【WEB版】メイズラントヤード魔法捜査課

ミカ塚原

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緋色の射手

(21)エピローグ

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 のちのブルーいわく、”あまりに胸くそが悪い話”をまとめると、赤毛の女フランナ・スチュアートが、父親ギルロイの霊を自らに降ろして凶行に及んだ動機は、「二重の復讐」だった。
 海の向こうの戦地で仲間に謀殺されたギルロイは、心臓を撃ち抜かれて死んだはずだった。しかし、フランナが母親から聞いた話によると、ギルロイは半死半生で岩場に流されていた所を、地元の漁師に助けられた。その後たまたま立ち寄った、漁師と交易しているベイルランドの貿易船の船員が、フランナの生まれたトラス村まで連れて帰ったのだ。
 
 その後ギルロイは、トラス村で看護をしてくれたジェニーという女性と結婚、1年半後にフランナが生まれた。負傷のため体力が落ちて力仕事もできないギルロイは、都市に品物を納品する細工師の工房で、手伝いをしつつ暮らしていた。
 だが16年前、フランナが3歳の時、村の仲間との酒の席でギルロイは突然体調が悪化し、還らぬ人となる。やはり、かつての負傷が尾を引いていたのだろう、と人々は思った。

 しかしその16年後の今になって、フランナは偶然、驚くべき事を耳にする。それは、村のある老人が亡くなった、葬式のあとの事だった。母親が婦人会の打ち合わせでいなくなり、フランナはひとり自宅に向かっていた。その途中、農家の小屋の陰で、よく知る石工と革職人が、何やらひそひそと話し込んでいたのだ。
 何となく好奇心で聴き耳をたてた事が、フランナの運命を決定づけた。

「要はその石工と革職人と、その日に葬儀が行われた老人の3人が、メイズラントにギルロイの所在を洩らした張本人たちだったんだな」
 いつものようにデスクに足を投げ出したアーネットが、デイモン警部から回ってきたフランナ・スチュアート取り調べのまとめを読みながら、話したくないとばかりに眉をひそめた。
「ギルロイの不幸は、偽名を使うといった頭が回らなかった事だ。一本気な性格だったらしいからな。どういう経緯か知らないが、とにかくその3人はメイズラントに、ギルロイが生きている情報を売ったわけだ」
「ギルロイはどうやって殺されたのかしら。毒殺?」
 ナタリーは、小説が散乱して悲惨な事になっているデスクを片付けながら言った。
「たぶんな。情報を洩らした3人は、メイズラント軍…おそらくはロブ・ミーガンの息がかかった人間から、ギルロイの殺害を命じられたんだろう。口止め料込みの報酬を受け取ってな」
 その事実を、今年の春フランナは知ってしまった。幼い頃、愛した父親が村人の裏切りで毒殺された事実と、かつてメイズラント軍に裏切られて殺されかけた事実は、娘を復讐に駆り立てるのに十分すぎた。
「父親を裏切った全ての人間に報いを、というわけね」
「刑事が言っちゃいけない事だが、俺だってそんな話を聞いたら、復讐したくもなる。ギルロイは人生で二度、裏切られたんだからな」
「きつい話ね。それでフランナ・スチュアートは、ベイルランドの魔女に接触した、と。そのへんの詳しい話は聞いたの?」
 それは、ある意味で今回の事件における最大の謎である。だが、手元にある取り調べの報告によると、フランナはその魔女の顔は見ていないらしかった。
「そもそも、接触してきたのは魔女の方らしい。フランナが、知ってしまった情報によってどうするべきか悩んでいたところへ、現れたそうだ」
「例の、魔法の万年筆の組織と似てるわね。魔女の常套手段なのかしら」
 まるで、心の闇を抱えている人間を察知しているようだ、とナタリーはゾッとした。
「魔法の万年筆と違うのは、魔女によって身体に直接、例の亡霊を降ろす魔法を植え付けられてたって点だな。それが結局、フランナの身体に負担を強いてしまった。もしあのまま魔法を使い続けていたら、どうなってたんだ、ブルー」
 アーネットが訊ねるも、ブルーはいつになく重い表情で、散らかったデスクを睨んでいた。アーネットとナタリーは、以前にも見覚えのある表情だった。
「死んでただろうね」
 素っ気なくブルーは言った。
「人間は、人の命なんて何とも思っちゃいないんだよ。気に入らなければ殺す。金になると思えば売る。魔法の実験台になると思えば魔法を植え付ける。人間も魔女も関係ない。世界は悪意に満ちているんだ。ギルロイを謀殺した連中は、地獄に落ちて当然さ」
 ブルーがここまで憤りを見せるのは、珍しい事だった。それほどまでに、今回の事件はブルーの何かに触れたらしかった。そのとき、ドア備え付けのポストに配達物が投函される音がした。
「最後のセリフは聞かなかった事にしてやる」
 アーネットは配達物を取りに立ち上がる。ナタリーは、宥めるように言った。
「悪意に満ちてはいるけれど、善意がないわけじゃないわ。納得はいかないでしょうけど」
 そんなことを言われても、ブルーの気持ちは収まらなかった。殺人を犯したフランナを、司法は裁かないわけにはいかない。それはブルーもわかっている。だが、ここまで犯人に同情してしまう事件もなかった。
「…あの女の人、どういう判決になるんだろう」
「まだ裁判も始まってないわ。何とも言えないわね、あまりにも考慮する要素が多過ぎて」
 ナタリーは立ち上がると、ブルーの肩をポンと叩いて、紅茶を淹れるため戸棚を開いた。そこへ、何やらアーネットがニヤニヤしながら、ブルーに一通の手紙を持ってきた。
「ほれブルー、お前宛てだ」
「なに?珍しいわね」
 ナタリーが手紙を取り上げ、差出人を見てニヤニヤとし始めた。ブルーは不機嫌そうにそれを受け取ると、仏頂面で差出人を見て、ふいに表情が緩んだ。

 “from Gillian Armstrong”

 ご丁寧に、末尾にはハートマークまであしらってある。表情が緩んだ直後、ブルーは真っ赤になって眉間にシワを寄せた。
「なんだよこれ!」
「いいじゃないの。旅先からわざわざ手紙を送ってもらえるなんて。ほら、早く開けなさいよ」
 ナタリーは一切遠慮なく、覗き見というより堂々と読む気満々である。だがブルーは、魔法の障壁を展開して邪悪な大人2名をシャットアウトしてしまった。
『こらっ、開けなさい!』
 ナタリーがドンドンと障壁を叩く。この間、ギルロイの銃弾にもギリギリ耐えた強度をほこる障壁である。ブルーは無力な大人たちを尻目に、手紙の封を切った。ちなみに発送地点は、南の大陸オアフカの北端の都市ソタンからである。
 手紙をひととおり読んだブルーは、あっさりと障壁を解いてしまった。少しばかり拍子抜けしたような顔である。
「いいよ、はい」
 いとも簡単にナタリーにも手紙を渡してくれたので、大人2人は怪訝そうにそれを読む。そこに書かれているのは、まさしくごく当たり障りのない、旅の報告だった。東の大陸の突端経由でオアフカに行った事と、その船旅での出来事などが綴られている。ブルー個人というより、魔法捜査課に宛てたような文面だった。
 それでも、旅は楽しいけれど帰ってブルーの顔を見るのも楽しみだ、などとも書いてある。ミランダが船で吐いた光景のリアルな描写は必要あるのか、とアーネットは眉をひそめた。

 陰惨な事件のあとに、陽光きらめく旅先からの手紙は、3人の気持ちをわずかに和ませてくれた。だが、文面のひとつの箇所にナタリーは気付いた。
「ねえ、ここ」
「え?」
 ナタリーが、指差した部分を読み上げる。そこにはこうあった。

“ソタンの漁師村ネネガルの料理めちゃくちゃ美味しい!ヤオ・バージルっていう漁師のおじいちゃんが料理もプロ級!その人が20年ちょっと前に、大怪我して流れ着いてた兵隊さんを助けた、っていう岩場も見せてもらった”

 どうという事もない一文だが、ブルー達にとっては大変な意味を持っている事に気付く。アーネットは腕組みしてその箇所を睨んだ。
「兵隊さんを助けた岩場…」
「間違いないわ。ギルロイが流れ着いていた岩場よ。ソタンといえば、例のモーラス戦争の最終決戦地。村の名前も、助けた漁師の名前もハッキリ書いてある」
「だが、こんな偶然あるか?」
 そこまで言って、3人はそれが偶然ではない可能性に思い当たった。何故ならジリアンの旅行には、魔女カミーユ・モリゾが同行しているのだ。
「カミーユ、ひょっとして何か知ってたのかしら。今回の事件について」
「その可能性はあるな。なにしろ占い師だ」
「それなら、旅行なんか行かないで手伝って欲しかったけれど」
 もはや友人のカミーユにナタリーは遠慮なく愚痴を言ったが、ブルーの意見は違った。
「そうじゃないよ。僕の先生が魔導書を貸してくれたように、カミーユも制約の範囲内で協力してくれたんだ、魔女として。この伝えてくれた情報は、裁判の結果に間違いなく影響を及ぼすだろ」
 それは疑いようのない事だった。第7歩兵連隊がソタンで戦っていた事実と併せると、ジリアンが伝えてくれた村や漁師の名は、ギルロイ謀殺事件を裏付ける決定的な情報になる。
「まさか、それを知っていて旅程を組んだってこと?」
 ナタリーの疑問に、アーネットもブルーも答える事はできなかった。自分達は恐ろしい魔女と当たり前に付き合っているらしい、という事を今さら再認識させられた。

 ◇ ◇ ◇

 その後数日間は何事もなく過ぎて行った。だが、もうこれで事件も終わりかと思い始めた時、とんでもない事が起こる。デイリー・メイズラント紙はじめ主要紙は一斉にそれを報じた。

“22年前からの因縁、悪夢のような事件”
“栄光のメイズラント陸軍が抱える民族差別の闇”
“虐待された英雄!赤毛の狙撃手はベイルランド義勇兵だった”

 1面から社会面、政治面まで、各紙ともリンドン連続狙撃事件と、それにまつわるギルロイ・スチュアート謀殺の事実を、色めき立って報道した。なぜこんな事になったのか。デイモン警部が、記者会見で全てをバラしたのである。
 ちなみにその記者会見には、またしても”ベイルランド新報”なる怪しげな新聞の、赤毛の記者エスターが顔を見せた。エスター記者は繰り返し意味不明の質問を投げ、デイモン警部はそれに答える形で、ギルロイ謀殺からベイルランド人による生存の密告、娘フランナが凶行に及んだ背景まで、何もかも白日のもとに晒してしまったのだった。これはカトリーンとデイモン警部の共謀である。
 陸軍を刺激したくない警視総監は激怒したが、その時にはもう世論は沸騰どころか大噴火の状態で、中にはフランナ・スチュアート無罪を求める声まで湧くほどだった。さらにはベイルランドとの国際問題にも発展し、フランナは彼女を励ます多数の手紙さえ受け取る始末だった。

 ◇ ◇ ◇

 メイズラントのはるか北にある、人里離れた森の中に、森に溶け込むかのように黒い館がひっそりとあった。その館の扉は魔法で施錠されており、およそ普通の人間は開ける事もできない。
 だが、そんな魔法の鍵など最初からなかったかのように、その扉を開ける、白く美しい手があった。黒いビロードのようなローブに、黒曜石を櫛で梳いたかのような黒髪の女。
 女は、館の奥の広間に悠然と姿を現した。間の奥には、一人のやはり黒いローブ、燃えるような波打つ赤毛の女が足を組んで椅子に座っていた。
「何用か」
 叱り付けるように、女は黒髪の闖入者に問いかけた。
「大魔女テマ・エクストリームが、どのような要件でここに参られた」
「知れたこと。お前を罰するためだ」
 艶やかで、冷徹な声が広間に響く。
「お前は人を殺めさせるための魔法を無垢なる人間に与え、なおかつその意思をも縛った。人の世に手を出してはならぬ、魔女の掟だ」
「魔女の掟?」
 突然、赤毛の魔女は高らかに嘲笑した。
「ははは!これは面映ゆい。12500年前、まさに人の世に手出しをして、いまだ罰を受け続けている貴様に言われる筋合いはないわ!」
「お前の説教を聞きに来たのではない」
 テマ・エクストリームの左目が、わずかに赤く輝いた。次の瞬間赤毛の魔女の全身は、壁面に叩きつけられた果実のように、破裂して骨と肉片の真っ赤なスープと化してしまった。
 テマはそれ以上何も言わず、無言で館をあとにした。大魔女が去ったあと、館は跡形もなく消え去り、何百年も前からそこにあったように木々が生茂っていた。
 
 ◇ ◇ ◇

「なんだか大変な事になっちゃったね」
 革のバッグを背負ったカトリーンは、新聞を片手に魔法捜査課のオフィスを訪れていた。1面では、芋づる式に明らかになったメイズラント陸軍の問題が取り上げられていた。
「もう行くのか」
「うん。やる事なくなったしね」
「寂しくなるな」
 ふいに口をついて出たアーネットの言葉に、カトリーンの目がわずかに潤んだ。
「また来るかもよ。向こうには、いられなくなるだろうしね」
「やっぱり、魔女コミュニティには戻らないの?」
 ブルーの質問に、カトリーンは笑って答えた。
「というより、たぶん破門になると思う。向こうが例の魔女の件を隠蔽してた事、勝手に暴いちゃったしね」
「…私達のせい?」
 ナタリーが心配そうな目を向けたので、カトリーンは手を振ってフォローを入れた。
「ううん、違う違う。むしろ感謝してるよ。自分の組織が陰でコソコソやってる事がわかって、袂を分かつ踏ん切りがついた」
「何か、不利な立場に追い込まれるような事はないのね」
「うーん、ホントはあるんだろうけど、たぶん大丈夫。ブルーのおかげで。ありがとね」
「え?」
 何だそれは、とナタリー達はブルーを見た。ブルーは何でもないよ、と手をヒラヒラさせている。
「汽車の時間、遅れちゃうよ。大丈夫?」
「うん。それじゃ、行くね」
 カトリーンは、笑ってドアノブに手をかけた。ほんの1週間ばかりの付き合いなのに、何年も一緒にいたような気さえする。
「じゃあね、みんな。また、必ず会おうね」
「元気でね!」
「今度はカミーユも一緒に、お出かけしましょう」
「カトリーン。あげていいか5時間くらい迷ったが、持っていけ」
 そう言ってアーネットが差し出したのは、52年もののメイズラント産ワインのスリムなボトルだった。酒の味がわかる人間にはわかる、貴重な一本である。
「いいの!?」
 そう言いながらも、すでにカトリーンはしっかり握っている。アーネットは笑った。
「こんど来たときは、穴場のバーに連れて行ってやるよ」
 各人各様の別れを告げ、カトリーンは静かに魔法捜査課のオフィスを後にした。しばらく、当たり前のようにそこにいた存在が抜けたオフィスは、なんだかガランとして見えた。
「ブルー。さっきカトリーンが言ってたの、どういう意味だ。大丈夫、って」
 アーネットが、怪訝そうに訊ねる。
「え?ああ、何て事はないよ。カトリーンの身柄に関してはこちらが受け持つ用意があるから、そのへんよろしくね、っていうテマ先生の書簡を僕が渡した」
「つまりどういう事だ、かいつまんで言うと」
「大魔女テマ・エクストリームを敵に回したくなかったら、カトリーンに無体な仕打ちはするな、って事だよ」
 何のことはない、テマ・エクストリームの権威による脅しである。アーネットとナタリーは呆れ、かつ恐れ慄いていた。
「さて、また退屈な日々がやってくるというわけだ」
 ブルーは背伸びをして、大きな欠伸をした。実のところ、まだ事件は終わってはいない。ディアス・ミンターひいては旧第7歩兵連隊への取り調べもあるし、フランナ・スチュアートの裁判も控えている。魔法に関する説明を、魔法捜査課が求められる事もあるだろう。
 
 何もなければ、それでいいのかも知れない。ただ、事件がなければ退屈との戦いが待っている。まあ、それもいいか、とブルーは積んである小説を手に取った。

 奇怪な事件は、メイズラントヤード魔法捜査課まで。

(緋色の射手/完)
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