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第六章
ワイン造り始めました(その3)
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葡萄畑が一番美しい時期はいつかと問われたら、それは葡萄の収穫を終えて数か月経過した後の紅葉の時期だ。
その景色が、今、目の前に広がっている。
どういうことだ? 紅葉どころか、まともな葡萄の木すらここには育っていなかったというのに。
「あ、村長さん。お疲れ様です」
「ロックハンス士爵――いったいこれは……いえ、なんですか、それは!?」
ロックハンス士爵が運んでいた荷車には、大量の黒葡萄が載っていた。一体どこからこれだけの量の葡萄を?
いや、その答えは恐らく、この葡萄畑なのだろう。
よく見ると、ロックハンス士爵が引っ張っている荷車以外にも、この葡萄畑のあちこちに無数の荷車が置かれており、その上に葡萄が山のように積まれている。
ホロドーの葡萄生産全盛期でもこの半分の葡萄が収穫できたかどうか。
「すみません、ワイン造りに必要な葡萄の木がなかったので、今年は促成栽培で育てることにしました。来年からは普通に育てることにします」
「促成栽培……そんなことが可能なのですか?」
「え? うちの村ではよくやっていたことなのですけれど、この辺りではしないんですか?」
できるわけないだろっ! という言葉を俺は思わず飲み込んだ。
ってことは、つまり、俺が村を出ている数時間の間に、この少年は畑に葡萄の種から苗木を育て、それを植え、花に受粉させて身を付けさせて収穫まで終わらせたっていうのかっ!?
いやいやいやいやいや、そんなの無理に決まっている。
「ロックハンス士爵、そもそもこの土地は葡萄が全然育たない場所でして――」
「あぁ、確かにちょっと悪い物が混じっていたみたいですね」
「悪い物が混じっていた?」
「はい。どうやら地下水の方に原因があるみたいなので、ニーチェさんとリーゼさんに源泉の場所に浄化にいってもらっています」
地下水が原因だって? 待て、ここに地下水が流れていることを俺は知らないぞ。
あと、ニーチェって誰だ?
「ロックハンス士爵、ここに地下水が流れているんですか? 水脈じゃなくて……」
「はい。地下五百メートルくらいですね。向こうの丘の方から緩やかに」
「その地下水が原因で、俺たちの村の畑は――」
なんでそんなことに気付かなかった……いや、地下五百メートルなんて、そんなの普通は掘ったりしない。
深くても十メートル掘れば水脈にたどり着くから、井戸を掘るときでもそんなに深く掘ったりしない。
「井戸の水は飲み水として使うには問題ありませんから――って、そんなこと言うまでもないですね」
ロックハンス士爵はさも当然のように俺にそう言って聞かせた。
本当になんなんだ、この人は。
これで工房主代理だって?
本物の工房主はどんな化け物なんだ。
「てことは、地下水の源泉とやらが浄化できれば、俺たちの村はこれまで通り畑を――」
いや、待て?
つまり、今はまだ地下水の原因は取り除かれていないんだよな?
なのに、一体どうやって葡萄畑を――? 促成栽培? 工房主の力? 何かの魔法?
俺は混乱してきた。
「クルト様、お待たせしました! どうやら、魔物の死体が腐食して源泉を汚染していたみたいです」
そう言ってやってきたのは、リーゼ太守代理と、見たこともない緑の髪の女性だった。おそらく、彼女がニーチェなのだろう。一緒にいるのは村の顔役の一人だ。
「ワイズ――いや、村長。確かめてきた。ロックハンス士爵の言う通り、森の奥で泉が魔物の死体で汚染されてた。あんな禍々しい水がうちの村の地下に流れていたと思うとぞっとする」
「くそっ、もっと早く気付いていれば――いや、それがわかっただけでも上出来か。なら、泉の魔物さえ取り除いて、高位の神官に依頼して泉を浄化してもらえば――」
「いや、それがよ――泉はもう浄化されたんだ。その――ニーチェ様に」
「は? 待て、本当なのかっ!?」
泉の浄化は、規模こそわからないが数日がかりの仕事だろ。
「その嬢ちゃんは、そんなに凄い神官様なのか」
「わからねぇ。ただ、物凄い力で一気に浄化した。しかも、泉だけでなく、泉から繋がる土地すべてをな。俺は彼女が精霊の化身だと言われても信じるぞ」
確かに、それが事実だと言われたら、人間離れし過ぎている。
「(大正解ですわ。ただし、普通の精霊ではなく大精霊ですけどね)」
リーゼ太守代理が何か呟くように言った気がした。
「あ……あの、ロックハンス士爵。大変申し上げにくいことで恐縮ですが、その葡萄を一粒いただいてもよろしいでしょうか?」
「はい、いいですよ」
ロックハンス士爵が笑顔で頷いたので、俺は一粒葡萄を取る。
分厚く黒い皮をむくと、白い果肉が姿を現す。
それを口に含んだ時、最初に感じたのは葡萄の甘味だ。そして、繊細な香りが鼻を抜ける。
本来、ワイン用の葡萄というのは渋みが強いのだが、この黒葡萄にはそれがない。
この葡萄の特徴は――
「これだ……ロックハンス士爵っ! これをどこで!」
「村の人に種をいただきました。この土地ではこの葡萄が育てられていたんですよね。僕はあまりワインを飲まないのですが、これだったらジュースにしても美味しそうです」
やっぱりそうだ。
俺の知っているホロドーの葡萄だ!
まぁ、俺が知っている物よりかなり美味い気がするが。
彼らが言っていることがすべて事実であったとしたら、この畑だけじゃない。
村の周辺の畑が、以前の姿を取り戻せるのではないか?
いや、もう元凶は取り除かれたのだ。
取り戻せるか? ではない、取り戻して見せる。
「それより、皆さま。葡萄を運ぶのを手伝ってくださいませんか? クルト様一人に運ばせるおつもりですか?」
「はっ! おい、村中の奴らをかき集めろ! 葡萄を貯蔵庫に運ぶんだ!」
「え? そんな、僕一人で運べますよ」
ロックハンス士爵が遠慮するように言った。
確かに、ここで採れた葡萄は彼の物であり、本来であれば俺たちが手伝う義理はない。
それでも、村を救ってもらった恩に報いない者、なによりこの葡萄に携われる機会を不意にする奴がいるはずがない。
全員で葡萄を貯蔵庫に運ぶぞ!
「そういえば、クルト様。あの荷車はどうなさったのですか?」
「あ、作りました。ワインの樽作りのためにそこでオークの木を育てたので、それを使って」
……オークって、樫の木だよな?
それを育てるのに何年かかる……いや、この世の中には俺の知らないことがある。
そう思っておこう。
その景色が、今、目の前に広がっている。
どういうことだ? 紅葉どころか、まともな葡萄の木すらここには育っていなかったというのに。
「あ、村長さん。お疲れ様です」
「ロックハンス士爵――いったいこれは……いえ、なんですか、それは!?」
ロックハンス士爵が運んでいた荷車には、大量の黒葡萄が載っていた。一体どこからこれだけの量の葡萄を?
いや、その答えは恐らく、この葡萄畑なのだろう。
よく見ると、ロックハンス士爵が引っ張っている荷車以外にも、この葡萄畑のあちこちに無数の荷車が置かれており、その上に葡萄が山のように積まれている。
ホロドーの葡萄生産全盛期でもこの半分の葡萄が収穫できたかどうか。
「すみません、ワイン造りに必要な葡萄の木がなかったので、今年は促成栽培で育てることにしました。来年からは普通に育てることにします」
「促成栽培……そんなことが可能なのですか?」
「え? うちの村ではよくやっていたことなのですけれど、この辺りではしないんですか?」
できるわけないだろっ! という言葉を俺は思わず飲み込んだ。
ってことは、つまり、俺が村を出ている数時間の間に、この少年は畑に葡萄の種から苗木を育て、それを植え、花に受粉させて身を付けさせて収穫まで終わらせたっていうのかっ!?
いやいやいやいやいや、そんなの無理に決まっている。
「ロックハンス士爵、そもそもこの土地は葡萄が全然育たない場所でして――」
「あぁ、確かにちょっと悪い物が混じっていたみたいですね」
「悪い物が混じっていた?」
「はい。どうやら地下水の方に原因があるみたいなので、ニーチェさんとリーゼさんに源泉の場所に浄化にいってもらっています」
地下水が原因だって? 待て、ここに地下水が流れていることを俺は知らないぞ。
あと、ニーチェって誰だ?
「ロックハンス士爵、ここに地下水が流れているんですか? 水脈じゃなくて……」
「はい。地下五百メートルくらいですね。向こうの丘の方から緩やかに」
「その地下水が原因で、俺たちの村の畑は――」
なんでそんなことに気付かなかった……いや、地下五百メートルなんて、そんなの普通は掘ったりしない。
深くても十メートル掘れば水脈にたどり着くから、井戸を掘るときでもそんなに深く掘ったりしない。
「井戸の水は飲み水として使うには問題ありませんから――って、そんなこと言うまでもないですね」
ロックハンス士爵はさも当然のように俺にそう言って聞かせた。
本当になんなんだ、この人は。
これで工房主代理だって?
本物の工房主はどんな化け物なんだ。
「てことは、地下水の源泉とやらが浄化できれば、俺たちの村はこれまで通り畑を――」
いや、待て?
つまり、今はまだ地下水の原因は取り除かれていないんだよな?
なのに、一体どうやって葡萄畑を――? 促成栽培? 工房主の力? 何かの魔法?
俺は混乱してきた。
「クルト様、お待たせしました! どうやら、魔物の死体が腐食して源泉を汚染していたみたいです」
そう言ってやってきたのは、リーゼ太守代理と、見たこともない緑の髪の女性だった。おそらく、彼女がニーチェなのだろう。一緒にいるのは村の顔役の一人だ。
「ワイズ――いや、村長。確かめてきた。ロックハンス士爵の言う通り、森の奥で泉が魔物の死体で汚染されてた。あんな禍々しい水がうちの村の地下に流れていたと思うとぞっとする」
「くそっ、もっと早く気付いていれば――いや、それがわかっただけでも上出来か。なら、泉の魔物さえ取り除いて、高位の神官に依頼して泉を浄化してもらえば――」
「いや、それがよ――泉はもう浄化されたんだ。その――ニーチェ様に」
「は? 待て、本当なのかっ!?」
泉の浄化は、規模こそわからないが数日がかりの仕事だろ。
「その嬢ちゃんは、そんなに凄い神官様なのか」
「わからねぇ。ただ、物凄い力で一気に浄化した。しかも、泉だけでなく、泉から繋がる土地すべてをな。俺は彼女が精霊の化身だと言われても信じるぞ」
確かに、それが事実だと言われたら、人間離れし過ぎている。
「(大正解ですわ。ただし、普通の精霊ではなく大精霊ですけどね)」
リーゼ太守代理が何か呟くように言った気がした。
「あ……あの、ロックハンス士爵。大変申し上げにくいことで恐縮ですが、その葡萄を一粒いただいてもよろしいでしょうか?」
「はい、いいですよ」
ロックハンス士爵が笑顔で頷いたので、俺は一粒葡萄を取る。
分厚く黒い皮をむくと、白い果肉が姿を現す。
それを口に含んだ時、最初に感じたのは葡萄の甘味だ。そして、繊細な香りが鼻を抜ける。
本来、ワイン用の葡萄というのは渋みが強いのだが、この黒葡萄にはそれがない。
この葡萄の特徴は――
「これだ……ロックハンス士爵っ! これをどこで!」
「村の人に種をいただきました。この土地ではこの葡萄が育てられていたんですよね。僕はあまりワインを飲まないのですが、これだったらジュースにしても美味しそうです」
やっぱりそうだ。
俺の知っているホロドーの葡萄だ!
まぁ、俺が知っている物よりかなり美味い気がするが。
彼らが言っていることがすべて事実であったとしたら、この畑だけじゃない。
村の周辺の畑が、以前の姿を取り戻せるのではないか?
いや、もう元凶は取り除かれたのだ。
取り戻せるか? ではない、取り戻して見せる。
「それより、皆さま。葡萄を運ぶのを手伝ってくださいませんか? クルト様一人に運ばせるおつもりですか?」
「はっ! おい、村中の奴らをかき集めろ! 葡萄を貯蔵庫に運ぶんだ!」
「え? そんな、僕一人で運べますよ」
ロックハンス士爵が遠慮するように言った。
確かに、ここで採れた葡萄は彼の物であり、本来であれば俺たちが手伝う義理はない。
それでも、村を救ってもらった恩に報いない者、なによりこの葡萄に携われる機会を不意にする奴がいるはずがない。
全員で葡萄を貯蔵庫に運ぶぞ!
「そういえば、クルト様。あの荷車はどうなさったのですか?」
「あ、作りました。ワインの樽作りのためにそこでオークの木を育てたので、それを使って」
……オークって、樫の木だよな?
それを育てるのに何年かかる……いや、この世の中には俺の知らないことがある。
そう思っておこう。
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