絶対零度女学園

ミカ塚原

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氷巌城突入篇

戦斧の闘士

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 コーン、コーンという剣の打ち合いの音が、巨大な闘士の彫像に見守られた氷のコロシアムに響く。
 本物の剣闘など観た事はないが、剣の打ち合いの音にしては、響きが妙だと百合香は思った。金属どうしの音ではない。

 そういえば、さっき拾い上げた相手の盾は、氷のように融け始めたせいで使えなかった。

 ―――氷だ。この城は、城そのものも、兵士も、武器までも、全てが氷でできているのだ。

 百合香は、目の前で続けられる氷の人形どうしの剣闘を見ながら、そう結論づけた。
 極低温の世界。そこでは、人間も動物も植物も生存できないだろう。1万年以上前に世界を襲った猛烈な寒波は、生物を一瞬で凍りつかせた。いま発見されるマンモスの遺骸からは、当時食べたキンポウゲ等がそのまま出てくる。その肉も、食べようと思えば食べられるほどだ。

 この城が出現したことで、百合香たちの学園は一瞬で「氷河期」に襲われたのだ。

 一体、この城は何なのか。何者がこの城を支配しているのか。百合香は今現在の生命の危機そっちのけで、その疑問について考えていた。
 しかし、その思考を遮るかのように、闘技場を歓声が包んだ。闘技場の真ん中には、百合香をここに導いた体躯のいい闘士がガッツポーズを取っており、その足元には戦斧で粉微塵にされた哀れな「遺体」が散乱していた。

 百合香はぞっとした。もし彼と闘う事になったら、勝てるのか。今すぐ逃げ出したい所だが、逃げたらここにいる全員が襲いかかって来るだろう。そうなると無事でいられる可能性はない。

 不気味なのは、この人形たちのメンタリティである。敵対し合っているのか、団結しているのかわからない。共に歓声を上げていた者が目の前でスクラップにされると、やはり歓声が湧き起こるのだ。
 何かこう、「在り方」のみに本能的に従っているような印象がある。
 
 そんな事を考えていると、突然百合香の前の視界が開けた。百合香のために、全員が道を開いたのだ。その先は言わずと知れた、闘技場の中央である。
「え?」
 あたりを見回すと、またしても控えの闘士たちが、百合香にジェスチャーで「行け」と促している。
「私の出番ってこと!?」
 百合香の言葉がわかっているのかいないのか、またも騒々しい歓声が起きた。いったい、どういう対戦表になっているのだ。そんなもの、どこにも掲示されていない。

 百合香の恐怖と緊張は一気に跳ね上がったが、仕方なく剣を握って中央に出た。まだ対戦相手は登場していない。
 ほどなくして、百合香の前に現れたのはだいぶ長身の闘士だった。その握られた剣も、百合香の身長より長く、幅もある大剣である。人間なら片手で扱えるとは思えないが、彼は平然と右腕だけで振り回していた。盾は持っていない。
「そんなのありか」
 百合香が抗議する間もなく、レフェリーが腕を降ろして闘技がスタートした。

 相手はあまり考えていないらしく、特に構えもなく剣を振り上げて向かってきた。ありがたいのかどうか分からないが、予想していたより動きは鈍重で、スピード戦略で勝ちに行ける、と百合香は踏んだ。
 まず、相手の左サイドを百合香は取る。盾を持っていないなら、こちらがガラ空きの時が攻撃のチャンスだ。
「えやっ!!」
 百合香は、ジャブで様子見するボクサーのように、まず相手との間合いを剣で測る事にした。
 横薙ぎに払った切っ先が、相手の二の腕を掠める。手足は太く、胴体を狙うのに厄介だなと百合香は思った。相手はすぐに上半身をひねって、大剣を斜め上から振り下ろしてきた。
 さすがに肝が冷えた百合香は、即座に後退して大きく距離を取った。砂のような、細かい氷の粒子がギッチリと固められた床面に、相手の大剣が激しく打ち付けられる。
 態勢としては、相手が首をさらしている今はチャンスだが、剣を回避するために大きく後退したのがアダになった。百合香が距離を詰めようと踏み込んだものの、相手が態勢を立て直す時間も与える事になってしまった。バスケの試合で、ブロックを恐れてパスを回している間に、相手に壁を築かれるのに似ている。

 そこで再び百合香に閃きがあった。バスケットボールにも当然、ロングレンジの攻撃はある。動画サイトで取り上げられるような、土壇場の「奇跡のシュート」は極端な例として、下手にゴール下へ潜り込むよりは、ロングレンジでシュートを狙う方がいい場面もある。
 問題は、そんなロングレンジの攻撃方法が思い付かない事だった。

 百合香は、どうにか相手より俊敏である事が幸いして、相手の剣撃をかわす事はできた。しかし、このままでは足が疲れてしまう。
「ゴエエエ!!」
 いい加減痺れを切らしたらしい氷の剣闘士が、破れかぶれで剣を振り回して突進してきた。百合香はそれに一瞬気圧されて、足がもたついてしまう。相手は、一気に百合香との距離を詰めてきた。―――まずい。

 百合香が生命の危険を感じた、その時だった。

 手に握った金色の剣が、眩く輝き始めた。エネルギーが脈動しているのがわかる。百合香は、床を蹴って後方に飛び退りながら、剣を大きく上方に払った。

『スターダスト・ストライク!!』

 百合香が叫ぶと、剣から放たれたエネルギーが無数の火球となり、天井方向から相手の剣闘士の全身を打ち付けた。一つ一つのダメージはそれほどでもなさそうだが、5発、10発と繰り返し打たれると、バランスを崩して剣を取り落とし、膝をついてしまう。
 今だ!と、百合香はドリブルで相手ゴールに接近するように間合いを詰める。
「でええーーいっ!!!」
 両手で剣を握り、全身の力を込めて相手の首に剣を突き入れる。まだ剣身にはエネルギーが残っており、それが炸裂した。

 パーン、と澄んだ音とともに、黄金色のエネルギーが剣身から弾ける。剣闘士の頭と首周りが粉々に破壊され、その余波が後方の壁際に立っている、巨大な剣闘士の彫像の胴体を直撃した。
「はあ、はあ、はあ」
 これまでにないタフな戦闘を終えて、百合香は剣を立てて片足をついた。
 よもや頭を破壊されて立ち上がっては来ないだろう、とは思ったが、そういう常識が通用しない事もあり得る。ビクビクしながら、剣を構えて相手がまだ動いてこないかと、百合香は警戒した。

 しかし、倒された剣闘士の首から下は、文字通り人形のように、ぴくりとも動く様子がない。心から安堵のため息をつき、百合香は胸を撫で下ろした。

 呼吸が整ってくると、百合香は何か様子がおかしい事に気付いた。今までは戦闘が終わると、騒々しい歓声が上がっていたのに、今回はなぜか静まりかえっている。
「?」
 周囲を見ると、全ての剣闘士たちの視線が、一点に集中していた。それは、さっき百合香が放ったエネルギーの流れ弾が当たった、剣闘士の彫像であった。
 氷の人形である彼らの表情などはわからないが、どうもあの巨大な彫像に対して、突然恐れを抱いて狼狽しているように見える。一体、ただの彫像の何を恐れているのか。

 だがその時、百合香は一瞬で事態を悟った。

 よくよく考えてみれば、ここにいる百合香以外の剣闘士は全員、動く氷の彫像である。そして、細身の者もいれば、ゴリラ以上の体躯の者もいる。
 ゴリラがいるなら、象やクジラ並みの個体がいてもおかしくない。

 百合香に戦慄が走る間もなく、その彫像は雄叫びを上げて動き出した。
「グオオオオ!!!」
 低い声が闘技場に響く。その音波だけで吹き飛びそうだった。実際、細身の剣闘士は吹き飛んでいる。
 ワゴン車ほどもある大剣を振り回して、その巨体が闘技場を揺らす。あれは飾ってあるだけの彫像ではなく、れっきとした剣闘士の一体だったのだ。

 巨大な剣は、足元にいた人間サイズの剣闘士たちを、スクラップ処理される空き缶のようにまとめて砕き、押し潰した。こんな一撃を喰らったら、バスケットの練習を数ヶ月休んでいる16歳女子高校生の身体は、どういう事になるのだろう。百合香はあまり考えない事にした。

 どうやら、百合香のエネルギーの流れ弾が直撃したために、あの巨大剣闘士は自分への攻撃だと受け取り、怒りのスイッチが入ってしまったらしい。足元の剣闘士たちはそのとばっちりを受けて、バーのマスターが砕いた氷よろしく床に散乱する事になったのだ。
 私は悪くない。いや、そういう問題ではないが、とにかく考えようによっては、これで逃げ出すチャンスが出来たとも言える。あの巨体が暴れ回っているうちに、自分はこの場を抜け出そう、と百合香は考えて、脱出口を探し出した。出口は2つある。自分が入ってきた通路と、その反対側の―――
「何よ、これ!!」
 思わず百合香は悪態をついた。さっきまとめてスクラップにされた剣闘士たちの「残骸」が、通路を塞ぐように折り重なっていたのだ。こんな、ご丁寧な偶然があってたまるか。

 となれば、入ってきた通路から逃げるより他にない。百合香は踵を返し、砕かれる剣闘士たちには目もくれず駆け出した。
 しかし、床面を巨大剣闘士の足が揺らし、先程の戦闘で脚の疲労が残っている百合香は、不意にバランスを崩して倒れてしまった。
「うあっ!」
 左肘を床面に打ち、微細な氷の粒が顔面に撥ねる。まずい、と思った時にはすでに百合香に、巨大剣闘士の影が覆い被さっていた。
 剣闘士は百合香に狙いを定め、その大剣を振り下ろす。動きはそこまで俊敏ではない。転がって回避できるかと思った時、左腕に激痛が走った。
「あぐっ!」
 どうやら、戦闘か今の転倒で痛めたらしい。今度こそまずい。というより、もう駄目だと観念しかけたその瞬間だった。

 巨大な剣闘士と百合香の間に、大きな影が割って入ると、激しい打音とともに大剣の動きが止まった。
 そこにいたのは、百合香を闘技場に導いた、あのお節介な戦斧の剣闘士だった。驚くべきことに、自分の3倍は身長がある巨大剣闘士の大剣を、その戦斧で受け止めてみせていた。
「!?」
 百合香は呆気にとられた。これはどういう行動なのか。結果的には百合香は「助けられた」形になるが、彼らにそういう感情があるのだろうか。
 ただ、何の根拠もないが、百合香は不思議とここにいる闘士たちに「悪意」を感じなかった。究極的なまでに純粋というか、「一対一の闘い」だけのために存在している、そんなふうに見えた。城の周りや通路を護っていた、あの闘士たちと姿形は同じなのに、なぜなのか。

 戦斧の闘士は、チラリと百合香の方を見ると、再び巨大剣闘士に向き直って戦斧を構えた。
 百合香は、ここでこの場から脱出する機会が訪れた事を知った。あの戦斧の闘士がどれだけ持ちこたえるかわからないが、百合香が逃げ出すだけの時間はあるだろう。
 すでに、戦斧の闘士以外の剣闘士たちは全滅している。もう、今以外に逃げるチャンスはなさそうだった。

 痛む左腕をかばいながら立ち上がると、百合香は戦闘を繰り広げる二体を背に歩き始めた。
 しかし、3歩ばかり歩いたところで、百合香の足が止まってしまった。

 疲労ではない。ただ、なぜか足が歩こうとしない。それどころか、自分でも信じられないことに、百合香の足は再び、闘技場の中央を向いたのだ。

 ―――私は何をしているんだ。

 百合香は自問した。こんな氷の化け物たちが殺し合いをしたところで、自分には関係ない。むしろ、学園をあんな目に遭わせた連中の仲間だ。せいぜい殺し合っていなくなってくれれば、こちらとしては満足なくらいである。

 しかし、理由はわからないが、この戦斧の闘士は百合香を「助けて」くれた。意図は知らないが、結果的にはそうとしか言えない。
 どう考えても、百合香たちにとって「敵」であり「害悪」のはずの存在が、である。

 百合香は、痛みと疲労で考える余裕を失っていた。ただ、身体が自動的に動いていた。相手からボールを奪った直後の、あの感覚だ。
「うああああ―――っ!!!」
 まだ動く右腕で金色の剣を振り上げると、百合香は巨大な剣闘士の剣に向かって思い切り打ち付けた。
 それまで押されていた戦斧の闘士は驚いた様子を見せながら、百合香の加勢で一気に大剣を押し返すことに成功した。
「はあ、はあ」
 さすがに片腕の力には限界がある。しかし、左腕は役に立たない。この、ちょっとした車庫ぐらいある巨体の相手には、女子高生が振り回す剣など爪楊枝みたいなものである。
 だが、この戦斧の闘士との共闘であれば、闘えない事はないらしい。

 戦斧の闘士は百合香の意を汲み取ったのかどうか、百合香ではなく巨大な剣闘士の方を向いて戦斧を構えた。どうやら、百合香を邪魔だとは捉えていないようだ。
 しかし、二人がかりといっても相手は巨大である。どう考えても勝てる気はしない。しかも、水晶みたいに硬いのだ。

 戦斧の闘士は、思案する百合香を無視して一人で巨大剣闘士への間合いを詰めた。
「あっ、バカ!」
 つい悪態をつく百合香だったが、慌てて自分も加勢する。パワーではどう考えても勝てない以上、やはりこちらはスピードで勝負だ。左腕は使えないが、足はまだ動く。

 百合香は右側面に回ると、腰めがけて剣を突き立てた。しかし、いくらなんでもサイズ差がありすぎる。コンクリートブロックをシャベルで砕こうとするようなものだ。
 やっぱり無謀だったのではないか、と今さら考えつつ、百合香は距離を取る。しかし、戦斧の闘士は相変わらず果敢に打ち合いを続けていた。

 やはり、先ほどと同じように、戦斧の闘士と力を合わせる以外にない、と百合香は考える。しかし、戦斧の闘士は相手の攻撃を防ぐので精一杯のようだった。だが、明らかに百合香よりも基礎的なパワーでは大幅に上回る。
 そこで百合香に閃きが起きた。

「―――アンクルブレイクだ!」
 百合香は、バスケットボールで相手の足を崩すテクニック、アンクルブレイクを仕掛けられないかと考えた。そこでまず、戦斧の闘士と同時に、巨大剣闘士の剣を押し返した。
「でええーいっ!!」
 ガキン、と小気味よい音がして、ほんの少しだけ相手の大剣を打ち返す。その隙を逃さず、百合香は巨大剣闘士の左腕を剣で繰り返し打ち付けた。
「オゴオオオ!!!」
 百合香の攻撃に苛立った巨大剣闘士は、百合香を狙って剣を振り下ろそうとした。しかし百合香はそれを待っていたかのように、大きく相手の左後ろに回り込む。剣で狙うには死角となるため、相手は左足を下げて向きを変えようと試みた。
「今だ!」
 百合香は、その足首に向けて剣を打ち付けた。だが、その巨体には何の効果もなかった。それでも百合香はやめない。
 またも、苛立ったらしい巨大剣闘士は、今度は右足を出して向きを変えようと試みた。右足の首が、戦斧の剣闘士の真横に来る。
「今だよ!」
 百合香は、戦斧の闘士に向かって叫んだ。日本語が通じるかどうかはわからない。今度は、足首を指差してみせる。
 百合香のジェスチャーが通じたのかどうか、戦斧の闘士は「わかった」という風に頷いて、巨大剣闘士の足首に思い切り戦斧を打ち付けた。

 相手の大きさからいって、いかに戦斧の一撃といえど、ダメージらしいダメージは期待できない。だが、今は違う。
「ゴエッ!?」
 困惑するような叫びが響いたかと思うと、巨大剣闘士はその体のバランスを大きく崩して、闘技場の真ん中に倒れ込もうとしていた。
「やった!アンクル・ブレイク成功!!」
 アンクルブレイクは、ドリブルに対するディフェンスを動きで翻弄し、文字通り足首の態勢を崩して転倒させるテクニックである。百合香は、そのスピードを活かして巨大な相手を翻弄し、脚のバランスが崩れたところに、戦斧の闘士の一撃を喰らわせて転倒させる作戦に出たのだ。

 そこまでは良かった。だが、この巨体が倒れ込んだら、どれほどの衝撃が起きるのか。瞬間的に百合香は、その場を大きく飛び退くべきだと判断し、後方に床を蹴った。

 百合香が大きく飛び退いた次の瞬間、その巨体が闘技場のど真ん中に倒れ、今まで体験したどんな地震よりも強烈な振動が闘技場と百合香を襲ったのだった。
「うわわわわっ!!!」
 振動する時間はほんの数秒だったが、百合香の軽い身体ではバランスを維持できなかった。だが、ゴリラ以上の体躯を誇る戦斧の闘士は違い、揺れる中を猛然と巨大剣闘士の胴体に上り、首めがけて戦斧を振り下ろそうとした。

 だが、次の瞬間。

 巨大剣闘士の左手が戦斧の闘士を頭から握り、鈍い音が闘技場に響いた。
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