絶対零度女学園

ミカ塚原

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氷巌城突入篇

氷の階段

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 百合香の胸元から、制服をすり抜けるようにして、さっきバス停付近で怪物と対峙した際に現れた、あの炎のボールが再び現れた。咄嗟に、体育館の外から見えない場所に隠れるように移動する。

 なんとなく、この太陽のような球体が現れるパターンがわかってきた。これはあの黄金の剣の「収納箱」みたいなものなのだ。
 そして、おそらくだが、それは百合香が身の危険を感じたり、闘争心が昂ったときに現れている。

 だが、現れたり現れなかったりするのは非常に不安である。これは、コントロールできるのだろうか。

 そう思った時、球体はゆっくりと胸元に吸い込まれるように消えて行った。

「これは…私の気持ちに反応しているの?」
 
 状況を整理するため、百合香は言葉にしてみる。どうやらこの「太陽」は、百合香の意思によって操作できるらしい。
 ふと、立って凍結している南先輩と目が合った。

「…先輩」

 百合香は、静寂と闇が支配する体育館で、決意したように足に力を入れる。ゆっくりと、コートの真ん中に立つと、すうっと息を吸い込んだ。
 先輩たちは生きている。学校の、凍結しているように見える人達も、全員生きている。

 そう、断定することにした。

 もし、今まで一緒にいた人達、好きな人も嫌いな人たちも、全員が一度に死んでしまったというなら、それはあまりに衝撃的な事だ。耐えられそうにない。
 だから百合香は、まだ彼女たちは生きていて、救えるのだと考える事にした。

 根拠は何もない。しかし、あの試合で百合香をスモールフォワードに抜擢したコーチや先輩だって、百合香が中学でエースだったというそれだけの根拠しかなかったはずだ。
 ならば、私にこの状況を覆せないという根拠も、どこにもない。

 静かに、胸元に心を集中させる。すると、その呼びかけに応えるように、炎の塊が、今度は迷いのない動きで眼前に現れた。
 百合香はその表面にそっと手を当てる。炎の塊、太陽は、一瞬ピンポン球のように収束し、光が弾けるように再び黄金の剣の姿になった。

 いや、よく見ると先程と色味やデザインが違う。先程の、見ようによっては品がないと言えなくもなかった黄金の両刃の剣身が、もっと落ち着きのある金色に変化したのだ。それはあたかも純度の低い金から、24金に精錬されたような印象だった。
 柄のデザインも、先ほどの刺々しさが見られる角ばったものから、まるで品位の高い指輪のような形状に洗練された。

『純度が低ければ金のアクセサリーでもいつか濁る。でも、限りなく純度が高くなれば、卑金属と勝手に私達が呼んでいる、鉄だってほとんど錆びなくなるのよ』

 子供の頃、母親が説明してくれた事を思い出す。
 私は純金か、それとも鉄か。どっちでもいい。目的を果たせるのなら、金でも鉄にでもなろう。百合香は、金色の剣をその手に静かに握ると、南先輩の前で胸元に掲げた。
「一人の試合は不安だけど、行ってくるね、先輩」



 行ってくるとは言ったものの、どこに行けばいいのか、勇んで体育館を出た百合香は早々に頭を抱えた。そもそも結局のところ、まだ事態の全容は全くわかっていないのだ。

 勉強の要点をルーズリーフにまとめるように、百合香は現在の状況を整理することにした。

・冷凍庫より寒い。
・たぶん町全体が凍結している。
・人も凍結しているが、生死不明。
・超巨大な城が現れた。
・氷か水晶みたいな怪物が現れた。
・大人の女の人の声が指示してきて助かった。
・自分の身体から太陽が出てきた。
・太陽が剣になった。
・ガラスに自分そっくりの美少女が現れる。
・どうやら職員室の、たぶん先生に無事な人がいる。

 他にも細かい事は色々あるが、大まかにはそんな所だろう、と百合香は頭の中で考えた。
 そこで最大の疑問は、そもそもあの城は「誰が」造ったのか、という事だ。

 校舎は教育のため、あるいは私立なら経営の意味もあって建てられる。病院は医療のために。本屋は本を売るために。全ての建造物は、目的があって建てられる。
 では、城は何のために建てられるものか。

「…支配するため」

 百合香は、古今東西の城に共通する、その目的を呟いた。城は、その場所を支配、統治するための拠点として造られる。
 では、何者かがこの土地を支配するために、あの城を造り上げたというのか。政令指定都市とはいえ、中心からだいぶ外れた山間の土地を支配してどうするのか。しかも、人間をカチコチに凍結させてしまっては、税の取り立ても出来なくなりはしないか。

 冗談はともかく、ひとつだけわかっている事がある。これは、獣の群れが力と本能に任せてナワバリを作ったのではない。明らかに、高度な知性を持った何者か、それも超常的な力を持った何者かによって、おそらく計画的に引き起こされた事態である、ということだ。
 自分の胸から炎の塊が飛び出したり、声がしたり幽霊か何かがガラスに映ったり、全てが通常の理解を超えている事はわかりきっている。もはや問題は何が起きているかというより、何者が引き起こしたか、という点についてだ、と百合香は考え始めていた。

 答えが見付からず、特にあてもなくもう一度職員室に戻ると、百合香は教員のデスクの電話から受話器を持ち上げてみた。有線ならひょっとして、外に通じるかも知れないという期待を持ったのだ。
 しかし、それは無駄だった。受話器は本体に凍結して張り付いている。そもそも停電していて、本体が動いていないのだ。

 だいいち、こんな異常事態に警察や消防、あるいは自衛隊だって、動かないわけがない。理由はわからないが、どうもこの学園あるいは一帯が、外界と隔絶しているらしかった。

 再び、百合香は先ほど見た、誰かが座っていたらしい応接スペースのソファーの凹みを見る。
 スリムで形のいいヒップだ。そして注意深く見ると、女性用のショーツの型が見える、ように思える。
 
 といっても、女子校なので女性教員は何人もいる。しかもヒップの形なんて、よほど太ってもいない限り、特定しようがない。ソファーの跡で女性を特定できるのは、どちらかと言うと変態ストーカーおじさんの部類だろう。

 しかしそこまで考えて、百合香は改めて気が付いた。さっき体育館まで移動する最中、足音も立てたし、あのガラスの少女に向かって声を張り上げもした。
 にもかかわらず、誰も百合香の存在に気付いている様子がない。これだけ静かなら、隣の棟にいたって気が付くだろう。

「…この人はすでに校舎にはいない」
百合香は、そう結論付けた。それ以外に説明がつかない。おそらく校舎はさっき見てきたように、周囲を氷に閉ざされて出ることはできなかった。百合香が穴を開けて侵入する前にこの女性がここを移動したと言うのなら、どこに移動したのか。
 昇降口や窓から外に出られないというのなら、校内に出られる場所はもう特定されたように思えた。
「…上か」
 それしかない。そして、教員なら屋上への鍵の場所も知っている。推測だが、その教員は屋上からの脱出を考えたのではないか。

 百合香は、まず今いるA棟の屋上に至る階段を上ってみた。すると床に、ドアを開けて凍結した床面を引いた跡がある。驚きながらも、その痕跡を観察した。
 しかし、百合香は奇妙なことに気付いた。今まで見てきたドアや窓は、極低温で張り付いて、動かせなくなっているものがほとんどだった。なぜ、このドアは開けられたのだろう。
 そう思ってドアノブに手をかけると、百合香はまたも驚いた。やはりドア全体が凍っているのだ。ドアノブは軸自体、凍結して回せなくなっている。鍵を差し込めたとも思えない。どうやって、「彼女」はここを通過したのだろう。

 そこまで考えて、百合香は背筋が凍り付くのを感じた。
「…このドアの鍵はどうやって取り出したんだろう」
 百合香は、いつも先生が準備室などの鍵を取り出す、職員室の壁掛けスチールケースを思い出していた。あの中に、屋上への鍵もあったはずである。
 しかし、あのスチールケースだっておそらく、他の物体と同様に凍結していたはずだ。南先輩の手にあった鍵は、斜めに振れた状態で硬直していたのだ。まるで時間が止まったかのように。

 どうやって凍結したケースを開け、鍵を取り出し、鍵を開け、ドアノブを回して外に出たのか。


 それはつまり、凍結状態をコントロールする方法を知っている、という事に他ならないだろうか。


 百合香はひとつの、空恐ろしい推理に到達した。

 この、異常現象を事前に知っていた人物が、学園内にいたのではないか。

 こういう事態になる事を知っていて、自分は何らかの知識によって、その影響から逃れ、屋上からどこかに消えた人物だ。

 でなければ、ここまで冷静な行動は取れない。恐怖に我を失って脱出を考える人間が、こんなふうにドアをきちんと締めて脱出するなんて事、あるわけがない。ドアを開け放したまま大声を上げて外に飛び出し、助けを求めるのが普通だろう。

 しかし、あの応接スペースのソファーに座っていた人物は、凍結現象に学園が見舞われた事を確認すると、慌てる事なく屋上へのドアの鍵を準備し、おそらく百合香が最初の怪物と戦っていた時間に、悠然と屋上に出たのだ。

 そして、外にいた百合香は校舎から誰も出てこなかった事を知っている。この状況から導かれる結論は、たった一つしかない。


 その何者かは、屋上からあの城に上ったのだ。


 つまり、ソファーに座っていた何者かは、あの「城」側の人間、ということだ。

「…裏切った、という事なの」
 そう呟く百合香の声は、かすかに怒りで震えていた。

 あの城は何の目的か知らないが、突如現れてこの学園の平穏を奪った。それを知っていながら、それを当然のこととして看過し、自分は ―おそらく安全な― あの城に移動したのだ。

 一体、あの城には誰がいるのか。何があるのか。

「――――許せない」

 百合香の剣を握る手に力が入る。それに呼応するかのように、剣は白金色の輝きを放ち始めた。

 何の目的があるのか知らないが、学園をこんな目に遭わせる者に、正義なんかある筈がない。たとえ神様がそう言ったとしても、私は認めない。

 百合香は、居合抜きのような姿勢で剣を構え、ドアノブめがけて一閃した。
 ドアはノブごと水平に切断され、その断面を中心にドア全体がバラバラに崩れ落ちた。屋上への出口が開いたその先には、青紫色に鈍く光る氷でできた、天に向かって延びる階段が見えていた。

 もはや、選択肢はない。私はこの剣を携えて、あの城に乗り込むのだ。百合香は、そう心に決めた。あの城の正体を解き明かし、可能なのかはわからないが、みんなを助ける。
 百合香は、不気味に浮かぶ城の底部に延びる階段を睨んだ。ここを上れば、あの城に入れるかも知れない。

 だが、どう考えても安全な場所には思えない。そもそも中には何がいるのか。さっき現れたような怪物が、何体も蠢いているのではないか。
 そして城であるなら、「長」がいるはずだ。それは一体、何者なのか。さらに、この学園の人間でありながら城に逃げ込んだ「X」の正体は。

 そして、入ったら生きて出られるのか。

 いざ階段を前にして、16歳の少女の足がすくんだ。一人の女子高生に何ができるのか。アテになりそうなのは、右手に握った金色の剣だけだ。
 こんなに緊張するのは、いつ以来だろう。百合香の脳裏に浮かんだのは、南先輩とLINE交換してから、初めてメッセージを送った時だった。どんな文面なら気を悪くされないか、二言三言のためにさんざん時間をかけて考えた挙げ句、送信ボタンを押す決断にさらに時間を要した。正直、県大会に出た時の百倍緊張した。

「…あの時に比べたら」
 百合香は剣を構え、かすかに震える足を踏み出す。
 
 行くぞ。

 そう、心で呟くと、ゆっくりと階段に近寄って、一段目に足をかけた。氷でできてはいるが、不思議と滑る様子はない。
 城の底部には入り口のようなものが見えるが、暗闇で下からは見えない。上っても入れるかどうかはわからない。
 しかし、閉じているならまたこの剣で切り開いてやる、と百合香は思い、その自分自身の勇気に驚いていた。

 一段、一段と上るごとに、城は近付いてきた。
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