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氷晶華繚乱篇
氷巌城の謎
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エレクトラは眼の前のおのれの複製と、横で剣を肩にかけて悠然と観察する百合香の、双方に対して苛立ちを覚えていた。積極的に襲ってはこないくせに、斬りかかれば互角の能力で剣を返される相手を、百合香はいとも容易く打ち破ってみせたのだ。
しかし百合香――エレクトラにとってのリリィは、エレクトラの言葉がヒントになった、と言った。その意味がわかりかねるエレクトラは、他にどうする事もできず、湾曲した剣を水平に構えて、黒いエレクトラににじり寄る。
(くそっ)
エレクトラは心で悪態をついた。複製はやはり、同じようにエレクトラに対して接近した。寸分違わぬというわけではないが、こちらの攻撃を弾き返す事が目的なのだ。
リリィが言った3分のリミットまで、たぶんもう間がない。敵のリリィの助言で危機を乗り越えるなど、エレクトラにとっては許しがたい屈辱だった。リリィは余裕しゃくしゃくといった風に、左手を腰に当てて、エレクトラの戦いを見ている。やはり、まず先にこの銀髪の氷魔を叩き斬ってやろうか、と半ば本気で考えた、その時だった。
(ん?)
エレクトラが気付いたのは、まさかと思えるような、馬鹿馬鹿しいほどに単純な、ある可能性だった。だが、さきほどのリリィの戦い方が、それを裏付けている、とエレクトラには思えた。
(――だとすれば)
エレクトラは、左手でおもむろに腰の鞘を取り外す。しかし、黒い複製は何の反応も見せない。
考えても仕方ない、とエレクトラは、その鞘を思い切り、黒い複製のエレクトラに向けて投てきした。すると、鞘は複製の右手首を直撃し、その手は黒い湾曲した剣をあっさりと取り落としてしまう。
「そういう事か!」
エレクトラは今度は右手の剣を、だいぶ乱雑に投げつけた。ぶざまに回転しながら空を飛んだ剣はしかし、黒い複製の頭部を直撃し、その上体が大きくバランスを崩した。その隙を逃すまいとエレクトラは猛スピードで接近し、懐に飛び込むと、敵の腰椎に強烈な絞め技をくらわせた。
嫌な音がして、漆黒のエレクトラはその場に仰向けに倒れる。エレクトラは敵の剣を拾い上げると、間髪入れずその喉元に切っ先を突き立てた。その黒い首がごろりと胴体から切り離されると、わずかに全身が痙れんしたのち、ぴくりとも動かなくなってしまった。
「お見事」
百合香の拍手に、エレクトラは渋い顔を返した。
「ふん」
「やっぱりね。こいつらは多分、この空間に取り込まれた時点での私達の、複製体だったんだ」
「私のその推測から、対応策を編み出したということか、リリィ」
自分の剣と鞘を拾い上げると、エレクトラは腰に収めた。百合香は先程のわざとらしい自信ありげな表情から一転、やや深刻な顔をしていた。
「まあね」
「それまでに使った事のない技で攻撃する。気付いた時は、あまりの馬鹿馬鹿しさに訝ったほどだが」
さすがのエレクトラも失笑する。百合香の対応策とは要するに、ある時点の自分達をコピーしたというのなら、その時点で使ったことのない攻撃パターンに、複製体は対処できないのではないか、という大雑把な推測だった。百合香はゆっくりと剣を収める。
「まあ、私もここまで容易く通じるとは思わなかった」
「しかし、単純とはいえ気付かなければ、我々は負けていただろう」
エレクトラは、百合香に向かって右手を差し出してみせた。その予想外の行為に面食らい、出しかけた手を怪訝そうに少し引っ込める。
「どういうつもり」
「私は敵であろうと、実力を認めた相手には敬意を払う。それだけだ。お前が敵である事に変わりはない、安心しろ。ここを脱出できたら、即座にその首はもらう」
「なにが安心なのよ!」
破れかぶれ気味に、百合香はエレクトラの手を握り返す。そのとき、とてつもなく奇妙な感覚が百合香を支配した。そのとき思い出していたのは、この氷巌城に侵入してほどなく遭遇した、あの奇妙な戦斧の闘士のことだった。
エレクトラの、ある意味ではあまりにも真っ直ぐな在りように、百合香は敵意は覚えても、たとえば第一層で遭遇した拳法使いの紫玉のような、反吐が出るような悪意を感じなかった。
「どうした」
「えっ?」
ほんの一瞬だが我を忘れていたらしい百合香が、エレクトラの眼を見た。稲妻を思わせる、琥珀色の瞳の鋭い眼だった。手を離すと、百合香から不意に笑みがこぼれる。
「不思議ね」
「何がだ」
剣を腰に収め、エレクトラは訝るように眉をひそめた。笑みを浮かべる百合香にそっぽを向けると、どこへともなく歩き出す。
「ちょっと、どこに行くつもり。この空間がどうなってるかもわからないのに」
「立ち止まっていても仕方ないだろう」
エレクトラが立ち止まる様子を見せないので、百合香も仕方なく横に並んで進む事になった。
どれくらい歩いただろうか。相変わらず広がる景色は茫漠としている。ここは一体何なのかと、疑問も振り出しに戻ってしまった。百合香は、何の気なしにひとつ気付いた事があった。
「さっきの黒い奴ら、私達をそっくりコピーしてたよね」
「ああ」
「それって、何となくだけど氷巌城のシステムに似てない?」
「なに?」
興味深げに、エレクトラは横目に百合香を見た。
「うん。私達氷魔は、人間や人間達の文明を模倣することで、今みたいな姿を構成してるでしょ。さっきのあいつらも、私達をコピーして現れた。氷魔には見えなかったけど」
「ふむ。お前たちレジスタンスからの情報を信じるのなら、件の聖母だか天使だかの像が、この空間に関係しているのは間違いないのだろう」
「そう。結局、あの聖母像って何だったのかしら」
百合香は改めて、不気味に鳴動する聖母像を思い出してみた。あの像は確かに、その場にいる氷魔、そしてエレクトラには伏せてはいるが、人間である百合香からも、エネルギーを奪い取っていたのだ。
「リリィ、その聖母像とやらは、つまり氷魔なのか?」
「え?」
その、今まで思い至らなかったエレクトラの疑問に、百合香は今さら気付かされて首をひねった。エレクトラが続ける。
「これほどの事を仕掛けてくる氷魔、第3層の氷騎士、あるいは水晶騎士でさえ数えるほどしかおるまい。いや、実力の問題というより、こいつの行動は明らかに異質だ。そんな奴が、第2層の誰も近寄らんエリアにいたというのが信じられん」
「それもそうなんだけど、この敵っていったい、何のために私達を攻撃してきたのかしら」
「なに?」
それはエレクトラの興味を引いたらしく、顔を百合香に向けて訊ねる。
「どういう意味だ」
「うん。あの聖母像には、そもそも意志らしいものが感じられなかったの。それどころか、アルタネイトとかいう氷騎士崩れみたいな奴に、一時は利用されていた。完全に再生しないように、エネルギー量をコントロールされてね」
額縁の絵に宿った氷魔アルタネイトは、聖母像が吸い上げたエネルギーを利用していた。外部からのコントロールに抗えない時点で、そもそも意志とか、主体性を持っていないように見える、と百合香が説明すると、ふいにエレクトラは立ち止まった。
「リリィ。私たちはひょっとすると、何かとてつもない相手に接触しているのやも知れん」
「とてつもないって、どうとてつもないの」
なんだか頭の悪そうな返しになったが、エレクトラは腕組みして、延々と続く空間を睨んだ。
「お前にこれ以上話す義理はないのだが、先ほどの件とこれで貸し借りは無しにする。一度しか言わんからな」
「何よ、勿体つけて」
「ある方から言われた話だ。この氷巌城には、未知の部分があると」
◇
氷巌城第3層の図書館。もはや管理者の氷騎士トロンペを差し置いて、ほとんど主のような趣さえ漂わせはじめた、水晶騎士カンデラが、今日も氷の机に座って古い書物を紐解いていた。今読んでいるのは、以前読もうと思って、見出しに不穏なものを感じて棚に戻した、精霊に関する書物である。
“太陽と惑星に棲む精霊”
いま開いているページの真ん中に、章の題が記されていた。その題に、なぜかカンデラは不穏なものを感じるのだ。
だが、読まずにいるのもそれはそれで落ち着かない。カンデラは思い切ってページをめくった。すると、最初に現れたのは天体図のような、何重もの同心円に大小さまざまな球体が描かれた図だった。中央には、放射状の線があしわられた巨大な球体がある。氷巌城の天敵、太陽だ。
「これは太陽系か…?」
以前、同じ水晶騎士であり錬金術師のヌルダから、この地球を含む太陽系についての説明は受けた。太陽を軸として、10の惑星が描かれている。ひとつだけ、奇妙な楕円を描いて他の軌道と交差している巨大な惑星以外は、ほぼ真円を描いていた。
「この、三日月が加えられているのが、氷巌城がある地球か」
第3番惑星、人類は地球とか、アースといった名前で呼んでいる。曲がりなりにも人類は地球の外に飛び出し、地球を外部か、視覚情報として観察しているらしい。それなりに凄い技術ではある。
だが、次のページをめくって、そこに鮮明な水星の写真がある事に、カンデラは驚いた。これは絵ではない。人間が言うところの写真だ。しかも至近距離からの撮影で、恐ろしく高精度だ。
さらにページをめくると、金星、地球、月、火星と、それぞれ鮮明な写真が載せられていた。火星に太古存在した、人類とは異なる文明の廃墟の写真もある。楕円軌道の巨大な天体は、火星のように何やらひどく荒廃していた。
「これはいったい、誰が記録した写真なのだ?」
声を出してはいけない図書館で、つい呟いてしまったカンデラは慌てて周囲を見回した。棚に遮られて館内全ては見えないが、どうやら今いるのはカンデラだけらしい。
これは謎だった。人類は原始的ではあっても、それなりの機械を宇宙に飛ばして、地道に情報を収集している。だがカンデラが知る限り、氷巌城にそんな技術や設備はない。
いや待てよ、とカンデラは思った。ヌルダは口癖のように、人類の技術を「原始的」と嘲り笑う。それがもし単なる征服者の傲慢ではなく、明確な根拠があったとしたら?考えてみれば、この氷巌城じたいが恐ろしい技術の産物だ。先日、失敗に終わったフォース・ディストリビューターの試験のために城外に出てわかったが、この城は人間たちの都市を覆わんばかりに巨大だ。しかしそれを支える脚は、中心にある、全体からみれば小さな氷柱なのだ。あんな細い脚で、都市のような城を支えられるものなのか。実はこの城は、空に浮かんでいるのではないのか。
氷巌城というか氷魔は、実は恐ろしく高度な技術を保有しているのではないか。そんなことを思いつつページをめくると、ようやく本文が記されていた。小見出しにはこうある。
“星の大精霊”
大精霊?何のことだ。精霊に大も小もあるのか。その説明を読み進めて行ったカンデラは、あるページに記された内容に、思わず立ち上がって椅子を倒してしまった。そこにはこうある。
“惑星にも太陽にも、その星全体を司る大精霊、とでもいうべき存在が宿っている”
“精霊とはすなわち、生命そのものである。それは大精霊に近くなるほど、個別化された人格から離れてゆく”
“だが稀に、巨大な天体の大精霊のかけらが、恐るべき力を備えたままで、個別化された人格を保有する事がある。極端な可能性を挙げるならば…”
ここでカンデラは、またしても読み進めるのが怖くなり、勢いよく分厚い本を閉じてしまった。棚に本を戻すと、カウンターで怪訝そうにしているトロンペを見るでもなく、足早に図書館を提出した。
◇
「未知の部分?」
今度は百合香が関心を示した。エレクトラは、「まあ厳密には伝聞だが」とことわった上で語った。
「我々氷魔は、言うまでもなくこの氷巌城の顕現とともに具現化する。私はこの事については詳しくはないが、まず最初に全ての氷魔の魂が眠った状態があり、次いで魂の覚醒が訪れる。この段階になり、新たなる氷巌城が”計画段階”に入る」
「その段階で、全ての氷魔が自らの姿と記憶を思い出す…」
「そうだ。数百年前、あるいは数千年、もっと前からの記憶を引き継ぐ者もいる。過去の戦いで魂に傷を負った者は、記憶も姿も失ってしまうがな」
その内容は百合香にとって、サーベラスやディウルナから受けた説明と合致するものだった。だが、とエレクトラは言った。
「リリィ、お前ほどの実力者なら聞き及んだ事はないか?”ガランサス”と呼ばれた、伝説の氷魔だ」
「ガランサス?」
それは記憶が正しければ、たしか巫女氷魔のルテニカとプミラが語った名前ではなかったか、と百合香は記憶をたどった。
「恐ろしい霊能力を持ってたっていうやつ?」
「そうだ。そして、真偽のほどは私には確認しようもないが、ガランサスは太古の戦いで、水晶騎士によって第2層に封印されたというのだ」
「つまり、ガランサスは城に反逆していたということ?」
それを、レジスタンスの立場から訊ねるのは奇妙だったのか、エレクトラは苦笑した。
「反逆なのかどうかは知らんが、まあ敵対していたのは確かだ。そして肝心なところだがな」
エレクトラは、百合香の目を見て言った。
「そもそもガランサスは、氷魔ではない謎の存在だった可能性がある、というのだ」
「氷魔ではない?」
それは百合香にとって予想外の話だった。この氷巌城にいま存在しているのは氷魔と、単身乗り込んで来て死んだ事になっている、今ここにいる人間の百合香だけのはずだ。それ以外に何があるというのか。そこへ、エレクトラが指摘した。
「論より証拠だ。ついさっき私たちが戦った、あの漆黒の複製人形。あんなもの、私は見たことがない。あれが我々と同じ氷魔だと思うか?」
「そっ…それは」
「氷巌城に存在するのは、どうやら氷魔だけではないらしい。城側も明確に把握できていない、謎の存在が間違いなくいる。現に今、城側の私とレジスタンスのお前が、立場に関係なく等しく攻撃を受けている」
確かにそうだ、と百合香も思った。あの黒曜石のような不気味な相手は、どう考えても氷魔とは異なる。まるで暗黒の意志をそのまま形にしたような、異質な姿だった。
「…ちょっと待って。じゃあまさか、いま私たちが戦っている相手というのは」
百合香は、この無限に広がるかと思える空間を見渡した。エレクトラが頷く。
「確証はない。だが、いま手元にある情報と照らし合わせれば、出る結論はひとつだ」
エレクトラは、人差し指を真っすぐに立てて断言した。
「この空間も、私たちが戦った相手も、謎の存在ガランサスが生み出したものなんだ」
しかし百合香――エレクトラにとってのリリィは、エレクトラの言葉がヒントになった、と言った。その意味がわかりかねるエレクトラは、他にどうする事もできず、湾曲した剣を水平に構えて、黒いエレクトラににじり寄る。
(くそっ)
エレクトラは心で悪態をついた。複製はやはり、同じようにエレクトラに対して接近した。寸分違わぬというわけではないが、こちらの攻撃を弾き返す事が目的なのだ。
リリィが言った3分のリミットまで、たぶんもう間がない。敵のリリィの助言で危機を乗り越えるなど、エレクトラにとっては許しがたい屈辱だった。リリィは余裕しゃくしゃくといった風に、左手を腰に当てて、エレクトラの戦いを見ている。やはり、まず先にこの銀髪の氷魔を叩き斬ってやろうか、と半ば本気で考えた、その時だった。
(ん?)
エレクトラが気付いたのは、まさかと思えるような、馬鹿馬鹿しいほどに単純な、ある可能性だった。だが、さきほどのリリィの戦い方が、それを裏付けている、とエレクトラには思えた。
(――だとすれば)
エレクトラは、左手でおもむろに腰の鞘を取り外す。しかし、黒い複製は何の反応も見せない。
考えても仕方ない、とエレクトラは、その鞘を思い切り、黒い複製のエレクトラに向けて投てきした。すると、鞘は複製の右手首を直撃し、その手は黒い湾曲した剣をあっさりと取り落としてしまう。
「そういう事か!」
エレクトラは今度は右手の剣を、だいぶ乱雑に投げつけた。ぶざまに回転しながら空を飛んだ剣はしかし、黒い複製の頭部を直撃し、その上体が大きくバランスを崩した。その隙を逃すまいとエレクトラは猛スピードで接近し、懐に飛び込むと、敵の腰椎に強烈な絞め技をくらわせた。
嫌な音がして、漆黒のエレクトラはその場に仰向けに倒れる。エレクトラは敵の剣を拾い上げると、間髪入れずその喉元に切っ先を突き立てた。その黒い首がごろりと胴体から切り離されると、わずかに全身が痙れんしたのち、ぴくりとも動かなくなってしまった。
「お見事」
百合香の拍手に、エレクトラは渋い顔を返した。
「ふん」
「やっぱりね。こいつらは多分、この空間に取り込まれた時点での私達の、複製体だったんだ」
「私のその推測から、対応策を編み出したということか、リリィ」
自分の剣と鞘を拾い上げると、エレクトラは腰に収めた。百合香は先程のわざとらしい自信ありげな表情から一転、やや深刻な顔をしていた。
「まあね」
「それまでに使った事のない技で攻撃する。気付いた時は、あまりの馬鹿馬鹿しさに訝ったほどだが」
さすがのエレクトラも失笑する。百合香の対応策とは要するに、ある時点の自分達をコピーしたというのなら、その時点で使ったことのない攻撃パターンに、複製体は対処できないのではないか、という大雑把な推測だった。百合香はゆっくりと剣を収める。
「まあ、私もここまで容易く通じるとは思わなかった」
「しかし、単純とはいえ気付かなければ、我々は負けていただろう」
エレクトラは、百合香に向かって右手を差し出してみせた。その予想外の行為に面食らい、出しかけた手を怪訝そうに少し引っ込める。
「どういうつもり」
「私は敵であろうと、実力を認めた相手には敬意を払う。それだけだ。お前が敵である事に変わりはない、安心しろ。ここを脱出できたら、即座にその首はもらう」
「なにが安心なのよ!」
破れかぶれ気味に、百合香はエレクトラの手を握り返す。そのとき、とてつもなく奇妙な感覚が百合香を支配した。そのとき思い出していたのは、この氷巌城に侵入してほどなく遭遇した、あの奇妙な戦斧の闘士のことだった。
エレクトラの、ある意味ではあまりにも真っ直ぐな在りように、百合香は敵意は覚えても、たとえば第一層で遭遇した拳法使いの紫玉のような、反吐が出るような悪意を感じなかった。
「どうした」
「えっ?」
ほんの一瞬だが我を忘れていたらしい百合香が、エレクトラの眼を見た。稲妻を思わせる、琥珀色の瞳の鋭い眼だった。手を離すと、百合香から不意に笑みがこぼれる。
「不思議ね」
「何がだ」
剣を腰に収め、エレクトラは訝るように眉をひそめた。笑みを浮かべる百合香にそっぽを向けると、どこへともなく歩き出す。
「ちょっと、どこに行くつもり。この空間がどうなってるかもわからないのに」
「立ち止まっていても仕方ないだろう」
エレクトラが立ち止まる様子を見せないので、百合香も仕方なく横に並んで進む事になった。
どれくらい歩いただろうか。相変わらず広がる景色は茫漠としている。ここは一体何なのかと、疑問も振り出しに戻ってしまった。百合香は、何の気なしにひとつ気付いた事があった。
「さっきの黒い奴ら、私達をそっくりコピーしてたよね」
「ああ」
「それって、何となくだけど氷巌城のシステムに似てない?」
「なに?」
興味深げに、エレクトラは横目に百合香を見た。
「うん。私達氷魔は、人間や人間達の文明を模倣することで、今みたいな姿を構成してるでしょ。さっきのあいつらも、私達をコピーして現れた。氷魔には見えなかったけど」
「ふむ。お前たちレジスタンスからの情報を信じるのなら、件の聖母だか天使だかの像が、この空間に関係しているのは間違いないのだろう」
「そう。結局、あの聖母像って何だったのかしら」
百合香は改めて、不気味に鳴動する聖母像を思い出してみた。あの像は確かに、その場にいる氷魔、そしてエレクトラには伏せてはいるが、人間である百合香からも、エネルギーを奪い取っていたのだ。
「リリィ、その聖母像とやらは、つまり氷魔なのか?」
「え?」
その、今まで思い至らなかったエレクトラの疑問に、百合香は今さら気付かされて首をひねった。エレクトラが続ける。
「これほどの事を仕掛けてくる氷魔、第3層の氷騎士、あるいは水晶騎士でさえ数えるほどしかおるまい。いや、実力の問題というより、こいつの行動は明らかに異質だ。そんな奴が、第2層の誰も近寄らんエリアにいたというのが信じられん」
「それもそうなんだけど、この敵っていったい、何のために私達を攻撃してきたのかしら」
「なに?」
それはエレクトラの興味を引いたらしく、顔を百合香に向けて訊ねる。
「どういう意味だ」
「うん。あの聖母像には、そもそも意志らしいものが感じられなかったの。それどころか、アルタネイトとかいう氷騎士崩れみたいな奴に、一時は利用されていた。完全に再生しないように、エネルギー量をコントロールされてね」
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「リリィ。私たちはひょっとすると、何かとてつもない相手に接触しているのやも知れん」
「とてつもないって、どうとてつもないの」
なんだか頭の悪そうな返しになったが、エレクトラは腕組みして、延々と続く空間を睨んだ。
「お前にこれ以上話す義理はないのだが、先ほどの件とこれで貸し借りは無しにする。一度しか言わんからな」
「何よ、勿体つけて」
「ある方から言われた話だ。この氷巌城には、未知の部分があると」
◇
氷巌城第3層の図書館。もはや管理者の氷騎士トロンペを差し置いて、ほとんど主のような趣さえ漂わせはじめた、水晶騎士カンデラが、今日も氷の机に座って古い書物を紐解いていた。今読んでいるのは、以前読もうと思って、見出しに不穏なものを感じて棚に戻した、精霊に関する書物である。
“太陽と惑星に棲む精霊”
いま開いているページの真ん中に、章の題が記されていた。その題に、なぜかカンデラは不穏なものを感じるのだ。
だが、読まずにいるのもそれはそれで落ち着かない。カンデラは思い切ってページをめくった。すると、最初に現れたのは天体図のような、何重もの同心円に大小さまざまな球体が描かれた図だった。中央には、放射状の線があしわられた巨大な球体がある。氷巌城の天敵、太陽だ。
「これは太陽系か…?」
以前、同じ水晶騎士であり錬金術師のヌルダから、この地球を含む太陽系についての説明は受けた。太陽を軸として、10の惑星が描かれている。ひとつだけ、奇妙な楕円を描いて他の軌道と交差している巨大な惑星以外は、ほぼ真円を描いていた。
「この、三日月が加えられているのが、氷巌城がある地球か」
第3番惑星、人類は地球とか、アースといった名前で呼んでいる。曲がりなりにも人類は地球の外に飛び出し、地球を外部か、視覚情報として観察しているらしい。それなりに凄い技術ではある。
だが、次のページをめくって、そこに鮮明な水星の写真がある事に、カンデラは驚いた。これは絵ではない。人間が言うところの写真だ。しかも至近距離からの撮影で、恐ろしく高精度だ。
さらにページをめくると、金星、地球、月、火星と、それぞれ鮮明な写真が載せられていた。火星に太古存在した、人類とは異なる文明の廃墟の写真もある。楕円軌道の巨大な天体は、火星のように何やらひどく荒廃していた。
「これはいったい、誰が記録した写真なのだ?」
声を出してはいけない図書館で、つい呟いてしまったカンデラは慌てて周囲を見回した。棚に遮られて館内全ては見えないが、どうやら今いるのはカンデラだけらしい。
これは謎だった。人類は原始的ではあっても、それなりの機械を宇宙に飛ばして、地道に情報を収集している。だがカンデラが知る限り、氷巌城にそんな技術や設備はない。
いや待てよ、とカンデラは思った。ヌルダは口癖のように、人類の技術を「原始的」と嘲り笑う。それがもし単なる征服者の傲慢ではなく、明確な根拠があったとしたら?考えてみれば、この氷巌城じたいが恐ろしい技術の産物だ。先日、失敗に終わったフォース・ディストリビューターの試験のために城外に出てわかったが、この城は人間たちの都市を覆わんばかりに巨大だ。しかしそれを支える脚は、中心にある、全体からみれば小さな氷柱なのだ。あんな細い脚で、都市のような城を支えられるものなのか。実はこの城は、空に浮かんでいるのではないのか。
氷巌城というか氷魔は、実は恐ろしく高度な技術を保有しているのではないか。そんなことを思いつつページをめくると、ようやく本文が記されていた。小見出しにはこうある。
“星の大精霊”
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“だが稀に、巨大な天体の大精霊のかけらが、恐るべき力を備えたままで、個別化された人格を保有する事がある。極端な可能性を挙げるならば…”
ここでカンデラは、またしても読み進めるのが怖くなり、勢いよく分厚い本を閉じてしまった。棚に本を戻すと、カウンターで怪訝そうにしているトロンペを見るでもなく、足早に図書館を提出した。
◇
「未知の部分?」
今度は百合香が関心を示した。エレクトラは、「まあ厳密には伝聞だが」とことわった上で語った。
「我々氷魔は、言うまでもなくこの氷巌城の顕現とともに具現化する。私はこの事については詳しくはないが、まず最初に全ての氷魔の魂が眠った状態があり、次いで魂の覚醒が訪れる。この段階になり、新たなる氷巌城が”計画段階”に入る」
「その段階で、全ての氷魔が自らの姿と記憶を思い出す…」
「そうだ。数百年前、あるいは数千年、もっと前からの記憶を引き継ぐ者もいる。過去の戦いで魂に傷を負った者は、記憶も姿も失ってしまうがな」
その内容は百合香にとって、サーベラスやディウルナから受けた説明と合致するものだった。だが、とエレクトラは言った。
「リリィ、お前ほどの実力者なら聞き及んだ事はないか?”ガランサス”と呼ばれた、伝説の氷魔だ」
「ガランサス?」
それは記憶が正しければ、たしか巫女氷魔のルテニカとプミラが語った名前ではなかったか、と百合香は記憶をたどった。
「恐ろしい霊能力を持ってたっていうやつ?」
「そうだ。そして、真偽のほどは私には確認しようもないが、ガランサスは太古の戦いで、水晶騎士によって第2層に封印されたというのだ」
「つまり、ガランサスは城に反逆していたということ?」
それを、レジスタンスの立場から訊ねるのは奇妙だったのか、エレクトラは苦笑した。
「反逆なのかどうかは知らんが、まあ敵対していたのは確かだ。そして肝心なところだがな」
エレクトラは、百合香の目を見て言った。
「そもそもガランサスは、氷魔ではない謎の存在だった可能性がある、というのだ」
「氷魔ではない?」
それは百合香にとって予想外の話だった。この氷巌城にいま存在しているのは氷魔と、単身乗り込んで来て死んだ事になっている、今ここにいる人間の百合香だけのはずだ。それ以外に何があるというのか。そこへ、エレクトラが指摘した。
「論より証拠だ。ついさっき私たちが戦った、あの漆黒の複製人形。あんなもの、私は見たことがない。あれが我々と同じ氷魔だと思うか?」
「そっ…それは」
「氷巌城に存在するのは、どうやら氷魔だけではないらしい。城側も明確に把握できていない、謎の存在が間違いなくいる。現に今、城側の私とレジスタンスのお前が、立場に関係なく等しく攻撃を受けている」
確かにそうだ、と百合香も思った。あの黒曜石のような不気味な相手は、どう考えても氷魔とは異なる。まるで暗黒の意志をそのまま形にしたような、異質な姿だった。
「…ちょっと待って。じゃあまさか、いま私たちが戦っている相手というのは」
百合香は、この無限に広がるかと思える空間を見渡した。エレクトラが頷く。
「確証はない。だが、いま手元にある情報と照らし合わせれば、出る結論はひとつだ」
エレクトラは、人差し指を真っすぐに立てて断言した。
「この空間も、私たちが戦った相手も、謎の存在ガランサスが生み出したものなんだ」
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奴隷強制収容所に収容されることを望んだマゾヒストの女子大生を主人公とした物語。主人公は奴隷として屈辱に塗れた刑期を過ごします。多少百合要素あり。ヒトがヒトとして扱われない描写があります。そういった表現が苦手な方は閲覧しないことをお勧めします。
※主人公視点以外の話はタイトルに閑話と付けています。
※この小説は更新停止、移転をしております。移転先で更新を再開しています。詳細は最新話をご覧ください。
ネカマ姫のチート転生譚
八虚空
ファンタジー
朝、起きたら女になってた。チートも貰ったけど、大器晩成すぎて先に寿命が来るわ!
何より、ちゃんと異世界に送ってくれよ。現代社会でチート転生者とか浮くだろ!
くそ、仕方ない。せめて道連れを増やして護身を完成させねば(使命感
※Vtuber活動が作中に結構な割合で出ます
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