残り四回の嘘

戸部家尊

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 遮断された五感のうち最後まで残ったのは聴覚だった。そして、最初に取り戻したのも聴覚だった。翔太の耳に、沙希子と聞き覚えのない男の声が飛び込んできた
 君たち大丈夫か怪我はないか一体何があったんだ。私はいいよ怪我なんてしてねえ平気だってそれよりこいつが翔太がやばいんだ頭やられてんだ呼びかけても全然返事しねえんだよ血がさっきから止まらないんだよ救急車呼んでくれよ。待っていなさい今応急手当を。いいから早く救急車呼べよ何やってんだよお前らそれでも警察かよ誰のお陰で飯食ってると思ってるんだこの税金泥棒。
「………ならお前が呼べよ」翔太は言った。まだ意識が朦朧としている。頭が痛い。水たまりにでも突っ込んだのだろうか。頭の後ろがぬるぬるして冷たい。
 目を開けると沙希子の膝があった。倒れた翔太の側で跪きながら沙希子が制服姿の警察官にまくし立てている。口から泡を飛ばして、救急車救急車とオウムのように繰り返し、怒鳴り散らしている。三十歳くらいの筋骨逞しい警察官が沙希子の剣幕に押されているのが可笑しかった。
「携帯借りるなり、公衆電話探すなりあるだろうが」
「気がついたのかよ、おい」沙希子が嬉しそうに言った。「なら早く言えよ」
 警察官は白いタオルで翔太の頭を巻き始めた。保健の時間で学んだ応急手当そっくりだった。その隣で沙希子が今にも泣きそうな顔をしている。
 次第に他の感覚も戻ってきた。ざらついたコンクリートが頬に当たる。夏場でも夜になると大分冷えている。
「あのさ」翔太は沙希子の膝を見やりながら言った。「こういう時、普通膝枕なんじゃねえの?」
「寝ぼけるんじゃねえよ!」
 怒鳴られてしまった。流石に叩かれはしなかったが。
 警察官は救急車を呼ぶから、と路地の外へ駆け出していった。道の向こうにパトカーが駐まっているようだ。
 沙希子は翔太の側にしゃがみ込んだまま、何も言わない。落ちつきなく視線をあちこちに動かしている。少しは興奮も冷めたらしい。その顔は何を話して良いか迷っているように見えた。沙希子は翔太の額に巻かれた白い布に視線を合わせた途端、弾かれたように顔を背けた。
「謝んねえからな」ふて腐れたように言った。「おめーが勝手に助けに来て勝手に頭割られたんだからな。私は別に助けてくれ、なんて言った覚えはねえし」
「分かってるよ」翔太は言った。「俺が勝手にやったんだ」
 別に礼を言われるつもりはない。そもそも、あのライブハウスに行ったのは自分の意志だ。沙希子のせいじゃない。
 沙希子ははっと息を飲み、また黙ってしまった。
 道の向こうから車の走行音が聞こえる。まだ救急車が来る気配はない。
「あいつらは?」翔太は訊いた。
「逃げてった」沙希子は顔を背けたまま、そっけない口調で言った。 
「鉄也が藤川を殴ったすぐ後で警官が来たんだよ。二人。それであいつらみんな逃げちまいやがった。で、警官の一人があいつら追いかけていった。残りがさっきの奴。全く、調子の良いこと言いながら制服見ただけでゴキブリみたいにこそこそしやがってよ。情けねえ」
 そう言って力なく笑った。威勢の良い言葉に反して、肩が震えている。言葉にした拍子に襲われた時の恐怖が戻ってきたらしい。
 悪いことしたな。
 そう思った翔太は手を伸ばし、震える沙希子の手を握った。何年ぶりかに繋いだ手はあの頃と同じように柔らかく温かかった。沙希子は一瞬身を竦めて重なり合った手を見つめると、怖ず怖ずと握り返してきた。震えは止まっていた。
 しまった。
 いつの間に付いたのだろう。額から流れた鮮血は翔太の手を血みどろに汚していた。血はまだ乾ききっておらず、二人の指と指の間で粘ついた糸を張っていた。
「悪い」翔太は言った。こんな風にドジだから沙希子に馬鹿にされるんだ。
「いいって」沙希子は首を振った。「こんなもん、すぐに落ちるって」
 そして必死な面持ちで言った。
「あのさ、さっきのやつ。『あんたの性格大嫌い』とかって。あれ嘘だから」
「そうか」
「別にそんな嫌ってほどじゃないから。どうせ昔からだし。翔太は今の方が、翔太らしいかな」
「そうか」
 翔太は頷きながら別のことを考えていた。
 頭を割られる瞬間、能力を使って見張り役の男に『警察が来た』と嘘をつかせた。嘘なのだから警察など来るはずがない。
 なのに何故、『本当に』警官がここに駆けつけたのか。
 沙希子の話によると、二人の警官が駆けつけたのは気絶した直後だったという。ならば能力は発動せず、あの叫びは見張りの男の真実の声だったのか。それとも能力を使ったことで偶然近くを通りかかった警官を呼び寄せたのか。訊こうにもかけた相手はとっくの昔に逃げてしまっているし、会いたくもない。
 特に何かを使い果たした、という感覚はない。能力の残りは零か一か。テレホンカードのように穴が空くわけでもないし、公衆電話に入れると警告音を鳴らしてカードが戻ってくる訳でもない。
 だから確かめてみることにした。
「あのさ」
「いいから、もう喋るなって」
「俺、沙希子のことが好きなんだ」
 子供の頃からずっとそうだった。お前はワガママですぐに威張り散らして、そのくせ寂しがり屋で。おまけに散々ボケだの死ねだの言われて。けれど、それでも沙希子のことが放っておけないんだ。けどお前はほかの男と付き合ってて。辛くて苦しくて諦めようとほかの女の子と付き合ってみたけど駄目だった。忘れられなかった。
 こんなこと言って気持ち悪いって思うかも知れない。それならそれで構わない。触れることが出来なくても話せなくても、何も出来なくてもいい。どうか嫌わないで欲しい。何もしないから。ずっと側にいたいんだ。
 一度口にした途端、長年溜め続けてきた想いが胸の奥から沸き出し、ゆるやかな流れとなって体の隅々までしみ通っていく。想いは後から後から溢れて来る。口にしたつもりだがほとんど声とはならず、唇を動かしただけのようだった。
 沙希子の返事はなかった。目は惚けたように虚空を見つめている。唇がかすかに動いている。翔太の言葉を口の中で繰り返しているように見えた。
 沙希子への想いとは裏腹に全身に力が入らず、眠くなってきた。瞼が重い。意識が闇の底へ呑まれていくのを感じる。
「翔太」沙希子が体を揺さぶる。「死ぬなよ、おい」
 死ぬわけないだろう、おい。
 確かに血は止まらないけど。頭ってのは出血しやすいんだ。もうすぐ救急車も来るだろうし。それに、さっきから何故か傷口が痛くない。だから大丈夫。ちょっと体が重くて寒いだけだ。あと、眠い。三日も徹夜したみたいだ。寝たら楽になれるだろうな。
 心地よい誘惑に歯を食いしばって耐える。まだ肝心なことを訊いていない。
「お前はどうなんだ」翔太はかすれた声で言った。「俺のこと、好きか?」
 沙希子の目をまっすぐに見据え、微笑みかけながらありったけの想いを込めて心の中で嘘・嘘・嘘と三回、強く念じた。
 唱え終わった途端、意識が急速に失われていく。今度は抵抗できそうになかった。
 滑り落ちていくその手を沙希子はぎゅっと握り、もう片方の手も重ねた。そして雛鳥を慈しむように優しく握り直すと目に涙をため、怒っているのか笑っているのかよく分からない顔で言った。
「ウゼエよ、馬鹿」

   了
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