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3巻
3-1
しおりを挟む一 薔薇の魔法で眠る人
夜遅く、私――リリー・ルージャは屋敷の居間で針仕事をしていた。
「んー、今日はここまでかなぁ」
仕上げたばかりの刺繍を明かりに透かして確かめ、私は小さく息を吐く。
結婚式に花嫁が身に着けるウェディングヴェールを作ってみようと意気込んでいるのだけれど、予想外に時間も手間もかかるんだなぁ。刺繍は得意なものの、いつもの作業とは勝手が違って難しい。
今取りかかっているのは、かがり縫いの作業。これが想像以上にてこずっている。生地が薄くて柔らかいぶん、下手な場所に針は入れられない。でも、しっかり縫わないとすぐに解れる。その上、ちょっとでも強く生地を引っ張れば、あっという間に皺が出来てしまう。
こんな気の遠くなりそうな作業だけど、投げ出すことなく夜に少しずつ進めている。その理由は、作ったウェディングヴェールをいつか、可愛い娘のジルにあげたいからだ。
ジルは、私の雇い主である魔法使いレオナール・マリエル様の養女。
まだ六歳だけど、見習い魔法使いになるほどの実力と魔力を持った女の子だ。ストロベリーブロンドの髪に、空みたいに青くて大きな目を持った可愛い子で、私のことをお母さんと呼んで慕ってくれている。
私はジルの母親代わりとしてレオナール様に雇われているけど、仕事なんて関係なくジルを愛しい自分の娘だと思っていた。
ジルは、生まれ持った強い魔力のせいで、実家の子爵家で幽閉されていたらしい。実際、初めて出会った時には酷く痩せていた上、人に怯えるような素振りを見せていた。今は可愛らしい笑みを浮かべてくれるし、体も少しずつ成長している。けれど、以前受けていた仕打ちは、まだまだジルの心に傷跡を残しているようで、時々不安そうな様子を見せることがあった。
そんなジルに、私がなにをしてあげられるかなって考えて思いついたのが、ウェディングヴェールを作ること。
何年も根気のいる作業を続けて作るヴェールは、愛情がないと出来ないでしょう? 嫁ぐ時にこれを見れば、ちゃんと愛されていたって実感出来るかなって思ったんだ。この考えは、前世で読んだ本の受け売りなんだけどね。
あ、今、前世って言ったように、私はいわゆる転生をしている。日本の高校生だったある日、神様の喧嘩に巻き込まれて死んだ私は、一生重い後遺症を抱えて生き返るか、転生するかの二択を与えられたんだ。
当時の私の家は父子家庭で、下に二人の妹弟がいて、生活が結構厳しかった。そんな中で、一生ものの後遺症を背負って生きることは選べない。
だから、私は神様に、残していく愛しい人たちが『幸せ』であるように見守ってほしいとお願いして転生をしたのだ。
本当は元の世界で生きたかったし、家族と普通に生活して幸せになりたかった。でも、その道を選んだら、私が私自身を許せなくなりそうで怖くて逃げたんだ。前世で恋人だった、あの人からも。
私は今の人生では、恋だけはしないと決めている。大好きだったあの人と一緒に苦しくとも生きることを選ばなかった私が、他の誰かと生きる権利なんてないと考えているのだ。それに、まだ心の奥の方で、『私』が彼を好きだって叫んでいるから。
正直に言って、自分でも相当歪んでいると思う。だけど、レオナール様はその歪みも丸ごと受け入れてくれるんだよね……
彼に、前世の話は出来ていないし、誰にも話すつもりはない。だけど、私が秘密を持っていると知っているのにそれごと受け入れてくれるんだから、レオナール様は度量が広いよね。そんなレオナール様だから、私もずっとここで働けたらって思っているんだ。
「あ? リリー、こんな時間になにやってんだ?」
「シドさん」
ひと息ついた時、居間に顔を覗かせたのは、レオナール様と契約している精霊のシドさんだった。
短くてツンツンはねた銀髪に、レオナール様と同じ金の瞳。男性らしい整った顔のシドさんは、人好きのするイケメンさんだ。彼とそっくりなレオナール様もとんでもないイケメンだし、他に契約している二人の精霊さん――ミリスとアムドさんだって凄い美形だから、もう美形には慣れたというかなんというか……
そんなことを考えていると、シドさんが渋い顔で言い出す。
「……もうちょい危機感を持てよ」
「え?」
「夜更けで人に会う確率が低いとはいえ、今リリーが着てるのは寝間着だろ? いくらガウンを羽織っているからって、そんな薄着でリビングにいるんじゃねーよ」
あ、なんだかお兄ちゃんみたい。思わず笑えば、シドさんの眉間に皺が寄る。
「今更ですよ。それに、もっと際どい恰好で部屋に攫われたこともあるので」
あれ、なんかシドさんが固まっちゃった。数拍おいてから、まさかという表情で彼が口を開く。
「……その相手って、マスター、か?」
「ええ、ジルについて教えてくださった時に。あの時はガウンを着る暇もなく、かろうじてショールを羽織りましたからね。寝室に呼ばれていたらちょっと駄目ですが、さすがにそれはなかったので」
私の説明に、シドさんは納得した様子だった。だけど深いため息を吐いている。
「……それにしても……はぁ……」
「レオナール様相手に危機感を持てと言われても困りますよ? そういった意味で呼ばれれば別ですが、基本的にメイドとして、レオナール様の望むままにしますから」
「それで襲われたらどうするんだ!!」
「レオナール様に?」
「……」
あ、黙った。そうだよね、あの女性嫌いというか、女性不信のレオナール様だよ? 私には心を許してくれているけど、あくまで家族って枠に入れているからだと思うし。
言いくるめられかけたシドさんだけど、やっぱり苦い顔をしている。
「だが、今は俺がいるんだぞ」
「え、シドさんは、レオナール様に顔向け出来ないようなことを私にしないでしょう?」
「それは、俺を男として見てないって意味か?」
低い囁きに、私は一瞬だけ息を止めてしまった。
「信頼してるってことですよ」
シドさんの呟きには、なにかが秘められているような気がしたけど、これしか言えない。
「じゃあ、俺を男として見てはいるんだな?」
「シドさんは頼りになる素敵な男性です」
「……なら、今回はこの辺で勘弁してやるか」
ひとまず矛先を収めてくれたシドさん。ホッとしたけど、彼が急に隣へ腰を下ろすから距離が近くなって、内心どぎまぎした。
その上、顔を近付けて、興味深そうに私の手元を覗き込んでくる。
「で、それは刺繍か?」
「ええ、いつかジルが嫁ぐ時に被るヴェールを作ってます」
「見事なもんだな」
称賛の声がこそばゆくて笑ってしまう。シドさんが見終わってから使っていた道具を片付け、ヴェールに癖がつかないようふんわりと丸めて箱に入れる。ふたつとも、部屋の棚にしまい込めばジルに気付かれることもないだろう。あの子には裁縫道具の類だから触らないでねってお願いしているし、約束を破る子じゃないもの。
「そういやリリーは、さっきみたいな刺繍のある服は着ないよな」
「普段の仕事じゃすぐに汚れますので。機能的な服の方が好きなの」
「でも女の子なんだから、たまには着飾ってもいいんじゃねーの? 買ったりしないのか?」
うーん、そう言われてもなぁ。着飾ること自体、あんまり好きじゃないし……
「ジルには色々着せたいなって思うけど、私自身は登城の時に着るドレスで充分です。それに自分で買ったり作ったりしなくても、レオナール様に散々買ってもらいましたからね」
ミリスとレオナール様がノリノリで選んで、いらないって言っても止めてくれなかったんだよね……って、なんでシドさん、ちょっと機嫌悪そうなの?
「マスターに買ってもらった服、な」
「え、ええ……」
なにがシドさんの癇に障ったんだろう。つい身構えてしまう。
「なにか問題がありましたか?」
私の問いに、シドさんは背筋に冷たいものが走りそうな、寒々しい笑みを向けてくる。こんな顔をされてもですね、言ってもらわなきゃわからないんですけど……
「本気でわかんねーの?」
「ええ」
じっと見つめていたら、シドさんは苛立ったみたいに頭を掻き乱した。
「リリーは、男が女に服を贈るのは、脱がせたいからだって聞いたことねーのか?」
「……は?」
意味を理解するのに三秒かかった。……え、シドさんなにを言ってるの?
「ありえないですよ、レオナール様がそういった理由で服をくださるなんて」
「なんで、そう言い切れる?」
「だって脱いだら、似合っていたのにってしょんぼりされたので」
そう言ったところ、シドさんは転がるようにソファーから滑り落ちた。
「はああああ? おま、ちょ……!」
シドさんは耳まで真っ赤だ。嘘はついてないんだけど、そんなに反応をされると困ってしまう。
「し、シドさん大丈夫ですか?」
「大丈夫なわけないだろ、脱いだってどういうことだよ!!」
「だって、食事を作る時に汚したら嫌じゃないですか。動きにくいですし。仕事をするためにいつもの服装になるのは駄目でしたか?」
「……」
わぁ、今度は呆気に取られた顔になった。シドさん、表情豊かだなぁ。
「……脱いだって、着替えたって意味かよ……」
「それ以外になにが?」
首を傾げて聞き返す。うん、まぁ、本当はシドさんがなにを言いたかったのかくらいは気付いている。でも、すっとぼけます。
きょとんとした表情を心がけてシドさんを見つめれば、彼がうっと言葉に詰まるのがわかる。
「だっ……くそっ、わかっててとぼけやがって! 言えねー!!」
よし、勝った。このままうやむやにしてしまえ。この話題はこれ以上は禁止! 終了!
私が内心でそんな宣言をしていたら、ふいにシドさんがまた口を開いた。
「……なぁ、リリー」
「なんでしょうか」
「俺がドレスを贈ったら、着てくれるか」
……ん? さっきの話をした上でその発言?
「嫌です」
「なんでだよ」
「男性が女性に服を贈るのは脱がせたいからって言ったのは、シドさんでしょう? それを聞いたあとに受け取るのは気が引けます」
……開き直って言ったら、黙っちゃった。なんか凄く嫌な予感がする。
見つめれば、シドさんの目に確かな熱が宿っているのに気付いてしまった。今まで私が恋の相談に乗ったメイドたちにも散々見た、その熱の名前を言うことは出来ない。
気付いたとバレてしまったら、もうなかったことには出来なくなるから。
「そういえば、どうしてシドさんはここに? こんな時間ですし、レオナール様もお休みだと思うのですが」
私はなにも知らないフリをして、別の話を振る。
色々考えすぎちゃうとアレだしね、と自分に言い聞かせていると、ああ、と小さな声が返ってきた。
「そういや、リリーがまだ起きてるなら呼んでほしいって言われていたんだっけな」
「それを先に言ってください!」
ちょ、急いで行かなきゃ駄目じゃない!
「レオナール様、お待たせいたしました。遅くなってしまい申し訳ありません」
慌てて訪ねた部屋の中、柔らかなランプの光に照らされたレオナール様は、いつもと少し違う神秘的な雰囲気を醸し出していた。
彼の、腰に届くほど長い、艶やかでまっすぐな黒髪には天使の輪が浮かんでいる。ゆったりとした寝間着に身を包んでリラックスしているからか、冷たい印象を与えがちな美貌は穏やかに見えた。
「こんな時間に、ごめん」
私に気付いてこちらを見たとたん、レオナール様が微笑みを浮かべる。シドさんと同じ金の瞳は優しい光を宿し、思わず見惚れてしまうほど美しかった。
こんなに綺麗で、王宮魔法使いの筆頭と言われるほど実力があるレオナール様。だけど、その黒髪のせいで今まで色々と苦労をしてきたんだ。
この世界において、黒髪は生まれながらに精霊さんと契約を交わし、凄まじい魔力を持っている証と見られ、畏怖されている。特に子供は天変地異にも等しい魔力の暴走を起こすことがあるので、身内にすら疎まれることがあった。レオナール様も昔は辛い目に遭って、感情を殺すのが当たり前になってしまっていたらしい。
最近は微笑んでくれるようになったけど、はじめて会った時は本当に無表情だったんだよね。
今のレオナール様は魔力の制御も完璧だし、美貌といい地位といい、若い貴族女性にとって格好のお婿さん候補になっている。そのせいで苦労させられて、女性が苦手なんだとか。まあ、いまだに黒髪だからって理由で恐れられることもしばしばなんだけど。
私は前世で黒髪に慣れ親しんでいたから、彼の黒髪は懐かしくて好きなんだけどね。私のこの考えと、レオナール様へ色目を使わないところを見込まれて、ジルの母親代わりに雇ってもらえたんだ。
今は雇用関係だけじゃなく、大事な家族だって言われている。メイドとしては駄目なんだけど、凄く嬉しいんだよね……って、しみじみしてる場合じゃなかった。
「シドさんからお呼びだと聞いて伺ったのですが、どのようなご用件でしょうか?」
「ん。今度の僕の出張に付き合ってもらえないかな」
……出張って、いきなりですね。というか付き合ってって、どういうこと?
「えっと、とりあえず詳しく話を聞かせていただきたいのですが」
「わかった。リリーは『眠れる令嬢』の話を知ってる?」
前世で読んだ童話『眠れる森の美女』にそっくりなお伽噺が、この世界にもあることなら知っている。大筋は前世の童話と同じで、とある貴族の令嬢が薔薇の魔法で眠り続けるお話だ。薔薇が枯れるまで目覚めることはなく、真実の愛によるキスだけが魔法を破るという。
だけど、何故今その話が……?
「薔薇の魔法で眠り続ける令嬢のお伽噺でしたら知っています」
「それ、ただの物語じゃなくて、今、実際に起こっているって言ったら?」
……つまり、その令嬢に関係するお仕事ということかな。
「現在、薔薇の魔法をかけられて眠り続けている方がいると?」
「正確には薔薇の魔法ではなさそう。それを調べてる最中」
わけがわかんなくなってきた。多分変な顔をしていたんだろう、私を見たレオナール様がちょっと笑う。
「ヴェーデン侯爵を知ってる?」
「……確か、ソロルの森を領地に持つ、辺境伯でしたか?」
この国の爵位は、公・候・伯・子・男の順番で高い。その中で重要な場所――交易地や国境などを領地に持つ貴族は、辺境伯とも呼ばれる。
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現在そう呼ばれているのは、ヴェーデン侯爵以外だと四人しかいなかったはず。
記憶を呼び起こしつつ確認すれば、レオナール様が頷いた。
「ん。眠っているという令嬢が、ヴェーデン侯爵の娘」
「ああ、ヴェーデン侯爵家は、二人の令息と末の令嬢の三兄妹でしたね。その末の姫君が魔法にかかってしまったと……王宮魔法使い筆頭のレオナール様が行くほど大変なことになっているのですか」
「状況が状況だから、僕が実際に見た方がいいってことになったんだ。ヴェーデン侯爵の領地は、政治的にも重要」
確かに、ソロルの森の位置する地域は、隣国との国境でもある。貿易を行うためには、森を安全に抜けることが出来るよう管理をしているヴェーデン侯爵の力が欠かせない。
なにしろ、ソロルの森は精霊たちの集う不思議な場所だって話だからね、邪な考えを持っていたり、精霊を害する意思があったりする者は、森に入れないともいうし。エルフもいるんだっけ?
エルフは若々しく美しい、人間に似た外見の種族で、少し尖った耳が特徴。森の民とも呼ばれる。長命で博識だが人との関わりや争いを好まぬ穏やかな性格らしい。だけど、自らが守護する森に害を加えようとする者には容赦なく立ち向かう、勇敢さも併せ持つそうだ。
そんなエルフが住むソロルの森は、何代もかけて彼らと友好関係を築いてきたヴェーデン侯爵家だからこそ統治出来ている。王家は侯爵家をちゃんと尊重してるというアピールも兼ねて、レオナール様が足を運ぶのね。
それ以外にも、レオナール様が数少ない『見える』魔法使いだってことも理由なんだろう。
普通、魔法は発動するまで目視出来ないらしい。けど、レオナール様と魔法省の長、それとジルには、魔法を発動させる途中で展開する魔法式というものが見えるんだとか。
『見える』人はとても珍しいため、ジルは魔法使いとしての将来を考えてレオナール様の養女になった。
ちなみに、こうやって説明しているものの、私は魔力ゼロ体質と言われる人種で、魔法についてはそこまで詳しくない。
この世界では、大きさこそ人それぞれだけど、魔力自体はどんな人も持っている。ただ、それを外に出さなければ魔法として発動しない。魔力ゼロ体質の人は、魔力を外に全く出せないのだ。全然いないわけじゃないものの、珍しいんだよね。その上、この体質の人間は、大きな魔力を持つ人の傍にいると、魔力当たりという体調不良を起こしてしまう。
しかも、この世界の生活用品は、魔法が込められた魔石に魔力を流して使うのが一般的。だから、これまでは時々不便だった。けど今は、暮らすのに必要な魔力を出せるよう、レオナール様が魔法で作ってくれた腕輪を着けている。
魔力当たりを防ぎ、私の身を守る魔法も込められているというこの特別な腕輪は、寝る時にだって外さないくらい大事なものなのだ。
って、私の話より、なんで私も付き合うように言われているか、理由を聞かなくちゃ。
先を促すと、考え込んでいた私を見守っていたレオナール様が説明を再開した。
「今回は魔法使いとしての経験を積ませるためにも、ジルを連れて行く。で、どうせならリリーも行こう」
「魔法使いのお仕事にそんな軽い気持ちで同行していいのか、甚だしく不安なのですが」
「だって、僕もジルも貴族の令嬢への正しい接し方なんてわからないよ。かけられている魔法を見るってことは、直接触れなきゃ駄目かもしれないし」
その点、確かに私は貴族と接する機会が多かったため、色々とフォロー出来る。でもね……
「どうして王家はこの人に、うら若い女性のもとへ行けと言ったのでしょう……」
他に見える人が長しかいないからだってことはわかっているけどさ。大人の男性に開き直られてしまうと、脱力もしたくなる。こういうフォローもメイドの仕事のうち、なのかなぁ?
複雑な顔の私に、レオナール様が続ける。
「それと、気になっていることもあるし、リリーを一人で残したくない」
「気になること、ですか」
「ん。これは極秘なんだけど、最近子供があちこちで行方不明になっているんだ」
子供が行方不明? どういうこと? 疑問を込めてレオナール様を見ると、彼は真剣な顔になっていた。
「みんな魔力の高い子供で、身分に関係なく消えている。中には家族に売られた子供もいるみたいだ。この間、家を襲おうとした男たちも、その関係者かもしれない」
以前、私やジル、精霊さんたちで買い物をして帰ってきたら、屋敷を守る結界を破ろうとしていた人たちがいたことがある。彼らは精霊のミリスに拘束され、現在は魔法省で取り調べ中だ。その人たちが子供の行方不明事件に関わっているかもって、それってつまり――
「ジルが、狙われていた?」
「多分。だけど、なかなか口を割らない」
「……わかりました。そのような事情であれば、ご一緒させていただきます」
もしも私が一人残ったところで襲われ、人質になんてなったら洒落にならない。この前、ジルの見習い魔法使いの試験の最中、はぐれ魔法使いカーディナルに捕まった経験だってある。あの時上手く逃げられたのは、運が良かっただけだ。次はないかもしれない。
それにしても、魔力の高い子供を誘拐だなんて、いったい理由はなんだろう。考えていたら、レオナール様がそれと、と口を開いた。
「ちなみに出発は明日の朝」
「急にもほどがありますね!」
「ん。さっき僕も手紙で言われたばっかり」
え、魔法使いの出張って、こんなに急に決まるものなの? もしそうなら、これからはすぐに対応出来るよう、常に準備していた方がいいかもね。
ともかく、今は急いで準備しなくっちゃ!
そして翌日。準備が整った私とレオナール様、ジルの三人は出発の時間を迎え、屋敷の庭にいた。
一緒にソロルの森に向かうことになったのは、レオナール様の同僚で、魔法使いのセドリック君だ。
まあ、ジルと私も行くことに決まったのはいいんだ、いいんだよ。
でも、どうして私、レオナール様に抱き締められるみたいな体勢で、鳥の姿をとった風の精霊アムドさんの上にいるのかな!? とっても恥ずかしいです!!
「準備は出来ましたか?」
「はーい!」
セドリック君の言葉に、ジルが明るく返事をしている。彼が跨るグリフォンに同乗しているジルが羨ましいと言うか、むしろ場所を変わってほしい。
あ、ちなみにアムドさんは今の大きな鳥の姿以外に、人間の男性と小鳥の姿にもなれる。今は背中に私たちが乗れるよう、大きな鳥になってくれているんだ。
……うん、意識を逸らして落ち着こうとしたけど、やっぱり無理。レオナール様とあんまりにも密着してるせいで、ダイレクトに体温とかを感じちゃって……私の心臓がうるさいのが、レオナール様にも聞こえていそう。
私はせめて体勢を変えられないかと、レオナール様に恐る恐る声をかける。
「あ、あの、レオナール様」
「大人しくしてないと舌を噛むよ?」
『俺はそんなに荒い飛び方しない……安心しろ』
レオナール様が忠告してすぐ、アムドさんが言い切った。いや、あの、アムドさんを信用してないわけじゃなくてね?
「僕もリリーを落っことしたりしないよ?」
「それはわかっています。でも!」
「じゃ、いいよね」
ぎゃー、なんで抱き締める力が強くなるのよー!?
「リリーの体は、柔らかくて温かいね。あと、いい香りがする」
「やめてくださいぃぃ!!」
なにこの羞恥プレイ! これ、目的地に着くまでずっと続くの!?
「あはは、リリー真っ赤」
「誰のせいですか、誰の!!」
そう言って睨んだら、レオナール様は少し黙ってから、ふいに真剣な顔をした。
「リリー、どうしよう」
「はい?」
「リリーが真っ赤になったのが僕のせいだと思ったら、胸がポカポカしてきた」
……わあ、もう、開いた口が塞がらない……
「ね、どうしてかな?」
「……さあ」
なんとか言えたのはそれだけ。だって、その理由を普通に考えたら……でも、ありえない。だってレオナール様だもの、ないない。
「その言い方、リリーは答えを知ってるんだよね?」
「さあ?」
「なんか、ズルい」
拗ねたような口調に顔を上げれば、子供みたいな膨れっ面をしたレオナール様の顔があった。
「そういう風にはぐらかされるのは、子供扱いされてるようで嫌だ」
「レオナール様?」
「僕はリリーの相棒でしょ?」
いや、そういう問題じゃないんだけど。なんと言ったらいいものやら、私には見当もつかない。
自分の言った言葉で相手の女性が赤くなって胸が温かくなるなんて、それを表すのに相応しい言葉を私は知っている。だけど、言えるわけがなかった。
――レオナール様には、絶対にそんなつもりはないんだから。
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