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春の祈り(後編)

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「というのが、彼らの言っている三圃制という農法だよ」

 ルシアナの護衛のためにとある町を訪れていたバルシファルは、この付近の畑でこれから実験的に行われる三圃制について、サンタに説明をした。
 バルシファルも初めて聞いた内容だったが、その有用性は十分に理解できた。

「食糧が増えたら、王都での食糧の高騰問題も解決しますね。いやぁ、朝、もう一個パンを買うべきか買わざるべきかって悩みが無くなりそうです」
「そうだね、確かに無くなると思うよ。ただし、悪い意味で、だけどね」
「え? どういうことですか?」
「三圃制には大きなデメリットが三つある。確かに畑を三分割して小麦と大麦と休閑地に分ければ、作物を育てる畑の面積だけでも、三割増しにはなる。でも、小麦を育てている土地の面積は、三割以上減るんだ。つまり、小麦の収穫量も減る。多分、三圃制が始まったら、小麦や小麦を使ったパンの値段は上がるだろうね」
「え、今より値段が高くなったら、本当に困ります」
「まぁ、その分大麦のパンが安く出回るし、食糧の供給が安定したら、値段も下がると思う。ただ、食の格差は広がると思う。富裕層は小麦のパンを食べることができ、貧民層は大麦のオートミールで腹を満たすようにね。まぁ、私は大麦のオートミールも好きだけれど」

 そう言って、彼は祭りで振る舞われていた肉串を見た。

「いま、この豚も休閑地で育てられているが、その休閑地の面積も狭くなれば、当然、飼育できる家畜の数も少なくなる。肉の価値も上がるだろう」
「うっ、それが二つ目のデメリットですか。じゃあ、三つ目は何の価値が上がるんですか?」
「それは――貴族の価値だよ」
「え?」
「三圃制はこれまでの農法と比べ、必要な土地の面積も広くなる。これまで農民は自分の土地で作物を耕し、それを税として納めていたが、個人で広大な土地を所有することはできない。結果、農民が共同で行う必要が出てくる。そして、それを管理する人間も。いまは国が行っているが、やがては地方の領主が行うようになるだろうね。そして、これまで農民は税として作物を領主に納め、残った分を自分たちが自由に扱っていたが、今後は、すべての作物を領主に納めた後、それらが農民たちに配分されるようになる」

 三圃制は、人々を飢えから救う天使の農法であると同時に、人々から自由を奪いかねない悪魔の農法でもあると、バルシファルは思った。

(果たして、この農法を考えたのは、天使か、それとも悪魔か)

 いや、違うな、とバルシファルは思った。
 この農法を考えた人間が天使か悪魔かではない。
 それを天使の農法にするか、悪魔の農法にするかを決めるのは、王家の務めだ。

「君はどう思うのかな? シャルド殿下」

 未来の王を思い、バルシファルは空を見上げた。
 シャルド殿下と言えば――とバルシファルは、その婚約者となったルシアナのことを思い出す。
 冒険者たちのルシアナへの悪評は、祭りの席では酒の肴となっていた。
 悪口が止まる気配がなく、本人や関係者に聞かれたら不敬罪が適応されかねないので、自然と声が小さくなっているが、時折聞こえてくる笑い声から、何を話しているのか大体想像ができる。

(やれやれ――よくもそこまで会ったばかりの、しかも子供の悪口を言えるものだ。それでは、君たちの中にあるルシアナ嬢とやっていることは変わらないじゃないか)

 そんなことを考えると、せっかくの酒が不味くなった気がした。
 何か楽しいことはないだろうか?

(出発する前は、この旅、もう少し楽しくなる予感がしたけれど、間違いだったかな)

 現在、噂の的のルシアナは、宿の部屋に閉じこもって祭りには出てこないらしい。
 三圃制を主導しているハインツと話してみたいと思ったが、彼は侯爵家の人間であり、王立研究所の次期所長と目されている。一冒険者であるバルシファルが簡単に会える相手ではない。
 そう思っていたら、中央の檀上で動きがあった。
 どうやら、儀式が始まるようだ。

「ファル様、あれ――」

 サンタが壇上に上がった修道女を指さす。
 バルシファルだったら、他人を指さしてはいけないと注意しようと言っただろうが、いまはそれすらできない。

(やはり、私の予感は間違っていなかった)

 壇上に上がった修道女――それはバルシファルがよく知る女性だったから。
 彼は彼女を見つけ、これまでの退屈を忘れるように小さく手を振ったのだった。

   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 ルシアナ壇上から周囲を見ると、笑顔で手を振っている男性とすぐに目が合った。
 バルシファルである。

(いきなり見られた――バルシファル様、物凄く笑顔で素敵だけど――)

 いまは修道女として、集中しなくてはいけない。
 目の前に、小さな盃が置かれた。

 準備ができた。

「皆さま、お静かにお願いいたします。これより、春の祈りを始めます」

 そう言って、ルシアナは大きく息を吸い込み、歌い始めた

「我らに恵みをもたらした大地は、いまは夢で、その英気を育む」

 彼女が最初の部分を歌い終えたところで、壇上の周囲にいた修道女、神官たちも共に歌い始める。
 これは、賛美歌だ。
 現在、大地は眠りの神ヒュノスの力により、眠りに落ちている。
 そんな時に、芽吹きの儀式や豊作の祈りを行っても、大地には届かない。そして、無理にでも大地を起こそうなら、ヒュノスの怒りにより大地から眠りの恩恵が失われる。
 そう言われている。
 だから、無理やり起こすのではなく、大地への、そして神への賛美歌を捧げることにより、大地が眠る夢の中に、言葉を届ける。
 さらに、神ヒュノスを讃える言葉を歌詞に込めた後、

『我らの祈りに応え、一時、草木、労り給わん』

 大地は人々の願いに応じて目覚め、植物を育んでくれる。
 無理やり起こしているのではなく、祈りに応じてきっと大地は自分の意思で目を覚ましてくれるだろうと伝えている。

『すべて終わりしとき、再び深き眠りへと落ちようとも、目覚めの時はまた訪れん』

 そして、大麦の収穫が終わったら、また一年休耕地として休み、その翌年に小麦を植えます。
 そういうメッセージであった。

 その後、ルシアナは祝詞を唱える。

「――芽吹きの神ベルネ様よ、農耕の神ハーネス様」

 神様の順番も間違えなかった。

(細かい指摘をしてくれたおじいちゃん、ありがとう)

 ルシアナは口では神に感謝と祈りを捧げながら、心の中ではさらに前世でルシアナのミスを細かく指摘したお爺さんを思い出して感謝の言葉を述べていた。
 そして――最後に、祈りの魔力を水に込めれば終わりだ。

「どうか、その祝福があらんことを――」

 ルシアナがそう言った次の瞬間、盃の中に入った水が眩い光を放った。
 それには、ルシアナも周囲の人間も驚きを隠せない。
 こんなこと、前世でも一度もなかった。

(考えられるとしたら、生まれ変わって、私の魔力が上がったから? もしかして、私、失敗しちゃった?)

 光が徐々に収まっていく。
 完全にその光が消えたとき、会場は静寂に包まれた。
 何か言わないといけない、その焦りから、ルシアナは笑顔で言った。

「どうやら、皆様の祈りが神に届いたようですね。これで、春の祈りを終えます。この水は、最初に種を植えた場所に撒いてくださいね」

 と笑顔で言った。
 なんとか誤魔化せたかな?
 と思った次の瞬間、

「聖女様だ――」

 誰かがポツリと言った。
 その声を中心に――

「聖女様がこの地に舞い降りたぞ!」
「きっとあの子は聖女様の生まれ変わりだ!」

 とルシアナのことを聖女と呼ぶ声が波紋のように広がっていった。
 場の収拾がつかなくなってきて、神官たちもどう対応したらいいかわからない様子。
 でも、ルシアナは知っていた。
 自分は聖女ではないことを。
 何故なら、前世に置いて聖女とは、シャルド殿下に近付きルシアナと婚約破棄するように言った人物であるから。
 これまで、国と教会に聖女と認められた人間は数多くいたが、同じ時代に二人以上の聖女が存在したことはない。
 本物の聖女がルシアナが生きている間に現れる以上、彼女は聖女ではないということになる。。
 ここで聖女だと言ってしまえば、彼女はいつの日か、偽聖女のレッテルを貼られ、罪人扱いされる可能性だって出てきた。
 彼女は泣きだしたい気持ちを抑えながら、叫んだ。

「私は聖女じゃありませんっ! 絶対に違います」

 その叫び声は、興奮する町の人達の声にかき消されたのだった。
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