残り四回の嘘

戸部家尊

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      三

 能力を使ったことで何か変化があるかも知れない。翔太は念のため家に戻ってから口の中を調べたが、特に異常はなかった。服を脱いで全身、姿見に映してみたが変化はなく、杞憂かと胸を撫で下ろす。ともあれ能力が本物と分かった以上、迂闊には使えない。残り三回を大切に使わないと。そうなると今度は使い方が問題だ。どうすればこの能力を有効に使えるか、そんなことをぼんやり考えていたその日の晩、自分の部屋でくつろいでいた翔太の携帯が鳴った。翔太はベッドから起きあがると読んでいたグラビア雑誌を置き、携帯を取る。
「ああ、私」沙希子の声だ。「ちょっとさあ、金貸してくんない」
 いきなりか。
「いくら?」
「二十万」
 翔太は無言で携帯を切った。ついでに電源を切り、充電器に繋ぐ。そしてヘッドホンを耳に当て、ラジカセにCDを入れる。女性の低い声が穏やかなバラードを紡ぐ。目を閉じて聞き入っていると、春の海のような穏やかな眠りが翔太を包み込む。今夜はよく眠れそうだ。
「てめえふざけんなよ! いきなり電話切ってんじゃねーよ! 殺すぞボケ!」
「何に使う気だ」
 沙希子は自宅の電話に切り替える作戦に出た。両親は仕事で不在のため、ベルが鳴り続けること五分、根負けした翔太は受話器の奥から聞こえる文句を適当に聞き流しながら金銭の用途を訊いた。
「来週さあ、鉄也の誕生日なんだよね。それでさ、指輪欲しいっていってんだよ。シルバーのやつ」
 男の癖に指輪かよ。翔太は心の中でぼやいた。チャラチャラしやがって。
「露天で売ってるだろ。もっと安いの」
「そういうんじゃなくてさ。渋谷ですっげー格好いいの売ってる店見つけたんだって。私も見たんだけどさ。結構良いんだよね。鉄也に似合いそうでさ」
 知らねえよ。
「お前の彼氏だろ? お前が金出して買ってやればいいだろうが」
「あったら藤川に電話してねえって。今、金ねえんだよ。ダチに電話してもみんな金ねえって言ってるし。おめえだったら持ってるかなって。金貰ってもどうせまだ使ってねえだろうし」
「………」
「頼むよ。十五万、いや十万でもいいからさ」
「断る」翔太はきっぱりと言った。「バイトして稼げ」
「だから、来週だって言ってるだろ。二十万なんて無理だって。それとも何か。売春(ウリ)でもやれっての?」
「そんなこと言ってないだろ。プレゼントなら別のにしろよ。そんな高いのじゃなくてさ」
「例えば?」
「手作りのケーキとかクッキーとか」
 がさつな態度や言葉遣いと裏腹に、沙希子は料理が上手い。母親が料理学校の教師をしており、子供の頃はかなり仕込まれていた。お菓子なんかも上手に作る。特にチーズケーキは絶品で、そこらの店で売ってるのよりはるかに美味しい。
「馬鹿じゃねえの?」受話器の奥から鼻で笑う気配が伝わってくる。「そんなんで喜ぶのは童貞クンくらいだって」
 そこまで言うか。
「分からないだろそんなの。絶対その指輪じゃなきゃ駄目って訳でもないんだろ。お前の気持ち籠もってる物なら喜ぶはずだって。というか、料理作ったことないのか。その、真鍋先輩に」
「ねえよ。鉄也はそういうダサイの喜ばないんだよ。ほらあるじゃん。クリスマスに手編みのセーター渡すっていうの。ああいうの押しつけがましいっていうか、愛情より怨念籠もってそうだから嫌いなんだってさ」
「………」
「だから金いるんだよ。後で必ず返すからさ。今度は絶対、な?」
「嫌だって言ってるだろ。プレゼントは別のにしろ。それでごちゃごちゃ言ってくるような奴ならさっさと別れろ。その方がお前のためだ」
 段々と語気が荒くなっていく。指輪を渡せないから駄目だ、なんて言う奴ならそいつは彼氏じゃない。本気で沙希子の事が好きじゃない。
「何でおめえにそんなこと言われなきゃならねえんだよ」沙希子の声も刺々しい。「私の彼氏の事でがたがた言われたくないね」
「けどな、沙希子」
「気安く呼ぶなって言ってんだろうが!」沙希子は叫んだ。
「いつからおめえは私の彼氏になったんだよ。幼稚園のガキじゃあるまいし。呼び捨てにすんじゃねえよ!」
「悪い」頭に昇っていた血が一気に冷めていく。
「昔っからそうだよねアンタってさ。偉そうに。いっつも一人だけ良い子ぶりやがって。はっきり言ってウザイんだよそういうの」
「ごめん」
 翔太はもう一度謝った。
「いいよもう、おめえには頼まねえ。ほか当たる」
「いや、けどな」
「うるせ、馬鹿、消えろ!」
 唐突に通話が切れた。無機質な音が翔太の耳に空しく響いた。翔太は受話器を置き、自分の部屋に戻るとそのまま、ベッドに倒れ込んだ。電話が掛かってくる前まで読んでいたグラビア雑誌が視界に入ったが、手に取る気にはならなかった。
 呼び捨てにするな、か。
 一体、いつの間に名前も呼び合えないほど距離を置くようになったのだろう。昔は違った。幼稚園では毎日泥だらけになって遊んだし、小学校の低学年まで手を繋いで登校していた。それが小学校も高学年に入ると何となく女の子と遊ぶのが気恥ずかしくなった。体つきの違いを意識し始めたのもこの頃だ。日に日に沙希子の体が丸みを帯びていくのが眩しかった。沙希子と駆けっこしても毎回翔太が勝つようになった。
 沙希子もクラスの女子とつるむことが多くなった。それに、翔太自身もクラスの男子とサッカーやテレビゲームで盛り上がる方が楽しくなっていた。
 中学に入ってもそれは続き、そして戻らなかった。
 彼氏彼女なんてものが同学年や先輩後輩の間で作られるようになった頃、沙希子は背の高いバスケ部の上級生とつきあい始めた。沙希子の顔つきも体も大人っぽくなっていた。派手な露出の多い服を着こなしているときは高校生にも間違われた。背も高くなり、成長の止まった翔太の身長を既に追い越している。
 沙希子とその上級生、誰の目にもお似合いだった。
 沙希子は彼氏とのデートを報告してきた。翔太は表情を取り繕って言った。
「良かったな北村」
 ところが三ヶ月と経たないうちに沙希子は恋人と別れた。沙希子がバスケ大会の当日に呼び出し、大会で応援するのが面倒だからバスケ部辞めろと迫ったのが原因だった。わがままにも程がある、と翔太はこんこんと説教した。折角あんないい人と付き合っているのだ。お前には勿体ないくらいだ。今からも遅くない、謝ってよりを戻すべきだ。沙希子は激怒した。
「うるせえ! いちいち私の彼氏のことで藤川に指図される筋合いなんてねえんだよ。保護者ヅラして出しゃばるんじゃねえよ!」
 結局そのままその上級生とは別れ、他の男子と引っ付いた。今度は同じ学年でも五本の指のはいる秀才だった。すぐに別れた。そしてまた別の男と引っ付く。そんなことが繰り返されるうちに、沙希子のことを極力考えないようにした。考えすぎることは害悪しかもたらさない。それが翔太の結論だった。
 別の学校を受験すると聞いていたのに、翔太が合格した高校の入学式に沙希子の顔があった。相変わらず男を取っ替え引っ替えしていたが中学の頃とは違い、沙希子は翔太によく話しかけて来るようになった。大半が教科書忘れた、金を貸してくれ、買い物行くから付き合え、どうでもいい雑用ばかりだった。そんな下らないことでも心の何処かで嬉しがっている自分が嫌だった。断り切れない性格が疎ましかった。
 馬鹿らしい。何で俺があいつの彼氏へのプレゼントの金用意しなくちゃならないんだ。しかも二十万円も。ふざけるな。金がない、と言ったのは本当だ。確かにこの前叔父さんから小遣いを貰ったが、手持ちの金を合わせても六万円とちょっと。十四万円も足りない。翔太の両親は小遣いの前借りを許さない主義だし、アルバイトも沙希子と同じ理由で無理だ。金貸してくれる友人はいる。石田あたりなら貸してくれそうだが、沙希子のことでそこまで迷惑かけていいものか。それに石田は沙希子に気があるようだ。彼氏へのプレゼント買う金なんて貸してくれるとは思えない。
 こうなったら貯金を下ろすしかないか。通帳はどこにしまってあったか。
 待てよ。
 いつの間にか渡すことを前提に考えていたことに気づき、苦笑する。電話口で断った筈なのに。しかも、あれだけ馬鹿にされて、用意するつもりなのか。お人好しも良いところだ。だから、沙希子にもウザイとか言われるのだろう。
 放っておこう。沙希子ならどうにかして金を作るだろうし、出来なければ別の物を渡すだろう。指輪でなくても構わないだろうし。
 いや、違う。
 沙希子は昔から視野が狭く、一つの事に決めたらほかの選択肢が見えなくなる。この前の教科書にしたって、石田のように頼めば見せてくれる奴はほかにもいるだろうに、いつも決まって翔太に借りに来る。以前、英語の教科書を借りに来た時、翔太も忘れていて貸せなかった事がある。翔太は別のクラスの友人に借りて無事に済んだが、沙希子はそのまま授業を受け、矢島にこっぴどく叱られた。
 変なところで融通が利かない、というか要領が悪い。今回もプレゼントは指輪と決めたらその指輪以外のものをプレゼントする、という選択肢を排除してしまう。
 頑固なんだよな、あいつ。
 ほかを当たる、なんて言っていたがどうせ口からでまかせに決まってる。金が出来なければ沙希子はどうするだろう。消費者金融に手を出すほど馬鹿ではないと思うが。金欲しさに変な勧誘に引っかからないとも限らない。
 翔太は溜息をつくとベッドから身を起こし、机の引き出しからノートを取り出す。シャープペンで書いたり消したりを繰り返しながら今後の対策を練り始めた。
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