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緋色の射手
(10)赤毛の女
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なんとなく、その存在に慣れっこになっていた感はあるものの、そもそもカトリーン・エスターは、厳密にいえばいまだ不審者である。まず出身はハッキリしない。さらに言うと、いま推測されている”容疑者の条件”に、かなりの割合で当てはまるのだ。
まず本人が、真偽は不明だがベイルランドから来たと証言している。年齢はナタリーと同じか少し若くも見えるが、25歳くらいで実年齢より若く見える人間など、とくだん珍しくもない。
そこまでアーネットが指摘すると、カトリーンは大慌てで反論した。
「ちょちょ、ちょっと待ってよ!私は二件目の殺人が起きた時に、あなた達とすでに接触していたのよ!どうやって狙撃を実行するというの!」
筋は通っていると思える抗議に、アーネットはまたも即座に反論した。
「君は僕らの目の前で、魔法を使ってみせた。つまり、なんらかの魔法で、ここに居ながらにして魔法で標的を狙撃する事だって不可能ではないかも知れない」
「私が犯人なら、わざわざ魔法が使える事を明かしたりしないわ。怪しまれる要素を、自分から提供する犯人がいるわけないでしょう」
それもまた、いちおう筋は通っている。だが、もと重犯罪課のアーネットは容赦がなかった。
「あえて不利な情報を提供することで、安心感を与えるという考え方もできる。犯人がそんな事を明かす事はない、という心理をな」
「ふうん。それなら説明してよ。私がどういう魔法で、二件目のエドアルド・フォーク参謀次長を狙撃したというのか」
「それはブルーが上手いこと解明してくれるだろう」
今度はブルーが、丸投げされた事に抗議した。
「僕にだけ振らないでよ!それで、カトリーンはどうやってあの軍人を狙撃したの?」
「やってないって言ってるでしょ!」
もう本気で血相を変えて抗議するカトリーンに、ナタリーはため息をついて言った。
「アーネットの冗談を間に受けないで。あなたがシロだなんて事はわかってるわよ」
「え?」
いきなり外野から無罪宣言をされても、まだ納得がいかないカトリーンは捜査課の3人を睨む。ナタリーは呆れたようにアーネットを向いた。
「アーネット、あなたはカトリーンを激昂させて、その勢いでひとつの疑惑について白状させたかった。そうでしょ?」
そう言われて、アーネットは困ったような表情で明後日の方向を見た。ブルーは何の事かと、ナタリーとアーネットを交互に見る。
「どういうこと?」
「カトリーンは、理由はまったく不明だけれど、ひとつ隠している事がある。それにアーネットは気付いたのよ」
「ひとつって、最初から隠し事のワゴンセールみたいなもんだったけど」
アーネットから伝染したと思われるブルーの皮肉に、カトリーンは眉間にシワを寄せた。
「私が何を隠しているのかしら」
すると、アーネットはやおら立ち上がり、カトリーンの喉元を指差した。
「じゃあカトリーン。その、首に巻いてるオシャレな革のバンド、外してみてくれ」
「えっ!?」
アーネットの注文に、カトリーンは何日ぶりかの狼狽を見せた。しかし、それまでの狼狽ぶりとは何か違う種類の反応だ。ブルーは興味津々で訊ねた。
「なに!?なんかあるの!?まさか、キツネが人間に化ける魔法具とか!?」
その、想像力豊かな少年らしい推測に、アーネットは吹き出した。
「まあ方向性としてはそう違わない。なあ、ミスター・カトリーン」
その一言で、カトリーンは観念した表情を見せた。ブルーはいよいよ首を傾げる。ミスター?カトリーンはバンドの留め具に指をかけると、アーネットを睨んだ。
「いつ気付いたの」
「最初からだよ」
「はああ!?」
カトリーンは、大口を開けて目をむいた。あからさまに不愉快そうな顔で、乱暴にバンドを首から外す。露わになった首を見て、アーネットもナタリーも、わずかに困惑しつつも納得の顔を見せた。ブルーは、まだわかっていない。
「なに?何なのさ」
「ブルー、お前ほんとに推理小説オタクか?こんな初歩的な事。さっき答えの半分を自分で言っただろう」
「え?」
何だ何だ。ブルーはカトリーンの首を凝視して、ようやくそれに気付いた。カトリーンの首の真ん中には、ひとつの突起があったのだ。
「あーっ!?」
そう、それは喉仏だった。カトリーン・エスターは、女装した男性だったのだ。ブルーは仰天して立ち上がり、積んである小説が崩れたのも忘れるほど驚いた。それまで、当たり前に女性だと思っていたのだ。
「どどど、どういう事!?なんで!?」
当然の疑問をブルーはぶつける、なぜ、女性を装う必要があるのか。だが、カトリーン本人は先ほどまでの狼狽ぶりが嘘のように、諦めとともに平静さを取り戻していた。
「ええ。私は男性。ただし少なくとも、今回の事件にこの事は何の関わりもない。私個人の事よ」
その仕草、声色、何もかもが女性と区別がつかない。女性的な男性とかいう次元の話ではない。当たり前のように”女性”なのだった。おまけに、胸も隣にいるナタリーと同様である。ナタリーは訊ねた。
「失礼な事を訊くけど、その胸は本物?」
「ええ、もちろん」
「それはつまり、魔法で変装というか、変身しているということ?」
すると、アーネットが苦笑した。
「それなら喉仏くらい消せるだろう。違うよ。カトリーンは、紛れもなく男性ということだ。厳密に言えば、女装とも言えない。同じ格好をブルーがしていれば、どうだ」
ナタリーは「なるほど」と頷いた。ジャケットを羽織り、ブーツにズボンを入れたその装いは、例えば男性が馬に乗る時の服装と大して変わらないのだ。
だが、全体的なボディラインはどう見ても女性そのものというか、へたな女性よりも女性である。おまけに、顔には髭を剃ったような様子もない。
「えっと、じゃあカトリーン、”ついてる”ってこと?」
ブルーの無造作な質問に、ナタリーはバシンと頭をはたいた。
「いてっ!」
「何を訊いてんの!」
すると、二人のやり取りにカトリーンはケラケラと笑い始めた。
「ええ、もちろん。見たいっていうなら、後で見せてあげてもいいけど」
「いらないよ!」
ブルーは、壁まで後退して身震いした。どうやら、間違いなく、”男性”だということらしい。アーネットはわざとらしく目眩がする素振りを見せた。
「いいだろう。君のその事実は、事件に関係がない以上、とくに追及はしない」
「そう?残念ね、あなたが口説いてくるのを待ってたんだけど」
その、本気とも冗談ともつかない様子に、アーネットは眉をひそめた。
「いろんな趣味嗜好の人間がいる事は、それはそれで否定はしない。が、俺にも選択の自由がある」
「うーん。私の場合、趣味とかそういう話じゃないんだけどな。まあいいや、今はそんな事より、喫緊の問題があるでしょ」
すっかり元の調子にカトリーンが戻ると、魔法捜査課の面々も、もうどうでもいいという気分になってきた。カトリーンはカトリーン、ということらしい。アーネットは咳ばらいして、話題を元に戻す。
「どこまで話したんだっけか。ええと、犯行を行う可能性があるのは誰か、って話だ」
だいぶ時間を消耗したような気もするが、全員いちおうその話に戻ることができた。ナタリーが頬に指を当てて思案する。
「それもそうだけど、どうせ推論を重ねるなら、カトリーンが言ってた、例の黒い森。かりに魔法が犯行に使われたのなら、そこの森に住む魔女に、犯人が依頼したっていう可能性も出て来るわけよね」
つまり、犯行を計画した人間と実行犯は別、という可能性だ。アーネットは頷いた。
「それもあり得るだろう。そこで、ブルー。あらためて訊くが、一連の狙撃が魔法によるものだとして、どういうものが考えられる?」
アーネットの問いに、視線はブルーに集中した。毒を喰らわば皿まで、ついでにテーブルまでもという勢いだ。
「いずれのケースも、狙撃ポイントと思われる場所はいちおうある。最初の、商社ビルの屋上に関しては、薬莢も出てるしな。二件目の旧教会の鐘楼は何とも言えん」
「観光客が出入りしてるもんね。そんな状況で、狙撃ができるわけはない」
「発想を飛躍させるべきじゃないのか。狙撃そのものではなく、例えば姿を消す魔法だとか」
「…なるほど」
ブルーは、鼻の頭をつまむようなポーズで思考をめぐらせた。狙撃じたいではなく、狙撃を行うための魔法だ。そこで、ひとつ気がついてアーネットに指を向けた。
「そもそも姿を消せるなら、狙撃ポイントなんてどこでもいい話になるよね」
「いいぞ。そういう発想だ。そう、姿を消せば劇場のテラスだろうが生け垣に囲まれた庭園だろうが、余裕で標的に接近できる」
「そして、あたかも遠距離から狙撃したかのような方向から、至近距離で狙撃する」
「遠距離狙撃を装うために、ビルの屋上に薬莢を置いておく」
すると、ナタリーが口をはさんだ。
「発砲音はどうするの?劇場でも庭園でも、被害者の周りの人間は銃声を聴いていないわ」
「それだって魔法でどうにでもなる。消音魔法なんて、とくに高度な魔法でもない。姿を消す魔法を使えるような奴なら、息をするのと同じだよ」
なるほど、と面々は頷いた。いちおう辻褄は合っている。だが、これは辻褄が合うように推測を重ねているだけだ、という自覚は当然あった。
「そもそも、その黒い森にいる魔女っていうのは、殺しの依頼を受けるような物騒な連中なのか?」
アーネットの質問に、カトリーンは首を大きく傾げた。
「うーん。そもそも、あそこにいる魔女っていうのは、外界との関わりを好まないからね。だからこそ、人が寄り付かない険しい森の奥にいるわけで」
「そうなると、よそから来た人間が殺しをしてくれと頼んでも…」
「うん。取り合わないか、もしくは」
「もしくは?」
アーネットの追及に、カトリーンは「言っていいのかなー」などと小さく呟いたあとで、仕方ないといった様子で口を開いた。
「ブルーは知ってると思うけど、歴史上には、誰でも魔法が使える魔具を売る、邪悪な魔女もいた」
それは、魔法捜査課の面々には馴染み深い内容だった。
◇ ◇ ◇
カトリーンによると、ごく原始的な呪いを引き起こす呪符の類を売りつける、”野蛮”な魔女もいたという。過去形なのは、もうそういった魔女はほぼ滅びたためらしい。
だが、それに近いか、あるいはもっと厄介な代物が、この産業革命の時代に流通している。魔法犯罪特別捜査課が設立されるきっかけになった、”魔法の万年筆”の存在だ。
誰でも、複雑な魔法を署名ひとつで発動でき、高度な犯罪も行える。その流通の背後には、魔女組織がいる事は以前の事件で判明した。だが、アーネットにはひとつの疑問があった。
「今回は違う気がするんだよな」
退勤後、アーネットはカトリーン”氏”を伴って、ブロクストン通りを目指していた。ジャマールに頼んだ調査の結果を確認するためだ。
「何が違うって?」
カトリーンは訊ねる。やっぱりどう見ても女性である。”ついてる”とは思えない。
「ああ。例の”魔法の万年筆”の件は、君達もすでに把握してるよな」
「もちろん。ベイルランド近辺の魔女コミュニティにも、一部だけどすでに知られてる。これだからメイズラント魔女は、なんて言ってる人達もいる」
どうやら魔女にも派閥があるらしい。一般社会と同じだな、とアーネットは苦笑する。
「だが、今回の事件に魔法の万年筆は関係していない。そんな気がするんだ」
「ふうん。根拠は?」
「そう言われると答えに困るが…まあ、刑事のカン、というかな」
「なるほど。カンが鋭いタイプの魔女もいるよ。アーネットはひょっとしたら、そういうタイプの魔法使いなのかも知れない」
そう言われても何とも言えない。アーネットは20代も後半になってから、魔女カミーユによって魔法の手ほどきを受けたのだ。魔法が自分に使える事じたい、考えた事もなかった。
取り留めのない話をしながら、ジャマールの屋台に辿り着いたアーネットは、周囲に誰もいないのを確かめてすぐに話を切り出した。
「頼んだ注文は?」
「できてるよ」
ケバブが入った袋を手渡しつつ、ジャマールは小声で手短に言った。
「お前が言うような、怪しい人物っていうのは、俺の情報筋では確認できていない」
「そうか」
「ただし、一件だけ少し気になる話がある」
湯気が立つ紙コップのコーヒーをふたつ置いて、ジャマールは身を乗り出した。
「観光客らしい若い赤毛の女が、低体温で倒れていた所を病院に担ぎ込まれている」
「低体温?」
アーネットと、横で聞いていたカトリーンは目を見合わせた。それほど年間平均気温は高くないメイズラントとはいえ、いまは夏。歩き過ぎて熱中症になったというならともかく、身体が冷えるというのはちょっと考えにくい。
「確かに奇妙な話だな」
「世間は狙撃事件で持ち切りだ。そんな小さな出来事、どこも報じていない。あんたなら、興味を持つんじゃないかと思ってな」
アーネットは、小さく頷くとコーヒーを一口飲んだ。カトリーンは手渡されたケバブにさっそくかじりついている。
「わかった、ありがとう」
チップとしてもう一枚紙幣を置くと、アーネットはカトリーンとともに再び市内へ向けて歩き出した。
◇ ◇ ◇
ジャマールによると、低体温の観光客女性が担ぎ込まれたのは、リンドン記念病院という国立病院よりは小さい病院だった。氏名などは不明で、赤毛のセミロングヘアで20代、市内の有名なローズガーデンのパンフレットを持っていたという。
「また赤毛か」
夜風が冷たくなった中、ぬるくなってきたコーヒーを一気に流し込むと、アーネットはカトリーンを見た。
「ベイルランドあたりは、そんなに赤毛が多いのか?」
「珍しくない、って言ったらそれも違うけど、他の地域に比べたら、まあ割合としては間違いなく多いね」
「じゃあ、例の”伝説の狙撃手”も、あんがいベイルランドから移住してきた奴だったのかも知れないな」
「なるほど」
カトリーンは、いくらか冗談めかして言ったアーネットの説も真面目に受け取っているようだった。
「仮にそうだとしたら、軍隊内で肩身狭かっただろうね。メイズラント兵士の中に、ベイルランド出身者がいたら」
「まあ兵士として優秀だったら、使わないわけにも行かんだろうしな」
警察や軍隊内での人種や民族差別は、当たり前のように存在する。アーネットはうんざりして、紙コップを握りつぶす。
「その赤毛の観光客の女、面会はできるかな」
「私会ってこようか。同じ赤毛なら、病院でも知り合いで通るかも知れないし」
カトリーンの提案に、アーネットはなるほど、と頷いた。
「明日、頼めるか」
「任せておいて」
「どうせ、うまいこと誤魔化して話を訊くんだろう。親戚の誰それが担ぎ込まれたって聞いたから、とかなんとか言って」
最初にカトリーンが魔法捜査課を訪れた時をアーネットは思い出していた。女装といい、なんだか徹底して”嘘”を通している人間である。ブルーいわく、嘘は魔女にとってタブーなのではなかったか。そう思っていると、カトリーンはアーネットの前に進み出た。
「ねえ、こっち来てまだ日が浅いからさ。安くて美味しいお店、教えてよ」
「いまケバブ二つも食っただろ」
「あんなんじゃ足りないわよ」
どうやら外見も声も女だが、胃袋の容量は紛れもなく男のようだ。まあパブに連れて行くぐらい何でもないが、もし知り合いに会ったら、女たらしの復活とか何とか言われるに違いない。誰にも会いませんように、と祈りつつ、アーネットはなじみのパブにカトリーンを連れて行く事にしたのだった。
まず本人が、真偽は不明だがベイルランドから来たと証言している。年齢はナタリーと同じか少し若くも見えるが、25歳くらいで実年齢より若く見える人間など、とくだん珍しくもない。
そこまでアーネットが指摘すると、カトリーンは大慌てで反論した。
「ちょちょ、ちょっと待ってよ!私は二件目の殺人が起きた時に、あなた達とすでに接触していたのよ!どうやって狙撃を実行するというの!」
筋は通っていると思える抗議に、アーネットはまたも即座に反論した。
「君は僕らの目の前で、魔法を使ってみせた。つまり、なんらかの魔法で、ここに居ながらにして魔法で標的を狙撃する事だって不可能ではないかも知れない」
「私が犯人なら、わざわざ魔法が使える事を明かしたりしないわ。怪しまれる要素を、自分から提供する犯人がいるわけないでしょう」
それもまた、いちおう筋は通っている。だが、もと重犯罪課のアーネットは容赦がなかった。
「あえて不利な情報を提供することで、安心感を与えるという考え方もできる。犯人がそんな事を明かす事はない、という心理をな」
「ふうん。それなら説明してよ。私がどういう魔法で、二件目のエドアルド・フォーク参謀次長を狙撃したというのか」
「それはブルーが上手いこと解明してくれるだろう」
今度はブルーが、丸投げされた事に抗議した。
「僕にだけ振らないでよ!それで、カトリーンはどうやってあの軍人を狙撃したの?」
「やってないって言ってるでしょ!」
もう本気で血相を変えて抗議するカトリーンに、ナタリーはため息をついて言った。
「アーネットの冗談を間に受けないで。あなたがシロだなんて事はわかってるわよ」
「え?」
いきなり外野から無罪宣言をされても、まだ納得がいかないカトリーンは捜査課の3人を睨む。ナタリーは呆れたようにアーネットを向いた。
「アーネット、あなたはカトリーンを激昂させて、その勢いでひとつの疑惑について白状させたかった。そうでしょ?」
そう言われて、アーネットは困ったような表情で明後日の方向を見た。ブルーは何の事かと、ナタリーとアーネットを交互に見る。
「どういうこと?」
「カトリーンは、理由はまったく不明だけれど、ひとつ隠している事がある。それにアーネットは気付いたのよ」
「ひとつって、最初から隠し事のワゴンセールみたいなもんだったけど」
アーネットから伝染したと思われるブルーの皮肉に、カトリーンは眉間にシワを寄せた。
「私が何を隠しているのかしら」
すると、アーネットはやおら立ち上がり、カトリーンの喉元を指差した。
「じゃあカトリーン。その、首に巻いてるオシャレな革のバンド、外してみてくれ」
「えっ!?」
アーネットの注文に、カトリーンは何日ぶりかの狼狽を見せた。しかし、それまでの狼狽ぶりとは何か違う種類の反応だ。ブルーは興味津々で訊ねた。
「なに!?なんかあるの!?まさか、キツネが人間に化ける魔法具とか!?」
その、想像力豊かな少年らしい推測に、アーネットは吹き出した。
「まあ方向性としてはそう違わない。なあ、ミスター・カトリーン」
その一言で、カトリーンは観念した表情を見せた。ブルーはいよいよ首を傾げる。ミスター?カトリーンはバンドの留め具に指をかけると、アーネットを睨んだ。
「いつ気付いたの」
「最初からだよ」
「はああ!?」
カトリーンは、大口を開けて目をむいた。あからさまに不愉快そうな顔で、乱暴にバンドを首から外す。露わになった首を見て、アーネットもナタリーも、わずかに困惑しつつも納得の顔を見せた。ブルーは、まだわかっていない。
「なに?何なのさ」
「ブルー、お前ほんとに推理小説オタクか?こんな初歩的な事。さっき答えの半分を自分で言っただろう」
「え?」
何だ何だ。ブルーはカトリーンの首を凝視して、ようやくそれに気付いた。カトリーンの首の真ん中には、ひとつの突起があったのだ。
「あーっ!?」
そう、それは喉仏だった。カトリーン・エスターは、女装した男性だったのだ。ブルーは仰天して立ち上がり、積んである小説が崩れたのも忘れるほど驚いた。それまで、当たり前に女性だと思っていたのだ。
「どどど、どういう事!?なんで!?」
当然の疑問をブルーはぶつける、なぜ、女性を装う必要があるのか。だが、カトリーン本人は先ほどまでの狼狽ぶりが嘘のように、諦めとともに平静さを取り戻していた。
「ええ。私は男性。ただし少なくとも、今回の事件にこの事は何の関わりもない。私個人の事よ」
その仕草、声色、何もかもが女性と区別がつかない。女性的な男性とかいう次元の話ではない。当たり前のように”女性”なのだった。おまけに、胸も隣にいるナタリーと同様である。ナタリーは訊ねた。
「失礼な事を訊くけど、その胸は本物?」
「ええ、もちろん」
「それはつまり、魔法で変装というか、変身しているということ?」
すると、アーネットが苦笑した。
「それなら喉仏くらい消せるだろう。違うよ。カトリーンは、紛れもなく男性ということだ。厳密に言えば、女装とも言えない。同じ格好をブルーがしていれば、どうだ」
ナタリーは「なるほど」と頷いた。ジャケットを羽織り、ブーツにズボンを入れたその装いは、例えば男性が馬に乗る時の服装と大して変わらないのだ。
だが、全体的なボディラインはどう見ても女性そのものというか、へたな女性よりも女性である。おまけに、顔には髭を剃ったような様子もない。
「えっと、じゃあカトリーン、”ついてる”ってこと?」
ブルーの無造作な質問に、ナタリーはバシンと頭をはたいた。
「いてっ!」
「何を訊いてんの!」
すると、二人のやり取りにカトリーンはケラケラと笑い始めた。
「ええ、もちろん。見たいっていうなら、後で見せてあげてもいいけど」
「いらないよ!」
ブルーは、壁まで後退して身震いした。どうやら、間違いなく、”男性”だということらしい。アーネットはわざとらしく目眩がする素振りを見せた。
「いいだろう。君のその事実は、事件に関係がない以上、とくに追及はしない」
「そう?残念ね、あなたが口説いてくるのを待ってたんだけど」
その、本気とも冗談ともつかない様子に、アーネットは眉をひそめた。
「いろんな趣味嗜好の人間がいる事は、それはそれで否定はしない。が、俺にも選択の自由がある」
「うーん。私の場合、趣味とかそういう話じゃないんだけどな。まあいいや、今はそんな事より、喫緊の問題があるでしょ」
すっかり元の調子にカトリーンが戻ると、魔法捜査課の面々も、もうどうでもいいという気分になってきた。カトリーンはカトリーン、ということらしい。アーネットは咳ばらいして、話題を元に戻す。
「どこまで話したんだっけか。ええと、犯行を行う可能性があるのは誰か、って話だ」
だいぶ時間を消耗したような気もするが、全員いちおうその話に戻ることができた。ナタリーが頬に指を当てて思案する。
「それもそうだけど、どうせ推論を重ねるなら、カトリーンが言ってた、例の黒い森。かりに魔法が犯行に使われたのなら、そこの森に住む魔女に、犯人が依頼したっていう可能性も出て来るわけよね」
つまり、犯行を計画した人間と実行犯は別、という可能性だ。アーネットは頷いた。
「それもあり得るだろう。そこで、ブルー。あらためて訊くが、一連の狙撃が魔法によるものだとして、どういうものが考えられる?」
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「いずれのケースも、狙撃ポイントと思われる場所はいちおうある。最初の、商社ビルの屋上に関しては、薬莢も出てるしな。二件目の旧教会の鐘楼は何とも言えん」
「観光客が出入りしてるもんね。そんな状況で、狙撃ができるわけはない」
「発想を飛躍させるべきじゃないのか。狙撃そのものではなく、例えば姿を消す魔法だとか」
「…なるほど」
ブルーは、鼻の頭をつまむようなポーズで思考をめぐらせた。狙撃じたいではなく、狙撃を行うための魔法だ。そこで、ひとつ気がついてアーネットに指を向けた。
「そもそも姿を消せるなら、狙撃ポイントなんてどこでもいい話になるよね」
「いいぞ。そういう発想だ。そう、姿を消せば劇場のテラスだろうが生け垣に囲まれた庭園だろうが、余裕で標的に接近できる」
「そして、あたかも遠距離から狙撃したかのような方向から、至近距離で狙撃する」
「遠距離狙撃を装うために、ビルの屋上に薬莢を置いておく」
すると、ナタリーが口をはさんだ。
「発砲音はどうするの?劇場でも庭園でも、被害者の周りの人間は銃声を聴いていないわ」
「それだって魔法でどうにでもなる。消音魔法なんて、とくに高度な魔法でもない。姿を消す魔法を使えるような奴なら、息をするのと同じだよ」
なるほど、と面々は頷いた。いちおう辻褄は合っている。だが、これは辻褄が合うように推測を重ねているだけだ、という自覚は当然あった。
「そもそも、その黒い森にいる魔女っていうのは、殺しの依頼を受けるような物騒な連中なのか?」
アーネットの質問に、カトリーンは首を大きく傾げた。
「うーん。そもそも、あそこにいる魔女っていうのは、外界との関わりを好まないからね。だからこそ、人が寄り付かない険しい森の奥にいるわけで」
「そうなると、よそから来た人間が殺しをしてくれと頼んでも…」
「うん。取り合わないか、もしくは」
「もしくは?」
アーネットの追及に、カトリーンは「言っていいのかなー」などと小さく呟いたあとで、仕方ないといった様子で口を開いた。
「ブルーは知ってると思うけど、歴史上には、誰でも魔法が使える魔具を売る、邪悪な魔女もいた」
それは、魔法捜査課の面々には馴染み深い内容だった。
◇ ◇ ◇
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だが、それに近いか、あるいはもっと厄介な代物が、この産業革命の時代に流通している。魔法犯罪特別捜査課が設立されるきっかけになった、”魔法の万年筆”の存在だ。
誰でも、複雑な魔法を署名ひとつで発動でき、高度な犯罪も行える。その流通の背後には、魔女組織がいる事は以前の事件で判明した。だが、アーネットにはひとつの疑問があった。
「今回は違う気がするんだよな」
退勤後、アーネットはカトリーン”氏”を伴って、ブロクストン通りを目指していた。ジャマールに頼んだ調査の結果を確認するためだ。
「何が違うって?」
カトリーンは訊ねる。やっぱりどう見ても女性である。”ついてる”とは思えない。
「ああ。例の”魔法の万年筆”の件は、君達もすでに把握してるよな」
「もちろん。ベイルランド近辺の魔女コミュニティにも、一部だけどすでに知られてる。これだからメイズラント魔女は、なんて言ってる人達もいる」
どうやら魔女にも派閥があるらしい。一般社会と同じだな、とアーネットは苦笑する。
「だが、今回の事件に魔法の万年筆は関係していない。そんな気がするんだ」
「ふうん。根拠は?」
「そう言われると答えに困るが…まあ、刑事のカン、というかな」
「なるほど。カンが鋭いタイプの魔女もいるよ。アーネットはひょっとしたら、そういうタイプの魔法使いなのかも知れない」
そう言われても何とも言えない。アーネットは20代も後半になってから、魔女カミーユによって魔法の手ほどきを受けたのだ。魔法が自分に使える事じたい、考えた事もなかった。
取り留めのない話をしながら、ジャマールの屋台に辿り着いたアーネットは、周囲に誰もいないのを確かめてすぐに話を切り出した。
「頼んだ注文は?」
「できてるよ」
ケバブが入った袋を手渡しつつ、ジャマールは小声で手短に言った。
「お前が言うような、怪しい人物っていうのは、俺の情報筋では確認できていない」
「そうか」
「ただし、一件だけ少し気になる話がある」
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「低体温?」
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「確かに奇妙な話だな」
「世間は狙撃事件で持ち切りだ。そんな小さな出来事、どこも報じていない。あんたなら、興味を持つんじゃないかと思ってな」
アーネットは、小さく頷くとコーヒーを一口飲んだ。カトリーンは手渡されたケバブにさっそくかじりついている。
「わかった、ありがとう」
チップとしてもう一枚紙幣を置くと、アーネットはカトリーンとともに再び市内へ向けて歩き出した。
◇ ◇ ◇
ジャマールによると、低体温の観光客女性が担ぎ込まれたのは、リンドン記念病院という国立病院よりは小さい病院だった。氏名などは不明で、赤毛のセミロングヘアで20代、市内の有名なローズガーデンのパンフレットを持っていたという。
「また赤毛か」
夜風が冷たくなった中、ぬるくなってきたコーヒーを一気に流し込むと、アーネットはカトリーンを見た。
「ベイルランドあたりは、そんなに赤毛が多いのか?」
「珍しくない、って言ったらそれも違うけど、他の地域に比べたら、まあ割合としては間違いなく多いね」
「じゃあ、例の”伝説の狙撃手”も、あんがいベイルランドから移住してきた奴だったのかも知れないな」
「なるほど」
カトリーンは、いくらか冗談めかして言ったアーネットの説も真面目に受け取っているようだった。
「仮にそうだとしたら、軍隊内で肩身狭かっただろうね。メイズラント兵士の中に、ベイルランド出身者がいたら」
「まあ兵士として優秀だったら、使わないわけにも行かんだろうしな」
警察や軍隊内での人種や民族差別は、当たり前のように存在する。アーネットはうんざりして、紙コップを握りつぶす。
「その赤毛の観光客の女、面会はできるかな」
「私会ってこようか。同じ赤毛なら、病院でも知り合いで通るかも知れないし」
カトリーンの提案に、アーネットはなるほど、と頷いた。
「明日、頼めるか」
「任せておいて」
「どうせ、うまいこと誤魔化して話を訊くんだろう。親戚の誰それが担ぎ込まれたって聞いたから、とかなんとか言って」
最初にカトリーンが魔法捜査課を訪れた時をアーネットは思い出していた。女装といい、なんだか徹底して”嘘”を通している人間である。ブルーいわく、嘘は魔女にとってタブーなのではなかったか。そう思っていると、カトリーンはアーネットの前に進み出た。
「ねえ、こっち来てまだ日が浅いからさ。安くて美味しいお店、教えてよ」
「いまケバブ二つも食っただろ」
「あんなんじゃ足りないわよ」
どうやら外見も声も女だが、胃袋の容量は紛れもなく男のようだ。まあパブに連れて行くぐらい何でもないが、もし知り合いに会ったら、女たらしの復活とか何とか言われるに違いない。誰にも会いませんように、と祈りつつ、アーネットはなじみのパブにカトリーンを連れて行く事にしたのだった。
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