絶対零度女学園

ミカ塚原

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氷晶華繚乱篇

サイレント・クリミナル

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 さきほど通路を横切った影は、倒された氷魔少女の幽霊である。ルテニカとプミラはそう言ったが、リリィにはそれが本当かどうか、判断のしようがなかった。
「どうして、幽霊だとわかるの」
 リリィの当然の質問に、ルテニカは真面目な顔で答えた。
「氷魔の中には、霊能力に長けた個体が少なからず存在します。私とプミラも、それに属するタイプなのです」
「なるほど。イオノスも、確かそういうタイプだったわね。ストラトスの魂を支配しようとしていたし」
「あなたもストラトス様との戦闘の現場にいらっしゃったのですか?」
 ルテニカとプミラは、聞いてないぞ、という表情をリリィに向けた。リリィは、ギクリとして取り繕うように手振りをしてみせる。
「うっ、うん。リベルタとは、ストラトスの所に乗り込む前に合流してたから」
 リリィの様子と説明内容に、二人は怪訝そうな目を向けた。リリィの顔が引きつる。その時プミラは、どこからか微かに、ため息が聞こえたような気がした。

 その時だった。三人は一瞬、足元が何か大きく揺れたような感覚に見舞われた。
「うわっ」
 リリィは白銀の剣を床に突き立てて脚を踏ん張る。ルテニカとプミラは、リリィの肩にそれぞれ掴まって転倒を逃れた。
「何でしょうか」
「わかりません」
 まったく同じ声色が左右から聞こえてきて、それはそれで不気味なリリィである。
「実際は揺れてはいなかったみたい。けれど、頭を掴まれてグラグラ揺さぶられたような感覚があった」
「三人揃って、というのは目眩の類ではなさそうですね」
 プミラは、数珠を左手に握って両手を合わせた。その姿はまるで仏教の僧侶である。
「ルテニカ。危険です」
「わかりました」
 プミラの警告に、ルテニカもまた数珠を構えて、リリィを護るように背中合わせで陣取った。すると、三人を挟むように通路の前後に、ざっと見て十数体の氷魔少女の霊が、音もなくその半透明の姿を現したのだった。
「ひっ!」
 リリィは、警戒するよりも先に驚きの方が勝ってしまい、剣を構えるのが一拍遅れてしまう。少女の霊たちは、死んだ表情のまま三人に向かってきた。
「ナーマス サルヴァジュニャーヤ…」
 ルテニカとプミラは、わずかな狂いもなく同じリズムで、経のようなものを唱え始めた。すると突然、少女の霊たちは怯んでその足を止めた。
「プラジュニャーパーラミターヤーム…」
 尚も、二人は経の詠唱を続ける。すると、少女の霊たちは突然、喉を押さえて苦しみ始めた。はっきりとした声ではなく、接続不良のヘッドホンのような、方向や輪郭がぼやけた声である。
 詠唱が終わる前に、少女の霊たちは安らかな表情を取り戻して、白い光の中へ溶けるように消えていった。その一部始終を、リリィは驚嘆の眼で見た。
「こっ…これがあなた達の力なのね」
「ご覧の通りです」
 ルテニカとプミラは、数珠を構えて警戒は解かず答えた。
「私達は巫女なのです」
「巫女!?」
「あるいは僧侶でも神官でもいいでしょう。なんとなく、巫女がいちばんしっくりきます」
 何なんだその曖昧な括りは、とリリィは思った。それに二人が話していると、どっちがルテニカなのかプミラなのか、区別がつかなくなる。そう思っていると、たぶんルテニカが再び歩き出して説明を続けた。
「あなたにわかりやすく言うなら、やはり先ほども申し上げたように、霊能力者という事になるでしょうか」
「じゃあ、さっきの連中はやっぱり幽霊なの?」
「その筈なのですが」
 突然ルテニカは黙った。プミラも無言である。気になってリリィは訊ねた。
「筈、ってどういう意味」
 すると、ルテニカのアイコンタクトでプミラが説明を引き継いだ。
「私達はさきほど、単純に死んだ少女氷魔の霊だと思っていました」
「違うの?」
「死んだ氷魔少女というのは、おそらく間違いありません。しかし、まとまった数の霊体たちが、あのように統率された動きで襲いかかってくる、というのは考えにくい事なのです」
 幽霊や霊能力の知識がないリリィには、そう説明されても理解が追いつかない。難しい表情で、とりあえず頷いておくことにした。
「リリィ、おそらくあなたに私達のような霊能力はないと思います。このエリアで何が起きているのかわかりませんが、私達から離れないようにしてください」
 そこでリリィは、やや憤慨する様子を見せた。
「私の剣じゃ、さっきの奴らは倒せないってこと?」
「その通りです」
 こうも簡潔に言われると、リリィも二の句が継げない。口をへの字に結んで黙り込んだ。すると、フォローする気があるのかないのかわからないが、プミラは話を続けた。
「そのかわり、私達の物理的な戦闘能力は平凡なものです。なので、もしそういう敵が現れた時はリリィ、あなたのお手並みを拝見する事にします」
「あんがい調子がいいわね」

 リリィの前後をルテニカ、プミラがそれぞれガードするような陣形で、3人は狭い通路を警戒しながら進んで行った。
「他のレジスタンスのアジトはまだなの?」
 リリィが訊ねると、ルテニカは通路の前方左に見える壁を指差した。
「あそこです」
「どこ?」
 何もない壁面の前でルテニカは立ち止まると、数珠を軽く持ち上げて短い経のようなものを唱えた。すると、壁に音もなく、奥へ続く通路が開いたのだった。
「隠し通路か。レジスタンスの定番ね」
「急ぎましょう」
 3人は足音を立てないよう、素早く開いた通路に移動する。プミラが経を唱えると、再び通路の入り口は封じられてしまった。

 開いた通路の奥は狭く、何やら粗雑な切り出しの壁面が続いていた。それまでの、整った通路の面影はない。
「ここは城側の管理が全く届いていない、いわば廃棄エリアです」
「我々はこうした場所を探し出して、アジトに利用しているのです」
 ルテニカとプミラの説明にも、リリィは何となく納得がいかないようだった。
「基本的に城は当然、氷魔皇帝サイドに全体が管理されてるわけよね。それにしては、身を隠せる場所が多すぎない
?今まで、少なくない数のアジトに案内されてきたわ」
「なるほど。もっともな質問です」
「ディウルナは、理由があるって言ってたけど。その理由、知ってるの?」
 リリィがそう訊ねると、ルテニカは少し意地の悪い笑みを浮かべた。
「そうですね。では、説明いたしますので、あとで代わりに私の質問にも答えていただけますか」
「え?うん、いいわよ」
 この時の何気ない空返事が、あとでちょっとした窮地に陥る遠因になる事を、リリィは気付いていなかった。ルテニカは頷いて説明する。
「私達も、詳細に至るまで知っているわけではない事を、先に断っておきますが。そもそもこの城は、”自然発生”的に出来上がっている部分が、考えている以上に多いようなのです」
「自然発生?」
 リリィは聞き間違いかと思い、繰り返して訊ねる。
「どういうこと。人工の城なのに、自然発生って」
「言い方を変えましょう。人間世界の歴史について、いくらかは知っていますか」
「え?…ええまあ、大雑把な情報としては」
「それでは、ひとつの国の王が、王国全ての区画や道路網、建物ひとつひとつの内部について、何もかも把握していると思いますか?」
 その説明に、リリィは「なるほど」と手を叩いて頷いた。
「そうです。君主は国を統治していても、その全てを箱庭のように把握できるわけではありません。国が大きくなればなるほど、それは顕著になります。そして、この氷巌城は先ほども述べたとおり、創造者である皇帝の意図を大きく超えて、予測不可能な構造が随所に出来上がるらしいのです」
「らしい、っていうのは」
「レジスタンス仲間の伝聞の情報なので、私自身が裏を取っているわけではありません。が、こうして我々が身を潜める場所が確保できるという事は、ひょっとするとこの城にはまだまだ、城側が把握できていない区画が隠されている可能性さえあるのです」
 ルテニカの説明に、リリィは納得できた部分もありつつ、さらに謎が深まったようにも思えた。
「その、城の構造が自然発生するっていう…それは一体どういう原理なのかしら」
「え?」
「自然発生というならそれは文字通り、自然に近い構造のものが出来上がる筈ではないのかしら。整然とデザインされた床や壁面が”自然発生”するって…そんな事あり得ないわ、普通に考えるなら」
 顎に指を当てて真剣に考える様子を、ルテニカとプミラは興味深そうに見た。すると、今度はルテニカから質問が飛んできた。
「リリィ、では私の質問をよろしいですか」
「え?ああはい、どうぞ」

「では、お訊ねします。リリィ、あなたはどうして上級幹部であるディウルナ様を、呼び捨てになさっているのでしょうか」

 その質問の意味が、リリィは最初よくわからなかった。しかし、答えようとした途端、ルテニカの罠にはまっている事に気付いたのだった。
「えっ、よっ、呼び捨てに…してたかしら」
「はい。先程、はっきり”ディウルナ”と敬称なしに仰いました」
「うっ」
 その時、またしてもどこからか、微かに溜め息のような声が聞こえた。ルテニカは質問を続ける。
「私、アイスフォンに流れてきていた推理小説が好きだったので、つい色々詮索してしまうのですが。ディウルナ様がもし、今も城側についていて、我々の敵であったなら、呼び捨ても自然なことでしょう。しかし、すでにディウルナ様は、こちら側について下さったと理解しています。そうなると、本来は階級がはるかに上のディウルナ様を呼び捨てにするというのは、いささか不自然に思えます」
「まっ、まあね」
「呼び捨てにする理由は色々考えられます。ひとつは、リリィ。あなた自身が実は、ただのレジスタンスではなく、幹部クラスの氷魔であった可能性。これなら、あなたの戦績も理解できます」
 ルテニカの指摘に、プミラも視線をリリィに向ける。リリィの表情がますます引きつった。
「もうひとつは、単にあなたがヒオウギと同じく、比較的そういった上下関係という意識が希薄である可能性」
「そっ、そう、私つい色んな相手を呼び捨てにしちゃうのよね」
 リリィは取り繕うように言ったが、ルテニカは聞いているのかいないのか、三つ目の可能性について語った。

「そして、三つ目です。あるいはリリィ、あなたはそもそも本来、この氷巌城とは全く関係のない所からやって来た存在である可能性。私は、これが今までのあなたに感じていた不自然さについて、もっとも整合性の取れる説明なのではないか、と考えていますが、いかがでしょう」

 ルテニカは立ち止まって、リリィを振り向いた。リリィのその白い顔は、さらに蒼白になっている。ルテニカの表情からは意地悪な笑みが消え、ごく真面目な表情になっていた。
 わずかな沈黙をはさんで、リリィが何か意を決したような様子を見せた、その瞬間だった。

『きゃああああ――――――!!!』

 かすかに、通路の向こうから複数の少女の悲鳴が聞こえたかと思うと、いくつかの物音がした。何かテーブル類がずれるような音、小物が床に落ちるような音、などである。
「!」
 リリィ達は顔を見合わせた。何事かと思ったその時にはもう、物音も悲鳴も聞こえなくなっていた。
「行きましょう!」
 プミラがいち早く駆け出した。ルテニカとリリィがそれに続いて、悲鳴が聞こえた通路奥へと走る。そこには、無味乾燥なドアがあった。
「ここは?」リリィが訊ねる。
「レジスタンスの、ミドルクラスとロークラスの氷魔が潜むアジトです」
 ルテニカはドアノブに手をかけ、慎重に回す。しかし、魔法の錠がかけられているようだった。
「妙です。いつもなら、来れば中から声がかけられるのですが」
「緊急事態って事でしょ。どいて!」
 突然剣を上段に構えたリリィに驚いて、ルテニカとプミラはドアの両脇に下がる。リリィは一息に剣を、ドア目がけて一閃した。
 リリィの白銀の剣は、ドアにかけられた強固な魔法ごと、ドアノブをいとも容易く粉砕してしまった。それを、ルテニカ達は驚愕の目で見た。
「まっ、まさか…」
「あの施錠魔法を、物理的に破壊してしまうなんて」
 驚く二人を横目に、リリィが率先して破壊したドアの中に入る。中は、さきほど聞こえた音から想像したとおり、椅子や花瓶などが倒れ、割れて散乱していた。
 そしてさらに中に踏み込んだ時、三人は「あっ」と揃って声を上げた。
「エレナ!」
 ルテニカが突然そう名を叫んで、床に膝をついた。床には、制服を着た少女が三名倒れている。他の二人の様子を、プミラとリリィがそれぞれチェックし、静かに首を横に振った。
「そんな…」
 ルテニカはガクリと肩を落とした。エレナと呼ばれた少女の身体からは、氷魔のエネルギーが完全に消え去っている。何より、魂がすでにそこに存在しない事が、ルテニカとプミラには即座にわかった。この倒れている少女たちは、すでに死亡しているのだ。その遺体の傍らには、彼女たちの武器であろう剣が静かに倒れていた。
「どうして、こんな事に」
 それまでの落ち着いた様子が嘘のように、ルテニカもプミラも動揺していた。リリィは一人、室内を入念に調べる。倒れた椅子や、壁に対して斜めになっているテーブルなどの様子を見るに、これらはレジスタンスの少女たちが倒れたために押されたようだった。
 冷静に、リリィは倒れた少女の制服や身体に、乱れがない事を確認した。その顔は、何かに驚いたような表情で固まっている。つまり、死ぬ寸前に彼女たちは、何か驚くような出来事に遭遇したという事だ。だが、彼女たちは外部からの攻撃を受けた痕跡がない。それに、彼女たち自身が立てたらしい物音以外、何も聞こえてはいないのだ。
 そもそも、この部屋には入り口がひとつしかない。従って、このアジトは完全な密室だったはずである。少女たちを殺したのは一体誰なのか。
「……」
 リリィは少女の手を組んで、十字を切って祈りを捧げると、床に落ちている剣を拾い上げる。ルテニカとプミラの前に立ち、静かに言った。
「ルテニカ、プミラ。ここで何が起きたのか、まだわからないけれど」
 そう言って、拾い上げた剣を二人の前に掲げて見せた。
「この子たちの仇を討つんだ。私達で」
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