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8巻

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 第1話 ハスト村跡地


 飛空艇が着陸し、僕たちはシーン山脈の中腹に着陸した。
 ここは、元々、ハスト村があった場所だ。
 ただ草地が広がるその場所を見ると、本当に僕の故郷はもうないんだと実感させられる。
 なぜ、僕だけが千二百年の時を超えてここにいるのか、その理由は今でもわかっていない。

「クルト様、もしかして、あれがハスト村の建物ですか? 随分と魔領の村のものとは違いますが」

 リーゼさんがそう言って指をさした先には、木を適当に組み合わせただけの家があり、そのうちいくつかは取り壊されたり燃やされたりしていた。
 しかしユーリシアさんが首を横に振った。

「いや、あれはゴブリンが建てた家だそうだ。少し前まで、この辺りはゴブリンの大規模集落があったらしい」
「これは失礼しました。そうですわね、ハスト村の家があんなボロ屋なわけがありませんものね」
「きっと、先にこの場所に来た騎士の皆さんによってゴブリンが討伐されたんでしょうね」

 このシーン山脈には数週間前からホムーロス王国遠征部隊が入山し、危険となる魔物の駆逐くちくを行っている。ゴブリンの死体や戦闘の痕跡こんせきがないのは、これからやってくる王家の方々に魔物の死体を見せないように処理したからだろう。
 ゴブリンの家を解体せずに残して、今燃やしているのは、飛空艇が近付いてきたので、狼煙のろし代わりにするためかな?

「(ですが、ゴブリンの? 妙ですわね、以前、ファントムが行なった調査では、このような大規模なゴブリンの集落の報告はありませんでしたが――)」

 リーゼさんがうつむきブツブツと何かをつぶやいていると、ユーリシアさんが声をかけた。

「この辺りに人避ひとよけの結界が張られていたんだとさ。今は誰かさんによって、その結界が解除されたって言ってたよ」
「人避けの結界――そう言えば、ここに引っ越してくる前のハスト村もそのような結界があったお陰で、ヒルデガルドさんのお父様以外の行商人が村を訪れることはなかったそうですわね。人は絶対に入ってこられないのに、それ以外は自由に出入りできる空間――ゴブリンにとってはうってつけですわね。ところで、その誰かさんというのは?」
「まぁ、ポラン教会の関係者……っていうのは私の予想だ」

 ユーリシアさんが周囲を警戒するように言った。
 その可能性が高いことは僕でもわかる。
 なにせ今回、この場所を指定したのはポラン教会の教皇様だからね。
 なぜ、この場所のことを教皇様が知っていたのかはわからない。
 神からの啓示だと教皇様が言ったため、それ以上問い詰めることもできないし、下手に探れば、神への不敬とみなされるだろう。
 ホムーロス王国では、トリスタン司教がリーゼロッテ王女暗殺未遂という大罪を犯したことにより、ポラン教会の権威は随分落ちている。けれど、それでも国内の信者の数は相当なもので、明確に教会に敵対しているグルマク帝国ならまだしも、現在のところ中立的な立場であるホムーロス王国にはそれに異を唱えることはできない。
 グルマク帝国としても、自国とホムーロス王国の境にあるシーン山脈で会談を開かれるのなら、教会の裏の見えない思惑をんでもいいと判断した――と、これまではミミコさんに教えてもらった情報だ。
 ただ、一つ気になっていたことがある。
 ユーリシアさんとリーゼさんが千二百年前に移動した際、ヒルデガルドちゃんのお父さんがこう言ったそうだ。

『理由はわかりませんが、ポラン教会はハスト村を探しているようなのです。そして同時に、滅ぼそうとしている。もしかしたら千二百年後にハスト村が存在しないのは、ポラン教会が関わっているのかもしれません』

 そう、村を滅ぼしたのがポラン教会である可能性があるのだ。
 千二百年も昔の話だし、今の教皇様が当時のことを知っているかどうかはわからないけれど、ここを会談の場所に選んだのは、やっぱり偶然とは思えない。
 僕の頭の中で、なんだか嫌な感情が渦巻く気がしたので、気を取り直すために仕事をすることにした。

「じゃあ、とりあえず準備をしますね」

 僕はそう言うと、甲板から降ろされた荷物の組み立て作業に移った。
 僕がこれから行うのは、工房主アトリエマイスター代理としての仕事。
 船で待機してもらっている首脳陣の皆さまのための待機所を造るというものだ。
 本当は、リーゼロッテ様を出迎えるために造った工房のように立派な建物を用意したかったんだけど、流石に何日も偉い人を待たせるわけにはいかない。
 そのため、建物の骨組み、素材などをあらかじめ用意して、組み立てるだけにしておいた。
 本当は僕も遠征隊の騎士様と同じタイミングでここに来て、先に準備をしたかったんだけど……リーゼさんに、『魔物が出るかもしれない場所にクルト様一人で行かせるわけにはいきません!』と全力で止められた。まぁ、ゴブリンがいたそうだからリーゼさんの言う通り行かなくてよかったと思う。

「クルト様、何かお手伝いをすることはありますか?」
「アクリも手伝うの!」

 リーゼさんがそう声をかけながらやってきて、アクリも僕に抱きかかえられる形になるように転移してきた。

「大丈夫だよ、アクリ。これは僕だけで十分だからね……リーゼさん、悪いですが、アクリとそこの家で休んでいてください」

 そう言って、建物を見た。
 ユーリシアさんの山に造ったログハウスくらいの大きさの家で、主に従者さんたちに使ってもらう用の家になる。

「――っ!? いつの間に!?」

 いつの間にって、僕が組み立てるところ、リーゼさん見ていなかったのかな?
 組み立てるだけなんだし、早くて当たり前だ。
 僕は驚くリーゼさんに中に入るように促してから、船から降ろされた資材を組み上げていく。
 国王陛下がお休みになられる住居が完成すると、従者の人たちが次々にベッドや玉座、調度品などを搬入していった。
 そして、二十分くらいが経過した頃(当然、組み立てるだけの住居はすべて完成した)、飛空艇からが下りてくる。
 ホムーロスの国で最も重要な人物――カルロス・ホムーロス三世だ。
 隣には、ミミコさんを含め、将軍、宮廷魔術師、宰相さいしょうなど、雲の上の方々が並んでいた。
 陛下が地上に降り立つと同時に、従者の人たち、警備をしていた騎士たちがひざまずく。もちろん僕も、士爵ししゃく――陛下の剣の末席を担う一人として跪いた。
 足音が近付いてきた。
 そのまま通り過ぎるのを待つだけだと思っていたんだけど、その足音は僕の前で止まった。

「陛下、彼が今回陛下のための居館を建造したクルト・ロックハンス士爵です」
「うむ、ロックハンス士爵、面を上げよ」
「――はっ!」

 僕はそう言って顔を上げた。

「余のため、ご苦労であった」

 陛下が僕のことを労ってくれている。
 その言葉に、僕は胸が高揚こうようし――

勿体もったいなきおことびゃ――」

 んでしまった。
 だが、陛下は特に気分を害した様子はない。

「これからも我が国のために励むように」

 僕はありがたい言葉をたまわった。

「はっ」

 僕はそう言って頭を下げた。
 だが、まだ陛下が立ち去る様子はない。
 まだ、何か話があるのだろうか?

「うむ……ロックハンス士爵、やはり我が娘の婿むこに――」
「国王陛下! 長旅お疲れ様でした。どうぞ、お食事の用意ができていますよ!」

 陛下が何かを言おうとしたところを遮ったのは、リーゼさんだった。

「さぁ、どうぞこちらへ」
「ま、待て」
「料理は出来立てが一番ですから!」

 そしてリーゼさんは、陛下の手を取ると、引っ張るようにして居館の中へと入っていった。

「……リーゼさん、あんなことして陛下に怒られないのかな」

 僕はそう呟いたけれど、不思議なことに周囲の人間は、誰もリーゼさんのことをとがめようとしていなかった。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 私――リーゼロッテは父である国王陛下とともに、居館の中に入り、二人きりで話をすることにしました。
 同席していた者たちは、全員私の素性すじょうを知っていますから、当然誰も止めません。
 数分で完成されたとは思えないほどの出来栄えの家、その食堂で、私とお父様は向かい合って座りました。
 食事の用意ができているというのは嘘なので、目の前には毒見が終わった少しマシな泥水――ではなく、王家御用達ごようたしの紅茶が入ったカップが置かれています。

「お父様、私は申したはずですわ! クルト様に余計なちょっかいを出さないようにと!」
「だが、リーゼちゃん。わしはあのクルトという少年を気に入っておる。最初にヴァルハを訪れた時からずっとだ!」

 それは私も知っています。
 実は以前、お父様がお忍びでヴァルハを訪れたことがあるのですが、クルト様と少しの間お話になられて、是非私の婿にしたいと思ったそうです。

「わかっています。それは大変ありがたいのですが、迷惑です」
「なぜだ! リーゼちゃんだってロックハンス士爵のことが好きなのであろう?」
「好きではありません!」

 私は言い切った。

「好きなどという陳腐ちんぷな言葉で片付けてもらっては困ります! 私にとってクルト様はすべてです! クルト様がいない世界なんて考えられませんし、クルト様が死んだら私も死に――いえ、クルト様と私の二人の愛の結晶であるアクリがいる限り、死ぬことはできませんが――クルト様と私、どちらかしか生きられないという状況になれば、私は喜んで自ら天上の花園へと参りましょう。クルト様と会えなくなるのは残念ですが、クルト様のために生きられたことが私にとってなによりなのですから」
「あぁ、うん。わかった」

 お父様が若干引いていました。
 それにしても、お父様はクルト様を私の婿にしたいと思っているようですが、クルト様の良さを一パーセントも理解していない御様子です。
 それで、よくわかったと言えますわね。

「まぁ、リーゼちゃんがロックハンス士爵のことを想っているのは儂も理解しておる。なんといっても彼はリーゼちゃんの命の恩人だからな……」
「私の命の恩人である、そのクルト様が助けたヴィトゥキント工房主アトリエマイスターを暗殺したのはどこの誰だったでしょうか?」
「また痛いところを……」

 お父様が困った顔をする。

「わかっております、お父様。国にとって必要なことが何なのかは。もしも正論だけで世の中がうまくいくのであれば、ファントムもグリムリッパーも必要ありません」

 ファントムもグリムリッパーも、所属は違えど王家のために働く裏組織で、その仕事は情報収集や裏工作が主ですが、時には暗殺も含まれております。

「ですから、教皇猊下げいかの申し出をお父様は断れなかったわけですし」
「……本当に痛いところを。儂も個人の感情で言えば、あんな糞爺くそじじいとは会いたくない。ヘディヴィアの奴にもな」
「あら、私はそちらは別に嫌ではありませんわ。私のお爺様ですし」

 ヘディヴィア・フォン・グルマク。
 グルマク帝国のおさであり、私にとっては母方の祖父でもあります。
 フランソワーズ母様の葬儀そうぎの時に一度だけお会いしたことがありますが、お優しい方だったと記憶しています。
 ただ、そうは言っても大国の皇帝。優しいだけの方ではないのは確かでしょう。
 私は仕事モードに切り替えて、お父様に質問をします。

「陛下、グルマク帝国はホムーロス王国と魔族との和平、本当に望んでいるとお思いですか?」
「わからん」

 お父様はそう言って首を横に振りました。
 これまで、私たちホムーロス王国は、魔族に対する防備のため、グルマク帝国やポラン皇国から、決して安くはない支援を受けていました。しかし、直接魔族から被害を受けているわけではありませんでした。
 むしろ、グルマク帝国としては、隣国であるホムーロス王国と魔族でにらみ合ってもらっていた方が、国境の防備が容易だったでしょう。いくら現在は同盟国になっているとはいえ、フランソワーズ母様がとついでくるまでは敵国だったのですから。
 この考えは、ポラン皇国も同じですわね。
 トリスタン司教の狙いは、ホムーロス国王の娘でありながらグルマク皇帝の血を引く私を亡き者にすることで、両国間に軋轢あつれきを生むこと。ホムーロス王国と睨み合いになったグルマク帝国は、そちらを警戒してポラン皇国に攻め入ることができなくなる、という状況にしようとしていた――と私たちは読んでいます。
 つまり、グルマク皇帝がホムーロス王国と魔族の和平を望んでいない場合、一筋縄ひとすじなわではいかないことになります。
 ただでさえ、神にあだなす存在として魔族を目の敵にしているポラン皇国が、異を唱えているというのに。
 それに、魔族も決して一枚岩とは言えません。
 獣王はヒルデガルドさんに借りがあるため今回の和平に賛成の立場ですが、本来は好戦的な性格だそうですし、魔竜皇は中立の立場を掲げているものの、何を考えているかはヒルデガルドさんにもわからないといいます。
 加えて、行方のわからない魔神王のことも気がかりですし、問題は山積みです。
 すると、部屋の扉がノックされました。

「陛下、サンノバ将軍がお見えです」

 サンノバ・リストカッツは王国遠征部隊第一将軍です。
 今回、シーン山脈で和平会談が行われると決まった際、周辺の魔物の討伐と警備の責任者として、私たちより先にこの地に派遣されていた方ですね。

「通せ」

 お父様の言葉で入ってきたのは、無精ぶしょうひげを生やした目に傷のある男でした。鎧を着ていなければ盗賊と間違えてしまいそうな出で立ちが相変わらずな彼は、跪きもせずに笑みを浮かべます。
 彼は将軍に任命された際、勲功式くんこうしきでお父様に褒美に何が欲しいか尋ねられた時、「跪かなくてもいい権利」を要求しました。周囲の人間は憤慨ふんがいし、サンノバ将軍に不敬罪を適用するように進言しましたが、お父様は彼の望みを許可したのです。そのため、サンノバ将軍はお父様の前で跪くことはありません。

「陛下、遠路はるばるご苦労様です。先ほど拝見した空飛ぶ船――飛空艇と申しましたか? 遠くから拝見しておりましたが、いやはや、ドラゴンを初めて見た時より驚きました……リーゼロッテ姫殿下もお久しぶりですね」
「ええ、サンノバ将軍もご健勝でなによりです」
「姫殿下からは暗殺未遂の容疑を掛けられて、中々お会いできませんでしたからね」
「一体、何のことでしょうか?」

 私はそう答えましたが、すべてバレているでしょうね。
 私がのろいを受けた時、三人の容疑者の中に彼の名前がありました。もっとも、トリスタン司教が犯人であることがわかり、彼の容疑は晴れましたが。
 このことは彼には一切伝えていなかったはずですが、一体どこから情報を手に入れたのやら。

「それで、サンノバ。一体何の用だ? 貴様がわざわざ挨拶のために顔を出すとは思えんのだが?」
「ええ、まずは報告です。グルマク帝国の東の谷で土砂崩れが発生し、移動中のポラン皇国の馬車が迂回うかいすることになったため、到着が一日遅れるそうです」
「到着が遅れるという連絡は船の中でも聞いたが、一日か……用件はそれだけか?」
「それと、近くの山の洞窟どうくつに、ミスリルゴーレムの群れが発生しました」
「……ミスリルゴーレムだと?」

 ミスリルゴーレム――また珍しいゴーレムですわね。
 クルト様と一緒にいるせいで私の中でその価値が暴落しつつある金属ですが、ミスリルというのは本来であれば伝説級の金属。
 その金属で全身を覆っているゴーレムとなると、討伐すればひと財産となるでしょう。
 ですが討伐といってもそう簡単ではなく、その強度はもちろんのこと、魔法耐性を持つこともあり、脅威度はSランクの魔物です。
 そんな魔物が群れで現れたとは。
 私が思案していると、サンノバ将軍はこちらに視線を向けてきました。

「いや、うちの部隊を使って足止めをするのも考えたんですが、せっかくですからリーゼロッテ様の秘密兵器をお貸し願えないかと思いましてね」

 ……この男、クルト様がゴーレムに対して圧倒的な力を持っていることを知って? いえ、そうではありませんわね。おそらくは――

「秘密兵器とは魔法銃のことでしょうか?」

 魔法銃はミミコ様が保有している武器ですが、私とミミコさんの間に、主従に近しい関係があることは、今や公然の秘密になっています。

「話が早い。ええ、なんでも魔神王の軍勢を一掃したとか。是非、私もその武器を使ってみたいと思いましてね」
「あなたは剣に誇りはないのですか?」
「誇りだけでは魔物は倒せません」

 騎士の在り方そのものを平然と否定しますわね。まぁ、その考え方は私は嫌いではありませんが。
 しかし、魔法銃の威力はクルト様の魔力充填じゅうてんがあってこそ、その真価を発揮します。クルト様と関係のない人間に使わせるわけにはいきません。

「必要ありませんわ、サンノバ将軍。ミスリルゴーレムの討伐はこちらにお任せください。あなたたちにはこの地を警護してもらわなければいけませんから」
「かしこまりました。それでは、姫殿下にお任せいたします」

 サンノバ将軍は、残念という素振そぶりも見せず立ち去っていきました。
 それにしても……ミスリルゴーレム。
 できることなら、皇帝陛下がいらっしゃる前に片付けておきたい相手ですから、クルト様にお任せするしかありませんわね。
 本来なら私も同行し、クルト様の雄姿をこの目に焼き付けた後、幻影を生み出す魔剣胡蝶こちょうによる幻で再現し、絵画にしたいところですが、残念ながら、ここで私が席を外すことはできません。
 幸い、今は優秀な護衛がいますから、に任せることにしましょう。


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