絶対零度女学園

ミカ塚原

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氷巌城突入篇

Luminousus

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 百合香は聖剣アグニシオンを輝かせて、広い円形ホールの、いま倒した氷の巨鳥が降りてきた天井を照らしてみた。
「…高い」
 百合香は呟く。剣の輝きは大型のLEDライトより強いくらいだが、それでも空間の天辺には届かないらしい。吹き抜けにも似ているが、これだけ派手に戦っても、上からは物音ひとつ聞こえない。
「上はどこかに繋がってるわけじゃないのかな」
 調べてもそれ以上の事はわからない。螺旋階段でもついていれば上層に上がれそうだが、何もない。百合香は仕方ないので、さらに奥へ続く通路を進む事にした。


 相変わらず乱雑に切り出した通路を進む。壁面の鈍い青紫の光による視界は厳しいが、逆に敵からもこちらが見えにくいのは好都合だった。検査で毎回2.0を誇る視力に、百合香は感謝した。
 しかし、そこで百合香は妙な事に気付いた。何気なく髪を整えた時、やけに自分の髪が明るい色に見えたのだ。
「ん?」
 百合香は自分の長い髪を持ち上げて、首の手前に持ってくる。
「……なんで」
 錯覚ではない。地毛そのものが明るいブラウン気味のせいで、今まで地毛証明だとかを学校に提出したり、面倒な思いをしてきたのだが、もはやブラウン気味だとかのレベルではなく、完璧なブロンドになってしまっているのだ。
「……!」
 どういう事なのか。もともと、顔立ちが少しだけ西洋人ぽいせいで、意地の悪い人達には気持ち悪いとか陰口を言われてきたが、ついに髪まで西洋人になってしまった。
 この暗黒の氷巌城で生活指導の教師に出くわす心配もないだろうが、もし全部解決して日常生活が戻った時に、このままだったらどうなるのか。
「…まずい」
 自他の生死がかかっている魔物の城攻略の最中に、髪がブロンドになった事を心配する自分の余裕も凄い、とは百合香自身も思う。

 百合香は、慌てて周囲を見回した。そして、比較的平らな鏡面になっている壁面を見付けると、近付いて剣を発光させる。
「……」
 水晶のような光沢の壁面に、自分の姿が映る。深い青紫の鏡でも、見事なブロンドである事がハッキリとわかる。
 しかし百合香は、なぜかその姿が、今までよりも自然に思えた。もともとブロンドだったのではないかと思えるくらい、違和感がない。
「…あまり変な事が連続してるせいで、髪の毛までショックで変わっちゃったのかな」
 不意に百合香は笑ってしまう。

 その時だった。

 暗い鏡面に映る自分の背後に、またしても、それは姿を現した。ここまで激闘の連続で、移動中はうっかり忘れかけていた。
 
 自分によく似た、黒髪の美少女。
 校舎にいた時から、姿は見えても実体がない、幽霊のような少女。

「あなた…」
 百合香はその時、心臓が止まりそうな驚きと同時に、なぜか安心感のようなものを覚えていた。

 少女は、百合香のブロンドの髪に、指を滑らせる。まるで人形を愛おしむように。

『ユリカ、やっと会えた』

 声が聞こえた。自分によく似た声だ。同じなのかも知れない。
 驚いた百合香だったが、今度こそ、繰り返し現れる謎の少女の正体を突き止めてやろう、と考えた。

「あなたは、誰」
 百合香は訊ねる。もはや、様々な事が連続しており、鏡の中の人間と会話をする程度で動じる百合香ではなくなっていた。
 少女は首をかしげた。
「あなたの名前は?」
 百合香は再び訊ねる。すると、少女の口が動いた。
『名前がないの、私には』
「どういうこと」

『私達には姿も、声も、名前も、何もない。だから私は、あなたの姿を真似た。美しい、あなたの姿を』

 少女は、とつとつと語った。まるで、子供と話しているようだと百合香は思った。
「姿がない…まるで氷魔のようね」
『氷魔。私達をそう呼んでいるのね』
「あなたは氷魔なの!?この城の奴らの仲間なの!?」
 つい、百合香は激昂した。少女はびくりとして顔を背ける。
『怖い、怖い。怒らないで』
 それが本物の怯えに思えたため、百合香はとたんに妙な罪悪感を覚えた。
「…ごめんなさい」
『百合香。あなたは、友達を助けたいのね』
 突然、意外な事を少女が言ったので、百合香は目を丸くした。
「何を言っているの?」
『あなたの大切な人達。髪の短い人、眼鏡をかけた人。あの人達を、助けたいのね』
 まるで、百合香の心の内を読んだかのように少女は言う。どう答えればいいのか、百合香は迷った。
「…助けたいわ、もちろんよ。でも、あなたには関係ない」
『そんな事言わないで』
 少女は、百合香の首に両腕を回す。鏡に映る姿しか見えないが、その感触が確かにあった。
『百合香。わたしは、あなたが氷魔と呼ぶ存在。だけど、ひとつだけ違いがある』
 少女は、今までより強い調子で語り始めた。

『私は、人間になりたいの』

「え!?」
 百合香は思わず声を出した。
「いま何て言ったの?」
『私は、人間になりたい。この、形のない曖昧な存在から、形のある存在に移行したい。あなたのような美しい人達と一緒に、”人生”というものを送ってみたい』
 百合香はまたも面食らった。
「…唐突にそんな事言われても、私にはどうすればいいのか、わからないわ。何をしてあげられるのか」
 そう答えたが、少女は微笑を浮かべたままだ。百合香の次の言葉を待っている。
「怒っているわけではないけれど。あなたが、私の敵ではないと、どうやって証明するの?」
『証明。そう、人間の世界ではそういうものが必要なのね。不便だわ』
「あなた、人間になりたいんじゃないの!?」
 またしても百合香は大声を上げてしまった。
「矛盾してるわ。それとも、あなたの世界に『証明』は必要ないとでもいうのかしら」
『じゃあ聞くけれど、証明って何をすれば証明になるの?』
 いきなりそんな方向に話を持って行かれて、百合香は頭がくらくらし始めた。
「哲学の問答をしてる時間はないわ」
『哲学!知ってるわ。あなたが時々読んでる本』
「…え?」
 百合香は、ぎくりとした。
『あなたが読んでた、デカルトという哲学者の本にあったわね。”方法的懐疑”という理論。真実に到達するためには懐疑的になる必要がある、という解釈でいいのかしら。では、私が信用できる事を証明するには…』
「ちょっと待って!どうして、私が読んだ本を知っているの」
『私、あなたと学校でいつも一緒にいたのよ。最近やっと気付いてくれたみたいだけど』
「な…」
『あなたが学校で読んでた本、みんな覚えてるわ。詩、というのも好きなのよね。サッフォーの”アフロディーテ讃歌”を繰り返し読んでるけど、あそこが特に好きなのかしら。そういえば、小説っていうのを書いてた事もあるわよね。主人公は、魔女のルミ…』

「スト―――ップ!!!」

 顔を真っ赤にして百合香は、鏡の中の少女を遮った。
「プライバシーの侵害だわ!一体どこまで…」
『プライバシー!それも人間の概念ね!』
「いちいちキーワードに反応しないで!!」
 なんなんだ、この幽霊少女は、と百合香は思った。話していると気が狂いそうになる。
「学校でいつも一緒にいるって、どこからどこまで…」
『映るものがある場所なら、どこでも。トイレ、と呼ばれる場所では中まで覗けないけれど、あそこは何をする場所なの?』
「ちょっと黙って」
 百合香は、壁にもたれて座ると深呼吸をした。
「あなた、だんだん性格が変わって来てるわ」
『当然よ。こうして、あなたと会話するのは初めてだもの。私は、あなたの姿を模倣して今のイメージを創り上げたの。性格も、だんだんあなたに似てきているという事よ』
「私はあなたみたいに失礼な人間じゃないわ」
『そうかしら。それとも人間は、自分の事が自分でわかる存在なの?』
 なんて嫌な絡み方だ。自分は間違ってもこんな理屈っぽい少女ではない、と百合香は心の中で必死で否定したが、そういえば南先輩に「話がクドい」と言われてショックを受けた事はある。
「氷の化け物と戦ってる方が百倍ラクだわ」
 百合香はつい、そう悪態をついた。
「いい。わかった」
『何が?』
「あなたが、少なくとも他の氷の化け物とは違う、という事よ」
『当然だわ。彼らは根本的な矛盾を抱えた存在だもの』
 その言葉に、百合香は何か引っかかるものを感じた。
「どういう意味?根本的な矛盾、って」
『この城を奥まで進めば、嫌でも知る事になるわ。進めれば、の話だけど』
 その少女の言葉に、百合香は沈黙した。
『あなたの、目覚めたその強大な力は、確かにこの城にとって脅威だわ。けれど、上に行くごとに相手は強くなる。少なくとも今の程度の強さでは、途中で死ぬでしょうね。せめて氷の彫像になれればいいでしょうけど、二目と見られない姿で死ぬ事だってある』
 だいぶ恐怖を煽ってきているが、確かに今までそんな不安がよぎる場面は何度もあった。百合香は、自分の最期というものを創造して身震いした。
「…じゃあ、あなたは何かできるっていうの。あなたは要するに、人間になって、私たちの世界に来たい、そういう事よね」
『うん』
「それなら、私が氷漬けになってあの世に行った時点で、あなたの目論見は崩れ去るわけよね」

『全くその通り。だから私は、あなたに力を貸そうって言ってるの』

 あっけらかんと少女は言った。百合香は訊ねる。
「力を貸す?」
『そう』
「何ができるというの」
『あなたに出来ない事が私にはできる。と思う』
 最後の一言が余計なのではないか、と百合香は思った。
「なんで曖昧なのよ」
『だって、私には姿がないのだもの。実際に”現れて”みないと、何ができるかはわからない』
「現れるって…肉体がないのに、どうやって現れるつもりなの」
『その方法を考えてるんだよね。今のままじゃ、私は単なる精神体』
 もう、わけがわからない。実体がないのに、どう協力するというのか。百合香は、これ以上話しても埒が明かないと思って立ち上がった。
「とりあえず、あなたの事は心に留めておく。でも、今は私は先に進まないといけない」
『ふうん。仕方ないわね』
「…ひょっとして、この城に入ってからも、私の事見てたの?」
 一番気になっていた事を百合香は訊ねた。少女は答える。
『もちろん』
「あなたとコンタクトを取るには、鏡を見ればいいのね」
『え?いやだなあ、もうそんな必要ないわよ』
 その少女の返答に、どういう意味だろうと百合香は思った。

『もうすでに、私の魂はあなたとリンクしている。ずっと一緒よ』

 百合香に悪寒が走る。
「それってどういう意味?」
『もう、あなたの心の中に私がいるって事。離れられないわよ』
「そんな契約した覚えはないわ!どんな魔法か知らないけど、出ていって!鏡でお話すれば、それでいいじゃない!」
 百合香は叫ぶ。自分と常に他の誰かが精神を共有するなんて事、あってたまるか。トイレで用を足す時でさえ、一緒だという事だ。
『魔法!すてきな言葉だわ。うん、私、人間になったら魔女になりたい』
「残念だけど魔女の仕事はないわね。私の国では」
 気を紛らすために軽口を叩く百合香だったが、その時何か、妙な音に気がついた。

 ズルリ、ズルリ、という何かを引きずるような音が、通路の奥から聞こえてくる。百合香は身構えて、胸に意識を集中した。炎が噴き出し、鎧となって百合香の全身を包む。
「何か来たみたい」
『大声出すから』
「誰のせいよ」
 言いながら、剣を構えて音がする方を睨む。それは、確実にこちらに近寄ってきた。

 10メートル。5メートル。だんだん近づいてくる。そして、やがて影が見えた。
 床面から鎌首をもたげるように立ち上がったそれは、人間型ではない。といって、鳥や動物でもない。すると、何かシュルリという音がして、百合香はものすごく嫌な予感がした。
 
 それは、百合香に気付くと、一瞬で襲いかかってきた。

「あっ!」
 とてつもないスピードだった。その長い影は、全長6メートル以上はある。それが、うねるように百合香に飛び掛かってきた。すんでの所でかわした百合香は、至近距離でようやく相手の正体を理解した。
 
 それは、蛇だった。やはり氷でできているらしい。氷が繊維状になっているのか、無数の鱗になっているのか、それはわからないが、とにかく氷の巨大な蛇だ。
「シャアッ!!」
 休む間もなく、蛇は百合香に飛び掛かってくる。速い。
「あぐっ!」
 強烈な体当たりを喰らって、百合香は激しく壁面に叩きつけられた。さすがに今度ばかりは、少なからず全身に衝撃が走る。剣を取り落し、百合香は床面にドサリと投げ出された。
『百合香!』
 少女の声が響く。
「これぐらい…」
 百合香は、必死で立ち上がる。だいぶ休んではいたが、だてにバスケットで鍛えてはいない。剣を拾うと、即座に斬りかかった。
「せいやーっ!」
 大蛇の首めがけて炎の剣を斬りつける。しかし、相手は蛇である。動きの予測ができない。百合香の剣は、すぐにかわされた。逆に、蛇はその全身をくねらせて百合香の全身に巻き付いてきた。
「うああっ!」
 腰と首を同時に締め付けられ、百合香はその圧力に耐えきれず叫んだ。
『百合香!しっかりして!』
 少女の声が聞こえる。しかし、百合香は動けなかった。どうにかして、この状況を打破しなくては。

 その時、百合香に浮かんだのは、バスケットボールのスティールだった。相手のボールを奪い取る。今の場合、自分自身がボールである。相手の手からボールを奪うには、どうすればいいのか。
「こ…の」
 百合香は、遠のきそうな意識の中で、全力で剣に力を込めた。剣は激しく発光し、剣身から炎の塊が飛び出す。炎の塊は、弧を描くように飛びあがると、ブーメランのように百合香の身体ごと大蛇を打ち付けた。
「シャアッ!!」
「あうっ!」
 蛇の出す音と百合香の悲鳴が重なり、そのまま両者は弾き飛ばされて壁面に当たった。
「いたた…バスケの試合なら、もろにファウルだわね」
『とんでもない無茶するわね』
「この程度で参ってちゃ、試合には勝てないわ」
 体育会系の美少女、百合香は心の中にいる「もう一人の自分」に不敵に笑ってみせた。
「うっ」
 相手もダメージを受けているが、さすがにこちらにもダメージがあり、背中に痛みを覚えて百合香はバランスを崩した。
「…今度こそ、仕留める」
 その時だった。
『百合香、私に代わって』
「え?」
『私に、あなたの身体を貸して。私の力なら、きっとそいつを倒せる』
 百合香は、ふらつきながら少女の言葉を聞いていた。
『あなたがそいつにダメージを与えた、いまが交代のチャンスよ!』
「どうすればいいの」
『私の名前を呼んで!』
「名前なんてないんでしょ」
『あるわ。いま決めた』
 少女は断言した。

『私の名は、瑠魅香』

 ルミカ。少女はそう名乗った。その名前は、百合香がよく知っている名前だった。
「その名前は…」
『早く!私を呼んで!』
 少女は急かす。ダメージを負った大蛇が、再び百合香に狙いを定めて動き始めた。

 百合香は、少女を信じてその名を―――百合香だけが知っていたはずの名前を呼んだ。

「きて、瑠魅香!」

 百合香の叫びが、暗闇の通路にこだまする。次の瞬間、百合香の全身は赤紫の炎に包まれた。

 その激しい炎が収束した時、中から現れたのは黒髪の少女だった。その全身は深い紫のドレスに包まれ、黒い髪の上には、広いツバの三角帽子が乗っている。その手には、銀色に光る巨大な杖が握られていた。

 それは、かつて百合香が頭の中で思い描いた、魔女の姿だった。
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