【WEB版】メイズラントヤード魔法捜査課

ミカ塚原

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煙突掃除夫殺人事件

(9)潜伏

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 デイモン警部率いる捜査チームは、ブルーの情報から当たりをつけた一帯で、犯人の潜伏先を一斉捜索している所だった。目立つ動きを見せると新聞社などに嗅ぎ付けられる危険もあり、非常に神経がすり減る捜索である。
「鍵のかかった廃屋などがあれば必ず調べろ。魔法で壁抜けができるとなれば、我々が簡単に立ち入りできない場所を選ぶはずだ」
 警部の指示が飛び、それを捜査班達が伝達する。
「あるいは、それを逆手に取って普通の宿屋などにいる可能性はありませんか」
 オフィスでひと息入れて合流したナタリーが警部に意見した。警部は小さく頷いたものの、
「まず定石を押さえるのが肝要だ」
 とだけ述べて、懐中時計を取り出し時刻を見た。すでに夜10時を過ぎている。
「警部、少し休まれてはいかがですか」
 ナタリーは、老刑事の身体を心配してそう言った。
「心配いらんよ。こう見えて、我々は休憩を取りながら行動する事を心得ている。むしろ心配なのは、あの少年たちだ」
 デイモン警部は、ブルーとジリアンの身を案じているようだった。先程、二人に休憩を取るよう指示したのも警部である。
「できれば、きちんと仮眠を取るべきなのだがな」
 警部にそう言われ、ナタリーはブルー達を放置しすぎたのではないか、という反省の念にかられ始めた。それを読み取ったのか、デイモン警部は言った。
「君はもう、連絡役の務めは果たしただろう。私も後で行くが、あの少年…ブルーと言ったか。彼らのもとに行ってやりなさい」
「わかりました。先に行っています」
 ナタリーは敬礼し、移動用に待機している馬車の一台に駆け込んだ。


 その少し前、プリンセス・メモリアル公園。通りに近いベンチに、ブルーとジリアンが座っていた。ブルーは午前中の魔法の酷使が祟って、体力低下よりも猛烈な睡魔に襲われていた。ジリアンはケロリとしている。
「寝ちゃいなよ。あたし見張ってるからさ」
 ジリアンはそう言うが、むしろブルーはジリアンに、寝ている間に何かされそうで怖い。どういう理由か知らないが、ブルーに対してはスキンシップが執拗である。
「何もしないよね」
「それ、女の子が言うセリフだよ」
「ー!!」
 何か言おうとしたブルーに、ジリアンは軽く杖を振った。紫色の煙のようなものが立ち上り、ブルーはそのまま眠りに入ってしまった。対象を眠らせてしまう魔法であり、魔法捜査課では容疑者相手以外への使用を特に禁止されている魔法である。
 ジリアンはベンチにブルーを寝かせ、自分は下の芝生に座り込む。
「女の子みたい」
 ジリアンは、神話に登場する美少年と同じ名の少年の寝顔を見て呟いた。
「そうだ」
 思い出したように、ジリアンはまた杖を振るう。すると二人の周囲だけ、まるで部屋のドアを閉じたように冷たい風の動きが停止してしまった。気流の流れを制御する魔法である。風が止まることで、体感気温はいくらか上がった。
 風。そういえば、ブルーという呼び名はファーストネームではなく、姓の「ブルーウィンド」から来ている事をジリアンは思い出した。魔法捜査課について調べた時、その名にカミーユは明らかに興味深そうな反応を見せた。その理由は話してはくれなかったが。
 その姓のとおり、風のような少年だとジリアンは思う。自由で、気まぐれで、時には荒々しい。

 その時、ジリアンは何か、ハッとするものを感じた。それが何なのかわからない。おそらく、今の捜査に関係する事だ。
「何だろう」
 なぜ、そう感じたのか。今、何を考えていたのだろう。そうだ、ブルーの姓についてだ。
 ―――風。

 何か閃きそうなタイミングで、周囲が騒がしくなった。刑事たちが数名、顔を寄せてヒソヒソ話をしている。
「!」
 ジリアンはピンときて、ブルーを揺すって起こした。
「アドニス君!」
「うーん」
「起きて!ほら」
 ペシペシとブルーの頬を軽く叩く。生焼けのパンみたいな感触だ。
「んー…もう朝か」
「残念だけど真夜中。それより、動きがあったみたい」
「!」
 それを聞いて、ブルーは跳ね起きた。
「見つかったの?」
「わからない。刑事たちが何か話し込んでる」
 二人は立ち上がり、その刑事たちに近寄った。
「何かあったの?」
 ブルーが訊ねる。
「ああ、君か。いや、使われてない昔の倉庫か何かの廃屋に、不審な足跡を見付けたらしい」
 ブルーとジリアンは顔を見合わせた。
「どっち?」
「ここからは少し遠い。ニ区画向こうの農道に通じる通りだ。こっちに連絡が来たのが今のだから、既に何人かの警官が中を調べているだろう」
 報告待ちだ、と言ってその刑事は時計を見た。
「倉庫か」
 ブルーは腕組みして思案する。
「どうする?アドニス君」
「うーん。アーネットに連絡しようか」
 そう言っている所へ、聞き慣れた足音が近付いてきた。
「二人とも眠くないのか」
 何やら久しく聞いていなかった気がする、アーネット・レッドフィールドであった。捜査の中心にいる人間が戻ってくれたのは、ブルー達には心強く思えた。
「僕はさっき少し眠ったけど、ジリアンは寝てない」
 ブルーがそう言ったので、アーネットはジリアンの前に立って言った。
「ジリアン、どこかで仮眠を取ってこい」
「あたしは大丈夫だよ」
「無理をするな!」
 強く言われて、ジリアンはびくりと硬直してしまった。
「倒れてからじゃ遅いんだ。自分の身を案じる事を覚えろ。一歩間違うだけで、その若さで人生を終える事だってあるんだぞ」
 それはジリアンにとって全く予想外の反応だったようで、呆気に取られて返す言葉がなくなっていた。
 するとそこへ、ナタリーの声が聞こえてきた。
「アーネット」
「ナタリーか。丁度いい所にきた。悪いが、ジリアンに仮眠を取らせてやってくれ」
「わかったわ」
 そこへ、ブルーがアーネットに最新の情報を伝えた。
「当たりかわからないけど、怪しい足跡を見付けたって。そろそろ報告が上がってくるかも」
「本当か」
 アーネットは、話し込んでいる警官たちの方に歩いていく。ナタリーは、ジリアンの肩を抱いて「さ、少し休みなさい。あたしが見てるから」とその背中を押した。ジリアンは小さく頷いて、それに従う。
 しかし、何かを思い出したようにジリアンはブルーの方を向いた。
「アドニス君。"風の魔法"っていうキーワードが、さっきから私の頭に浮かんで離れないの。考えてみて」
「風の魔法?」
「あたしのカンは当たる。でも、それを突き止めるのはあなたの仕事。任せたわよ」
 そう言って、ジリアンはベンチのある方にナタリーとともに歩いて行った。
「風の魔法…どういう意味だ」
 なぜ、そんな事を唐突に思ったのだろう。つまり、それが事件の鍵を握っているという意味だろうか。
 言われてもすぐには考えなどまとまらないので、ブルーはアーネットと共に警官たちと作戦を練る事にした。
 
 ナタリーがジリアンをベンチに寝かせようとした時、何かぽつぽつと雫が落ちるのに気がついた。
「雨かしら」
 そう思って空を仰ぐが、そんな気配はない。すると、ジリアンが肩をひくつかせて嗚咽をもらしているのに気がついた。雫は雨ではなく、ジリアンの涙だった。
「どうしたの?アーネットに何か叱られた?」
「ううん」
 ジリアンは首を横に振る。
「あたし、何度も言うけど、貧民街育ちでさ。大人っていうのは基本的にみんな『敵』だったんだ」
 涙を交えながら、ぽつぽつとジリアンは語った。
「子供ってのは大人が使う道具だった。優しい言葉をかけてくれる大人なんて、おとぎ話の中だけの話だった」
 そう語るジリアンの涙を見ながら、ナタリーはその過酷だったであろう生活を想像する。生きるために必死で、盗みへの罪悪感などなかったであろう。ジリアンは続けた。
「アーネット、さっき怒ったんだよ。仮眠を取らないあたしに、自分の身を案じろ、何かあって人生終わるかも知れないんだぞ、って」
 ジリアンの涙は止まらない。
「自分の人生生きていいんだって、そんな事言ってくれる大人、今までカミーユ以外に何人いただろうなって思って」
 それ以上、ジリアンは言葉を詰まらせて何も言わなかった。ナタリーはその肩を抱き寄せて、「眠りなさい」とだけ言った。
 そのまま15分ほど、ジリアンはナタリーに背を預けたまま眠っていた。疲れていたのだろう、ほとんど熟睡に近く、ナタリーは涙をハンカチで拭ってやった。


 アーネット達は、怪しい足跡を見付けたという現場からの報告が上がってこない事を不審に思っていた。
「何かあったのかな」
 ブルーが言う。
「何もないなら報告あるよね」
「そうだな」
 アーネットも時計を見て訝しむ。
「そうだ、ブルー。さっきジリアンと何か話してたな」
「ああ、うん。ジリアンがさ、『風の魔法』について考えてみろって言うんだ。何か引っ掛かるらしい」
「風の魔法?」
「漠然としてるよね」
 ブルーはうーんと唸って頭をひねる。風の魔法といっても色々あるのだ。

 その時、向こうからバタバタと刑事が一人走ってきた。
「レッドフィールド刑事!」
「どうした」
「はあ、はあ…大変です。先程の現場を捜索していた、刑事二名が意識不明の状態で発見されました」
「なんだって!?」
 それは、その場の全員に衝撃を与えた。やって来たデイモン警部も、ショックの色を隠さない。
「それで、容態は!?」
 警部の問いに、警官は答えた。
「はい、外傷はないようです。ただ、脈拍数が異常に増えています」
「ニ名ともか」
「そうです、全く同じ症状で、廃倉庫の裏口に倒れていました」
「病院には送ったのか?」
「はい、すでに移送しましたので、そろそろ着く頃でしょう。聞き取りができる状態ではなさそうですが…」
「生命が最優先だ。聞き取りなぞ後回しでいい」
 そう言うとデイモン警部は、アーネットの方に向き直った。
「レッドフィールド君、ブルー君、行くぞ。現場で何が起きたのか確かめる」
 アーネットとブルーは無言で頷いて、デイモン警部ともう一人の刑事とともに馬車に乗り込んだ。日はすでに変わろうとしていた。

 捜索中の刑事二名が倒れていた現場は、報告どおり何かの倉庫のようで、前面には頑丈な鉄の扉がついていた。しかし、その扉が開け閉めされた形跡はなく、刑事二名が倒れていたという、裏側の小さなドアが開けたままになっていた。
「ここか?」
 デイモン警部は、現場を先に調査していた刑事に訊ねた。
「はい。扉を入ってすぐの、建物内側に重なるように倒れていました」
「外傷はなかったと聞いたが」
「そうです。倒れた際に額を打ち付けた傷以外は、目立ったものは一切ありません」
「どういう事だ…」
 警部が首を傾げる横で、アーネットとブルーが室内を見まわしていた。
「見ろ、足跡だ。テーブルの上のホコリも見ろ」
 アーネットが指差したテーブル周りは、明らかに先刻まで誰かがいた跡が確認できる。
「魔法で調べるまでもないね」
「靴跡は三種類ある。つまり…」
「逃走中の脱獄囚と、例の『バイヤー』かな」
 アーネットは力強く首を縦に振った。ブルーは杖を構えて、窓の外を見る。
「この周囲は人通りもほとんどない。追跡魔法である程度追えそうだ」
「やれるか?」
「やれますとも」
 ニヤリと笑って、ブルーは杖を振るった。
 杖の先から弾けた光が、テーブルの周りの足跡を走査したのち、裏口のドアに向かって床を這って伸びた。そのまま、ドアを通過して外に出る光の筋は三本あった。
 外に出てみると、光の一本は途中で途切れてしまっていた。
「なんだ?」
 アーネットは不思議そうに、途切れた箇所に立って足元を見る。
「そいつがバイヤーだ。やっぱり只者じゃない…追跡魔法で追ってくるのを予想して、魔法で痕跡を消して移動してるんだ」
「そんな事できるのか?」
「上級者ならね」
 ブルーがそう言うのだから、その『バイヤー』は相当なレベルの魔法使いなのだろう。アーネットは、いずれ対峙するかも知れない相手に対して言い知れぬ恐れを覚えていた。
「でも、今追わなきゃいけないのは脱獄囚だ。こっちを見て」
 もう一方の、二本の光の筋をブルーは指差す。それは、街道を横切って森の中の小道に入って行った。
「街道は避けてるみたいだ」
「追っていけるか?」
「距離によるけど…あまり続けて追うとまた体力がやばいかも」
 アーネットは顎に指をあてて思案した。
「わかった。追跡は切れ」
「いいの?」
「お前は切札だ。魔法を使う相手を前にして、いざという時魔法の達人が動けないと困る。大雑把に逃げた方向がわかっただけでも収穫だ」
 アーネットの言う事はもっともだった。ブルーはおとなしく追跡魔法を解除し、光の筋はフッと消えた。アーネットはデイモン警部の所に戻る。

「デイモン警部、大まかにですが脱獄囚が移動した方向はわかりました。裏口を出て、森の中を東側に移動しています」
「なるほど、この地点から東だと…パークウェイ通りにぶつかるか」
「おそらく。そこから南に向かって、また市街地に戻るつもりか、あるいは潜伏先を変えるか…」
「君ならどっちを選ぶ?また、こういう潜伏先を探すか、市街地に戻るか」
 デイモン警部の問いに、アーネットは少しばかり考えて答えた。
「俺なら潜伏します。市街地はすでに警官が配備されています。逃走犯がそれを考慮しないはずはない。すでに、彼らの選択肢は限られています」
「そうだな。わしもそう思う」
「ただし」
 アーネットは付け加えた。
「今後も犯行を続けるつもりなら、です。この状況で脱獄囚には、二つの選択肢がある。ひとつは、今言ったように、潜伏したのち再び市街地に戻って、まだ残っている標的を殺害する。もうひとつは、二人も殺害できたのだからとりあえずこれで良しとして、いったん遠くまで逃げる選択です」
「また聞くが、君ならどっちを選ぶかね」
「こればかりは、わかりません。殺人犯というのは、そもそも常軌を逸しているものです」
 アーネットの意見に、デイモン警部は難しい顔で応えた。アーネットは続ける。
「いずれの選択をするにしても、今夜は潜伏する以外にないでしょう」
「そうだな。つまり…」
「そうです」
 アーネットは、頭の中で警部と同じ結論に到達したようだった。
「市街地にも、郊外にも、どちらにでも移動できる拠点を彼らは選ぶはずです」
 デイモン警部はアーネットの意見にうなずくと、手を振って手近な刑事を呼びつけた。
「地図を持って来い」

 デイモン警部の指示で周辺の地図が用意され、アーネットが灯した魔法の明りの下で、デイモンとアーネット、ブルー、他二名の刑事が地図を囲んで、新たな犯人の潜伏先の推定が始まった。
「ブルー、お前ならどのへんだと思う?」
 アーネットは真っ先にブルーに訊ねる。
「なんで僕なの?」
「時には、理屈抜きの直感がものを言う」
「まるで僕に理屈がないみたいじゃんか!」
 それを聞いて他の刑事が吹き出した。デイモン警部が咳ばらいをする。
「うーん…この辺かなあ」
 ブルーが指差した地点は森を抜けた所の、いくつかの大きな池がある平原沿いの農地だった。
「なぜだ?」
 アーネットは訊ねる。
「なぜって…それこそ直感だよ、何の根拠もない。ただ、そうだな。もしさっき言ったように、市街地にも郊外にも戻れる拠点というなら、何となくわかりやすい目印がある方がいいかなって。大きな池はどこからでもすぐわかるんじゃないかな」
 なるほど、とアーネットは思った。自分達のための目印、という発想は的を射ている、と思ったのだ。
「いいぞ。池という選択は何とも言えないが、目印という発想は盲点だった」
「でも、その辺に池以外に何かそういうの、ある?」
「行って探すしかないだろう。警部」
 アーネットはデイモン警部を向いて決断を促す。警部はすぐに返答した。
「わしは、まずブルーが言った、池を目印にするという発想を支持する。兎にも角にも、調べるには起点となるポイントが必要だ。その池を中心に、手分けして相手の潜伏先を探ろう」
 そう言うと、警部は二人の刑事を向いた。
「休んでない者は休憩組と交替させて、人員を揃え捜索に向かえ。わしもすぐに行く」
「了解!」
 二人の刑事は立ち上がって、敬礼をし裏口のドアを飛び出して行った。室内にはデイモン警部と、アーネットとブルーの三人が残された。
「今夜が勝負ということか」
「俺は、追い詰めていると思います。時間の問題です」
「そうだといいが」
 アーネットとデイモン警部の会話をよそに、ブルーは何か不安を感じ始めていた。それは、ジリアンが言っていた「風の魔法」というキーワードと何か繋がっているように思えた。
 その時、アーネットの杖が黄色く光った。ナタリーからの着信だ。
「もしもし」
『私。今、ジリアンとそっちに向かってるわ。状況は?』
「ひとまず動きがあった。丁度いい、俺たちもいったん集合して、動けるように待機しよう」
『了解』
 ナタリーの通話を切ったアーネットは、逃走犯が隠れ家にしていた場所を自分達の待機場所にするというのも、何とも皮肉な話だな、と思った。
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