上 下
6 / 58

第6話 悪日1

しおりを挟む
翌日、風も穏やかで雲ひとつない青空にリリスの心は朝から晴れやかだった。

(今日もこの空のように穏やかで楽しい一日が送れますように)

このささやかな願いとは裏腹に、今日、リリスはゴタゴタに巻き込まれることになる。

「おはよう、リリィ。今日も僕のリリィはかわいいね・・」

朝から安定のイケメンオーラを纏い、艶やかな笑顔で甘い言葉を吐くヘンリー。自分へ向けられるその甘ったるいセリフや仕草に最初こそ翻弄されたが、15歳となった今ではだいぶ砂糖増量に対する耐性ができた。

(糖質過多とは言うけれど、別の糖で自堕落になりそうだわ)

そんなことを考えながら、笑顔と共に挨拶を返す。

「ヘンリー、おはよう」

馬車に乗り込もうと差し出したリリスの手をヘンリーは自身の頬に当て「何考えてるの?」といたずらっぽい笑顔を向けた。リリスは「え?・・くっ、くだらないことよ」と頬を染め咄嗟に答える。それに彼は目を細めて「そう・・」とひとこと口にすると、彼女を馬車へエスコートした。
耐性ができたとはいっても、いつも大人っぽい彼が時折見せるいたずらっぽい笑顔は、リリスの心を乱す。前世で恋人のいなかったリリスは、文明世界の知識はあっても恋愛知識はレベル1だ。リリスは、高鳴る胸の鼓動を深呼吸で静めた。

二人のやり取りは、もはやアルバート家の朝の恒例行事と化していた。今日も親密な二人を乗せた馬車が、幸せな空気を残り香のように残し遠ざかる。それを使用人たちは生温かい眼差しで見送ったのだった。

学園に到着したリリスたちは心地よい朝の空気を頬に感じながら、校舎へと足を進める。いつもリリスとヘンリーが登校する姿は、皆の注目を集める。それは憧れや恋慕といったそれがほとんどだったが、この日は違った。チクリと刺すような視線を感じたリリスが、顔を不意に横へ向ける。するとイエローの双眼が向けられていた。サリーだった。ブロンドヘアーを陽の光で輝かせるのに対して、ブツブツと何か呟く姿は異様だった。

いつもなら社交用の微笑みを浮かべやり過ごすリリスだったが、この日リリスの足はサリーへと向かった。突然の方向転換に「リリィ?」と呼ぶヘンリーの声を無視して、近付く。そして「おはよう」とサリーに微笑み、声をかけた。するとサリーはビクッと肩を震わせ「あっ、うそ。いや、まだ作戦が」とまた謎の言葉を残し、一目散に逃げてしまった。終始、事態を見ていた周囲の生徒たちは、サリーの行動にザワついている。いち男爵家令嬢が公爵家令嬢を無視したのだ。あり得ない失態だ。

目の前で起こったあるまじき行動に呆然とするリリスの耳にヘンリーの声が届く。

「リリィ、今の彼女は・・もしかして何かあったのかい?」

「えっと・・ううん、何でもない。ちょっと知ってる子だったから、挨拶しただけ・・一体どうしたのかしらね」

振り返り笑顔で答えたリリスに彼は「何か心配事があるなら、ちゃんと相談するんだよ」と言った。リリスは頷くと、ヘンリーの手を取り校舎へと歩き出す。努めて平静を装っていたが、彼女の心は波立っていた。踵を返して逃げるサリーの後ろ姿が、脳裏に焼き付いて離れない。

(何あれ。何あれ。何あれ。信じられない。信じられなぁい。何で逃げる?私、何かした?別に取って食おうってわけじゃないのに・・・考えたら、出会いから何気に失礼だったよねぇ。あー、何か考えてたら、ムカムカしてきたぁ)

リリスは苛立ちを必死に抑え、校舎へと入って行った。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


昼休み、春の日差しが降り注ぐ中庭では、生徒たちが思い思いに憩いのひと時を過ごしている。食事をする者、読書をする者、友人とお喋りをする者。そしてその一角にリリス、アリーナ、エリーゼが顔を突き合わせ話し込んでいる姿があった。

今朝、教室に入ったリリスは、アリーナとエリーゼを見つけると開口一番「昨日の話の続きを昼休みにしよう」と鼻息荒く言った。彼女の様子に顔を見合わせた二人は「なに?何かあった?」と聞いたが、リリスは「今はダメ。話が長くなるから」とだけ言うと口を閉じた。本当はすぐにでも相談したかったが、リリスは焦燥感に駆られる気持ちを押し留めたのだ。

こうして昼休みの中庭で三人は話している。リリスは、朝の出来事を説明していた。

「・・って言うことがあったの」

「なるほどねぇ。だから、さっきから貴女、みんなの注目浴びてるのね」

エリーゼの言う通り、リリスは周りからチラチラと視線を送られていた。どうやら朝のあれが早速噂になっているようだった。貴族とは、この手の噂やゴシップに目がない生き物だが、こうも早く広まるとは予想外だった。

眉間を押さえ、ため息をついたリリスの耳にアリーナの声が届く。

「リリス、はい、あーんして」

そのセリフに顔を上げたリリスは、目の前のクッキーを素直に頬張る。その小動物のような条件反射にアリーナは笑顔を見せると「疲れてる時は甘い物よ」と話し始めた。
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫が愛人を離れに囲っているようなので、私も念願の猫様をお迎えいたします

葉柚
恋愛
ユフィリア・マーマレード伯爵令嬢は、婚約者であるルードヴィッヒ・コンフィチュール辺境伯と無事に結婚式を挙げ、コンフィチュール伯爵夫人となったはずであった。 しかし、ユフィリアの夫となったルードヴィッヒはユフィリアと結婚する前から離れの屋敷に愛人を住まわせていたことが使用人たちの口から知らされた。 ルードヴィッヒはユフィリアには目もくれず、離れの屋敷で毎日過ごすばかり。結婚したというのにユフィリアはルードヴィッヒと簡単な挨拶は交わしてもちゃんとした言葉を交わすことはなかった。 ユフィリアは決意するのであった。 ルードヴィッヒが愛人を離れに囲うなら、自分は前々からお迎えしたかった猫様を自室に迎えて愛でると。 だが、ユフィリアの決意をルードヴィッヒに伝えると思いもよらぬ事態に……。

【完結】断罪された悪役令嬢は、全てを捨てる事にした

miniko
恋愛
悪役令嬢に生まれ変わったのだと気付いた時、私は既に王太子の婚約者になった後だった。 婚約回避は手遅れだったが、思いの外、彼と円満な関係を築く。 (ゲーム通りになるとは限らないのかも) ・・・とか思ってたら、学園入学後に状況は激変。 周囲に疎まれる様になり、まんまと卒業パーティーで断罪&婚約破棄のテンプレ展開。 馬鹿馬鹿しい。こんな国、こっちから捨ててやろう。 冤罪を晴らして、意気揚々と単身で出国しようとするのだが、ある人物に捕まって・・・。 強制力と言う名の運命に翻弄される私は、幸せになれるのか!? ※感想欄はネタバレあり/なし の振り分けをしていません。本編より先にお読みになる場合はご注意ください。

悪役令嬢、第四王子と結婚します!

水魔沙希
恋愛
私・フローディア・フランソワーズには前世の記憶があります。定番の乙女ゲームの悪役転生というものです。私に残された道はただ一つ。破滅フラグを立てない事!それには、手っ取り早く同じく悪役キャラになってしまう第四王子を何とかして、私の手中にして、シナリオブレイクします! 小説家になろう様にも、書き起こしております。

夫を捨てる事にしました

東稔 雨紗霧
恋愛
今日は息子ダリルの誕生日だが夫のライネスは帰って来なかった。 息子が生まれて5年、そろそろ愛想も尽きたので捨てようと思います。

転生悪役令嬢、物語の動きに逆らっていたら運命の番発見!?

下菊みこと
恋愛
世界でも獣人族と人族が手を取り合って暮らす国、アルヴィア王国。その筆頭公爵家に生まれたのが主人公、エリアーヌ・ビジュー・デルフィーヌだった。わがまま放題に育っていた彼女は、しかしある日突然原因不明の頭痛に見舞われ数日間寝込み、ようやく落ち着いた時には別人のように良い子になっていた。 エリアーヌは、前世の記憶を思い出したのである。その記憶が正しければ、この世界はエリアーヌのやり込んでいた乙女ゲームの世界。そして、エリアーヌは人族の平民出身である聖女…つまりヒロインを虐めて、規律の厳しい問題児だらけの修道院に送られる悪役令嬢だった! なんとか方向を変えようと、あれやこれやと動いている間に獣人族である彼女は、運命の番を発見!?そして、孤児だった人族の番を連れて帰りなんやかんやとお世話することに。 果たしてエリアーヌは運命の番を幸せに出来るのか。 そしてエリアーヌ自身の明日はどっちだ!? 小説家になろう様でも投稿しています。

シナリオ通り追放されて早死にしましたが幸せでした

黒姫
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢に転生しました。神様によると、婚約者の王太子に断罪されて極北の修道院に幽閉され、30歳を前にして死んでしまう設定は変えられないそうです。さて、それでも幸せになるにはどうしたら良いでしょうか?(2/16 完結。カテゴリーを恋愛に変更しました。)

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

悪役令嬢の幸せは新月の晩に

シアノ
恋愛
前世に育児放棄の虐待を受けていた記憶を持つ公爵令嬢エレノア。 その名前も世界も、前世に読んだ古い少女漫画と酷似しており、エレノアの立ち位置はヒロインを虐める悪役令嬢のはずであった。 しかし実際には、今世でも彼女はいてもいなくても変わらない、と家族から空気のような扱いを受けている。 幸せを知らないから不幸であるとも気が付かないエレノアは、かつて助けた吸血鬼の少年ルカーシュと新月の晩に言葉を交わすことだけが彼女の生き甲斐であった。 しかしそんな穏やかな日々も長く続くはずもなく……。 吸血鬼×ドアマット系ヒロインの話です。 最後にはハッピーエンドの予定ですが、ヒロインが辛い描写が多いかと思われます。 ルカーシュは子供なのは最初だけですぐに成長します。

処理中です...