたのに」
「いくらでも会えるよ。卒業したらずっと一緒だ」
「そうね」

「なあ、トム。俺ちょっと息苦しくなってきた」
「僕も」
「おっと鐘が鳴った。そろそろ授業だな。戻ろうか」
「……そうだね」
 諭吉たちが通り過ぎても愛し合う二人はまだ語らいを続けていた。

 放課後になった。一緒に帰ろうとトムを探しているところに学院の用務員さんから声を掛けられた。

「校長があなたをお呼びです、ユキチ四年生。今すぐ校長室にお越し下さい」
「何の御用でしょうか」
「詳しい話は会ってから、だそうです。それ以上は私も伺っておりませんので」

 校長の使いだからだろう。態度こそ慇懃だが、イヤとは言わせない雰囲気だった。
「承知しました」
 諭吉は用務員さんに連れられて、校長室の前に来た。

「入りなさい」
 進められるまま校長室の扉を開ける。諭吉は目を細めた。

 縦長に伸びた正面の奥に、格子の付いた大きな窓が嵌め込まれており、そこから差し込む夕暮れの光が諭吉の目を眩ませていた。
 しばらくして恐る恐る目を開けると、窓の下にマホガニー製とおぼしき机の後ろに校長が立っていた。部屋の両端は階段状になっており、五段ほど上がった壁は、左右とも一面書棚になっている。

「ようこそ、ユキチ君」

 そう言って歓迎の意を示したローズマリー校長は、まるで裁判官のようだった。
 となればここはさしずめ宗教裁判。俺は魔女狩り・・・・の被害者か。

 今にも後ろの扉や書棚の隠し扉から黒い頭巾を被った連中が、わんさと押し寄せて自分を水責め火責めにするのではないか。
 そんな空想に囚われながら諭吉は正面の椅子に腰掛ける。

「どういった御用でしょうか。居眠りでしたらもうやってませんよ。一日に一回くらいしか」
「そう緊張しなくてもいい」
 ふふ、と校長は意味ありげに微笑むと、机を挟んで諭吉の向かいに座る。

「君も忙しいようだから率直に言おう。君に頼みがある」
 ローズマリー校長はそこで机の上に古い羊皮紙をを広げる。この町の地図だ。
 町の北側、湖の側にある大きな建物を指差しながら言った。

「領主の館から鍵を盗み出してきて欲しい」

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