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9巻

9-3

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「やりすぎです!」
「なんだ? 関係ない奴はすっこんでろ」

 ロブさんが僕を睨みつけた。
 怖い。
 でも、ゴルノヴァさんの恫喝どうかつに比べたら、まだ平気だ。

「関係なくありません。僕は今度できる銀行の関係者です。皆さんのような方がいらっしゃると、お金を貸す人のイメージが悪くなります」
「銀行の関係者だと?」
「そ、そうよ! お客さんは銀行の人で、融資先を探しているの。うちに融資をしてくれるの!」
「は?」

 信じられないという感じでロブさんは僕を見る。
 そして、僕の肩を掴み、目を見て言った。

「やめとけ、こんなところに金を貸したら、本当に痛い目にうぞ」
「お、脅しには屈しません」
「脅しじゃないって。俺たちがこの親子にどれだけ金を貸したと思ってるんだ? いいか、この店に金を貸しても絶対に返ってこないんだ。こんな変なところに金を貸したとなったら、せっかく働かせてもらえてる銀行をクビになるぞ」

 …………あれ?
 ロブさんは、僕をさとすように言う。
 本当に脅しているのではなく、僕に優しく忠告しているみたいな感じだ。

「あの、一体いくら貸しているんですか?」
「利子含めて金貨三十枚だ。三年前に死んだこいつのカミさんのカリーはそりゃもう絶品でな、俺も足しげく通ってたんだよ。そのカミさんがいなくなって、カリーも食べられなくなると思っていたんだが……」

 ロブさんはちらりと店主を見る。

「この男が『自分が必ずカリーを再現してみせます! だからその資金を貸してください』って土下座するもんだからな、金貨二十枚を貸してやったんだ。さらに一年前には、そのじょうちゃんが、『父は必ずカリーを完成させますから、追加でお金を貸してください! 金貨五枚でいいんです! 返せなかったら私が体で返します!』って泣いて頼むもんだから、それも貸してやったのによ。出来上がったのは、お前さんが食べた黒い炭のスープだ」
「えっと……それはお気の毒様でした。でも、未成年の女の子を売り払うっていうのは」
「は? その嬢ちゃん、見た目は幼いが、あれでも二十歳だぞ? それにこっちが用意した働き先だって、ちゃんとした飲食店だし、住み込みでもいいって言ってくれてる」

 えっ!? 僕より歳上だったの?
 ……女性の年齢ってわからない。
 ミシェルさん――オフィリアさんの助手のエルフも八十歳だし、僕の幼馴染おさななじみのヒルデガルドちゃんも、千二百年前に僕の作った薬で不老になったので(今は薬を作って不老じゃなくなったけど)、当然千二百歳を超えている。それにミミコさんも年齢不詳だし、アクリなんて六千歳を超えていることを考えると、娘さんが歳上だと言われても不思議ではないのかもしれないけれど。
 話を聞けば聞くほど、このロブさんっていう金貸し、まともに思えてくる。
 金貨二十枚を三年間、金貨五枚を一年間貸して、利息が五枚っていうのも、金貸しの相場を考えると安い方だ。
 僕が店主と店員の女の子――娘さんを見ると、二人は露骨ろこつに視線をらした。

「……ごめんなさい。僕が間違っていました」
「いや、別に構わない。こっちもまぎらわしい言い方をしたし、この見た目だ。そういう誤解はいつものことだからな」

 じゃあ、僕は本当に邪魔みたいだし、帰ろうかな?
 そう思った時だった。

「ま、待ってくれ、君! 君は俺が作ったカリーのスパイスを一発で言い当てた。君ならカリーを再現できるんじゃないか?」
「えっと……すみません、そもそもそのカリーを食べたことがないので」
「レシピならある! 妻が遺してくれたものだ! 一部欠けていて読めないところがあるんだが、それでも君なら――」

 たしかに、このカリーを食べて、問題点はだいぶわかった。
 でも、それを改善しただけで、みんなが知っているカリーの味になる確信はない状況で、迂闊うかつに頷くことはできない。

「レシピを見せてもらっていいですか? それと厨房も」


 見せてもらったレシピは、恐らく店主の奥さんが、自分が死んだ時に見てもらうために用意したものなのだろう。自分で見返すにしても、とても丁寧ていねいな文字で書かれていた。
 ただし、あちこち黒い染みができていて、解読できなくなっている。
 この黒い染みは、さっきの黒いカリーによるものだとわかった。
 きっと、レシピを見ながら作っていて、うっかりこぼしてしまったんだな。
 綺麗にき取ることもできるけれど、カリーの炭の成分とインクが完全に混じっているので、そうすると文字まで消えてしまって意味がない。
 そして、厨房でカリーを作っているなべを見る。
 中身は空っぽだ。一人分しか作っていなかったのだろう。
 そして、鍋が真っ黒になっていた。
 カリーの黒さだけではない。
 すすや過去に焦がしたカリーがこびりついているのだ。
 こんな鍋だと、まともに料理を作っても炭の味になってしまう。

「店主さん、なんで鍋をこのままにしてたんですか」
「それは妻が遺してくれた鍋だ。代わりなんてあるもんか」
「いや、奥さんが遺した物でも、いえ、奥さんが遺した物だからこそ、ちゃんと手入れをしないとダメですよ。ほら、こんな風にすぐに綺麗になるんですから」

 そう言って、僕は金属特有の光を反射させる鍋をかまどの上に置いた。
 さて、あとはまきを――

「「「「「今なにしたんだ!?(したの!?)」」」」」

 店の親子とロブさんたち全員が声を揃えて叫んだ。
 なにって、見てなかったの?

「あ、こういう汚れって重曹じゅうそうで綺麗に取れるんですよ?」
「そんなお婆ちゃんの知恵袋みたいな方法で取れる速度じゃなかったぞ」
「お母さんが使ってた時も鍋の底は煤だらけだったのに」
「魔法じゃないのか?」

 店主さん、娘さん、ロブさんがそれぞれ尋ねてくる。

「僕の魔法の適性はGランクなんで使えません」

 魔法でそよ風ひとつ生み出すこともできない。
 魔力は人並みにはあるってミミコさんから聞いたけれど、それでできることなんてほとんど限られている。

「あと、これは、奥さんのレシピを元に書き直したカリーのレシピです。これを元に店主さんに作ってもらっていいですか?」
「「「「「いつのまに書いたんだ!?(ですか!?)」」」」」

 え? みんなが鍋を見ている間に、ささっと書いたんだけど気付かなかったのかな?

「って、俺が作るのか? お客さんじゃなくて?」
「僕が作ってもできるかもしれませんけど、店主さんが再現できなかったら店が続けられないから意味がないじゃないですか。じゃあ、とりあえず六人前作ってみましょう」
「そうか……よし、わかった」

 店主はそう言うと、早速つぼに入ったスパイスを器に――

「って、待ってください! 量を書いていますよね? 全然違うじゃないですか!?」
「え? だいたいあってるだろ?」
「違います。ナツメグは三グラム多いですし、ターメリックは五グラムも少ないです! さっきも言いましたが、クローブ多すぎます! 七グラム減らしてください」
「だぁぁっ! 薬師くすしじゃねぇんだ。そんないちいち何グラムかなんてはかってられるかっ! 適当でいいだろ、こんなもん。妻だっていちいち重さなんて量ってなかったぞ」
「それはきっと量らなくても見てわかったからですよ。量がわからない人に、そんなレシピを作れませんよ」

 とはいえ、確かに目分量で重さがわからない人に、重さを量ってもらうのは面倒だな。

「んー、ちょっと待ってください」

 僕はレシピを書き換え、さらに鞄の中に入れていた銀貨数枚と簡単な器具を使い、金属製の匙を何本か作り出す。

「な……なぁ、なんであの坊主、銀貨から銀の匙を作ってるんだ?」
「大丈夫です、ロブさん。この銀貨は王国の銀貨じゃなくて、昔の国の銀貨なので、つぶしても違法じゃありません」

 ハスト村にあったお金のほとんどは、千二百年も昔の物だったので、古すぎて使えなかった。そのため、一部は僕の貯金から両替して、こうして道具作りに利用させてもらっている。
 ホムーロス王国やグルマク帝国の銀貨を鋳潰すのは重罪だけど、古い国の貨幣かへいだったら問題ない。

「いや、そういう意味じゃないんだが……もう何から聞けばいいのか」

 ロブさんが質問をしあぐねているので、僕が説明をする。

「はい、この匙は軽量スプーンです。奥様が重さで書いていたので、スパイスごとの重さに合わせて匙を作りました。なので、一人前のカリーを作るには、これをすりきり一杯入れたら大丈夫です」
「おぉ、確かにそれは楽だな」

 店主がそう言って、計量スプーンで六回ずつスパイスを器に移していく。

「って、混ぜないでください! 入れる順番があるんですから!」

 その後も……

「先に材料を全部揃えてから鍋に入れてください! 野菜まだ切ってないじゃないですか! あ、玉ねぎもトマトももっと細かく切らないと水分が出てきません」
「火力が強すぎます! 最初は中火ですよ! その後弱火に落とすんです。強火にしたら時短になるとかそんなことはないんです!」
「水を入れてから中火の強めで! 薪はこっちの乾燥かんそうしてるのを使ってください! 拾ってきた乾燥させていない木の枝を入れたら煤が出て料理に入っちゃいます」

 なんというか、いろいろと大変だった。
 聞いてみると、この店主さん、料理の適性はFランクと、あまり得意ではないらしい。
 でも僕が注意した点は、適性云々うんぬんとは違う気がする。
 いや、手順をしっかりと守れないから、適性が低いのかな?
 以前、学校で生徒を教えるのはうまくやれたつもりだったんだけど、得意な料理でこのていたらくでは、やっぱり先生には向いていないのかもしれない。
 なんとか出来上がったカリーがテーブルの上に並べられる。
 さっきの黒いスープと違い、美味しそうな匂いがする。
 ロブさんの同僚どうりょうの人も席に座り、店主さんが自分を含めた全員分のカリーを器に入れ、娘さんが並べていく。
 誰も食べようとしないので、僕が食べてみる。

「うん、まぁ、美味しいかな」

 さっきの黒いスープに比べたら、しっかりコクも旨味もあって、あの嫌な焦げた苦味がない。
 これなら、たぶんお店に出しても客も文句を言わないだろう。
 僕が食べたのを見て、他の人も料理を食べ始めた。
 ロブさんの同僚の人たちが、「これはうまい」と評価し、パンをつけて食べていく。
 それを見て一安心したのだけれど……

「俺の求めてるカリーとは違う」
「お母さんのカリーじゃない」
「ああ、レベルが低い……」

 ロブさんと娘さん、店主は落胆らくたんした様子だった。
 だが、僕もこれについては予想していた。
 ちゃんとレシピ通り作っている。
 でも、料理というのはいつでもレシピ通りに作ればいいというものではない。
 野菜の切り方はかなり重要だ。たとえば、玉ねぎの切った大きさがばらけると、小さい玉ねぎの火の通りに合わせれば大きな玉ねぎは生焼けになるし、大きい方に合わせれば小さい玉ねぎは焦げてしまう。
 それに、野菜の水分量によってもあとから入れる水の量の調整は必要だし、なんなら、外の気温によって香辛料の調整をした方がいいかもしれない。
 こればかりは、努力と技術が必要になるんだけど、あの店主さんは刻んだ玉ねぎなら全部同じって感じだったし、これ以上の改善は難しいかもしれない。
 できることといえばせいぜい、質のいい野菜や香辛料を仕入れるとかそのくらいかもしれない。
 そう思っていたら――

「ちょっと皆さん、待っていてください!」

 そう言ったのは娘さんだった。
 彼女は僕たちの返事も聞かずに厨房に行った。
 そして聞こえてきたのは包丁の音だ。
 玉ねぎを切っているのだろうけれど、リズムがいい。店主さんに比べて慣れている感じがする。
 続いて、玉ねぎと香辛料をいため始めたらしい。
 店主さんより速い。
 それに、美味しそうな匂いがもう店内にあふれてくる。
 でも、レシピで書かれている本来は水を入れるタイミングをとっくに過ぎているのに、水を入れる気配がない。
 どうやら彼女はわかっているようだ。
 水を入れるのが早ければ焦げる心配はないけれど、焦げる寸前まで炒めれば、そのスパイスの香りがさらに際立つということに。
 恐らく店主さんが玉ねぎや香辛料を焦がすのを何度も見てきた彼女は、どのタイミングで焦げ始めるか、無意識に理解してきたんだと思う。
 きっと店主さんの奥さんが遺したレシピは、料理があまり得意ではない店主さんでも作れるものだったんだろう。
 だけど本来のレシピは、娘さんが作っているようなコツが必要なものだったのだ。
 もしかしたら、店主さんも無意識のうちにそっちに挑戦して失敗していたのかもしれない。
 そして――

「できました! カリーです。どうぞ召し上がってください」

 見た目はさっきのカリーと変わらない。
 でも、香りは全然違う。
 さっきは僕が食べるまで誰も食べようとはしなかったが、その匂いにつられ、みんな我慢できないようだ。
 みんな、木の匙に手が伸びるまでほとんど時間はかからなかった。
 匂いでわかっていたけれど、食べてみてわかる。
 さっきとコクや旨味が全然違う。野菜も上手に切れているし、素材の味をしっかり引き出している。

「これだ……妻の味だ。俺が目指していた味だ」
「ああ、俺が昔食べた味だ……いや、まだあの頃の味には僅かには及ばないが」

 店主さんもロブさんもカリーを食べてそう感想を呟く。
 娘さんも、自分のカリーを食べて満足そうな表情を浮かべる。あ、満足そうというより、これがドヤ顔ってやつだ?

「お客さんの説明がわかりやすくて、私でもできるんじゃないかって思っていたらできちゃいました!」

 どうやら、奥さんの料理の腕は、きっちり彼女に遺伝していたようだ。

「ロブさん、このカリーなら、お客さんも戻りますよね? もうちょっと待ってくれませんか?」

 確かに、ロブさんや他の人の反応を見ると、これなら客も入るし、借金だって返せるかもしれない。

「悪いが、嬢ちゃん、それはできねぇ」

 そう言ったのはロブさんではなく、その同僚の人だった。

「確かにこのカリーなら儲けも出るだろう。借金もいつかは返済できる。でも、そのいつかは、一体いつになるんだ? 悪いが、もうそういう話の段階じゃねぇんだよ」

 そんな……せっかく店が立ち直ろうというのに。
 それなら、やっぱり僕が融資を――と言いかけた時だった。

だまれ」

 そう言ったのは、他でもないロブさんだった。

「おい、嬢ちゃん。このカリーはまだまだ、俺が知っている味には及ばねぇ。それは食べたお前もわかるだろ?」
「……はい」
「一年待ってやる。とりあえず、一年以内に俺が満足できるカリーを作って、せめて利息分だけでも全額返済しろ。そうしたら、あと何年かは待ってやる」

 ロブさんの言葉に、店主と娘さんが手を合わせて喜ぶ。
 よかった、これで全員幸せに終わったかな?

「待ってください、兄貴! そんなことになったら、兄貴が元締めの奴らに潰されちまいますよ! 上納金の期限、もうほとんど残ってないんですから」
「あぁ、そうだったな。まぁ、俺の家と家財を売れば、まぁなんとかなるだろ。ちっ、また安宿生活に逆戻りか……だが、仕方ねぇだろ。お前らも覚えておけ。金を貸すっていうのは、魂を貸すのと同じなんだよ。自分の気持ちに嘘をついて回収したら、魂がくさっちまうんだ」

 ロブさんは苦笑するが、その表情はどこか誇らしげだ。
 凄い、これが本当のプロの金貸しの人なんだ。
 僕は、とりあえずお金が必要な人にお金を貸して、そして返してもらったらそれで終わりだって思っていた。
 でも、ロブさんの金貸しを見て、違うんだって気付いた。

「あの、さっきも話したと思いますけど、僕は銀行の職員で、融資先を貸しているんです。それで――」
「坊主、お前、この店に金を貸してそれで俺たちに金を返させようって言うのか? いいか、この店は俺たちの顧客だ。それを奪うっていうのはこの業界じゃ禁忌タブー――」
「いえ、違います! ロブさんにお金を貸したいんです!」
「は? いや、待て! 俺たちは同業種だぞ!?」

 目を丸くするロブさん。

「はい! とても参考になりました!」
「じゃなくて、銀行にとって俺たちは敵みたいなもんだろ! そんな奴に金を貸して、取り込もうっていうつもりか?」
「え? いえ、無利子で貸しますし、返済もこのお店から返してもらった分をそのまま僕たちに返してくれたら構いません」
「いや、そうじゃなく……って無利子!? お前、それだと商売にならないだろうが!」
「そうですよ、お客さん! そんな好条件だったら私に貸してください!」

 娘さんが言うけれど、僕が本当にお金を貸すべきだと感じたのは、この店じゃなくて、ロブさんだ。
 ロブさんみたいないい金貸しさんが王都にいてくれたら、金貸し全体の評判、つまりは銀行の評判も良くなるはずだ。

「あぁ、くそっ、話が通じねぇ……なぁ、坊主。お前の上司を俺に紹介しろ。直接俺が話をつけてくる」
「あ、そうですね、僕みたいなしたに話すのは信用できませんよね。わかりました、えっと――銀行の場所は」

 あれ? そういえば銀行の場所聞いていないな。
 そう思ったら、天井から仮面をつけた女性が降りてきた。

「クルト様、こちらをどうぞ」

 彼女はそう言って僕に紙を渡すと、天井に跳び上がった。
 渡された紙には、銀行への地図が書かれている。
 どうやら、ミミコさんの部下の人らしい。銀行の場所を知っているということは、銀行に出向しているのだろう。

「はい、ロブさん、これが銀行の場所みたいです。今日、明日の日中ならいつでも来てくれていいそうですよ」
「いや、待て、今のを日常の一コマみたいに流すな。なんなんだ、あれは?」
「え? たぶん銀行のスタッフですよ。たまたま天井裏にいたんじゃないですか?」

 僕がそう言うと、天井から、「はい、たまたま天井裏にいました」と声をかけられる。
 うん、そうだよね。
 工房でも、人手が欲しいと思った時、ミミコさんが雇っている警備スタッフがたまたま天井裏にいて助けてくれるし。きっと廊下を使わずに天井裏を使うのが都会ならではの移動手段なんだと思う。

「……うちの天井裏、入るところなんてあったっけ? 泥棒入られ放題じゃないかな」
「入ったところは後でふさいでおきますから安心してください」

 娘さんが心配そうに言うと、再度天井裏から声がかかってきた。
 それなら安心だ。
 ……ってあれ? この声、カカロアさんだ。
 さっきは仮面で気付かなかったけれど、間違いない。

「ありがとうございます、カカロアさん」
「…………どういたしまして」

 天井裏から、ちょっと嬉しそうな返事が来る。
 正解みたいだ。

「……あぁ、あの、いろいろと気になることもあるんだけど、お客さん、一つお願いがあるんですが――」
「はい、なんですか?」
「今回だけで構わないんで、お客さんがカリーを作ってもらえませんか? 欠けてるレシピを見ただけでお母さんのレシピを完全に復元させたお客さんなら、私たちより美味しいカリーが作れると思うんです。それを目標に頑張りたいと思うので」
「あ、そういうことですか。わかりました」

 他のことなら断ったかもしれないけれど、料理は別だ。
 僕の料理の適性は、玄人くろうとレベルのBランク。
 これだけは少し自信がある。

「では、ちょっと待っていてください」

 僕はそう言って、厨房に行く。
 そして、ちゃちゃっとカリーを作ってみた。
 いい匂いがしてきた。
 こんなものでいいかな?
 そう思ってできたカリーを持って店に戻ると――

「え?」

 店の中はお客さんだらけだった。
 満席どころか、開いた扉の向こうには行列までできている。

「あの、これは一体?」
「お前が作ったカリーの匂いにつられて客が入ってきたんだ! てか、もうできたのか、速すぎるだろっ!」

 ロブさんが叫んだ。
 そして、娘さんは満席になり、さらには行列までできている店を見て――「これ、お客さんが作ったカリーを乾燥させて、店先に置いておけば、いくらでも人が集まってくるんじゃ……うふふ」と何やらたくらんでいた。
 ただめずらしい香りで集まっただけで、僕のカリーにそこまで効果あると思えないし、なにより店先に置かれたらすぐにカリーが傷んでしまうから、やめてほしいな。
 ともかく、これ以上カリーを作ってもお客さんへの提供が間に合わなさそうなので、配膳はいぜんの仕事を手伝うことにした。

「手伝ってもらえるのは嬉しいですけど、お客さん、配膳の仕事したことあるの?」
「はい、パウロ島の酒場でウェイトレスをしたことが――」
「「ウェイトレス? ウェイターじゃなくて?」」

 親子揃って尋ねられた。
 僕が言ったことだけど、そこはあまり掘り下げないでほしい。
 そして、娘さんが作ったカリーを客に提供した。

「ん、漂ってきた匂いほどのインパクトはないけど、うまいな」

 と、娘さんが作ったカリーはおおむね好評だった。
 そうして用意していた材料がなくなり、閉店したのは二時間後のことだった。

「お客さん、ありがとう! おかげで大儲けできました」
「ウェイターの神髄しんずい、学ばせてもらった。感謝する」

 無事に仕事を終えた僕はカリーの料金を払うどころか、幾許いくばくかの給金を貰った。
 固辞こじしたんだけど、これを貰ってもらわなかったら、死んだ妻に申し訳が立たないと言われたら断れなかった。
 でも、そこまでのことを言えるなら、ロブさんへの借金もちゃんと返せる努力をしてほしいと思う。
 そのロブさんだけど、僕のカリーを食べた後、なぜか放心状態で銀行に向かっていた。
 たぶん融資の話をしに行ったと思うんだけど……大丈夫かな?
 一緒についていった方がよかったかなって思うけど、店をあの状態で放置できなかったから仕方がないかな。


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