絶対零度女学園

ミカ塚原

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氷晶華繚乱篇

新たなる出会い

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 オブラとピエトロの提案で、まず百合香が休息するための癒しの間を最優先で探す事になった。錬金術師ビードロからは、癒しの間に至るゲート発見のためのシャボンが百合香にも届けられた。
「それじゃ、サーベラス様はとりあえず、このアジトでじっとしてて下さい」
 オブラはそう釘を刺す。が、サーベラスは不満げだった。
「じっとしてるのは性に合わねえ」
「ある意味、百合香さまより目立つ存在なんです。黙っていても出番は回ってきますので、どうか我慢してください」
「けっ、わかったよ。俺はここで留守番しててやる」
 ぼやくサーベラスをよそに、百合香とオブラは通路に出たのだった。

「そういえばサーベラスって、どう見てもライオンがモチーフよね」
 通路を歩きながら百合香が言った。
「まあ、そうですね」
「それで、どうして名前がサーベラスなんだろう」
「サーベラスってどういう意味ですか」
「三つ首の地獄の番犬、ケルベロスのことよ。言語の違いで表記と発音が違うだけ」
「えっ、そうなんですか!?」
 今まで全く気にも留めていなかった事をオブラは知らされて、驚愕しているらしかった。
「深く考えてないんじゃないですか。なんか、細かいこと気にしない性格ですし」
「なるほど。語感だけで決めたのかな」
 深く考えていない、で片付けられた元氷騎士はさておき、二人は何もない空間にシャボンを吹きつつ歩探索を続けた。
「あっ、百合香さま。ありました」
 オブラは、自分が見つけましたと精一杯アピールしながら、通路のど真ん中の一点を指さした。そこだけ、シャボンの輝きが弱まっている。氷魔エネルギーの密度が薄い、癒しの間への通行が可能なゲートポイントである。
「もうちょい目立たない場所だと助かるんだけどな」
 癒しの間からこちらに戻ってきた瞬間、パトロール中の氷魔の群れと鉢合わせなんて事もあり得る。ぶつくさ言いながら、百合香は聖剣アグニシオンを向けて意識を集中させた。すると、ドアのような形のゲートが開く。
「私たちは入れないんですよね」
「氷魔と反発するエネルギーだから、触れた瞬間ヤバい事になるかもよ。試してみる?」
 オブラは、ブルブルと首を震わせて後退る。百合香は笑ってゲートに手を触れた。
「じゃ、少し失礼するわ」
「戻ってきたら、例のペンで報せてください。すぐに案内に駆けつけます」
「ありがとう」
 百合香の姿は、だんだんゲートに溶け込んで行った。
「戻るとき、瑠魅香が目覚めてる事を祈っててちょうだい」


 百合香が戻った癒しの間は相変わらず、白と金を基調とした明るい空間だった。最初は落ち着かないと思ったが、だんだん慣れてしまうものである。
 六角形の部屋の中央にある、やはり六角形の泉の前にあるゲートが、この部屋の出入り口だった。扉から向かって泉の奥側は壁が立ち上がっており、「自称女神」ガドリエルがその手前に、百合香の帰還を待っていたかのようにホログラムの姿で現れていた。
「おかえりなさい、百合香」
「ただいま」
 いつも一緒にいる瑠魅香は、まだ百合香の中で眠りについたままだった。初めてこの空間を訪れた時を、百合香は思い出していた。
「ガドリエル、瑠魅香が今どういう状態なのか、あなたならわかる?」
 百合香は、いま一番知りたいことを訊ねた。ガドリエルからの返答は、いつものように早かった。
「いま、彼女は精神を大きく消耗して、魂にまでそれが及んでいる状況です。危険な状況というわけではありませんが、回復までは時間がかかるでしょう」
「…そう」
「ですが、じき必ず目覚めます。どうか、安心してください」
「ありがとう」
 百合香は、弱々しく微笑んで頷いた。
「ねえ、ガドリエル。いま、妙な事を言ったわよね」
「妙、とは?」
「精神を消耗して、魂に影響が及んでる、って。まるで、魂と精神は別物のような言い方だわ」
 その百合香の疑問に、ガドリエルは少しだけ考える仕草を見せてから答えた。
「人間には、3つの側面があります。霊魂、精神、肉体。それが3つ揃っているのが、百合香、今のあなたです。そのうち、肉体だけが欠けているのが瑠魅香という存在です」
「…ちょっと待って」
 久々に、なんだか難しい話が飛び出した。そういう話は嫌いではない百合香だが、今はそれなりに疲労した状態である。いま言われた内容を、頭の中でいったん整理した。
「…いいわ、続けて」
「はい。瑠魅香や、あなたの用いる数々の魔法や技の源は、魂にあります。しかし、それを実際に形にするためには、精神という側面の活動が不可欠なのです。そして、肉体に限界が来ると精神まで疲労するように、精神が限界を越えた時、魂が影響を受けるのです」
 ガドリエルの説明を、百合香はなんとか頑張って理解してみた。
「つまり、瑠魅香は最後には精神を介在させず、魂から直接魔法を放っていたという事?」
「よく理解しましたね。そのとおりです。そして、それが"魂の消耗"を引き起こしたのです」
「…魂が消耗しきったら、どうなるの」
「魂は決して消滅しません。ですが、あまりにも魂への負荷が大きくなれば、魂もまた打撃を受け、その記憶を維持できなくなります」
 それを聞いて、百合香は背筋が寒くなるのを感じた。それは言ってみれば、魂の死のようなものではないのか。考え込む百合香に、ガドリエルは話を続けた。
「百合香、ちょうどいい機会です…今まで、黙っていた事をお話しします」
「え?」
「瑠魅香から聞いたかも知れませんが、私自身、じつは一部の記憶がない存在です」
 それは、以前百合香が眠っている間に瑠魅香がガドリエルから聞いたという話だった。百合香は頷く。
「ええ、聞いたわ」
「ですが記憶はなくても、氷巌城やあなたの持つ聖剣、アグニシオンなどについての知識はあります。そして、あなたに対する親愛の情も」
「……」
「混乱させるような事を言ってごめんなさい。ただ、私はいくつかの記憶がなくともあなたの味方であると、それだけは揺るがない事実として、伝えておきたいのです」
 それを聞いた百合香は、少し呆れたように笑って答えた。
「今更、そんなこと言わなくても大丈夫よ。あなたのおかげで私はこうして、あの氷の城で戦っても無事でいられる。こうして、安らげる場所もある。それ以上何を求めるというの。感謝してるわ。ありがとう、ガドリエル」
「百合香…ありがとう」
 ガドリエルは、それまで見せた事がないような柔和な笑顔で百合香を見た。しかしその笑顔を見て、百合香はひとつ思い出した事があった。
「…ねえ、ガドリエル」
 百合香は、何度か見た夢の話をガドリエルに伝えた。それは、ここではない、今ではない土地や時代に、自分がやはり同じように聖剣アグニシオンを携えている夢だった。

「断定はできません。しかし、それはあなたの過去生が関係している夢かも知れません」
 百合香の話を聞き終えたガドリエルはそう言った。
「過去生!?」
 まさか、と百合香は思った。それでは、自分はあの夢の中の剣士の生まれ変わりだとでも言うのか。
「百合香。夢というのは、非常に曖昧な魂の旅です。過去の出来事が、フィルムに記録された映像のように再現されるわけではありません。見た夢が、そのまま何らかの事実だとは思わない事です」
「…うん」
「ですが、時には非常に真実に近いものが投影される事もあります。あなたが見た夢が、何らかの事実に基づいていた可能性もあるでしょう」
「そうなのかな」
「私は、あなたの過去世についての知識はありませんが、アグニシオンがあなたの魂に封印されているという、その事実だけはなぜか知っていました。今は、限られた知識の中で、出来る事があります」
 その言葉に、百合香は頷く。
「…そうだね。自分が何者かなんてわからないけど」
 百合香は、今も握り続けている黄金の聖剣、アグニシオンの刃の煌めきを見つめる。これまでの激戦の中で、鎧や肉体は傷を負っても、この剣だけは、刃こぼれどころか擦り傷ひとつついていない。
「今、やらなきゃいけない事はわかる。そのための力や備えが、私達にはあるんだ」
 百合香の言葉に、ガドリエルは無言で頷いた。百合香もそれに頷く。
「ありがとう、ガドリエル。これからも、よろしくね」

 久しぶりに自分でシャワーを浴びた百合香は、温水が流れ落ちる自分の肌を見ながら、これを瑠魅香も自分の身体として見ていたんだな、と考えた。ひとつの身体を二人で共有するというのも、不思議な感覚である。
 バスルームを出て、冷蔵庫に入っていたよくわからないゼリーを食べる。ガラス容器に入っており、鮮やかなピンク色である。
 口に運ぶと、果物なのか何なのかよくわからないが、爽やかな香りが鼻孔をくすぐった。こんなゼリーは、今まで味わった事がない。
「…これも、私の意識が生み出したんだろうか」
 不思議な美味しさのゼリーを食べたあと、瑠魅香が苦味で顔を歪めたアイスコーヒーを飲むと、歯を磨いて百合香はさっさとベッドに入った。

 眠りについた百合香は、また夢を見た。夢でも、場所は癒しの間である。百合香の目の前には、瑠魅香が立っていた。
『百合香、もうちょい眠らせてね。ごめん』
 瑠魅香は微笑みながらそう言った。ごめんと言いながら、悪びれる様子はない。
『それでね、私が眠っている間に、ひとつ言っておく事がある』
 なんだ、それは。百合香は思ったが、なぜか返事ができない。瑠魅香は言った。
『私が眠ってる間に、浮気したら怒るからね』


 目が覚めると、百合香は夢に出てきた瑠魅香の言葉を、脳内で繰り返した。
「…浮気って」
 そもそも百合香は、だいぶディープな間柄ではあるものの、瑠魅香と交際している覚えはないし、この氷の城で交際相手が現れるとも思えない。
 考えても仕方ないので、百合香は目覚めのミネラルウォーターを飲むと、制服ではなく黄金の鎧姿に変身した。すでに臨戦態勢である。
「いくよ、瑠魅香」
 眠っている瑠魅香にそう語りかけると、百合香は再び絶対零度の城に続くゲートをくぐった。


 その頃、同じ氷巌城第2層のあるエリアを進む、ひとつの影があった。百合香たちと別行動を取る、マグショットである。
「…やはり、城が再誕した時に構造も変わっているな。もっとも、前回はこれほど大規模ではなかった事もあるが」
 入り組んだ通路を睨みながら、マグショットは呟いた。
「奴は今回もここにいるはずだ…もっとも、変化の影響を受けて、どんな姿になっているかはわからんが」
 立ち止まり、窓の外を見る。
「これが百合香の住む国か」
 吹雪のなか、眼下にかすかに見える山並みの影をマグショットは眺めていた。


 氷巌城の通路に戻った百合香は、オブラに言われたとおり、ディウルナから手渡されたレジスタンスへの連絡用のペンで、壁に名前を記した。"Yurika"というアルファベットが、青白い光になって浮かび上がる。
「ほんとにこれで通じるのかな」
 オブラ達は胸を張るが、これで相手に連絡が行くなら、世界の通信機器メーカーの技術者が裸足で逃げ出しそうである。
 だが、ほどなくして通路の向こうから、トトトトという足音が聞こえてきた。
「おー、すごい」
 百合香は素直に感心したが、同時に何か違和感を覚えた。オブラ達はそもそも、足音がほとんどしないのだ。といってサーベラスなら、足音はもっとドスドス、ガチャガチャと騒々しい。
 つまり、この足音はレジスタンスでも、サーベラスでもない、他の何者かの足音である。
「ちょうどいい」
 もはや以前とは段違いに肝が座ってきた百合香は、ピエトロから預かった、色だけ氷魔に化ける髪飾りをテストしてみる事にした。
 意識を集中させると、明るい青紫の光が百合香を包み、黄金の鎧も聖剣アグニシオンも、全て青白い氷のような色味に変わってしまった。
「来るか」
 百合香は、足音が近付いてくる方向に剣を向ける。すると、その足音より先に見慣れた影が走ってきた。
「あっ、ゆ、百合香さま!助けて!!」
 その力強いまでに情けないセリフの主は、猫探偵オブラであった。
「どうしたの?」
「氷魔です!」
「下がって」
 百合香はオブラを自分の背後に隠れさせ、剣を構えると氷魔の到来を待った。すると、通路の角から百合香と似た背格好の影が飛び出してきた。
「あっ!」
 その影は、百合香を見るとピタリと立ち止まった。
「百合香さま、あいつが僕を追いかけてくるんです!」
 オブラが指さすその氷魔は、なんとガドリエル女学園の制服デザインの衣装をまとっていた。いや、よく見ると改造してある。何というか、神社の巫女服のようなシルエットに見えなくもない。左手には大きな弓を握っていた。細い眼鏡にポニーテールと、なんだか特殊な性癖の人が興奮しそうなイメージである。
「あなた、誰?」
 百合香は、自分が言おうとしたセリフをそのポニーテール氷魔に先取りされた。
「そっ…それはこっちのセリフよ」
「見ない顔ね。もっとも、このフロアの全員の顔なんて知らないけど」
 どうやら、変装は効いているらしかった。氷魔は続けて訊ねる。
「一人なの?わたしはリベルタ。あなたは?」
「ゆっ、百合香」
「えっ!?」
 リベルタと名乗った少女氷魔は、目を丸くして驚いた。
「ちょっと待って、そういえばその姿…どうして、制服を着てないの」
「あっ、いやそのこれは…」
 まずい。咄嗟の演技など、演劇部でもない百合香にできるわけがない。
「あなた、なぜこの子を追っていたの」
 話を誤魔化す目論見もあり、百合香は脚の陰に隠れているオブラを示した。リベルタは答える。
「捕まるからよ、放っておけば」
「えっ?」
「その子、レジスタンスでしょ。ふうん、あなたもレジスタンスの仲間か。だったら少なくとも、私の敵じゃないって事ね」
「あなた、いったい――――」
 百合香が訊ねようとした時、通路の奥から多数の足音が聞こえてきた。
「まずい!逃げるよ」
「えっ!?」
「早く!」
 そう言ってリベルタは、百合香の手を握る。その時、リベルタは声を出して驚いた。
「えっ!?」
 リベルタの視線は、いま握った百合香の手に集中していた。リベルタの手は氷魔らしく、人形のような指である。
「あなた、この手…いや、その身体は…」
 リベルタが驚いていると、足音がさらに近付いてきた。声も聞こえる。
『いまなんか聞こえたよ!』
『あいつだ!捕まえよう!!』
『捕まえよう!!』
 少女のような声がいくつも重なって聞こえる。どうやら、リベルタのような氷魔の群れらしい。リベルタは、ひとまずどうでもいいと割り切って、百合香の手を引いて走り出した。
「ほら、あんたも来なさい!」
「えっ!?あっ、は、はい!!」
 今まで追われていた相手について来いと言われ、オブラは慌ててその後をついて走っていった。

 これが、百合香と氷魔リベルタの出会いであった。
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