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2巻
2-2
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しかし、交渉は思ったよりも難航した。
というのも、隣村のため池も水が尽きかけていたのだ。
だから逆に、隣村の村長に、「どうか、どうかうちの村をお救いください」と泣きつかれてしまった。
まったく、泣きたいのはこっちの方だよ、いったいどうすればいいんだい。
ふと丘を見上げると、こちらの村からは緩やかな上り坂になっている。
これなら馬を苦しめることなく上っていけそうだ。
工房主の様子がちょっと気になったので、私は馬で丘を上ることにした。
その途中、鬼のような形相で下ってくる村人とすれ違った。
もしかして、何かあったのではないか?
そう思って馬の足を速めて丘の上まで上ると、口を開けて立ち尽くす、「サクラ」のメンバーであるカンスとシーナの兄妹がいた。
そして、二人の視線の先には――
「あ、ユーリシアさん!」
こちらに向かって手を振っている、灰色の髪の、女の子のような顔立ちの少年――クルトがいた。
うん、クルトの笑顔はいつでも可愛い。でもそれどころじゃない。
「ク、クルト……なんだ、それは?」
「それ? あぁ、これですか。ここの水鳥達、喉が渇いていたみたいだから、とりあえず地下水脈を汲み上げたんです。水鳥達も喜んでいます」
「そ、そうなんだ」
まともに返事ができたか不安だ。
だって、下の村の人々が水不足で苦しんでいるというのに、丘の上の湖には大量の水が湧き出ていたのだから。
そもそも、こんなところに湖なんてなかったはずだ。
わかっている、言われなくてもわかっている、こいつが作ったんだ。たった数時間で。
湖には、白い羽毛の水鳥が優雅に泳いでいた。
「ところで、ユーリシアさん。話はもう終わったんですか?」
「え? ええとだな――」
私がなんと説明したらいいかと思っていると、二人の男が丘の上に来た。
隣り合う二つの村の村長達だ。
「「おお、ユーリシア殿! まさかこのような奇天烈な方法で依頼を解決してくださるとは、流石です。あとは我々にお任せください。村人総出で、ため池までの水路を作ります」」
二人の村長が声を揃えて言って、私に土下座をした。
いや、あの、私は何もしていないんだけど?
「もう依頼を終わらせちゃったんですか!? 流石です、ユーリシアさん」
「あ……いや、あのな」
私はクルト――自分がそうだと気付いていない私達の工房主になんと説明したらいいか、本気で悩んでしまった。
×――これは、私が偉大な工房主とともに様々な問題を解決していく物語だ。
〇――これは、私が自分の実力を把握していない工房主に振り回される物語だ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
僕――クルトとユーリシアさん達を乗せた馬車は、人間が歩く程度の速度で辺境町へと進む。
御者はシーナさんに任せ、僕はユーリシアさんの隣に座っていた。カンスさんとダンゾウさんはなにか大切な用事があるため、あとから合流するらしい。
「卵、いっぱい貰えましたね」
僕は籠の中に入った水鳥の卵が割れないようにしっかりと持ちながら言う。
卵の大きさはバラバラで、水辺にいるいろいろな鳥の卵が混ざっているみたいだ。
今日はオムレツにしようかな? それとも、ユーリシアさんが前に食べて美味しいと言っていたパンケーキを作ろうかな?
そう思ってユーリシアさんの顔を見たけれど、顔色が優れなかった。
「あの……ユーリシアさん、やっぱり疲れてるんでしょうか?」
「いや……あぁ、ちょっと疲れたね、普段はしない仕事だからかな」
ユーリシアさんは苦笑して言った。
「そうですね、いつもこういう交渉の依頼はリーゼさんが担当していましたから」
リーゼさんは、僕と同じ工房に住んでいる女の子だ。
そのリーゼさんは今日、工房のある辺境町の騎士団長アルレイド将軍とともに、タイコーン辺境伯様の屋敷に行っている。工房主様の代理として、先日のスケルトンとインプによる辺境町襲撃事件の報告をするためだ。
だから、今回はユーリシアさんに交渉役の御鉢が回ってきたんだけど、それは間違いじゃなかった。
「ユーリシアさん、流石でしたよ。村の皆さん、ユーリシアさんのことを神様だって言っていましたから。僕なんて何もしていないのに鼻が高いです」
僕が心から思ったことを言うと、ユーリシアさんは嬉しいのか辛いのかわからない表情を浮かべた。
リーゼさんは工房主の代理とその役割についているし、僕が働いている工房は本当に凄い人ばかりだな。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――タイコーン辺境伯領。
その領土は、ホムーロス王国内の貴族の領地としては最大規模を誇る。
ただし、魔族が治める魔領に隣接する故に魔物の目撃報告も多く、軍備増強のため、領地経営の財政は国内だけでなく隣国をも含めた資金援助に頼っているのが実情だ。
それもあって、辺境伯という位自体は侯爵家と同等の権力があるにもかかわらず、その立場は決して強くない。
だが、そんな辺境伯に転機が訪れた。
辺境領内に、かつて国境の砦として築かれた名もなき町がある。
慣習的に辺境町と呼ばれるそこに、新たに認められた工房主が工房を構え、リーゼロッテ第三王女が修業に赴いているという。
この国ではそもそも、王家の権力が強い。加えて、貴族勢力をまとめ上げる立場にいるのが国王と従兄弟の間柄であるボルドール公爵なので、王家の意向が政治に反映されやすいのだ。
ここでリーゼロッテ第三王女を丸め込めれば、タイコーン辺境伯は王家との強い繋がりを持つことができる。さらに言えば、リーゼロッテ第三王女は隣国グルマク帝国の皇帝の孫娘で、次期皇帝の姪にあたるため、グルマク帝国とも繋がりを持つことができるだろう。
(……なんてことを考えているのでしょうね、あの狸は)
私、リーゼロッテ・ホムーロスは、タイコーン辺境伯が思っていることを想像して内心辟易していました。
先日起こったスケルトンとインプの襲撃と上級悪魔の討伐について説明せよと、工房の代表者一名と騎士隊の代表が領主の元に招集されたのはつい先日のことでした。
本来ならば工房主が自ら赴くべきなのでしょうが、クルト様は自分が工房主であることを知りません。彼の力を悪用させないために私達が秘密にしているからです。
しかし、だからといって筆頭冒険者であるユーリシアさんや、ましてやサクラの皆さんが代表として赴いても、タイコーン辺境伯は納得しないでしょう。
結果、消去法で私が工房の代表となったのです。
城に到着し、アルレイド将軍とともに食堂に足を運びます。
扉を開けると、狸――タイコーン辺境伯が立ち上がって床に跪き、頭を下げました。
ただ、お腹がつっかえているのか、頭があまり深く下がらないようです。
元々は国でも名を知らぬ者はいないと言われた棒術使いだったのが、この地に赴任してから一気に太ったという話です。
まぁ、私は痩せていた頃のタイコーン辺境伯は知らないのですが。
「まさか姫様が自らいらっしゃるとは……お出迎えできず、誠に申し訳ございません」
本当に、この狸は食えない男ですね。
私がこの地に赴くことはすでに知っていたでしょうに。諜報部隊であるファントムからそう報告を受けています。
「お気になさらないでください。今の私はリーゼロッテ・ホムーロス第三王女としてでなく、工房主代理として伺っておりますので、お顔をお上げください」
「そう言っていただけますと――姫様の御口に合うかわかりませんが、ささやかながらお食事を用意しております」
「それは楽しみです、タイコーン辺境伯」
私はそう言いながら、『できることならもう食事などとらずに、辺境町に戻りたい。どのような豪華な料理でも、クルト様が作る料理にはかなうわけがないのだから』と内心で呟いていました。
席につき次々と運ばれてくる料理を食べながら、私達は先日の事件について報告しました。
案の定というか、戦場で使われた魔法晶石と魔法薬に関する話はタイコーン辺境伯の耳にも届いていたようです。
タイコーン辺境伯はそれとなく、工房主の情報を聞き出そうと探りを入れてきます。
小娘ならば情報入手くらい容易いと見ているのでしょう。
しかし私がなかなか口を割らないでいると、今度は話題を変えてきました。
「姫様は、今姫様がいらっしゃる町の名前がないことはご存知ですか?」
……これはただの雑談でしょうか?
「はい、もちろん知っております。名前は太守が決まってからその太守が付けるのが通例となっているため、いまだ無名の町なのだとか」
「おぉ、御存知でしたか」
タイコーン辺境伯がニヤリと笑います。
背筋を撫でられる感じがしました。
何か失策をした? しかし、それが何なのかわかりません。
「太守を決めようと思っているのですが、なかなか決まらず困っているのです。辺境町は我が領土の中でも魔族の領土に最も近い町、危険がつきものです――それに」
タイコーン辺境伯はそこで言葉を切って、アルレイド将軍を一瞥します。
「……私達のような癖のある騎士の上に立つのは面倒でしょうな」
「将軍の武功はここまで届いているからな。今時珍しい一枚岩の騎士隊、外部の人間が上に立つのに不安がある。わかってくれるな」
「ええ、存じております」
アルレイド将軍が頭を下げました。
このまま話が終わるのでしょうか?
しかし、デザートが運ばれてきたところで、タイコーン辺境伯は思わぬ爆弾を投下してきたのです。
「それで私としては、姫様がいる工房の工房主殿に辺境町の太守になっていただきたいのです」
――それは、予想以上に大きな爆弾でした。
工房主は貴族相当の権力を有しており、そもそも有識者が多いです。そのため、工房主が太守になること自体は珍しくなく、現在この国でも、三名の工房主が太守に任命されています。
ところが、今回に限っては困ります。
私達の工房の工房主はクルト様ですが、それはクルト様本人も知らぬ話なのですから。
せめて、クルト様を完全に外敵から守るための準備が終わるまでは、そのことは伏せておかねばなりません。
しかし太守に就任すれば、町のみんなに姿を隠したままにはできません。太守代理を立てて政治に関わらないこともできますが、就任時にタイコーン辺境伯の前で太守になるという宣誓を行わなければならないため、一度は姿を見せる必要があるのです。
「タイコーン辺境伯様、失礼ですが、太守の件は私の一存では――」
「これは異なことを。姫様は工房主殿の代理としてここにいらしている。つまりは私との取り決めについて全権を委任されている立場なのでしょう?」
タイコーン辺境伯の言う通りでした。
全権を持たない代理人を立てて送ることが許されるのは、訪問先の主と同等の立場、もしくは格上の立場の者のみ。
格下の者が代理人を送る場合、それは全権を委任することと同義になる。全権を持たないのなら、それはただの使者でしかありません。
第三王女としてではなく、工房主の代理として来ている以上、私が決定しなければいけません。
「しかし、本当によろしいのでしょうか? 工房主様はまだ地位を得て日も浅く、功績と呼べるようなものもあまり上げておりません。そのような方を太守にしては、他の貴族の方との不和を招く恐れもあるのではないでしょうか?」
「問題ないでしょう。なんでも工房主殿は姫様だけでなく、オフィリア工房主殿、ミミコ第三席宮廷魔術師殿の推薦で工房主になられたのだとか。その御三方に敵対してまで工房主殿を陥れようとするような貴族は我が領内にはいません。さらに、工房主殿は先の戦いで多くの騎士達の命を救ってくださった。騎士達からも工房主殿が太守になることに反対する者はいないでしょう」
タイコーン辺境伯はそう言ってアルレイド将軍を見ました。
頼みます、余計なことを言わないでください――そう願いましたが、やはり無駄でした。
「もちろんです、われわれ騎士隊、工房主様が太守になると言うのならば心から歓迎致します」
そうでしょうね。
アルレイド将軍は工房主に会ったことがない(本当は何度も会っているけれど)にもかかわらず、工房主のことを自分と部下、町のみんなの命の恩人として敬愛しています。
彼が反対するはずがありません。
こんなことなら、クルト様のことをアルレイド将軍にも話しておけばよかったと後悔しますが、もう手遅れでしょう。
ここは私が、工房主の代理としてはっきりとお断りをしなければ――
「それとも、姫様は工房主殿が太守になるには人間的に何か問題があるとお思いで――」
「そんなことはありません! 工房主様はとても立派な方です。この国、いえ、この世界中の工房主全てを集めても、あの方以上に優れた人はいないと言ってもいいでしょう! 人間的に問題があるなどという言葉は訂正……して……」
――やってしまいました。
私がミスに気付いて言い淀んでいると、タイコーン辺境伯が満面の笑みを浮かべました。
「それでは姫様、工房主殿にもよろしくお伝えください。辺境町には私が後日出向き、そこで任命致しましょう。その日は追ってお知らせします」
「――で、太守として任命されるってことになったのか……何をしてるんだよ、リーゼ」
「面目ございません」
工房に戻った私を待っていたのは、ユーリさんの辛辣な言葉でした。
しかし返す言葉もありません。
「サクラの誰かを工房主に仕立てることはできないのかい?」
「難しいですね、三人とも顔を騎士隊の皆さんに知られています。それに専門知識もありませんから、何か質問された時に受け答えができないでしょう。そもそも、愛しのクルト様に代わる人間なんて、この世界にいるわけがありません。クルト様は至高の方なのですから……そういえば、クルト様は何をなさっているのですか?」
「ん? あぁ、至高のクルトなら、子育てに夢中だよ」
ユーリさんの言葉に、私は思わず声を荒らげてしまいます。
「子育てっ!? 相手は誰ですか!? クルト様の子供なら今すぐ私の養子にしなくてはいけません」
「……いろいろと言いたいけれど、まぁ、殺すとか言わないだけマシかな」
「当たり前です、クルト様の子供ならばたとえ相手がオーク(♀)でも可愛らしい男の子に決まっています。そのような子を殺すことなどできるわけありません。相手の女性がどうなるかは知りませんが」
「……あぁ、うん――悪い、からかっただけ。クルトが村で貰ってきた水鳥の卵のひとつが、孵化間近の有精卵だったらしくてね、今孵化させる準備をしているみたい」
「あぁ、そういうことですか。流石クルト様。とてもお優しいですね」
そう言ってみたのはいいのですけれど。
クルト様が貰ってきた卵、育てているのはクルト様。
果たして、生まれるのは本当に水鳥なのでしょうか?
「そういえば、最近、あの村の近くでヒュドラの目撃情報がございませんでした?」
「……あぁ、リーゼもそう思うよな。ちなみに、私はドラゴンが生まれると思っている」
「絶滅種のダイヤモンドタートルが生まれる可能性はないでしょうか?」
ありとあらゆる想定をしてみる私達。
ある程度生まれてくる動物の予想をしたところで――
「「あははははは」」
と二人で笑いました。
そうです、いくらクルト様が戦闘能力以外の適性が全てSSSランクと言っても、水鳥の卵からドラゴンを孵化させることができるわけありません。
そんなことができるのは神のみです。
まぁ、神とクルト様とどちらが偉大かと審査したら、クルト様に軍配が上がりますが……それでもクルト様にだって不可能なことがあります。
そう、きっと生まれてくるのは水鳥なのでしょう。
金の卵を産む水鳥――ええ、クルト様に育てられた水鳥としてはとても現実的ですね。
毎日金のオムレツが食べられそうです。
私がそんな支離滅裂なことを思った時でした。
「生まれました」
クルト様のそんな声が聞こえてきたのは。
というのも、隣村のため池も水が尽きかけていたのだ。
だから逆に、隣村の村長に、「どうか、どうかうちの村をお救いください」と泣きつかれてしまった。
まったく、泣きたいのはこっちの方だよ、いったいどうすればいいんだい。
ふと丘を見上げると、こちらの村からは緩やかな上り坂になっている。
これなら馬を苦しめることなく上っていけそうだ。
工房主の様子がちょっと気になったので、私は馬で丘を上ることにした。
その途中、鬼のような形相で下ってくる村人とすれ違った。
もしかして、何かあったのではないか?
そう思って馬の足を速めて丘の上まで上ると、口を開けて立ち尽くす、「サクラ」のメンバーであるカンスとシーナの兄妹がいた。
そして、二人の視線の先には――
「あ、ユーリシアさん!」
こちらに向かって手を振っている、灰色の髪の、女の子のような顔立ちの少年――クルトがいた。
うん、クルトの笑顔はいつでも可愛い。でもそれどころじゃない。
「ク、クルト……なんだ、それは?」
「それ? あぁ、これですか。ここの水鳥達、喉が渇いていたみたいだから、とりあえず地下水脈を汲み上げたんです。水鳥達も喜んでいます」
「そ、そうなんだ」
まともに返事ができたか不安だ。
だって、下の村の人々が水不足で苦しんでいるというのに、丘の上の湖には大量の水が湧き出ていたのだから。
そもそも、こんなところに湖なんてなかったはずだ。
わかっている、言われなくてもわかっている、こいつが作ったんだ。たった数時間で。
湖には、白い羽毛の水鳥が優雅に泳いでいた。
「ところで、ユーリシアさん。話はもう終わったんですか?」
「え? ええとだな――」
私がなんと説明したらいいかと思っていると、二人の男が丘の上に来た。
隣り合う二つの村の村長達だ。
「「おお、ユーリシア殿! まさかこのような奇天烈な方法で依頼を解決してくださるとは、流石です。あとは我々にお任せください。村人総出で、ため池までの水路を作ります」」
二人の村長が声を揃えて言って、私に土下座をした。
いや、あの、私は何もしていないんだけど?
「もう依頼を終わらせちゃったんですか!? 流石です、ユーリシアさん」
「あ……いや、あのな」
私はクルト――自分がそうだと気付いていない私達の工房主になんと説明したらいいか、本気で悩んでしまった。
×――これは、私が偉大な工房主とともに様々な問題を解決していく物語だ。
〇――これは、私が自分の実力を把握していない工房主に振り回される物語だ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
僕――クルトとユーリシアさん達を乗せた馬車は、人間が歩く程度の速度で辺境町へと進む。
御者はシーナさんに任せ、僕はユーリシアさんの隣に座っていた。カンスさんとダンゾウさんはなにか大切な用事があるため、あとから合流するらしい。
「卵、いっぱい貰えましたね」
僕は籠の中に入った水鳥の卵が割れないようにしっかりと持ちながら言う。
卵の大きさはバラバラで、水辺にいるいろいろな鳥の卵が混ざっているみたいだ。
今日はオムレツにしようかな? それとも、ユーリシアさんが前に食べて美味しいと言っていたパンケーキを作ろうかな?
そう思ってユーリシアさんの顔を見たけれど、顔色が優れなかった。
「あの……ユーリシアさん、やっぱり疲れてるんでしょうか?」
「いや……あぁ、ちょっと疲れたね、普段はしない仕事だからかな」
ユーリシアさんは苦笑して言った。
「そうですね、いつもこういう交渉の依頼はリーゼさんが担当していましたから」
リーゼさんは、僕と同じ工房に住んでいる女の子だ。
そのリーゼさんは今日、工房のある辺境町の騎士団長アルレイド将軍とともに、タイコーン辺境伯様の屋敷に行っている。工房主様の代理として、先日のスケルトンとインプによる辺境町襲撃事件の報告をするためだ。
だから、今回はユーリシアさんに交渉役の御鉢が回ってきたんだけど、それは間違いじゃなかった。
「ユーリシアさん、流石でしたよ。村の皆さん、ユーリシアさんのことを神様だって言っていましたから。僕なんて何もしていないのに鼻が高いです」
僕が心から思ったことを言うと、ユーリシアさんは嬉しいのか辛いのかわからない表情を浮かべた。
リーゼさんは工房主の代理とその役割についているし、僕が働いている工房は本当に凄い人ばかりだな。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――タイコーン辺境伯領。
その領土は、ホムーロス王国内の貴族の領地としては最大規模を誇る。
ただし、魔族が治める魔領に隣接する故に魔物の目撃報告も多く、軍備増強のため、領地経営の財政は国内だけでなく隣国をも含めた資金援助に頼っているのが実情だ。
それもあって、辺境伯という位自体は侯爵家と同等の権力があるにもかかわらず、その立場は決して強くない。
だが、そんな辺境伯に転機が訪れた。
辺境領内に、かつて国境の砦として築かれた名もなき町がある。
慣習的に辺境町と呼ばれるそこに、新たに認められた工房主が工房を構え、リーゼロッテ第三王女が修業に赴いているという。
この国ではそもそも、王家の権力が強い。加えて、貴族勢力をまとめ上げる立場にいるのが国王と従兄弟の間柄であるボルドール公爵なので、王家の意向が政治に反映されやすいのだ。
ここでリーゼロッテ第三王女を丸め込めれば、タイコーン辺境伯は王家との強い繋がりを持つことができる。さらに言えば、リーゼロッテ第三王女は隣国グルマク帝国の皇帝の孫娘で、次期皇帝の姪にあたるため、グルマク帝国とも繋がりを持つことができるだろう。
(……なんてことを考えているのでしょうね、あの狸は)
私、リーゼロッテ・ホムーロスは、タイコーン辺境伯が思っていることを想像して内心辟易していました。
先日起こったスケルトンとインプの襲撃と上級悪魔の討伐について説明せよと、工房の代表者一名と騎士隊の代表が領主の元に招集されたのはつい先日のことでした。
本来ならば工房主が自ら赴くべきなのでしょうが、クルト様は自分が工房主であることを知りません。彼の力を悪用させないために私達が秘密にしているからです。
しかし、だからといって筆頭冒険者であるユーリシアさんや、ましてやサクラの皆さんが代表として赴いても、タイコーン辺境伯は納得しないでしょう。
結果、消去法で私が工房の代表となったのです。
城に到着し、アルレイド将軍とともに食堂に足を運びます。
扉を開けると、狸――タイコーン辺境伯が立ち上がって床に跪き、頭を下げました。
ただ、お腹がつっかえているのか、頭があまり深く下がらないようです。
元々は国でも名を知らぬ者はいないと言われた棒術使いだったのが、この地に赴任してから一気に太ったという話です。
まぁ、私は痩せていた頃のタイコーン辺境伯は知らないのですが。
「まさか姫様が自らいらっしゃるとは……お出迎えできず、誠に申し訳ございません」
本当に、この狸は食えない男ですね。
私がこの地に赴くことはすでに知っていたでしょうに。諜報部隊であるファントムからそう報告を受けています。
「お気になさらないでください。今の私はリーゼロッテ・ホムーロス第三王女としてでなく、工房主代理として伺っておりますので、お顔をお上げください」
「そう言っていただけますと――姫様の御口に合うかわかりませんが、ささやかながらお食事を用意しております」
「それは楽しみです、タイコーン辺境伯」
私はそう言いながら、『できることならもう食事などとらずに、辺境町に戻りたい。どのような豪華な料理でも、クルト様が作る料理にはかなうわけがないのだから』と内心で呟いていました。
席につき次々と運ばれてくる料理を食べながら、私達は先日の事件について報告しました。
案の定というか、戦場で使われた魔法晶石と魔法薬に関する話はタイコーン辺境伯の耳にも届いていたようです。
タイコーン辺境伯はそれとなく、工房主の情報を聞き出そうと探りを入れてきます。
小娘ならば情報入手くらい容易いと見ているのでしょう。
しかし私がなかなか口を割らないでいると、今度は話題を変えてきました。
「姫様は、今姫様がいらっしゃる町の名前がないことはご存知ですか?」
……これはただの雑談でしょうか?
「はい、もちろん知っております。名前は太守が決まってからその太守が付けるのが通例となっているため、いまだ無名の町なのだとか」
「おぉ、御存知でしたか」
タイコーン辺境伯がニヤリと笑います。
背筋を撫でられる感じがしました。
何か失策をした? しかし、それが何なのかわかりません。
「太守を決めようと思っているのですが、なかなか決まらず困っているのです。辺境町は我が領土の中でも魔族の領土に最も近い町、危険がつきものです――それに」
タイコーン辺境伯はそこで言葉を切って、アルレイド将軍を一瞥します。
「……私達のような癖のある騎士の上に立つのは面倒でしょうな」
「将軍の武功はここまで届いているからな。今時珍しい一枚岩の騎士隊、外部の人間が上に立つのに不安がある。わかってくれるな」
「ええ、存じております」
アルレイド将軍が頭を下げました。
このまま話が終わるのでしょうか?
しかし、デザートが運ばれてきたところで、タイコーン辺境伯は思わぬ爆弾を投下してきたのです。
「それで私としては、姫様がいる工房の工房主殿に辺境町の太守になっていただきたいのです」
――それは、予想以上に大きな爆弾でした。
工房主は貴族相当の権力を有しており、そもそも有識者が多いです。そのため、工房主が太守になること自体は珍しくなく、現在この国でも、三名の工房主が太守に任命されています。
ところが、今回に限っては困ります。
私達の工房の工房主はクルト様ですが、それはクルト様本人も知らぬ話なのですから。
せめて、クルト様を完全に外敵から守るための準備が終わるまでは、そのことは伏せておかねばなりません。
しかし太守に就任すれば、町のみんなに姿を隠したままにはできません。太守代理を立てて政治に関わらないこともできますが、就任時にタイコーン辺境伯の前で太守になるという宣誓を行わなければならないため、一度は姿を見せる必要があるのです。
「タイコーン辺境伯様、失礼ですが、太守の件は私の一存では――」
「これは異なことを。姫様は工房主殿の代理としてここにいらしている。つまりは私との取り決めについて全権を委任されている立場なのでしょう?」
タイコーン辺境伯の言う通りでした。
全権を持たない代理人を立てて送ることが許されるのは、訪問先の主と同等の立場、もしくは格上の立場の者のみ。
格下の者が代理人を送る場合、それは全権を委任することと同義になる。全権を持たないのなら、それはただの使者でしかありません。
第三王女としてではなく、工房主の代理として来ている以上、私が決定しなければいけません。
「しかし、本当によろしいのでしょうか? 工房主様はまだ地位を得て日も浅く、功績と呼べるようなものもあまり上げておりません。そのような方を太守にしては、他の貴族の方との不和を招く恐れもあるのではないでしょうか?」
「問題ないでしょう。なんでも工房主殿は姫様だけでなく、オフィリア工房主殿、ミミコ第三席宮廷魔術師殿の推薦で工房主になられたのだとか。その御三方に敵対してまで工房主殿を陥れようとするような貴族は我が領内にはいません。さらに、工房主殿は先の戦いで多くの騎士達の命を救ってくださった。騎士達からも工房主殿が太守になることに反対する者はいないでしょう」
タイコーン辺境伯はそう言ってアルレイド将軍を見ました。
頼みます、余計なことを言わないでください――そう願いましたが、やはり無駄でした。
「もちろんです、われわれ騎士隊、工房主様が太守になると言うのならば心から歓迎致します」
そうでしょうね。
アルレイド将軍は工房主に会ったことがない(本当は何度も会っているけれど)にもかかわらず、工房主のことを自分と部下、町のみんなの命の恩人として敬愛しています。
彼が反対するはずがありません。
こんなことなら、クルト様のことをアルレイド将軍にも話しておけばよかったと後悔しますが、もう手遅れでしょう。
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「そんなことはありません! 工房主様はとても立派な方です。この国、いえ、この世界中の工房主全てを集めても、あの方以上に優れた人はいないと言ってもいいでしょう! 人間的に問題があるなどという言葉は訂正……して……」
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「それでは姫様、工房主殿にもよろしくお伝えください。辺境町には私が後日出向き、そこで任命致しましょう。その日は追ってお知らせします」
「――で、太守として任命されるってことになったのか……何をしてるんだよ、リーゼ」
「面目ございません」
工房に戻った私を待っていたのは、ユーリさんの辛辣な言葉でした。
しかし返す言葉もありません。
「サクラの誰かを工房主に仕立てることはできないのかい?」
「難しいですね、三人とも顔を騎士隊の皆さんに知られています。それに専門知識もありませんから、何か質問された時に受け答えができないでしょう。そもそも、愛しのクルト様に代わる人間なんて、この世界にいるわけがありません。クルト様は至高の方なのですから……そういえば、クルト様は何をなさっているのですか?」
「ん? あぁ、至高のクルトなら、子育てに夢中だよ」
ユーリさんの言葉に、私は思わず声を荒らげてしまいます。
「子育てっ!? 相手は誰ですか!? クルト様の子供なら今すぐ私の養子にしなくてはいけません」
「……いろいろと言いたいけれど、まぁ、殺すとか言わないだけマシかな」
「当たり前です、クルト様の子供ならばたとえ相手がオーク(♀)でも可愛らしい男の子に決まっています。そのような子を殺すことなどできるわけありません。相手の女性がどうなるかは知りませんが」
「……あぁ、うん――悪い、からかっただけ。クルトが村で貰ってきた水鳥の卵のひとつが、孵化間近の有精卵だったらしくてね、今孵化させる準備をしているみたい」
「あぁ、そういうことですか。流石クルト様。とてもお優しいですね」
そう言ってみたのはいいのですけれど。
クルト様が貰ってきた卵、育てているのはクルト様。
果たして、生まれるのは本当に水鳥なのでしょうか?
「そういえば、最近、あの村の近くでヒュドラの目撃情報がございませんでした?」
「……あぁ、リーゼもそう思うよな。ちなみに、私はドラゴンが生まれると思っている」
「絶滅種のダイヤモンドタートルが生まれる可能性はないでしょうか?」
ありとあらゆる想定をしてみる私達。
ある程度生まれてくる動物の予想をしたところで――
「「あははははは」」
と二人で笑いました。
そうです、いくらクルト様が戦闘能力以外の適性が全てSSSランクと言っても、水鳥の卵からドラゴンを孵化させることができるわけありません。
そんなことができるのは神のみです。
まぁ、神とクルト様とどちらが偉大かと審査したら、クルト様に軍配が上がりますが……それでもクルト様にだって不可能なことがあります。
そう、きっと生まれてくるのは水鳥なのでしょう。
金の卵を産む水鳥――ええ、クルト様に育てられた水鳥としてはとても現実的ですね。
毎日金のオムレツが食べられそうです。
私がそんな支離滅裂なことを思った時でした。
「生まれました」
クルト様のそんな声が聞こえてきたのは。
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女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。
妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。
だから恥じた。
「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。
本当に恥ずかしい…
私は潔く身を引くことにしますわ………」
そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。
「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。
私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。
手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。
そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」
こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。
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※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
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