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緋色の射手

(19)魔導書

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 死んだ父親が、おそらくは民族差別による殺人の隠蔽に加担していた。その事実は、ゲイリーにとって受け入れがたいものであるらしかった。だが、まだ納得していないのか、食い下がるようにアーネットに訊ねる。
「やはり、まだ信じられない…僕の父親がそんなことを見て見ぬふりしていたなんて、そんな証拠があるのか。部下たちが勝手にやった事なんじゃないのか。ディアス叔父さん、嘘なんだろう」
 問われるも、ディアス・ミンターは答えない。その沈黙と憔悴が、残酷な事実を物語っていた。
「そんな…それじゃ、今回の連続殺人の犯人はその、ギルロイという人物の仇を討っている、っていうのか…そいつは誰なんだ」
「まだ、そこまではわかっていません。ですが少なくともディアス・マッソン氏の反応を見るに、ギルロイ謀殺は事実なのでしょう。となると、ギルロイに近かった誰か…例えば血縁関係の誰かが、22年後の今、真実を知ってしまい、凶行におよんだ可能性は否定できません」
 そこで、黙っていたカッター刑事が進み出た。
「現在リンドン市内に、不審な赤毛の女が現れています。外見的特徴から、ベイルランド系の人間ではないかと思われます。そして魔法捜査課の調べで、狙撃はその女を追跡した先で起きているようなのです」
 カッターは明言こそしなかったが、それはその女が22年前に死んだ赤毛の狙撃手、ギルロイ・スチュアートの血縁関係にあるのではないか、と仄めかしていた。
「ゲイリーさん、心中はお察ししますが、もしお父上が22年前の事件に関わっていたのなら、お父上が存命ではない以上、犯人はその復讐対象を家族に広げる可能性もある。すでに、あなたのご家族には警察が護衛をつけています。あなた自身も安全とは言い難い。犯人逮捕までは我々の保護下に置かせていただきます」
 ゲイリーはまだ心の整理がついていない様子で、ディアスを振り向いた。ディアスは地面に両腕を突いたまま、力無くうなだれている。カッターは、バルテリに命じてその身をまず立たせた。
「ディアス・ミンター、お前の身柄を保護するとともに、22年前に起きた可能性が高い、ギルロイ・スチュアート謀殺事件の重要参考人として、警視庁まで同行してもらう」
 ディアスはもう言葉を発する気力も残っていないようだった。がくりと肩を落とし、両脇をバルテリとジャックに保護されたまま、茂みの間にある細い小道を歩いて行った。デイモン警部達もそのあとに続く。
「ナタリー、君が探してくれた名簿のおかげだ。ありがとう」
 アーネットは色々と面倒をかけた事もあり、いつになく丁寧に謝意をあらわした。ナタリーはわざとらしく肩を鳴らしてみせる。
「そうね。最近、駅の近くに新しいアイスクリーム屋さんができたらしいんだけど」
「ああ、5個でも6個でも食べてくれ」
「アーネット、まだ終わってないわ」
 ナタリーは、デイモン警部にガードされつつ歩いてゆく、ゲイリー・マッソンを見た。唐突に知らされた事実に、どうすればいいのか混乱している様子がわかる。刑事でいる限り、こんな場面には嫌というほど出くわすが、できることなら救いがあって欲しい、とアーネットは思った。

 ほとんど獣道といっていい茂みを、枝葉にスーツを擦りながら通り抜けると、埠頭に続く細い街道に出た。すると、待機していた警察の馬車と自動車にくわえ、もう一台の辻馬車が到着したところだった。降りてきたのは、魔法捜査課のアドニス・ブルーウィンド刑事と、デイモン警部いわく”自称新聞記者”のカトリーン・エスターだった。そのカトリーンの、後ろで結った長い髪を見た瞬間、ディアス・ミンターがガクガクと震え始めた。
「ひいい!」
「おいっ、落ち着け!どうした!」
「ギルロイが!ギルロイが!」
 到着するなり慌てふためく年配の男性の姿に、カトリーンとブルーはキョトンとして顔を見合わせた。
「どうしたのかしら」
「さあ。アーネット、その人が例のディアス・ミンター?」
 茂みから出てきたアーネットに、ブルーは訊ねる。アーネットは新調したばかりのグレーのスーツの傷みを気にしていた。
「ああ、そうだ。おおかた俺の推理どおりだったよ。細かいところは取り調べの結果しだいだがな」
「あれ、どうしたの?」
「カトリーンの赤毛を見て、”伝説の狙撃手”の姿を思い出しちまったんだろうよ」
 慌てふためくディアスをバルテリが強引に押さえつけ、自動車の後部座席に押し込んだ。カッターがハンドルを握り、助手席にはデイモン警部が乗り込む。
「燃料は大丈夫なんだろうな、カッター」
「リンドン市内までは保つでしょう。たぶん」
 付け加えた一語に多少不安を感じつつ、デイモン警部は指示を出した。
「ジャック、お前はゲイリー・マッソンの保護と移送を頼む」
「了解しました!」
 ジャックは例によって大げさに敬礼すると、馬車にゲイリーを乗せた。ゲイリーは、まだ不安そうに自動車に乗った叔父を見ている。デイモン警部は、魔法捜査課の面々を振り向いた。
「レッドフィールド、すまないが魔法捜査課には、ゲイリー・マッソン保護への協力を頼む」
「了解しました」
 
 こうして、先頭にはアーネットとナタリーが乗る馬車、真ん中にディアス・ミンターを乗せた自動車、後方にゲイリー・マッソンと、それを護衛するジャック刑事、ブルー、カトリーンが乗った馬車が連なって、一路リンドン市を目指す事になった。
 だが、護送にあたる刑事全員が依然として気がかりなのは、いまだ連続狙撃事件の犯人は、その正体を現していないことだった。
「赤毛の女、現れるかしら」
 ナタリーは不安そうに、後方の自動車と馬車を見る。
「もし赤毛の女が本当にギルロイ・スチュアートの血縁者であるなら、いま護送しているディアス・ミンターもその標的になり得る」
「ああ」
「今回ばかりは謎が多すぎるわね。これだけ捜査の手を広げているのに、なぜ、赤毛の女は姿を見せないのかしら」
 そして、姿が見えないのに狙撃は連続で発生している。もはや、このままでは狙撃を阻止する事は不可能なのではないか、という不安が、ナタリーとアーネットによぎった。

 そうして、チェザー市を抜けリンドンの街並みが見える、広い街道に出た時にそれは起こった。突然、馬車の馬が何かに怯えるようにいなないて、混乱をきたしたように足が乱れ始めたのだ。御者は必死で馬を落ち着かせるものの、馬は道をはずれて脇の茂みに入って立ち往生してしまった。いきおい、後ろの2台も止まってしまう。
「どうした!」
 デイモン警部の声が響く。だがそのとき、一行は街道の先に、誰かが立っているのをみとめた。それは、カーキ色のベルト付きワンピースをまとった、赤毛のミディアムヘアの女だった。
「あっ!」
 カトリーンは声をあげた。
「あの人だ!私が病院で面会した!」
 それは、人相書きに瓜二つの容姿だった。ほっそりした顔立ちに、切れ長の目。だが、その顔色は生気がなく、死んだような眼差しを向けていた。アーネットはすかさず魔法の杖を抜き、女に向けて突き出す。
「警察だ!そこを動くな!」
 アーネットに続いて、自動車から降りたカッターも拳銃を抜き、銃口を女に向ける。だが、女はまるで動じる様子がなかった。それどころか、まったくアーネット達を意に介してさえいないように見えた。そのとき、カトリーンが叫んだ。
「何かおかしい!離れて!」
「なに?」
 アーネットが警戒する間もなく、驚くべき事が起きた。女の姿が、まるで煙のように空に消え去ったかと思うと、正体不明の黒い影がアーネットとカッターの間を一瞬ですり抜けて、自動車の前に移動したのだ。
「なんだと…!」
 その影は再び元の形、赤毛の女の姿に戻る。その目は、後部座席のディアス・ミンターを見据えていた。
「止まれ!」
 デイモン警部は拳銃を抜くと、ためらう事なく女の足に向けて発泡した。だが、銃弾は女の左足をすり抜けて、地面に当たってしまう。一瞬、外したのかと警部は思ったが、そうではない。
「ばっ、ばかな…」
 そこへ、ブルーとカトリーンが杖を抜いて飛び出した。だが次の瞬間、女を中心として、まるで竜巻のように黒い波動が巻き起こり、その場にいる全員が、身の毛もよだつような悪寒を覚え立ちすくんでしまった。それは錯覚ではなく、身体から体温が奪われているのがわかった。
「こっ、これはまさか…」
 ブルーは、女が行き倒れていた際の、極度に体温が低下していた、という情報を思い出していた。つまり、単なる行き倒れではなかったという事なのか。すると、自動車からディアス・ミンターが、半狂乱で飛び出した。
「うわああ!」
「あっ、まっ、待て!」
 慌ててバルテリが腕を掴んで引き止める。だが火事場の馬鹿力か、ディアスはバルテリの手を振り払うと、茂みに向かって走り出した。しかし次の瞬間、赤毛の女はディアスの眼前に移動していた。
「ぎゃああ!」
 ディアスは腰を抜かし、茂みに尻をついて動けなくなってしまう。そのとき、女の唇が震えるように動いた。
『父…殺した…許さない…』
 まるで、井戸の底から響くような、低音をともなう声だった。そして、その場にいる全員が確かに聞いた。「父」「殺した」と。女の目は、どす黒い憎悪を浮かべ、ディアスを真っ直ぐに睨んでいた。ディアスはすでに恐怖で言葉を発する事もできなかった。
「カトリーン!」
「わかってる!」
 ブルーとカトリーンは、咄嗟にディアス・ミンターに向けて杖を振るった。ディアスの周囲に、まるで多面体のダイスのような、うっすらと虹色に見える魔法の障壁が二重に張られる。それに続いて、2人は赤毛の女の前に立ち塞がった。
 次の瞬間、驚くべき事が起こった。女の姿が再び煙のようにぼやけたかと思うと、一瞬で違う人物の姿に代わってしまったのだ。その姿に、全員があっと声をあげた。それは、カーキ色の膝まである角袖にブーツ、首にはくすんだブラウンのスカーフを巻いた、長髪の赤毛の男だった。その肩には、旧型の狙撃銃が提げられていた。
「ぎっ、ギルロイ!」
 ディアス・ミンターは、はっきりとそう言った。眼の前に突如現れた男を、ギルロイ、と呼んだのだ。
「おっ、俺は最後まで反対したんだ!俺は他のやつらを、必死に止めた!だけど、ベイルランド人の英雄は軍にいらない、って!」
 そのとき、およそ信じられないような速さで赤毛の狙撃手はライフルを構え、音もなく弾丸が発射された。そして、カトリーンが張った外側の障壁は、一撃で粉砕されてしまう。
「あっ!」
 その光景にブルーは驚いた。その気になれば大砲の弾も防げる障壁が、狙撃銃の一発の弾丸によって砕かれたのだ。だが、驚くべき事はその威力ではない。女の姿が変化したばかりでなく、所持していなかったはずの狙撃銃が実体として現れた事は、ブルーの魔法の知識を越えた出来事だった。いったい、赤毛の女が用いた魔法は何なのか。というより、これは魔法なのか。
 ブルーは、とっさに赤毛の男に向けて拘束魔法を放つ。しかし、魔法は女を通過して、空中に霧散してしまった。
「魔法が効かない!?」
「ブルー、そいつは幽霊よ!ギルロイ・スチュアートの!」
 カトリーンは、そう断言した。ブルーも、アーネット達も唖然としていた。幽霊。そのときメイズラント警視庁の面々が思い起こしたのは、以前のリンドン大暴動事件で街中に出現した、修道女の霊だった。
 だが、あの時修道女の霊は、ただ現れて、そこにいるだけだった。今、目の前にいる幽霊、ギルロイはまるで実体が動いているかのように見える。そして、ギルロイの顔立ちは、赤毛の女の顔立ちと瓜二つだった。
「撃て!」
 今度はデイモン警部の号令のもと、カッター、バルテリ、ジャックが一斉に拳銃を放つ。しかし、やはり銃弾はギルロイを通過してしまった。
「ばかな!」
 重犯罪課の面々は、目の前で起きていることが信じられなかった。今まで遭遇してきた、魔法犯罪でもこんな現象は見たことがない。銃弾だけが通じないのならまだしも、ブルーの魔法さえ通用しないのだ。
「仕方ない」
 カトリーンは杖を逆手に構えると、ブルーに背を向けて立った。
「ブルー、私が詠唱しているあいだ、ディアスを障壁で保護して」
「えっ?」
「任せたよ!」
 カトリーンはそれだけ言うと、ブルーが聞いたこともない呪文の詠唱を開始した。それは呪文というより、低く唸るようなハミングだった。だが、カトリーンの行動に気を取られた瞬間、ギルロイの霊は再び狙撃銃の銃口をディアスに向けた。
「あっ!」
 咄嗟に、ブルーは障壁を再度張る。だが、今度はあらかじめ張ってあった障壁と今張った障壁を、まとめて破壊されてしまう。銃弾の威力は上がっていた。常識で考えれば、そんな事は起こり得ない。慌ててブルーは全力を込め、それまでと比較にならない強度の障壁を張った。再び銃弾が放たれる。今度は完全に弾き返す事に成功したようだった。だが、ブルーに戦慄が走る。全力の障壁に、わずかに亀裂が走っているのだ。
「うそだろ!」
 それは恐怖より、むしろブルーの魔導師としての自信を揺るがした。自分の魔法は、その気になれば大砲の弾もはね返せるはずなのだ。眼の前にいる不気味な赤毛の狙撃手、”緋色の射手”は、そんなブルーなどまるで眼中にないかのように、ディアスに銃口を向けていた。
 その時だった。ギルロイの霊が、突然まるで重りを載せられたかのように、動きが鈍くなってきた。
「なんだ?」
 驚くブルーだったが、その原因はすぐにわかった。カトリーンの、逆手に握った杖から放たれる奇妙な文字が、縄のようにギルロイを地面に押さえつけようとしているのだ。
「かっ…カトリーン、それ…」
「あんまり得意でもないからね…長くは保たない」
 どうやらそれは、一種の霊的な呪文のようだった。ブルーも、霊能力に関しては全く門外漢である。カトリーンがその力を持っていた事に、驚きを隠せなかった。だが、驚きはすぐに焦りへと変わる。
「うああっ!」
 カトリーンは、突き出した右腕に走る激痛に顔をゆがめた。と同時に、ギルロイを縛っている呪文の縄は、一本、また一本と千切れてゆく。
「ブルー、もう保たない!あなたがこいつを倒して!」
「な…」
「大魔女テマの弟子なんでしょ!」
 そんなことを言われても、ブルーには何もできそうになかった。これほどまで、自分を無力に感じた事はなかった。もう、打つ手がない。それを認めざるを得ない。自分には及ばないものが間違いなくある、と。
「むっ…無理だ!僕にはできない!どうすることも!」
 ブルーの叫びが響きわたった、その瞬間だった。ブルーの目の前に、一陣の風とともに、オフィスに置いてきたはずの黒い魔導書が現れた。
「えっ!?」
 その突然の出来事に、ブルーは狼狽えた。一体なぜ。魔導書はブルーの眼前に浮かび、表紙に刻まれた三脚巴紋ートリスケルーが真っ白に輝いていた。
「まさか…」
 ブルーは、恐る恐る手を延ばす。すると魔導書から光が弾け、ほぼ真ん中のページが勢いよく開かれた。
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